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秋歌上 西行 宮城野の原 伝宗祇筆古筆手鑑コレクション

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     西行   あはれいかに草ばの    つゆのこぼるら        む      秌かぜたちぬ       宮城野ゝ原
   

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    新古今和歌集巻第四 秋歌上  題しらず あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原     よみ:あはれいかにくさばのつゆのこぼるらむあきかぜたちぬみやぎののはら 有定隆雅〔ー定〕 隠     意味:哀れはいかほどであろうか、故郷の草葉の露も零れているだろう。秋風が立ち始めたここ宮城野の原と同じだろう。     備考:異本山家集、詞書は秋風で、御裳濯川歌合に自撰。常縁聞書、兼載自讃歌注では、宮城野にいて、故郷を思ったと解したに従った。増抄では宮城野にいて目の前の風景を読んだものとしている。又、御裳川歌合の俊成の判「左みやぎののはらおもひやれるこころ、なをおかしく聞ゆ」としている事から、現在では他所で秋風が立って、以前見た宮城野の萩の露の哀れを思い出したと言う解もある。    
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    宗祇上人 宗甫 極印不明   宗祇 (そうぎ)応永28年〈1421年〉 - 文亀2年7月30日〈1502年9月1日〉[1])は、室町時代の連歌師。号は自然斎、種玉庵。姓は飯尾(いのお/ いいお)というが定かではない。 応仁の乱以後、古典復興の気運が高まり、地方豪族、特に国人領主層に京都文化への関心と連歌の大流行が見られた。宗祇は、連歌本来の伝統である技巧的な句風に『新古今和歌集』以来の中世の美意識である「長高く幽玄にして有心なる心」を表現した。全国的な連歌の流行とともに、宗祇やその一門の活動もあり、この時代は連歌の黄金期であった。   連歌の作品として『水無瀬三吟百韻』、『湯山三吟百韻』、『葉守千句』があり、句集に『萱草』、『老葉』、『下草』、紀行文に『白河紀行』、『筑紫道記』、連歌論に『吾妻問答』、『浅茅』などがあり、源氏物語の注釈書『種玉編次抄』など古典の注釈書も多い。和歌の西行、俳諧の松尾芭蕉とともに連歌を代表する漂泊の人である。 姉小路基綱、宗長、宗碩、宗牧、猪苗代兼載、近衛尚通、肖柏に古今伝授を行ったとされる。   Image may be NSFW.
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○屋と読めるが、不詳。   宗甫 山科宗甫? 没年:寛文6.8.9(1666.9.7) 生年:生年不詳 江戸初期の茶人。父は千利休の女婿・千少庵。宗旦の弟として知られる。通称四郎三郎,山花亭と号した。『江岑夏書』によると,山科の鯛屋小六の養子となり,青貝細工を業とした。姓は渡辺。貝屋と称したとする伝えもある。侘び茶人の面影を伝える茶杓,在判の茶器,消息文が伝存しているが,その数は稀少で珍重される。異説に慶長11(1606)年10月29日,父の少庵に先立って死去した,ともいう。宗甫の伝はなお勘考の余地が残される。   日本書跡大鑑 第八巻 飯尾宗祇 Image may be NSFW.
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「い」 不一致

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「いか」 かは似ているが、不一致

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「か」 不一致   伝宗祇筆の書と判断

  令和3年8月24日 弐

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