浮世絵にみる薩埵峠
東海道五拾三次 由井 歌川広重 筆 静岡市東海道広重美術館蔵(以下同じ) クリアファイル
由比駅から東海道を東へ1.9km、静岡市東海道広重美術館へ行く。同美術館は、
平成6年、東海道の宿場町「由比宿」の本陣跡地である、由比本陣公園内に開館した東海道広重美術館は、江戸時代の浮世絵師・歌川広重(1797-1858)の名を冠した、日本で最初の美術館です。(同HPより)
との事。東海道五十三次 歌川広重など多数浮世絵を保有している。
ここでの注目する点は、200年前の江戸時代に宿場町に、どう富士山を画いたか?である。国道1号線、東海道線が出来る前の姿である。
写真は、同美術館グッズのクリアファイル、絵葉書である。
東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪 歌川広重
蒲原では、やはり富士山は描かれていない。
東海道五拾三次之内 由井薩埵嶺 歌川広重
波に洗われた急な崖の上の細い山道を、旅人が恐々通っている先には、富士山がそびえている。
舟からの視点で、画かれている。
冨士三十六景 駿河薩タ之海上 歌川広重
広重も葛飾北斎の影響を受けて、富士山の三十六景を画いている。「東海道五拾三次之内 由井薩埵嶺」と同じ構図だが、波は北斎の富岳三十六景神奈川沖浪裏を思わせる。
東海道 十七 五十三次 由井 歌川広重
同美術館のパンフレットに、由井宿の様子が描かれている。
これを見ても、国道1号線、東海道線は、海を埋め立てて、通している事が分かる。国道1号線バイパスは、今も海上を走っている。
考察
ここで、薩埵峠が街道として整備される前の奈良時代を考えないといけない。
こんな細い山道を、物流や軍隊、江戸幕府将軍上京、明治天皇東京奠都が出来るはずもない。
足利直義が、兄の足利尊氏軍を迎え撃つにはもってこいの難所である。
これを歌川広重の視点、海上交通と考えると、三保の松原から海上船舶に乗り換え、田子の浦にうち出てみる必要が有る。
この理論の欠点は、同じ万葉集歌(ド忘れ、誰か教えて)の三保の松原から夜に田子の浦を通過した。舟なら半時、2時間弱。
次の難所の富士川越えまで、舟と言う説が出来る。一般論の従(ゆ)は成り立たなくなる。「田子の浦に」と訓ずべきとなる。