羈旅歌
守覚法親王ノ家ノ五十首ノ歌に旅
俊成卿
夏かりのあしのかりねも哀なり玉江の月の明けがたの空
下句めでたし。 二の句のも°ゝじを思ふに、此哀なり
は、時所のけしきをめでたるかたと聞ゆ。もしかなしき
かたならば、かりねぞ哀なる、と有べきこと也。 後拾遺√夏か
りの玉江のあしをふみしたき云々。
立かへり又も來てみむまつしまやをじまのとまや波にあらすな
定家朝臣
ことゝへよおもひおきつの濱ちどりなく/\出し跡の月影
いとめでたし。詞めでたし。 古今に√君をおもひ
おきつの濱に云々。此本哥は、たゞ君を思ひて尋ね
ざるを、こゝの歌は、思ひおくといひかけたり。思ひを
のこしおきて別れ來つるなり。 跡の月影は、別
れこし方の空に見ゆる月也。さる故に、わかれ來つる
跡の事を、語りて聞せよと、其月にむかひていへるなり。
旅の情あはれなり。 或抄に、ことゝへよとは、
千鳥にいひかけたるなりといえるは、かなはず。千鳥は、
たゞなく/\といはむ料のみなり。
家隆朝臣
野べの露浦わの浪をかこちてもゆくへもしらぬ袖の月影
いとめでたし。詞めでたし。 上句、やどれる月影の、
袖にとまらぬ事を、露や浪にかこつなり。露波の、
袖にかゝるをヵこつにはあらず。 一首の意は、袖に
やどれる月を旅ねのなぐさめに見つるを、其月も
袖にとまらぬををしみてやどしたる露や波に、
かこちうらむれども、つひにその月影は、ゆくへもしら
ず、きえにしよりなり。 ゆくへもしらぬといへ
る、旅によせある詞なり。 ふるき注どもは、いふに
たらぬひがごとなり。
題しらず 西行
都にて月をあはれと思ひしは数にもあらぬすさび也けり
旅にて見る月のあはれさにくらぶれば、都に在て
見しあはれさは、物のかずにもあらぬ、すさびにて
有しよとなり。すべてすさびとは、まめやかに心をいれ
てするにはあらで、たゞ何となくはかなくすることを
いふ。手ずさび口ずさびなどのたぐひなり。此すさびを
すまひと書る本は誤なり。
月みばと契りて出し故郷の人もやこよひ袖ぬらすらん
故郷をわかるゝ時に、月見ばたがひにおもひいでむと、契り
おきし人も、こよひわがごとく月を見て、おもひ
出て、袖ぬらすらむかと也。
※後拾遺√夏かりの玉江のあしをふみしたき
後拾遺集 夏歌
題しらず
源重之
夏刈りの玉江の芦をふみしたき群れゐる鳥の立つ空ぞなき
※玉江 和名類聚抄、俊頼髄脳など多くの説は越前国(福井県福井市)だが、一部袖中抄など万葉集巻七1348を引いて、摂津の高槻市の三嶋江附近としている説もある。共に芦の名所。また八雲御抄巻三などでは、江の美称とも考えられている。
※古今に√君をおもひおきつの濱に
古今集
貫之かいづみのくにに侍りける時に、やま
とよりこえまうてきてよみてつかはしける
藤原たたふさ
君を思ひおきつのはまになくたづの尋ねくれはそありとたにきく
※興津の濱 和泉国の歌枕とする九代抄、聞書、八代集抄などがあるが、阿仏尼の十六夜日記に駿河の興津としている。本歌の古今集が和泉としている事から、和泉とすべきか。
※或抄(こととへよ) 不明
※浦わ 上代語の浦回(うらみ)から出た詞。
松島雄島