(ウェッブリブログ 2009年09月09日)
幻灯の俳句研究読み終える夕闇迫るひぐらしのなか
兵庫県の方で戦前に結核でお亡くなりなった■■■という方が、昭和14年まで俳句?をアララギ?に投稿してしていて、是非探したいとある縁で弟様より依頼があり、膨大な歌の中を探したが見つからなかった。
当時の短歌を読むとシナ事変停戦とか召集とか戦死とか。サナトリウムとか。
選者も土屋文明、斎藤茂吉とか。
万葉集の解説が特集していたのは流石アララギとは思いました。
茂吉が新人投稿者へというのがあり「自分だけ分かった様なものではいけない」と。
自分の短歌は自分だけしか解らないと反省。今回はアララギ風に作ってみました。
俳句とアララギは、大変近いが遠い。元は正岡子規ではあるが。
御幼少の記憶という事で昭和9年創刊の俳句研究をマイクロフィルムで探し始めています。短歌に比べ探しやすいが、マイクロフィルムは幻灯なのでとても読み難いです。
昭和10年の俳句研究を読んでいたところ、前田夕暮が自由律俳句と短歌の限界というものを書いていました。
考えてみれば、自由律俳句といえば、種田山頭火(明治15年 -昭和15年)、河東碧梧桐(明治6年-昭和12年)、尾崎放哉(明治18年-大正15年)くらいしか思い浮かばず、かれら巨頭を越える者がこの半世紀出ていないと。
自分自身も、自由律俳句には自信がない。