一 百首の哥たてりし時春のうた
増抄云。かく書ことは、天子へ奏覧有りしと
き褒美の心にて云なるべし。詞書は由緒がき
にせぬなり。さる程に心をつけてみるべし。
一 式子内親王 前ノ斎院。准三宮。後白河
隠御子。第二皇女也。御母ハ高倉三位成子。四
十九首入也。
一 山深み春ともしらぬ松の戸にたえ/"\かゝる雪の玉水
古抄云。初春の御哥まことにきどくなり。
句毎に心こもりて、妙なる所あり。しかも哥の風
情やさしく、つよからぬは女の哥なればと云へる
さまなり。たとへば山ふかくとぢこもりたる柴庵
枩門などには、いつともなく雪ふりつもりて、春
ともしらざりしに、さすがに軒のしづくの折を
しりかほにをとづれたるを、あはれとおぼゆるよし也。
松の戸をあそばされたる事、誠に上手の物なり。
いつともわかず四時の移るをもしらず、深山幽谷
にこもりゐたる心をあらはさむためなり。春共
しらぬとつゞけられたるは、ときはのものにて、
春夏秋冬もしらねとつづけれたるはとき
のものにて、春夏秋冬ともしらぬよしなり。
増抄云。柴戸とは桜戸などのたぐひにて、松
のある故也。又は枩の木にて、作りたるといふ説
もあり。待の字の心あり。春をまちたる由也。
深山の寒きにいたみ、春のきたれかしと待し
に玉水の音にてよろこびたる心也。霞鴬にて
春の來るをしるならひなるに、深山にて霞も鴬
もおもひもかけず、おぼつかなき比、玉水にて春
をしりたる躰をみたてられし事面白事也。
たえ/"\といふにて、玉水さへたくさむに落ぬ
よし也。玉水とは雫のこと也。玉とは褒美のこと
葉共いへり。又は玉のごとく落る故ともいへり。
頭注
○松 説文曰。松木
也。從木ニ公ノ声古
文榕從木ニ容ノ声
○玉 貨源云。玉天
地之精也。有山玄
文者有水蒼文
者有白如截肪赤
如鶏冠黒如純
漆黄如蒸栗者
○水 准南子云。積
陰之氣為水
攵字云。水道上
天為雨露下地
為江河。
※准三宮 准三后が正しいか?
※説文 後漢の許愼の撰じた中国最古の漢字辞典「説分解字」。永元十二年(100年)に成立。漢字9353、異体字1163を540部に分けて収め、六書の説によって、その形・音・義を解説したもの。説文。
※貨源 不明
※准南子云。積陰之氣為水 淮南子(えなんじ/わいなんし)は、前漢の武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなんじ」と読むのが一般的である。その巻第三天文訓に「積陰之寒気為水」とあり、寒の字が抜けている。