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Channel: 新古今和歌集の部屋
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組打図絵 源義経 蔵書

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九郎 判官源 の義經は 海上にこ舟    ▲せめた をのりいれ    たかい 舩にのぼり    しづあ てきせん     ●つて ●●●●     ゆみをと ●●●●     ●●●

●●●せん  九郎ノ判官源義經 としける に海しやう なみかぜあ らくしてよせ つけず。このとき 平家がたのひ やうせんをおし よせ/\はせ向 ける。これこそ げんじの大 将九郎判官 源のよしつね ならん と平 家がたの 勇士 上総五郎兵衛忠光は 義經をくまでにて ひきたをさんとし けるを小林新吾 これを見てかけ きたり忠光と わたり あいける。 其間によし經は 味方の舩に のりうつり しかるに 小林新吾         小林新吾宗行 は忠光とわたり合 なみをけだてゝくがに あがり両士はゆうを ふるてしつてんばつ とうしてせめたゝ つぎへ かひ小林は忠みつを たゞひとうちにせん と太刀ひらめかして 切てかゝるを忠みつ くまでにてうけ ながす。たがいに ゆうをふるつて せめたゝかふ といへども 更に両士勝敗 けつせずこれ を源平たい どのしころ びきとぞ いゝつたへ ける 上総五郎兵衛忠光      

※上総五郎兵衛忠光 藤原忠光 (?-1192)平安後期-鎌倉時代の武将。
藤原忠清の子。平景清の兄。平家の侍大将。壇ノ浦での敗戦後行方をくらまし,建久三年鎌倉永福寺の創建工事にまぎれて源頼朝の命をねらう。変装をみやぶられ,同年二月二十四日さらし首となった。通称は上総五郎兵衛尉。

※小林新吾宗行 源平盛衰記によれば、義経の家来で、源為朝、義朝の長男源義平伝来の甲冑八龍を源義経が保有していたが、屋島の戦いで戦功があった小林神五宗行に与えられたという。


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