京都堀川通 風俗博物館
かば、人わらはれにやとおほしつよりてなん。やう/\す
御門地
こしづゝさはやい給ひける。うへのいつしかとゆかし
源心
げにおぼしめしたることをかぎりなし。かの人しれ
ぬ御心にも、いみじう心もとなくて、人まにまいり
給て、うへのおぼつかながりきこえさせ給を、ま
藤つほ
づみ奉りてそうし侍らんときこえ給へど、むつ
かしけなるほどなれはとてみせ奉り給はぬも
ことはりなり。さるはいとあさましう、めづらかなる
藤つほ
までうつしとり給へるさま、たがふべくもあらず。宮
の御√心のをにゝいとくるしう、人のみ奉るも、あや
しかりつるほとのあやまちを、まさに人の思ひとが
めじや。さらぬはかなきことをだに、きずをもとむるよ
な
に、いかなる名のつゐにもりいづへきにかと、おぼし
源
つゞくるに、身のみそいと心うき。命婦゛の君に、た
まさかにあひ給て、いみじきこと共゛をつくし給へ
冷泉
ど、なにのかひあるべきにもあらず。わか宮の御こ
命婦詞
とをわりなくおぼつかながりきこえ給へば、などかう
しもあながちにの給はすらん。いまをのづからみ
奉らせ給てんときこえながら、思へるけしきかた
源
みにたゞならず。かたはらいたきことなれば、まほ
にもえの給はで、いかならん世に、人づて、ならで
きこえさせんとてない給ふさまぞ心ぐるしき
源
いかさまにむかしむすべるちぎりにて此世に
源詞
かゝる中のへだてぞ。かゝることこそ心えがたけれとの
藤つほ
給ふ。みやう婦゛も、宮のおもほしみだれたるさまなど
をみ奉るに、えはしたなうもさしはなちきこえず。
命婦
みても思ふみぬはたいかになげくらんこや
√世の人のまどふてふやみ。あはれに心ゆるひなき御
ことどもかなとしのびてきこえけり。かくのみいひや
るかたなくてかへり給ふ物から、人のものいひもわづ
らはしきを、わりなきことにの給はせおぼして、命
婦゛をも、むかしおぼいたりしやうにもうちとけむ
つび給はず。人めだつまじく、なだらかにもてなし給
かば、人笑はれにやとおほしつよりてなん。やうやう少しづつ、さはやい
給ひける。上の、いつしかとゆかしげにおぼしめしたる事を限りなし。
かの人知れぬ御心にも、いみじう心もと無くて、人間(ま)に参り給ひて、
「上のおぼつかながり聞こえさせ給ふを、先づ見奉りて奏し侍らん」と聞
こえ給へど、「むつかしげなるほどなれば」とて、見せ奉り給はぬも、こ
とはりなり。さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取り給へる
樣、違ふべくもあらず。宮の御心の鬼に、いと苦しう、人の見奉るも、あ
やしかりつるほどの誤ちを、まさに人の思ひ咎めじや。さらぬ儚き事をだ
に、疵を求むる世に、いかなる名の、つゐに漏り出づべきにかと、おぼし
続くるに、身のみぞ、いと心憂き。命婦の君に、たまさかに逢ひ給ひて、
いみじき事共を、尽くし給へど、何の甲斐有るべきにもあらず。若宮の御
事を、わりなくおぼつかながり聞こえ給へば、「など、かうしもあながち
に宣はすらん。今、自づから見奉らせ給ひてん」と聞こえながら、思へる
気色、かたみにただならず。片腹痛き事なれば、まほにもえ宣はで、「い
かならん世に、人伝てならで聞こえさせん」とて、泣い給ふ樣ぞ、心苦し
き。
いかさまに昔結べる契りにて此世にかかる中の隔てぞ。
「かゝることこそ心えがたけれ」と宣ふ。命婦も、宮のおもほし乱れたる
樣などを見奉るに、えはしたなうも、さし放ち聞こえず。
見ても思ふ見ぬはたいかに歎くらんこや√世の人の惑ふてふ闇
「あはれに心ゆるびなき御事共かな」と、忍びて聞こえけり。かくのみ言
ひやる方無くて、帰り給ふ物から、人の物言ひも煩はしきを、わりなき事
に、宣はせおぼして、命婦をも、昔おぼいたりしやうにも、打解け睦び給
はず。人目立つまじく、なだらかにもてなし給
源氏
いかさまに昔結べる契りにて此世にかかる中の隔てぞ
意味:どのような前世の因縁で、この世でこのような二人の隔たりがあるのでしょうか
命婦
見ても思ふ見ぬはたいかに歎くらんこや世の人の惑ふてふ闇
意味:若宮を藤壺様は見て悩み、その様子を見られない貴方様もお歎きになる事でしょう。子を思って迷うと言う闇のことを
引歌
√心のをにゝ 不明だが、紫式部集に以下の二首の歌がある。
なき人にかごとにかけてわづらふも己が心の鬼にやはあらぬ
ことわりや君が心の闇なれば鬼の陰とは知るく見ゆらむ
√世の人のまどふてふやみ 後撰集巻第十五 雑歌一 太政大臣の、左大将にて住居のかへりあ るしし侍りける日、中将にてまかりて、 ことをはりてこれかれまかりあかれける に、止むことなき人二人ばかり留めて、 まらうどあるしさけ数多たひののち、ゑ ひにのりてことものうへなと申しけるつ いてに 藤原兼輔朝臣 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな