Quantcast
Channel: 新古今和歌集の部屋
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4541

平家物語と方丈記8 初稿

$
0
0

5 考察
(1) 平家物語異本間の差違の総括
イ 方丈記の異本と平家物語
 方丈記の異本間と平家物語の差違をまとめてみると、以下のとおりとなる。
 平家物語の安元の大火は、平家物語と同じ「牛馬の類」としている前田家本、「三分の一」としている大福光寺本、前田家本、「資財」を使用している大福光寺本、流布本とバラバラの状況にある。
 発生時刻は、方丈記を参照したり、兼実の玉葉などにより修正を加えたり、他を参考としてしているが、公卿の消失箇所数で玉葉は参考としていない事が分かる。
 治承の辻風は、合戦状本は大福光寺本、前田家本のほとんどを網羅している。そして、大福光寺本、の「資財」、大福光寺本の「未の方」から大福光寺本を参考としたと言える。なお、前田家本は、「財宝」としている。
 しかし、「三四町を掛けて吹きまくる」において、流布本も参考としているとみられ、平家物語語り本系の異本は、未申を参照していることからも、この部分は両者を参照した可能性がある。
 福原遷都は、語り本系が、大福光寺本に無い「その地~高く」を記載しており、前田家本、流布本を参照していることとなる。
 「内裏は山中なれば」以降は、読み本系、特に盛衰記が引用しており、逆に語り本系は引用はなくなる。「衣冠布衣なるべきは、多く直垂を着たり」は、大福光寺本、前田家本の「多く」を長門本が引用している。
 養和の飢餓では、前半は盛衰記、後半は合戦状本のみの記載となる。
 盛衰記は、「秋冬は大風」から流布本を、「アカニツキ」からは大福光寺本、前田家本を、「家をわすれてテ山にすむ」から大福光寺本、流布本を参照していると考えられる。
 一方、「聖、数多語らひて」から前田家本、流布本を、「北山」、「四万二千四百余り」からどの本も参照していないとも考えられる。
 元暦の大地震では、「山崩れて」、「ゆく駒」、「立ち昇りて」、「昇らんこと難し」で流布本に近いものが多いが、「水湧き上がり」から大福光寺本、前田家本を、「異なる」を使用していない前田家本を参照していなかったなどから、それぞれの部分はそれぞれのものを参照していることとなる。
 以上のことから、平家物語の四大災害一変事の部分において、
① 異なる加筆者が、それぞれ異なる方丈記を参照した。
② 現存しない、方丈記異本がありそれを参照した。
の二つが考えられるが、短い文章の中に、①のあるときは大福光寺本、あるときは前田家本、あるときは流布本を参照したとするのは無理があり、語り本系、読み本系とも同様な傾向から、かなり早い時期に、②の大福光寺本、前田家本、流布本以外の現存しない異本があったと考える方が合理的である。

ロ 平家物語の異本と方丈記
 平家物語は、様々なものから取材していることは、各参考本でも陳べられている。
 安元の大火では、日付から、屋代本、平松家本が「廿七日」、長門本が「廿四日」、高野本、九年本、下村本、熱田本、中院本、百二十句本、合戦状本、闘諍録、盛衰記、延慶本が方丈記と同じ「四月廿六日」として分類される。時刻では、「亥刻」の高野本、下村本、中院本、合戦状本、闘諍録、盛衰記、延慶本、長門本、「子刻」の城方本、屋代本、平松家本、方丈記と同じ「戌刻」は、九年本、熱田本、百二十句本、と分かれている。
 内裏の焼亡箇所から、高野本、百二十句本、下村本、城方本、合戦状本と延慶本、長門本、闘諍録と独特の中院本、大極殿焼亡を記さない屋代本、平松家本と、そして焼亡していないものまで記載している盛衰記に分類できる。
 治承の辻風では、そ日付から、「治承三年五月十二日」の高野本、九年本、下村本、城方本、中院本、百二十句本、「六月十四日」から盛衰記、延慶本、長門本、「十日余りの合戦状本」、「五月十五日」の屋代本に先ずは分かれる。
 吹き飛ばされた「桁柱長押」の高野本、九年本、下村本、城方本、百二十句本と「桁梁垂木小舞」の盛衰記、「桁梁長押棟」の延慶本、「桁梁長押柱」の長門本、方丈記完全一致の合戦状本に分かれる。
 家が飛ばされる距離では、「四五町十町」の高野本、九年本、下村本、中院本、百二十句、屋代本、盛衰記、延慶本、長門本と「三町五町」の城方本、方丈記と同じ「四五町」の合戦状本との分かれる。
 竜巻が通過する方角は、「未申」の高野本、九年本、下村本、城方本、盛衰記、延慶本、長門本が記載しているが、方丈記大福光寺本、前田家本と同じ「未」はやはり合戦状本となっている。
 福原遷都は、前半高野本、九年本、下村本、城方本、百二十句本の語り本系が、後半は盛衰記と長門本の読み本系が方丈記を採用している。
 「南は海ちかくしてくだれり」の高野本、九年本、下村本、「ちかくて」は城方本、「近うして低ければ」は、百二十句本と微妙だが、異なる表記となっている。
 「内裏は山の中なれば、彼の木の丸殿もかくやと」を筑紫に作った里内裏に利用している高野本、九年本、百二十句本、延慶本、長門本、闘諍録、盛衰記。福原遷都のみの城方本、下村本と分けることが出来る。
 養和の飢餓は、前半の合戦状本と後半の盛衰記のみ記載があるので、分類は出来ない。
 元暦の大地震について、「海は傾きて陸地を浸せり」を、高野本、九年本、下村本、盛衰記、熱田本が「海漂ひて浜を浸す」、城方本、百二十句本、長門本は「海傾きて浜を浸す」、延慶本は「海漂ひて磯を浸す」、中院本は、「海傾きて峰を浸し」であり、合戦状本のみ流布本と同じ「海傾涅ヒヌ陸」である。
 「裂けて水は湧き出で」は、高野本、九年本、下村本、熱田本、屋代本、百二十句本が方丈記とほぼ同じで、城方本、中院本「裂けては水を出し」と湧きが無い。
 「行く馬は脚の立所を惑わせり」は、高野本、九年本、下村本、熱田本、屋代本、百二十句本が流布本と同じ「駒」、そして独特の「失へり」とあるが、城方本、中院本は「蹄」、「惑はす」としている。
 「煙の如し」は、高野本、九年本、熱田本、屋代本、百二十句本、長門本が方丈記に同じで、下村本、城方本、延慶本が「煙に同じ」、盛衰記が「似たり」、合戦状本は「煙を以て」となっている。
 最後に、「東大寺の佛のみぐし落ち」は、九年本、下村本、熱田本は「揺り」が、高野本だけは「振り」が付くが、城方本、中院本、屋代本、百二十句本は方丈記に同じ。
 以上をまとめると、他の平家物語との関連を見ると、先ず方丈記と類似点が多く、大火の日時、内裏の焼亡箇所以外は他の異本とは異なる合戦状本が上げられ、不明な成立年は無視しても一番オリジナルの方丈記に近い。
 中院本は、語り本の中では、一番方丈記の語句を残しており、城方本と類似点が多く、次いで屋代本、百二十句本とも類似している。特に注目すべき語句は、方丈記と同じ「幾十ばくぞ」である。しかし、遷都と飢餓では方丈記を採用していない。
 平松家本は、屋代本との共通が多く両本の関係は明かといえる。
 同じ真名本である熱田本は、高野本、九年本、下村本と共通語句が多い。
 読み本系と語り本系がともに採用しているのが、大火の「廿六日」、「亥刻」。辻風の「四五町十町」、「未申」。遷都の「内裏は山の中なれば、彼の木の丸殿もかくや」を筑紫の里内裏に使用しているもの。大地震の「海漂ひて浜を浸す」は高野本、九年本、下村本、盛衰記、熱田本高野本、九年本、下村本、、熱田本の語り本系と読み本系の盛衰記、「海傾きて浜を浸す」の城方本、百二十句本の語り本系と読み本系の長門本は、表現が異なるにも関わらず、両系統とも採用している。方丈記と同じ「煙の如く」は、高野本、九年本、熱田本、屋代本、百二十句本の語り本系と長門本、「煙に同じ」は、下村本、城方本の語り本系と延慶本が採用している。
 語り本系として、①高野本、九年本、下村本、熱田本、百二十句本グループと②平松家本、屋代本グループ、③中院本、城方本グループに分かれるが、屋代本は元暦の大地震で①グループとも、百二十句本は②グループ、③グループと共通する語句を使用している。
読み本系として、④延慶本、盛衰記、長門本、闘諍録、⑤合戦状本に分かれる。しかしこれも、「海漂ひて浜を浸す」で①グループと同じ盛衰記、内裏の焼亡箇所で①及び城方本と同じ合戦状本など、一概に言い得ない部分もある。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4541

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>