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源氏物語の法華八講(表記 はかう、みはかう)を記述している箇所を源氏物語索引より調べてみました。帖名横の数値は、新体系の頁、行です。
法華八講(現代読み:ほっけはっこう)とは、〘名〙 仏語。法華経八巻を八座に分けて、一日を朝・夕の二座に分け、一度に一巻ずつ修し、四日間で講じる法会。八講。
明石 89-14
院の御為に、八講行はるべきこと、まづ急がせたまふ。春宮を見奉り給ふに、こよなくおよすげさせたまひて、めづらしう思しよろこびたるを、限りなくあはれと見奉り給ふ。 御才もこよなくまさらせ給ひて、世をたもたせたまはむに、憚りあるまじく、かしこく見えさせ給ふ。入道の宮にも、御心少し静めて、御対面のほどにも、あはれなることどもあらむかし。
賢木 375-6
中宮は、院の御はてのことにうち続き、 御八講の急ぎ樣々に心づかひせさせたまひけり。霜月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり。大将殿より宮に聞こえたまふ。
賢木 375-15
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十二月十余日、ばかり中宮の御八講なり。いみじう尊し。
日々に供養ぜさせ給ふ御経よりはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀(ぢす)の飾りも、世に無き樣にかゝのへ給へり。さらぬ事の清らだに、世の常ならずおはしませば、まして理りなり。仏の御飾り、花机の覆ひなどまで、まことの極楽思ひやらる。
始めの日は、先帝の御料(れう)、次の日は、母后の御為、又の日は、院の御料、五巻の日なれば、上達部なども、世のつつましさをえしも、憚り給はで、いと数多参り給へり。今日の講師(かうじ)は、心ことに選せ給へば、薪樵る程よりうち始め、同じう云ふ言の葉も、いみじう尊し。親王達も様々の奉物捧げて巡り給ふに、大将殿の御用意(ようい)など、猶、似る物なし。常に同じ事のやうなれども、見奉る度毎に、珍しからんをば如何はせん。
果ての日、我御ことを結願にて、世を背き給ふよし、仏に申させ給ふに、皆人々驚き給ひぬ。兵部卿宮、大将の御心も動きて、あさましとおぼす。親王は、半ばの程に立ちて入り給ひぬ。心強うおぼし立つ樣を宣ひて、果つる程に、山の座主召して、忌む事受け給ふべき由の給はす。
澪標 96-3
さやかに見え給ひし夢の後は、院の帝の御ことを心にかけ聞こえ給ひて、「いかで、かの沈みたまふらむ罪、救ひたてまつることをせむ」と、思し歎きけるを、かく帰り給ひては、その御急ぎし給ふ。神無月に御八講し給ふ。世の人なびき仕うまつること、昔のやうなり。
蓬生 140-13、141-1
冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく、悲しげに眺め過ごし給ふ。かの殿には、故院の御料の御八講、世の中ゆすりてし給ふ。ことに僧などは、なべてのは召さず、才すぐれ行なひにしみ、尊き限りを選らせ給ひければ、この禅師の君參り給へりけり。帰りざまに立ち寄り給ひて、
「しかしか。権大納言殿の御八講に參りて侍るなり。いとかしこう、生ける浄土の飾りに劣らず、いかめしうおもしろき事共の限りをなむし給ひつる。仏菩薩の変化の身にこそものしたまふめれ。五つの濁り深き世に、などて生まれ給ひけむ」と言ひて、やがて出でたまひぬ。言少なに、世の人に似ぬ御あはひにて、かひなき世の物語をだにえ聞こえ合はせたまはず。
「さても、かばかりつたなき身の有樣を、あはれにおぼつかなくて過ぐし給ふは、心憂の仏菩薩や」と、つらうおぼゆるを、「げに、限りなめり」と、やう/\思ひなり給ふに、大弐の北の方、俄に来たり。
匂宮 216-5
母宮は、今はただ御行ひを静かにし給ひて、月の御念仏、年に二度の御八講、折々の尊き御いとなみばかりをし給ひて、つれ/"\におはしませば、この君の出で入り給ふを、かへりて親のやうに、頼もしき蔭に思したれば、いとあはれにて、院にも内裏にも、召しまとはし、春宮も、次々の宮たちも、懐かしき御遊びがたきにてともなひ給へば、暇なく苦しく、「いかで身を分けてしがな」と、覚え給ひける。
蜻蛉 297-11
蓮の花の盛りに、御八講せらる。六条の院の御為、紫の上など、皆思し分けつゝ、御経仏など供養ぜさせ給ひて、いかめしく、尊くなむありける。五巻の日などは、いみじき見物なりければ、こなたかなた、女房につきて參りて、物見る人多かりけり。
五日といふ朝座に果てゝ、御堂の飾り取りさけ、御しつらひ改むるに、北の廂も、障子ども放ちたりしかば、皆入り立ちてつくろふほど、西の渡殿に 姫宮おはしましけり。もの聞き極じて、女房もおの/\局にありつゝ、 御前はいと人少なゝる夕暮に、大将殿、直衣着替へて、今日まかづる 僧の中に、必ず宣ふべき事あるにより、釣殿の方におはしたるに、皆まかでぬれば、池の方に涼み給ひて、人少なゝなるに、 かくいふ宰相の君など、かりそめに几帳などばかり立てゝ、うちやすむ上局にしたり。
蜻蛉 302-12
その日は暮らして、またの朝に大宮に參り給ふ。例の、宮もおはしけり。 丁子に深く染めたる薄物の単衣を、こまやかなる直衣に着給へる、いとこのましげなる 女の御身なりのめでたかりしにも劣らず、白く清らにて、なほありしよりは面痩せたまへる、いと見る甲斐あり。おぼえ給へりと見るにも、まづ恋しきを、いとあるまじきこと、と静むるぞ、ただなりしよりは苦しき。絵をいと多く持たせて參り給へりける、女房して、 あなたに参らせたまひて、 渡らせたまひぬ。大将も近く参り寄りたまひて、御八講の尊く侍りし事、いにしへの御事、少し聞こえつゝ、残りたる絵見給ふついでに、
「この里にものしたまふ皇女の、雲の上離れて、思ひ屈し給へるこそ、いとほしう見給ふれ。姫宮の御方より、御消息も侍らぬを、かく品定まり給へるに、思し捨てさせ給へるやうに思ひて、心ゆかぬ気色の見侍るを、かやうのもの、時々ものせさせ給はなむ。某がおろして持てまからむ。はた、見る甲斐も侍らじかし」