5 「いる月」考察
「入る月」でないとすれば、「いる」にはどう言う意味があるだろうか。
下弦の半月を「弦月(弓張月)と呼ぶ。月齢は21.15日で、ちょうど「二十日余り」の月となる。
又、朧月夜との出会いの一月後、右大臣邸での藤花宴での再会の時、源氏は、推し量って、
梓弓いるさの山に惑ふかなほの見し月の影や見ゆると
返しに朧月夜は、
心いる方ならませば弓張の月なき空に迷はましやは
と二人の出会いをイメージさせる弓張月を贈答している。もちろん両歌の「いる」は、「射る」である。
なお、右大臣の藤花宴は、弓の結(けち)なのでと訳す向きも有り、集成では、「今日の催しの弓の結にちなむ」としているが、源氏にとっては、「右大臣家の関係者」、「扇」、「朧月夜」しか手掛かりが無いのに、弓の結の相聞を贈るはずも無い。
「弓張」から「射る月」と表現したと考えれば、符合しない「入る月」より適当であると思われる。