はじめに
初めてネットワークに参加したのは、HPだった。マンションの管理組合が定めたブロバイダーと契約して光通信を始めた。
既にネットワークに参加していた叔父が、ウェッブリブログと言うのを勧めたので、2006年10月28日に参加してみる事にしたのが、ブログ名 花鳥風月だった。俳句のブログ友達も5人ほど出来たが、それぞれの方も止めて行った。当時はガラケーで写真を撮っていたので、画像が粗く小さい。それでもあちらこちらを撮って歩いている。
2023年1月に閉鎖されると言う事で、急遽引っ越しをしている。1日分を掲載していたが、読む読者も疲れるだろうと以下をまとめて、俳句集「花鳥風月」と名付ける。
惜別 2011年04月06日
雁山の雲に見紛ふ櫻かな
和漢朗詠集の大江朝綱に
鴻臚館において北客に餞(はなむけ)する序
前途(せんど)程遠し
思ひを雁山(がんさん)の暮(ゆふべ)の雲に馳す
後会(こうかい)期(ご)遥かなり
纓(えい)を鴻臚(こうろ)の暁(あかつき)の涙に霑(うるお)す
の本文取りです。
この詩は、勃海の使節が、帰国する際の宴で披露されました。
勃海は、朝鮮族が打ち立てた国と云われておりますが、日本と同じく唐との繋がりが深く、使者の漢詩のレベルも高いので、接待役には弁官が多く仰せつかり、菅原道真もその役に就いて漢詩を詠んでおります。
当時唐との交流より、勃海との方が頻繁に行われ、もたらされた毛皮が貴族に持て囃されていたとの事。
薄紅色に染まった枝垂桜を、雁山の夕焼け雲に見立てました。
桜の花を雲に見立てる和歌は多数ありますが、もう会える事(東京に帰る事)は無いかも知れないという意味を含ませました。
ちなみに、能登は勃海使節の到着した港があって「登都」の国名が付いたという説もあり、石川に転勤するという事も踏まえています。
この詩は、平家物語 忠度の都落ちに、藤原俊成に和歌を渡し、旅立つ際、遠くの方で朗詠しているので有名。
木によっては満開しているものもあり、見られて良かったと思います。
越後湯沢の遅い春も、もうじき来る樣ですね。
別れ花 2011年04月10日
花を見て
君を見て去る夕べかな
先週作り、推敲を重ね、良いものを作りましたが、春の酔ひのなかに消えてしまい、来れなかった友人へのメールしたのが唯一残っていました。
花冷え 2011年04月11日
花冷えも
見える
一つの
希望あり
今日も大規模な余震があった。
何時までこの余震が続き、復旧の妨げになるのだろう。
そんな気分の花冷えの雨の中で、夕日が射し、虹が綺麗に出ていた。
金沢は、雨も多いが虹も多い。
5℃以下の寒さも少しだけ希望という気持ちになった。
朧 2011年04月15日
おぼろにも人の罪見て隠れけり
関東の二つの事件が心を曇らせる。
一つは、船橋に疎開してきた福島の子を差別的ないじめた事。
当然子供は放射能など知るよしも無い訳だから、親の言動を真似ただけ。親が馬鹿なのは、いじめた子の不幸せでしかない。
元船橋市に本籍を置いて数年暮らしたものとして、恥ずかしい。
もう一件は川崎市の福島ゴミ処理に抗議が2千件以上あったとの事。
放射能の知識のカケラも無い無知蒙昧の輩だと思う。
リスクは福島に押し付けて、電気の恩恵だけ受け、金さへ払っていれば良いという浅ましい考え。
3月14日から4月11日までに1日8時間外にずっといたとして91マイクロシーベルトを浴びただそうです。(放射線医学総合研究所試算)
東京からウィーンに飛行機で旅行した時と同じとHPにありました。
とすると都内に住んでいた外国人は、急いで帰国して、わざわざ1ヶ月分の放射線量と同程度の放射線を浴びた事になる。
病院での受診拒否はもっと酷い。
先日ちょっと肺に影があったので胸のCTスキャンを医師の勧めもあり、受検した。これは高価なCTスキャンを購入した病院に有りがち。
つまり医者は6.9ミリシーベルトの放射線を浴びる事を勧めた事になる。
レントゲン施設を必ず有している医療機関としては受診拒否は有り得ないだろう。
ミリとマイクロでは1000倍の違いがある。
都内で買い溜めした事で被災地に行くミネラルウォーターがその分行かないのは事実であり、今はキャップが無くなって増産出来ない。
プルトニウムが検出された事で大騒ぎしているが、プルトニウムは鉛の2倍の原子量があり、とても重い。原爆で爆発して大気中に放出しない限り世界中に拡散するとは思えない。
ヨウ素は軽いが、半減期は8日。
セシウムは半減期は30年と長いが、生物的半減期は80日となるが代謝の少ない大人で、乳児は8日である。
幽霊の痕跡に怯えている。
放射能の知識はほとんどなく、朧げな知識の危険だけが一人歩きしている。
原発事故のレベルはチェルノブイリ並とか言っているが、これも眉唾らしい。原発事故にロシアを始めとする原爆実験国から抗議があったらしいが、自分の汚染は棚に上げている。
今日の月は朧で東京の樣にコンクリート社会では見られないなあと思いつつ、暗いニュースに心を傷めてしまった。
北国日和 2011年04月18日
花もまた
北國日和過ぎて行く
松尾芭蕉が越前敦賀の気比神社での詠
名月や北國日和(ほっこくびより)定めなき
の本歌取り。
金沢の諺に
「弁当忘れても傘忘れるな」
というのがあるが、天気予報を見ず、快晴の空に傘を忘れた。
昼の様子には微塵も感じられず。透明なビニール傘から花見。
北陸では、名月だけでなく、桜のシーズンでも雨が多い。花の移ろいも早い。
上は、昼撮ったもので、桜吹雪となっていたが、下は夕方で、買ったばかりの傘の下からの撮影。少し葉桜となっていた。
落花道 2011年04月20日
花の道を歩こう
嵐のあとも
金沢というのは、私にどういう人生を歩ませてくれるだろう?
とりあえず自然が豊かではある。
夢見草 2011年04月22日
夢見草
覚めるも散るもいそがずに
夢見草(ゆめみぐさ)とは、桜と弥生の異名で江戸時代の季語でしたが、その後廃れました。
参考
難解季語辞典(関森勝夫著、中村俊定監修)
何年も前に作った俳句ですが、急に思い出し。
金沢に来て撮り貯めたものを。
立山 2011年04月29日
古人も見た
立山の春よ
※いにしへひととお読み下さい。大伴家持ら万葉歌人の事です。
荒小田に水引き入れて山映す
バスで東京に行く事とした。その連作です。
倶利伽羅峠を過ぎ、砺波平野に入ると車窓は立山連山の雪と田んぼに水を張ったのが目に入ってきた。
社内で他のお客の迷惑になるし、写真が撮られないのが残念。
(;´・`)
二句目の本歌
あら小田にほそ谷河をまかすればひくしめ繩に漏りつつぞ行く 金葉集 春 源経信
有磯海 2011年04月29日
鴬の呼ぶ声何か
ありその海
春の風路は真っ直ぐ
有磯の海
おくの細道
早稲の香や分け入る右は有磯海
有磯海サービスエリアで休憩。
芭蕉の句碑と絵があった。
親不知子不知 2011年04月29日
親不知こしらずの濤
春の海
親不知子不知は、越中と越後の境(新潟県糸魚川市)で、海と山との僅かの隙間に道路と高速道路と鉄道が通っている。古来難所であり、親不知と子不知の間に市振がある。
おくの細道
一家に遊女も寐たり萩と月
春とはいえ、波は高く、高速道路の橋げたに波飛沫がぶつかっている。
さすが、
荒波や佐渡に横たふ天の川
の越後の海だ。
日本海の荒波を見ているとやっぱり演歌ですね。
俳句:信濃路 2011年04月29日
信濃路の春のはじまる弥生かな
上越から信濃に入いる。
新潟の妙高には、上杉謙信の絵もトンネルに書いてある。
大河ドラマは最近のは見ていないが、この辺りに謙信はいたのだろうかと。
妙高山などの北アルプスの山々はまだまだ冬景色だが、里は雪が溶けてもう春。
暦では晩春の弥生なのだがという事。南北高低色んな弥生が日本にはある。
と云う事で、季語は弥生。
武者の夢 2011年04月30日
武者の夢
若草の中萌えにけり
※むさとお読み下さい。
川中島の合戦の松代パーキングで休憩。
合戦の地図などが、あちらこちらに有り、どの辺りが妻女山なのか、海津(松代)城なのか不明です。
風林火山などの映画、大河ドラマで何度も見てはいるのですが。
夏近し 2011年04月30日
又
うき事の多かりき
夏近し
9℃の金沢から20℃の渋谷へ7時間半の旅を終えた。
7時間もバスに缶詰ででも、様々な場所の春の景色と金沢で買った古本が退屈を紛らわせてくれた。
都会の騒音と人波に少し酔ってきたみたいだ。20日ぶりなだけだが。
気温も25℃くらいに感じる。
携帯の電池もそろそろ切れかかっている。
犀星 2011年06月05日
犀川も梅雨にうたれて雨寶院
室生犀星記念館に行ってきた。
金沢の天気は変わりやすく、雨の予報が無くても雷が鳴り出し、土砂降りとなり、途中駐車場や神社で雨宿りしたものの、記念館に着いた頃はずぶ濡れ。
でも雨は宝と思い、受付の女性から訝しげられて館内の展示を見て回る。
実筆の原稿や刊行本、手紙などが展示されている。
私生児として生まれ、生後直ぐ知人に預けられ、犀川大橋の横の雨宝院の住職の養子となったそうだ。
犀星は、最初の文学との出会いは俳句だったとの事。
雪ふるといひしばかりの人しづか 「はるのゆき」より
自筆掛け軸もある。
児童向けの詩も書いていて、
金魚はびっくりしてうんこをした。 「動物詩集」より
など思わず面白い(^ワ^)☆と。
故郷金沢を愛し、犀川を愛していた。そして郷土の人を見返してやろうと歯を食いしばって東京谷中本郷根岸を知人を頼りつつ転々とした。
私の散歩エリアだったが、全く知らなかった。犀星の逆を来ている訳だ。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
小景異情より
45分うろうろしていたら雨も止み、服も乾いていた。
下の写真は、犀星の刊行本の表紙が壁に飾ってあるもの。
ホタル 2011年07月01日
すっつ~と消える思ひの蛍かな
近くの川で蛍が見られると言うので行ってみると青白い光を出してホタルが一匹だけ寂しそうに飛んでいた。
ホタルを見るのは何十年ぶりだろう?遠い子供の頃の記憶しか無かった。
後拾遺集 和泉式部
物思へば澤の螢も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る
大和物語
包めども隠れぬ物は夏虫の身より余れる思ひなりけり
その二首を思いつつ。
思ひと火の懸詞。
携帯でホタルを撮るのは無理でした。
秋分 2011年09月25日
秋分けて
けふより風の冷たかろ
石川県の白山市の松任駅前にある加賀千代女の千代女の里俳句館と松任博物館に遊びにきました。
朝顔につるべとられてもらい水
初雁やそのあとからもあとからも
吹きやんですなをにのびるやなぎかな
街のあちらこちらに千代女の俳句が置かれている。
白川郷 2011年11月05日
柿木もややさみしげの
飛騨の奥
金沢から直通のバスがあると言うので、白山を通るのかと思い、急遽思い立ち、岐阜の奥飛騨の白川郷へやってきました。
白山は通らず、富山から高速で白川郷まで2時間で到着。遠回りと思ったが山越えより近いと言う事でしょう。
天気は何とか持って欲しいが、溢れるほどの観光客と車の山に少しうんざり。紅葉のシーズンと言う事でしょう。私もその一人であることは間違いでは無いのですが。
車の人のいなければとても静かな山間の集落。
落ち葉も大分降り積もり、山里は冬籠もりの粧い。カエデが色付くのはもう少し先だが、山粧ふという季語通りの風景。
なるべく人のいない所を歩き廻っていると時雨が降り出してきた。
飛騨牛のしぐれ煮を買って帰って今日の肴としよう。
夕千鳥 2011年11月11日
ゆふ千鳥
汝が鳴けば
又
哀しかろ
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮
秋歌上 363 藤原定家
に合う風景を探しに石川の内灘海岸を訪ねたが浜千鳥が沢山波打ち際にいた。
千鳥の季語は冬という事で立冬まで待ってアップした。
北陸の海岸は夕焼けが綺麗に入り日する事が少なく、ほとんど遠くの雲に隠れてそのまま夕闇となる。
撮影回数を重ねるしか無いのだが。
「汝(な)」が「鳴(な)」けばと音の重ねを狙ってみました。
2014年12月9日
万葉集を読んでいたら、
巻第三 0266
柿本朝臣人麻呂歌一首
淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思(努)爾古所念
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
という有名な歌があった。
読んだ記憶ありそうでなさそうで。ここまで似ていると云うことで本歌取りとします。
3年も経ってからですが。
色が浜 2011年11月28日
色のなきかひを拾はむ浜のふゆ
わぶといふ浜に勝ちたる冬の海
敦賀市の色が浜へ急に思い立って出掛けました。
敦賀に着くともう2時。駅前の観光案内所で自転車を借り、山を越え、入江を巡り13キロを50分でやっとの事で着いた。
浜はほとんど整備され、砂浜はほんの一部しかない。
ますほの小貝と思しき貝を拾って急いで帰りました。
本歌は西行の
潮染むるますほの小貝拾ふとて色の浜とは言ふにやあるらむ
で芭蕉も訪れた。奥のほそ道より。
十六日、空霽たれば、ますほの小貝ひろはんと、種の浜に舟を走す。
貝は甲斐の懸詞
色が浜だが、寂しさは何も色の無いような冬の海だ。せめてますほの貝を拾って君に贈ろう。そうでないと13キロ走って来た甲斐が無いと言うもの。
二句目は
わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ
古今集 在原行平
と
寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋
奥のほそ道 芭蕉
を本歌取りしている。
し過ぎの感も無きにしも非ずとといところです。
敦賀市は松本零士の故郷と言う事でバスの停留所もマンガになっていました。
いにしえの場所と現代の違和感はありますが。
只管打坐 2011年11月29日
山門に座すヽぎの葉は色付かず
10月初旬、曹洞宗本山の永平寺に参拝しました。
家が曹洞宗という事で、本山に行かなくてはと。
母に参拝の旨と代理で瓦寄進とお土産を買っていったらとても喜ばれました。
12年前にも来てはいるのだが、行き方をすっかり忘れていました。
今回は宝物館にも立ち寄り、興味が違ってくると見る物も違ってきます。
道元禅師は異母兄の源通具に育てられたと言う事で新古今とも縁が深いです。
「ただひたすら座る」道元禅師が宋に渡って日本に持ち帰った教え。
季語は色変へぬ杉(秋)
西行忌 ’11 2011年11月30日
目の前にただ月のあり
西行忌
文庫本の「西行」(岩波新書 高橋英夫)を空いた時間に3ヶ月かけてやっと読み終えた。
ふと口に出たのがこの句です。
旧暦の二月十五日が西行忌なのだが、溜め置くと忘れてしまいそうなので、句帳代わりのブログに季節違いなのですがアップします。
○○忌と付く季語は、時雨忌(芭蕉)、一茶忌、春星忌(蕪村)、獺祭忌・糸瓜忌(子規)などの俳人や桜桃忌(太宰治)、河童忌(芥川龍之介)なとの作家や達磨忌、御正忌(親鸞)、法然忌、空也忌などの宗教行事となった宗派開祖には多いのですが、歌人となると啄木と西行くらいしかないです。
それだけ俳人に影響を与えた歌人なのでしょう。
西行の歌を読んでいると、目の前にその風景があったのだろうと思いました。
写真 兼六園の夜桜
桜咲くの習作 2011年12月02日
桜咲く
けふより道はゆっくりと
桜咲く
遠回りして帰ろかな
季節外れ第二弾と言う事で、「桜咲く」をテーマに西行の歌を本歌として俳句を作りました。
一句目 本歌 西行
吉野山こずゑに花の見し日より心は身にも添わずなりけり
二句目 本歌 西行
吉野山去年のしをりの道変へて未だ見ぬかたの花を訪ねむ
冬に桜の俳句という変な習作となってしまいました。
金沢市本多町の石川県立図書館裏の桜