五節舞、五節の舞(ごせちのまい)とは、日本の雅楽では唯一、女性が演じる舞。大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、大歌所の別当の指示の下、大歌所の人が歌う大歌に合わせて、4 - 5人の舞姫によって舞われる(大嘗祭では5人)。
舞姫は、公卿の娘2人、受領・殿上人の娘2人が選ばれ、選ばれた家は名誉であった。また、女御が舞姫を出すこともあった。大嘗祭では公卿の娘が3人になる。古くは実際に貴族の子女が奉仕し、大嘗祭の時には叙位にも与った。
もっとも貴族女性が姿を見せないのをよしとするようになった平安中期以降、公卿は実際に娘を奉仕させず、配下の中級貴族の娘を出した。『源氏物語』少女巻において、光源氏が乳母子の惟光の娘(のちの藤典侍)を奉仕させたというのも、こうした時代背景を反映する。
選ばれた舞姫は練習に明け暮れ、新嘗祭の前々日である丑の日の夜に宮中へ参上。直に、「帳台試(ちょうだいのこころみ)」と称して常寧殿にて天皇に練習を披露し、前日の寅の日に「御前試(おんまえのこころみ)」と称して清涼殿にて天皇に練習を披露した。当日の卯の日に「童女御覧(わらわごらん)」と称して舞姫に付き従う童女を清涼殿にて天皇が御覧になるなど、天皇自身からの試験も厳しかった。
舞姫は、公卿の娘2人、受領・殿上人の娘2人が選ばれ、選ばれた家は名誉であった。また、女御が舞姫を出すこともあった。大嘗祭では公卿の娘が3人になる。古くは実際に貴族の子女が奉仕し、大嘗祭の時には叙位にも与った。
もっとも貴族女性が姿を見せないのをよしとするようになった平安中期以降、公卿は実際に娘を奉仕させず、配下の中級貴族の娘を出した。『源氏物語』少女巻において、光源氏が乳母子の惟光の娘(のちの藤典侍)を奉仕させたというのも、こうした時代背景を反映する。
選ばれた舞姫は練習に明け暮れ、新嘗祭の前々日である丑の日の夜に宮中へ参上。直に、「帳台試(ちょうだいのこころみ)」と称して常寧殿にて天皇に練習を披露し、前日の寅の日に「御前試(おんまえのこころみ)」と称して清涼殿にて天皇に練習を披露した。当日の卯の日に「童女御覧(わらわごらん)」と称して舞姫に付き従う童女を清涼殿にて天皇が御覧になるなど、天皇自身からの試験も厳しかった。