(ウェップリブログ 2007年10月20日~)
詩歌と気象生物
1 はじめに
和歌や詩の訳本を読んで行くと気象や生物から、少しおかしいと思う事があります。
雪の降らない地域での一面の積雪や霜の降りにくい所での霜の歌など。
とすると地名が実は全く違う場所、比喩を実と捉えたために季節が全く違う、読み方が全く違うのではと考えたくなります。
もちろん、和歌の世界では、歌枕の地を訪れないで想像で詠む事もありますが、訳をする場合、その地の様々な気象を考慮しないと間違った解釈になってしまいます。
そこで、私が読んでみておかしいと感じた漢詩や和歌について検証してみたいと思います。
もちろん一つの説にすぎません。本人に聞く訳にもいかないので。
2 天の霜
(1)楓橋夜泊 張継の場合
楓橋夜泊 張継
月落ち、烏啼いて、霜天に満つ
江楓漁火、愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声、客船に致る
この詩は張継が科挙の試験に落ち、失意の帰省の旅の途中、蘇州を立ち寄った時のものだそうです。どの本を読んでも、「霜」、「寒」の字から冬の寒々とした風景としております。
時刻は夜半とあることから10~12時、その時月が沈むとすれば7日~10日月の半月。太陰暦なので七日辺りととなります。
昔真夜中に鐘を鳴らすものかと論争があったそうですが、他の記録から夜の鐘はあったらしいとのこと。真夜中の寝静まった頃に鐘を鳴らすのも迷惑な話ですね。
江楓とあるが、1 地名 2 櫨を楓と間違えてた 3 橋の名前からという説があります。推測の域を出ませんが。
蘇州は、北緯約32゜とやや南にあり、平均気温は17℃、夏場は東京より暑い平均最高気温32℃だそうですが、冬場の1月の最低平均気温は0℃と東京並の寒さで十分霜が降りる事が解ります。
カラスは夜に鳴かない。という異論もあります。カラスは鳴かなくともカラスの様にギヤーギヤー鳴く鳥はいるのではないでしょうか。残念ながら蘇州周辺の鳥の事情を調べる術はありませんでした。
皆さんは、満天の星を見たことがあるだろうか?日本ではどこでも明かりがあり、天の川を含めた何万の星々が輝く様は将に感動なのだが見る機会はほとんど無い。しかし、この星空を妨げるのは月光であり、天文観測する際には月齢を必ずチェックするのは常識で、これは昔も変わらない。しかしこの時月は落ちていました。
星空が月の落ちた途端全天に星が満ちた時、霜が降りた様だと感じてもおかしくないのではないしょうか。
江楓を川辺の楓又は櫨と仮定した場合、ともに落葉樹であるため、霜が降る様な冬の時期には葉を落としていることこになります。しかし漁火に映って揺れるにはどうしても葉が繁っている必要があると思う。例え黄葉していたとしても。
張継は科挙の試験に落ち失望の中で眠れないことから船縁に佇んでいたと推察される。しかし、霜が降る程の寒さの中で外に出ようとするだろうか。佇んで鐘の声を聞く程長時間いるだろうか。寝所からわざわざ防寒着に着替えてまで。誰もが思うのは、「そんなことはしない」ではないでしょうか。
張継が科挙の試験に落ちたと前述しましたが、それでは科挙はいつ行われ、いつ結果が発表されたかが重要なキーワードになります。
科挙の本を探したが唐代のものは見つからなかったが、次の宋の時代には皇帝が自ら試験官となる殿試の様子を臣下が詩に残しているものがあり、それを見ると三月とありました。また結果発表は五月らしい。
試験の為に長安に出て来て半年もうろちょろするだろうか。直ぐ帰ったとすれば、6月(現在の7月)となります。梅雨の時期に月など出る事は少ないので梅雨明け以降と推察しました。
今の受験生でも試験終了後は羽目を外して遊ぶとは思いますが、半年分も滞在費を余分に渡されたとは思いにくい。
以上の事から、この詩は寒々とした風景ではなく、蒸し暑いか霜の降りる前の秋頃までと思います。
これを意訳すると
上弦の月が落ちて、カラスの様な鳥が鳴いた途端、満天の星がまるで霜の様に現れた。
楓橋の岸辺の楓の様な櫨が、いさり火の光に映りながら、微かな夜風に葉が揺れ、暑さと試験に落ちた苦悩で眠れない私を慰めてくれている。
蘇州の城外の有名な寒山寺から聞こえてくるのだろうか?
夜半の鐘の音がこの客船まで届いて、私の憂つな気持ちを表している。
詩は作者が作った後は、作者を離れ、読者に委ねられると思います。くどくどと修飾の言葉を書き連ねましたが、私のイメージの楓橋夜泊です。それぞれの人にはそれぞれの楓橋夜泊があって良いと思っております。
補追
張継 字はい孫。中唐期で襄陽(湖北省襄樊市)出身で、天宝12年(753年)進士合格。節度使の官僚、鉄塩判官など歴任。
蘇州は、当時の長江の河口で、隋の煬帝が黄河と長江を結ぶ大運河が作られ、交通の要所。張継が立ち寄ったは、長安の科挙の試験の帰りと言ったが各本では確認取れず。
唐の科挙について、唐代の科挙と文学(程千帆著凱風者)によると、試験は1月、発表は2月との事(旧暦)。この本によると50歳で進士合格は若い方ということで何度も受けてやっと合格出来るもの。詩の才能が必要とのことでした。
杜甫の酔歌行に、遠縁の甥の杜勤が科挙の試験に落ち故郷に帰る別れの宴の詩があり、それには
春光淡たたり秦東亭
渚蒲の芽は白くして水行は青し
風は客衣を吹きて日は杲杲
樹は離思を撹して花は冥冥
とあり、中春以降と判ります。
真夜中に鐘は鳴らさないと言ったのは宋の欧陽修。
烏夜啼は、楽府題の一つにあり、必ずしも鳴くのを聞いたとは限らないとのこと。鵺(トラツムギ)の様に気味悪く鳴いた(鳴き声はフィー、地鳴きはグワッグワッ)のを烏と言ったかも。なお鳴くのは3月中旬から。台湾にはコトラツムギという近似亜種がいる。
烏が夜啼くというのは、南北朝の宋の時代、劉義慶が文王に自宅謹慎させられた時、烏が夜に啼くのを聞き、側室が赦しがあることを予言しそのとおりになり烏夜啼という詩を作った故事から旧楽府となり、李白も同題でしており詩を作っています。
時代を過ぎ、宋建国当時、文化に力を注ぎすぎた為滅んだ南唐最後の王の李いくの幽閉中の詩が好きなのであげておきます。
烏夜啼 李いく
言も無く独り西楼に上れば
月は鉤の如し
寂漠たり梧桐しげる深き院の清秋を鎖せる
剪りて断たれず
理めて還た乱るるは
是れぞ離れの愁い
別に是れ一般の滋味の心頭に在り
蘇州の遅霜の記録は判らなかったが、気候似ている鹿児島では、平年は3月11日。最も遅い記録は4月22日。
楓はカエデではなく、シラキ属トウダイグサ科ナンキンハゼで、葉が出てくるのは3月。水湿地などによく生じているとのこと。
櫨はハゼと言って昔はハヂ、はぢもみぢで和歌に読まれていますが、これはヤマハゼのこと。中国ではウルシ科リュウキュウハゼノキで、実から蝋燭のロウ油を千年前から取るとのこと。紅葉が綺麗。3・4月に葉を出すとのこと。
樹木と鳥は知人から教えてもらいました。(感謝)