(ウェッブリブログ 2009年10月08日)
鄙稿
水郷秋行
水郷風景浸蟲聲湖面閑清片月明瀟湘春望非比較孤舟秋客故人情
自閑 拝稿
叱正
獅子鮟鱇樣
お疲れでない時に添削頂ければ幸いです。
この記事へのコメント
獅子鮟鱇 2009年10月10日 00:25
自閑樣
獅子鮟鱇です。
初めての漢詩とは思えませんが,以下,ご参考まで。
水郷晩景帶蟲聲湖上浮光片月明春日瀟湘望何處孤舟秋客故人情
閑清→清は声・情・明と同じ庚韻です。つまり冒韻。そこで,浮光にしました。
瀟湘春望非比較:瀟湘春望○○○○は,平仄が合っていません。また,非比較(比較するにあらず):ちょっと苦しいと思います。
望何處●○●:挟み平にしてみました。結句:秋客故人情(秋客に故人の情あり:故人情=故人を思う心)とありますので,何處を使ってみました。
自閑 2009年10月10日 12:19
獅子鮟鱇 様
お疲れの所、乱れた詩を添削頂き、誠に有難う御座いました。
詩は恐ろしいもので、添削いただいたお陰で見違えるほど素敵、特に浮光はとてもすばらしいと思いました。
非比較は、ちょっと苦しいなあ、とは思っておりました。
故人は、ちょっと亡くなった人みたいなので、古人に致します。
元久詩歌合の題 水郷春望 山路秋行から題を取り、後鳥羽院の歌を本歌取りし、さんずいばかりの詩になってしまいました。
次は5言絶句に挑戦してみようと思います。これに懲りずにまたご指導頂ければ幸いです。
獅子鮟鱇 2009年10月11日 12:37
自閑樣
いま少し補足させていただきます。
私は玉作を秋の湖に遊ぶ作者が,かつて友人と春の瀟湘(瀟水と湘水が流れ込む洞庭湖)に
遊んだことを懐かしむ作品であると読みました。
起承で今の風景を写し,転結で故人(以前からのなじみの人)との旧遊の思い出に浸るという構成,つまりは起承で実,転結で虚と
いう構成は,詩の作り方として安定感があると思います。
さて,起承の実(写景)は,虫声,片月から,時刻は夕暮れ時かと思いましたが,そうすると「風景」には光が感じられ,明るすぎるように思いました。
そこで,「晩景●●」。四字目の孤平は避けるべきですが,二字目の孤平はあまり気に
しなくてもよい,ということで。
また,「夕景」にする案もあります。古典韻では●●ですが,現代韻なら○●。
浸→帶は,浸の主語が虫声であるという倒置が,気になったからです。
「水郷風景 蟲聲に浸る」と読み下せそうに思われるかも知れませんが,普通は
「水郷風景が蟲聲を浸す」,と読みます。不自然です。
ここでは,ざくりと,虫声がありさえすればいい,ということで,「帶」にしました。
閑清→浮光は,清が冒韻であることの他に,閑の字に昼の明るさがあるような感じがしたこともありますが,起承を「実」で描き,転結で「虚」(心の動き・情)を抒べるなら,起承では極力「虚」を用いない方がよい,という考えによるものです。閑清は作者の景に対する感想であるので「虚」ですが,「浮光」は眼前の光景の一部であるので「実」です。
また,浮光をとるなら,「片月」がよいのかどうか・・・
結句で故人がでてきますので,「半月」のほうがよいかとも思います。
獅子鮟鱇 2009年10月11日 12:38
自閑樣
字数オーバーにつき追伸です。
故人→古人ですが,わたしは「故人」がよいと思います。王維の「陽関曲」に「西出陽関無故人」とあります。
玉作,王維の「陽関曲」の後日譚を詩にした,とも言えると思います。
玉作の場合,「故人」には,王維の「陽関曲」を典故とする働きがあります。
自閑 2009年10月11日 13:37
獅子鮟鱇様
風景はもっとも悩んだところです。辞書をひっくり返しては、また変え、平仄を見ては又変えしました。確かに風景では明るすぎますね。
閑は、自閑なのでちょっと使いたかったのと、初案は静清でしたが、平仄が合わないとあきらめ、同じしずかと訓ができるのでしたところです。
しかし浮光と視覚にまで考えが及ばず、改めて獅子鮟鱇様の添削をみて、なるほどと思った次第です。
王維は確かに故人ですね。どうも和風なのか死んだ人と捉えてしまいますね。
今獅子鮟鱇様の添削と私の乱詩を見比べ、辞書を開き、次回作につなげたいと勉強しておりました。補足の御説明で更に深く学ぶことが出来ます。