平家の
一門阿波
の民部を
たのみ其所
におはしけるが
民部こゝろがはり
につき平氏是を
いきどふり急ぎ海上
にて源氏と合戦と及ける。
備後の国に竹野
五郞同住人鞆野
六郎平家をたす
けて源氏がたの 鞆の六郎
ひやうせんをふせ
ぎけるが大舩に
さゝへられしかるに
げんいがたより
伊勢の三郎が郎黨に
い勢
小京太 伊勢小京太
といふ
水れん
にかしこ
きゆうし
ありて つぎへ 竹の五郎首
伊勢の小京太
つゞき
上り竹の五郎
をくみふせ
首をかき
てすい中
におどり入
◐
鞆の六郎首
下より ◑
つかの けるを見て
六郎に 鞆の六郎
とびかゝる はがみをなし
六郎勇 て追掛けるに
をふるつて 行方しれず
たゝかい しつるに小京太
けるがつい はすきをうかが
に小京太に ひふたべりに
首をかゝれける。 おどりあがり
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※竹五郎 不詳。
※鞆六郎 不詳だが、福山市のHP鞆町の歴史(古代から中世)によると、「源平合戦(1180年~1185年)の頃には,奴可(ぬか)入道西寂や鞆六郎の名が知られます。」とある。
※伊勢小京太 不詳。