都のつと
やがて駿河国、宇津の山を越ゆ。蔦の下道もいまだ若葉の程にて、紅葉の秋思ひやられ侍り。
紅葉せば夢とやならん宇津の山うつゝに見つる蔦の青葉も
清見が関にとゞまりて、まだ夜深く出侍るとて、思ひ続け侍りし。
清見潟波のとざしも明け行月をばいかに夜半の関守
立たぬ日もありと聞きし田子の浦波にも、旅の衣手はいつとなく潮垂れがちなり。富士の山を見渡せば、いと深く霞込めて、時知らぬ山とも更に見えず。朝日の影に高嶺の雪なをあざやかに見えて、鏡をかけたるやうなり。筆も及びがたし。
時知らぬ名をさへ込めて霞む也不尽の高嶺の春の曙
富士の嶺の煙の末は絶えにしを降りける雪や消えせざるらん
それより浮嶋が原を過、箱根に詣づ。
新古今和歌集巻第十七 雜歌中
五月の晦に富士の山の雪白く降れるを見てよみ侍りける
在原業平朝臣
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
よみ:ときしらぬやまはふじのねいつとてかかのこまだらにゆきのふるらむ
意味:五月末というのに、季節をわきまえない山である富士の嶺では、鹿の子のまだら模様のようにまだ雪が残っている。
備考:伊勢物語 九段、古今和歌六帖 「降るらむ」を「まだ雪が残っている」とした。
伊勢物語 九段
するがの国にいたりぬ。うつの山にいたりて、わがいらんとする道はいとくらふ、ほそきにつたかえではしげり、物心ぼそく、すゞろなるめを見る事とおもふに、すぎやうじやあひたり。かゝるみちへ、いかでかいまするといふをみれば、見し人成けり。京に其人の御もとにとて、ふみかきてつく
するがなるうつの山べのうつゝにもゆめにも人にあはぬなりけり
ふじの山をみれば、さ月のつごもりに、雪いとしろうふれり
時しらぬ山はふじのねいつとてかかのこまだらにゆきのふるらん
其山は、こゝにたとへば、ひえの山を廿ばかりかさねあげたらん程して、なりはしほじりのやうになん有ける。
古今和歌集巻第十一 恋歌一
題しらず 読人知らず
駿河なる田子の浦浪立たぬ日はあれども君を恋ひぬ日ぞなき
都のつと
都のつとは、観応(1350)の頃、筑紫を出て諸国を放浪した、宗久の紀行文。修行のため東国への旅を思い立ち、東海道を下った。旅の道すがら歌枕を訪ねて鎌倉まで辿り着いたが、ここで旧知の人の他界を知り、常陸、甲斐などを遍歴して秩父で年を越した。そして春、上野へ越える途中、風流人のもとに引き留められたが再開を約して辞し、8月に寄ってみるとその人の初七日にあたっており、無常迅速を驚き、追悼の歌を残して去った。その後、白河関を越えて陸奥国に入り、歌枕を訪ねて塩竈、松島を巡り、またその時々、各地で様々な見聞を重ねながらの旅った。その後、帰途につき武蔵国で道連れを得て、末の松山や塩竃の土産を贈って歌を贈答し、帰京の途に就くに当たり、道中の名所の印象を、忘れぬうちに記しておき、これを「都のつと(土産)」にするのだというところで、筆をおいている。