一 若菜摘袖とぞみゆる春日のゝとぶひの野べのゆきの村
ぎえ
増抄云。貫之哥、春日のゝわかなつみにや白妙
の袖打はへて人のゆくらん。これによりて、
よめる成べし。雪のむら/\消てしろきを、人
の袖とみたる作意なり。所がわかなの名所也。
時節が春なる故に、あらぬものもそれと
みたる心面白とぞ。當景ニうつる心なりとぞ。
一 延㐂の御時の屏風に 延㐂とは、醍醐天
皇の年号也諱ハ敦仁。宇多帝第一ノ子也。母贈
大后藤原ノ胤子。内大臣髙藤ノ女也。寛平九年七
月十三日即天祚於紫宸殿。立元在戊午
在位三十三年。正長八年九月廿二日譲位於
皇太子。二十九日崩。春秋氏十六。
一 紀貫之。從五位上。木工権頭。于時御書ノ所預、
玄審頭。土佐守などを経る也。三十一首入。
一 行てみぬ人もしのべと春のゝにかたみにつめるわかななり
けり
増抄云。ゆきてみぬとは、わがごと成べし。かたみとは
かごなり。それにかたみの心をこめたり。春のゝの
かたちをみよとて、つみてきたれるよし也。
かたみといふ事は、人とわかるゝ時、わがかたちをみると
おもひて見よとて、何にてもやる事なり。又説
ゆきてみぬ人にも、しのべと、わかなを我つみて
きたれるよし也。他人にみよとてなり。先の
説は、他人にわれにみよとてなり。
頭注
かくのごとき年号
の時のみかどなりと
いふ義にて寛
平に法皇延㐂の
みかどのといふ也。
御名をいふはおそ
れあればなり。