とを論ぜずとあれば、うとき人も花を折に
くるほどに、まして親きはとめこかしと也。
又説には、詩にもかゝれば、うときあたりしたし
きをえらびぬるは、折ふしにこそよる事
なれ、花の時分はくるしからぬに、人は遠慮
してこぬ事かな。遠慮するも折節
による事にてあるにとなり。
一 百首哥たてまつりしに春の哥。式子内親王
一 ながめつるけふは昔に成ぬとも軒ばの梅は我を忘るな
古抄云。此哥さしたるふしも侍らねども、心なきもの
に心をつけていへるきどくなり。其故は諸花
の中にも梅は匂ひを感じ色をもてあそ
ぶ物なり。然間古人も色〃にさたし侍。
何方可化身千億 一樹ノ梅花一方翁
又杜子美詩に
梅ハ歴テ寒苦ヲ發ス清香ヲ
などとり/"\に云り。此梅のありがたき色香
をながめ入て、我がたぐひなくおもふ心のあまり
に、我むなしく成てながめつるけふはむかしに
なりたりとも、忘なと人にむかひて物をいひ置
やうにあそばされたり。又源氏にまきの
はしらよわれをわするなと侍をとりよせ
くれてよみ給へり。有心に風情いたりて
幽にこそ侍れ。
増抄云。行尊僧正の大峯にて、諸ともにあはれ
とおもへ山桜花よりほかにしる人もなしとあそ
ばしたるに似たり。梅よわれをわするなわれ
は後のよまでも終日のながめをわするまじ
きと也。かくなれてもわがおもふやうに、むめは
おもはぬ。そうなるとのうらみたるしたごゝろあり。
頭注
当分の心の切
なるゆへにゆく
末を思ふ由也。
人の契りもこし
かたゆくすへと有
と同じこゝろ也。
玉かづらのまゝむすめ
まき柱の君の母
のもとへゆき給ふに
哥をよみてはし
らのはれたる所へ
おし入ておかれし
こと成べし。
のきばの梅といふ
にてつね/"\馴
たるよしをもた
せたり。
※古抄 常縁新古今集聞書
※又源氏にまきのはしらよわれをわするな
源氏物語 真木柱
常に寄りゐ給ふ東面の柱を、人に譲る心地し給ふも哀れにて、姫君、 桧皮色の紙の重ね、ただいささかに書きて、柱の干割れたる狭間に、笄の先して押し入れ給ふ。
今はとて宿かれぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな
「よ」と「は」の差異は、常縁新古今集聞書の誤記