謡曲 葵上 (53分31秒。パケ代注意)
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とてなん。かくまいりこんともさらに思はぬを、も
の思ふ人のたましゐは、げに√あくがるゝものにな
んありけると、なつかしげにいひて
物のけ
√なげきわびそらにみだるゝわがたまをむ
すびもとめよしたがひのつま。との給こゑけはひ、そ
源心
の人にもあらずかはり給へり。いとあやしとおぼし
めぐらすに、たゞかのみやす所゛なりけり。あさまし
く、人のと◯くいふを、よからぬ物どものいひ出ることゝ、
きゝにくゝおぼして、の給ひけつを、めにみす/\世には
かゝることこそはありけれと、うとましうなりぬ。あ
源詞
な心うとおぼされて、かくの給へど、たれとこそしら
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物のけ御息所によくにたる也
ね。たしかにの給へとのたまへば、たゞそれなる御あ
源心
りさまに、あさましとはよのつねなり。人ゞちかう
まいるもかたはらいたうおぼさる。すこし御こゑ
大宮也
もしづまり給へれば、ひまおはするにやとて、宮の
葵
御ゆもてよせ給へるに、かきおこされ給て、ほどな
くむまれ給ぬ。うれしとおぼすことかぎりなき
に、人にかりうつし給へる。御ものゝけどもの、ねたがり
まどふけはひ、いと物さはがしうて、のちのことまた
いと心もとなし。いふかぎりなきぐわんどもたて
させ給ふをにや。たいらかにことなりはてぬれば、山のざ
すなにくれと、やむごとなきそうども、したりがほ
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にあせをしのごひつゝいそぎまかでぬ。おほくの人の
心をつくしつる、日ごろのなごりすこしうちやすみて、
み
いまはさりともとおぼす御ずほうなどは又々はじ
めそへさせ給へど、まづはけうあり。めづらしき御かし
づきにみな人心ゆるへり。ゐんをはじめ奉つて、みこ
たちかんだちめのこりなきうぶやしなひどもの、
夕霧也
めづらかにいかめしきを、夜ごとにみのゝしる。おとこにて
さへおはすれば、そのほどのさほうにぎはゝしく
めでたし。かの宮すどころは、かゝる御ありさまをき
き給ても、たゞならず。かねてはいとあやうくきこ
えしを、たいらかにもはたとうちおぼしけり。あや
とてなん。かく参り来んとも更に思はぬを、もの思ふ人の魂(たましゐ)
は、げに√あくがるる物になんありける」と、懐かしげに言ひて、
物のけ
√歎き詫び空に乱るる我が魂を結びもとめよ下がひの褄
と宣ふ声、気配、その人にもあらず、変はり給へり。いと妖しとおぼし巡
らすに、ただ彼の御息所なりけり。浅ましく、人のと◯く言ふを、よから ←とかく
ぬ物共の、言ひ出づることゝ、聞き難くおぼして、宣ひ消つを、目に見す
みす世には、係る事こそは有りけれと、疎ましうなりぬ。あな心憂とおぼ
されて、「かくの給へど、誰とこそ知らね。確かに宣へ」と宣へば、ただ
それなる御有樣に、浅ましとは、世の常なり。人々近う参るも、片腹痛う
おぼさる。
少し御声も鎮まり給へれば、隙おはするにやとて、宮の御湯持て寄せ給へ
るに、かき起こされ給ひて、程無く生(む)まれ給ひぬ。嬉しとおぼす事限
り無きに、人に駆り移し給へる。御物の怪共の、ねたがり惑ふ気配、いと物
騒がしうて、後の事、又、いと心もとなし。言ふ限り無き願共、立てさせ給
ふをにや。たいらかに事なり果てぬれば、山の座主、何くれと、止む事無
き僧共、したり顔に汗をしのごひつつ、急ぎまかでぬ。多くの人の心を尽
くしつる、日頃の名残り、少し打ち休みて、今はさりともとおぼす。御修
法などは、又々始め添へさせ給へど、先づは興あり。珍しき御かしづきに、
皆人心ゆるべり。院を始め奉つて、親王達、上達部、残り無き産養共の、
珍かにいかめしきを、夜ごとに見ののしる。男にてさへおはすれば、その
ほどの作法、賑ははしくめでたし。
かの御息所は、係る御有樣を聞き給ひても、ただならず。かねては、いと
危うく聞こえしを、たいらかにもはた、と打ちおぼしけり。あや
引歌
√あくがるる
不明。ただし、紫式部の同時代の、和泉式部の歌に
もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る
がある。
和歌
物の怪(六条御息所)
√歎き詫び空に乱るる我が魂を結びもとめよ下がひの褄
意味:あまりの歎きに耐えかねて、体から宙に抜け出して迷っている私の魂を、どうか結びつけてください。貴方の下前の褄で。
備考:人魂を見た時、迷い出た魂を鎮めるために、男は左、女は右の褄を結んで三日経ってから解いた。大島本は「結びとどめよしたがへの褄」とあるが、三条西家本、河内本は、この本と同じ。