浮舟
執心女物
横越元久作 世阿弥作曲
※横越元久 細川満元に仕えた歌人武士。
初瀬から都に向かう旅の僧が、宇治で柴積舟に乗った女に出会い、女は、昔薫中将と匂宮に愛された浮舟が住んでいたが、どちらにも決められず悩んだ末に空しくなった事、物の怪に取憑かれていた事を語り、救済を頼んで消える。宇治の里の男が僧の求めに応じて浮舟の物語をし、弔いを勧めて退く。小野の里を訪れ読経をすると僧の前に、放心状態の浮舟の亡霊が現れ、法力を願い、物の怪に憑かれて入水した状況を再現、死後の苦悩を見せつつ、回向による成仏を喜ぶ。
前シテ 里の女 後シテ 玉鬘の幽霊 ワキ 旅の僧 アイ 宇治の里の男
ワキ 是は諸国一見の僧にて候。我此程は初瀬に候ひしが、是より都に上らばやと思ひ候。
ワキ 初瀬山、夕越え暮れし宿もはや、夕越え暮れし宿もはや、檜原のよそに三輪の山、しるしの杉も立別れ、嵐と共に楢の葉の、暫し休らふ程もなく。狛のわたりや足速み、宇治の里にも着きにけり。宇治の里にも着きにけり。
ワキ 荒嬉しや宇治の里に着て候。。暫く休らひ名所をも詠ばやと思ひ候。
※夕越え暮れし宿もはや檜原のよそに三輪の山 新古今和歌集巻第十 羇旅歌 長月の頃初瀬に詣でける道にてよみ侍りける 禪性法師 初瀬山夕越え暮れてやどとへば三輪の檜原に秋かぜぞ吹く よみ:はつせやまゆうごえくれてやどとえばみわのえはらにあきかぜぞふく 隠削 作者:ぜんしょう。俗姓は藤原。公重の子。仁和寺の僧。 意味:初瀬山を夕方に越えようと思ったが、暮れてしまい、宿を探したが無く、三輪の檜原に秋風が吹くだけだった 備考:参考歌 万葉集巻第三298 弁基一首 亦打山暮越行而廬前乃角太川原爾獨可毛将宿 真土山夕越え行きて廬前の角太川原にひとりかも寝む 右或云 弁基者春日蔵首老之法師名也 万葉集巻第七1118古爾有險人母如吾等架彌和乃檜原爾挿頭折兼 いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の桧原にかざし折りけむ 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出 参考歌の他、巻第七1095、1092などもある。(全評釈) 新古今注、詞字注、九代抄、九代集抄。 ※狛のわたりや 催馬楽 山城
山城の狛のわたりの瓜つくり。なよやらいしなや瓜つくり瓜つくりはれ。
瓜つくり我を欲しと言ふいかにせむ。なよやらいしなやさいしなや。いかにせむいかにせむはれ。
いかにせむなりやしなまし。瓜たつまでにやらいしなやさいしなや。瓜たつま 瓜たつまでに。
シテ 柴積船の寄る浪も、なほたづきなき浮身かな。憂きは心の科ぞとて、誰が世を喞つ方もなし。
シテ 住み果てぬすみかは宇治の橋柱、立居苦しき思草、葉末の露を浮身にて、老行末も白真弓、もとの心を歎くなり。
シテ 兎に角に、定めなき世の影頼む。
シテ 月日も受けよ行末の、月日も受けよ行末の、神に祈りの叶ひなば、頼みをかけて御注連縄、長くや世をも祈らまし。長くや世をも祈らまし。
(略)
※月日も受けよ行末の 新古今和歌集巻第十八 雜歌下 切出歌 太神宮歌合に 太上天皇 おほぞらにちぎるおもひの年も經ぬ月日もうけよ行末の空 よみ:おおぞらにちぎるおもいのとしもへぬつきひもうけよゆくすえのそら 備考:内宮三十首 クセ 女 人柄も懐かしく、心ざま由ありて、おほとかに過ごし給ひしを、物言ひさがなき世の人の、ほのめかし聞こえしを、色深き心にて、兵部卿の宮なん、忍びて尋おはせしに、織り縫ふ業のいとまなき。宵の人目も悲しくて、垣間見しつゝおはせしも、いと不便なりし業なれや。其夜に扨も山住の、めづらかなりし有樣の、心に沁みて有明の、月澄み登る程なるに、 シテ 水の面も曇りなく 同 船さし留めて行ゑとて、汀の氷踏分て、道は迷はずとありしも、淺からぬ御契りなり。一方は長閑にて、訪はぬ程経る思ひさへ、晴れぬながめとありしにも、涙の雨や増さりけん。とに角に思ひ詫び、此世になくもならばやと、歎きし末は儚くて、終に跡なくなりにけり。終に跡なくなりにけり。 (略) ※汀の氷踏分て、道は迷はず 源氏物語 浮舟帖 匂宮 峰の雪汀の氷踏み分けて君にぞ惑ふ道は惑はず後シテ 亡き影の、絶えぬも同じ涙川。寄るべ定めぬ浮舟の、法の力を頼むなり。
クドキグリ シテ あさましやもとよりわれは浮舟の、寄るかたわかで漂ふ世に、浮き名洩れんと思ひ詫び、此世になくもならばやと。
サシ シテ 明暮おもひ煩ひて、人皆寝たりしに、妻戸を放ち出たれば、風烈しう川波荒ふ聞こえしに、知らぬ男の寄りきつゝ、いざなひ行とおもひしより、心も空に成果てゝ。
一セイ シテ 合ふさ離るさの事もなく、
地 われかの気色も淺ましや
シテ 淺猿や淺ましやな橘の
地 小島の色は変はらじを
シテ 此浮舟ぞ、寄るべ知られぬ。
※橘の 小島の色は変はらじを、此浮舟ぞ 源氏物語 浮舟 浮舟 橘の小島の色は変はらじをこの浮舟ぞ行方知られぬ