源氏五十四帖 花ちる里 歌川国政筆
しうわれにもあらぬ御心ちをおぼしつゞくるに、御
ごまにけしをたく也
ぞなどもたゞけしのかにしみかへりたり。あやし
きに、御ゆするまいり、御ぞきかへなどし給て、こゝろ
み給へば、なをおなじやうにのみあれば、我身な
がらだにうとましうおぼさるゝに、まして人のいひ
おもはむことなど、人にの給べきことならねば、心ひ
とつにおぼしなげくに、いとゞ御心がはりもまさり
ゆく。大゛将とのは心ちすこしのどめ給て、あさまし
かりしほどのとはすがたりも、心うくおぼし出
られつゝ、いとほどへにけるも心ぐるしく、またげぢ
かくてみ奉らんには、いかにぞやうたておぼゆべ
きを人の御ためいとおしうよろづにおぼして、御ふ
葵
みばかりぞありける。いたうわづらひ給し人の御な
ごり、ゆゝしう心ゆるひなげに、たれもおぼし
源 葵
たれば、ことわりにて、御ありきもなし。なをいと
なやましげにのみしたまへば、れいのさまにても
またたいめんし給はず。わかぎみのいとゆゝしき
源
までみえ給御ありさまを、いまからいとさまこと
に、もてかしづききこえ給さまをろかならず。こと
左大臣
あひたる心ちして、おとゞもうれしういみじと思ひ
きこえ給へるに、たゞこの御こゝちをこたりはて給
はぬを、心もとなくおぼせどさはかりいみじかりしなご
りにこそはとおほして、いかでかはさのみは心をもま
夕霧
とはし給はん。わか君゛の御まみのうつくしさなど
冷泉
の、とうぐうにいみじうに奉り給へるを、み奉り
給ても、まづこひしう思ひ出られさせ給に、しのび
源詞
がたくてまいり給はんとて、うちなどにもあま
りひさしくまいり侍らねば、いぶせさに、けふなんう
ゐたちし侍をすこしけぢかきほどにてきこえ
させばや。あまりおほつかなき御心の隔てあるべ
き中にもあらぬを、いたうをとろへ給へりといひ
ながら、ものごしにてなどあべきかはとて、ふし給へる
ところに、おましちかうまいりたれば、いりて物なとき
しう我にもあらぬ御心地をおぼし続くるに、御衣なども、ただ芥子の香に
染み返りたり。奇しきに、御ゆする参り、御衣着替へなどし給ひて、試み
給へば、なを同じ樣にのみ有れば、我が身ながらだに、疎ましうおぼさる
るに、まして人の言ひ思はむ事など、人に宣ふべき事ならねば、心一つに
おぼし歎くに、いとど御心変はりもまさり行く。大将殿は、心地少しのど
め給ひて、浅ましかりしほどの問はず語りも、心憂くおぼし出でられつつ、
いとほど経にけるも、心苦しく、又、気近かくて、見奉らんには、いかに
ぞや、うたて覚ゆべきを、人の御ためいとおしう、万づにおぼして、御文
ばかりぞありける。
いたう患ひ給し人の御名残、ゆゆしう心ゆるびなげに、誰もおぼしたれば、
理りにて、御歩きも無し。なを、いと悩ましげにのみし給へば、例の樣にて
も、又対面し給はず。若君の、いとゆゆしきまで見え給ふ御有樣を、今から、
いと様異に、もてかしづき聞こえ給ふ樣、をろかならず。ことあひたる心
地して、大臣も嬉しういみじと思ひ聞こえ給へるに、ただこの御心地、を
こたり果て給はぬを、心もとなくおぼせど、さばかりいみじかりし名残に
こそはとおぼして、いかでかは、さのみは心をも惑はし給はん。
わか君の御まみの美しさなどの、春宮にいみじう似奉り給へるを、見奉り
給ひても、まづ恋しう思ひ出でられさせ給ふに、忍び難くて、参り給はん
とて、「内などにも、余り久しく参り侍らねば、いぶせさに、今日なん初
立ちし侍るを、少し気近きほどにて、聞こえさせばや。余りおぼつかなき
御心の隔て。。。」。。。「あるべき中にもあらぬを、いたう衰へ給へり ←※
と言ひながら、物越にてなどあべきかは」とて、臥し給へるところに、御
座（おまし）近う参りたれば、入りて物など聞
※青表紙本大島本他によれば、おぼつかなき御心の隔てかな」と、恨みきこえたまへれば、「げに、ただひとへに 艶にのみあるべき御仲にも の約１行が抜けている。