冷泉家時雨亭叢書
隠岐本新古今和歌集
朝日新聞社
冷泉家時雨亭叢書 第三期第二十五回配本 第十二巻 隠岐本 新古今和歌集 編者:財団法人冷泉家時雨亭文庫 初版:1997年4月20日 発行:朝日新聞社 解題 後藤重郎 平成7年5月24日に、冷泉家時雨亭文庫、文化庁、京都府教育委員会より、新発見として発表された隠岐本である。これは、隠岐本合点を附さない、隠岐で後鳥羽院より残された歌のみの集として、新古今和歌集の最終形の写本と考えられている。又、宮内庁書陵部の親本と考えられている(赤瀬信吾「隠岐本『新古今和歌集』本文瞥見 季刊文学 第六巻第四号 1995年10月)。本集は平成8年6月、重要文化財の指定を受けている。 真名序、仮名序、隠岐序(隠岐本識語)、春歌上〜羇旅歌までの上巻のみとなっている。 歌数は、新編国歌大観 新古今和歌集上巻987首のうち、793首となっている。 歌数( )内は新編国歌大観
春歌上 82( 98)
春歌下 53( 76)
夏歌 95(110)
秋歌上 127(152)
秋歌下 94(114)
冬歌 120(156)
賀歌 44( 50)
哀傷歌 72(100)
離別歌 27( 39)
羇旅歌 79( 94)
合 計 793(989)
小宮本合点との違い 6首
烏丸本合点との違い 276首 配列では、秋歌下の院(秋更けぬ~)と良経(きりぎりす~)の順が逆になっている。 仮名序においては、補入記号◦により、「◦(お)こたる」と補入して「怠る」型としている。 歌用字 真名序 新古今和謌集 夫和哥 謌亦宜然 新古今和謌集 和哥之源 謳謌 仮名序 やまとうた 哥のみち 万葉集にいれる哥 七代の集にいれる哥 あつめたる哥 新古今和哥集 わかのうら 哥のみなもと みづからの哥 隠岐序(隠岐本識語) 和謌所 あつめたるところの哥 哥をあつめ うたごとに みづからの哥 すべての哥 まき/\の哥 千哥むもゝち 題名 和謌集:第一、第二、第三、第四、第五、第六、第七、第八、第十 和哥集:第九 部類名 春哥上、春哥下、夏哥、秋哥上、秋哥下、冬謌、賀哥、哀傷哥、離別哥、羇旅哥 冷泉家が、本集を秘蔵保持していた事についての私見 当時、後鳥羽院と藤原定家は絶縁状態にあり、隠岐本の存在は、藤原家隆と後鳥羽院との往来により知られていたと考えられている。事実、後鳥羽院が新たな勅撰集を編纂していると言う噂を明月記に記載している。これは隠岐本の事を指していると言われる。 定家に忠実だった為家の御子左家の所蔵本は、冷泉為相に引き継がれ、兄の二条為氏と犬猿の仲となった。 冷泉家は、京極為兼が所蔵していた歌集を、京極家が断絶した際、引き継いだと言われており、そこにあったのではと思われる。
冷泉家時雨亭叢書 第三期第二十五回配本 第十二巻 隠岐本 新古今和歌集 編者:財団法人冷泉家時雨亭文庫 初版:1997年4月20日 発行:朝日新聞社 解題 後藤重郎 平成7年5月24日に、冷泉家時雨亭文庫、文化庁、京都府教育委員会より、新発見として発表された隠岐本である。これは、隠岐本合点を附さない、隠岐で後鳥羽院より残された歌のみの集として、新古今和歌集の最終形の写本と考えられている。又、宮内庁書陵部の親本と考えられている(赤瀬信吾「隠岐本『新古今和歌集』本文瞥見 季刊文学 第六巻第四号 1995年10月)。本集は平成8年6月、重要文化財の指定を受けている。 真名序、仮名序、隠岐序(隠岐本識語)、春歌上〜羇旅歌までの上巻のみとなっている。 歌数は、新編国歌大観 新古今和歌集上巻987首のうち、793首となっている。 歌数( )内は新編国歌大観
春歌上 82( 98)
春歌下 53( 76)
夏歌 95(110)
秋歌上 127(152)
秋歌下 94(114)
冬歌 120(156)
賀歌 44( 50)
哀傷歌 72(100)
離別歌 27( 39)
羇旅歌 79( 94)
合 計 793(989)
小宮本合点との違い 6首
烏丸本合点との違い 276首 配列では、秋歌下の院(秋更けぬ~)と良経(きりぎりす~)の順が逆になっている。 仮名序においては、補入記号◦により、「◦(お)こたる」と補入して「怠る」型としている。 歌用字 真名序 新古今和謌集 夫和哥 謌亦宜然 新古今和謌集 和哥之源 謳謌 仮名序 やまとうた 哥のみち 万葉集にいれる哥 七代の集にいれる哥 あつめたる哥 新古今和哥集 わかのうら 哥のみなもと みづからの哥 隠岐序(隠岐本識語) 和謌所 あつめたるところの哥 哥をあつめ うたごとに みづからの哥 すべての哥 まき/\の哥 千哥むもゝち 題名 和謌集:第一、第二、第三、第四、第五、第六、第七、第八、第十 和哥集:第九 部類名 春哥上、春哥下、夏哥、秋哥上、秋哥下、冬謌、賀哥、哀傷哥、離別哥、羇旅哥 冷泉家が、本集を秘蔵保持していた事についての私見 当時、後鳥羽院と藤原定家は絶縁状態にあり、隠岐本の存在は、藤原家隆と後鳥羽院との往来により知られていたと考えられている。事実、後鳥羽院が新たな勅撰集を編纂していると言う噂を明月記に記載している。これは隠岐本の事を指していると言われる。 定家に忠実だった為家の御子左家の所蔵本は、冷泉為相に引き継がれ、兄の二条為氏と犬猿の仲となった。 冷泉家は、京極為兼が所蔵していた歌集を、京極家が断絶した際、引き継いだと言われており、そこにあったのではと思われる。