みちやうのうちにさしいれておはしにけり。人まにから
うしてかしらもたげ給へるに、ひきむすびたる文、御
まくらのもとにあり。なに心゛もなくひきあけてみ給へば
源
あやなくもへだてけるかなよをかさねさすが
になれし中のころもを。とかきすさひ給へるやう
紫心源ノ事を云也
なり。かゝる御心おはすらんとはかけてもおぼし
よらざりしかば、などてかう心うかりける御心を、うら
なくたのもしきものに思ひきこえけんと、あさま
源 詞
しうおぼさる。ひるつかたわたり給て、なやましげ
にし給らんは、いかなる御心ちぞ。けふはごもうた
紫
で、さう/"\しやとてのぞき給へば、いよ/\御ぞひき
源
かづきてふし給へり。人々゛しりぞきつゝさふらへば、より
源
給て、などかくいぶせき御もてなしぞ。思ひのほ
かに心うくこそおはしけれな。人もいかにあやし
とおもふらんとて、御ふすまをひきやり給へれば
紫
あせにをしひたして、ひたいがみもいたうぬれ給
源詞
へり。あなうたて、これはいとゆゝしきわざよとて、
よろづにこしらへきこえ給へど、まことにいとつら
源詞
しと思ひ給て、つゆの御いらへもし給はず。よし
/\さらにみえたてまつらじと、いとはつかし
などゑじ給て、御すゞりあけてみ給へど、もの
もなければ、わかの御心ありさまやと、らうたく
見奉り給て、日ひとひいりゐてなぐさめきこえ
み
給へど、とけがたき御けしきいとゞらうたげなり。そ
のよさりゐのこのもちゐまいらせたり。かゝる思ひ
のほどなれば、こと/\しきさまにはあらで、こなたば
かりにおかしげなるひわりごなどはかりを、いろ/\
源
にてまいれるを見給て、君みなみのかたに出給て、
これみつをめして、このもちゐ、かうかず/\にところせ
きさまにはあらで、あすのくれにまいらせよ。けふは
いま/\しき日なりけりと、うちほゝゑみての給ふ
み
御けしきを、心とき物にて、ふと思ひよりぬ。これみつ
たしかにうけ給はらで、げにあいきやうのはじめは、
御帳の内に差し入れておはしにけり。人間にからうして頭もたげ給へるに、引
き結びたる文、御枕の元にあり。何心も無く引き開けて見給へば、
あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れし中の衣を
と書きすさび給へるやうなり。係る御心おはすらんとは、かけてもおぼし寄ら
ざりしかば、などて、かう心憂かりける御心を、うらなく頼もしき物に思ひ聞
こえけんと、浅ましうおぼさる。
昼つ方渡り給ひて、「悩ましげにし給ふらんは、いかなる御心地ぞ。今日は碁
も打たで、そうぞうしや」とて覗き給へば、いよいよ御衣引きかづきて臥し給
へり。人々退きつつ侍へば、寄り給ひて、「などかくいぶせき御もてなしぞ。
思ひの他に心憂くこそおはしけれな。人もいかに奇しと思ふらん」とて、御衾
を引き遣り給へれば、汗に押し浸して、額髪もいたう濡れ給へり。「あなうた
て、これはいと由々しき業よ」とて、万づにこしらへ聞こえ給へど、真にいと
辛しと思ひ給て、露の御答(いら)へもし給はず。「よしよし。更に見え奉ら
じと、いと恥づかし」など怨(ゑ)じ給ひて、御硯開けて見給へど、物も無け
れば、若の御心有樣やと、らうたく見奉り給て、日一日入り居て、慰め聞こえ
給へど、解け難き御気色、いとどらうたげなり。
その夜さり、亥子の餅(もちゐ)參らせたり。係る思ひの程なれば、ことこと
しき樣にはあらで、こなたばかりに、おかしげなる檜破籠などばかりを、色々
にて參れるを見給ひて、君、南の方に出で給ひて、惟光を召して、「この餅、
かう数々に所狭(せ)き樣にはあらで、明日の暮れに參らせよ。今日は忌々し
き日なりけり」と、打ち微笑みて宣ふ御気色を、心疾(と)き物にて、ふと思
ひ寄りぬ。惟光、確かに受け給はらで、「実に愛敬の始めは、
和歌
源
あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れし中の衣を
意味:どうして今まで貴女と何でもない関係にいたのだろうか?何度も一緒に寝て、馴れていたのに、二人を隔てていた中の衣を脱がせて夫婦の関係になった。
備考:「綾」、「隔て」、「重ね」、「馴れ」は「衣」の縁語。青表紙本は、「夜の」とあるが、肖柏本と書陵部本、河内本と別本の陽明文庫本も「中の」とある。