


二 大地震の事 世の滅するなど云ふ事は、常のならひなれ共、さすが昨日今日とは、思はざりし物をと云ひければ、童(わらんべ)共はこれを聞て、泣き悲しむ事限り無し。 法皇は新熊野へ御行なつて、御花奉らせ給ふ折ふし、かかる大地震有て、触穢(しよくへ)出來にければ、急ぎ御輿に召して、六条殿へ還御なる。供奉の公卿、殿上人、道すがら、いかばかりの、心をか砕かれけん、法皇は南庭(なんてい)に幄屋(あくや)を建ててぞおはします。主上は鳳輦に召して、池の汀へ行幸なる。中宮、宮々は、或ひは御輿に召し、或ひは御車に召して、他所へ行啓有りけり。天文博士、急ぎ 内裏へ馳せ參りて、「夜ざり亥子の刻には、大地かならず折かはすべき」由申しければ、恐ろしなども愚かなり。 昔、文徳天皇天の御于(ぎよう)、斉衡三年三月八日の大地震には、東大寺の仏の御ぐしを、揺り落としたりけるとかや。又天慶二年四月二日の日の大地震には、主上御殿を去つて、常寧殿(せいねいてん)の前に、五丈の幄屋を建て、おはしけるとぞ承はる。それは上代なれば如何有りけん。此後は、かかる事有べし共、おほしず。十善帝王、帝都を出させ給ひて、御身を海底に沈め、大臣・公卿捕らはれて、郷里に帰り、或ひは首を刎ねて大路を渡され、或は妻子に別れて、遠流せらる。平家の怨霊によつて世のうすべき由申しければ、心有る人の歎き悲しまぬは無かりけり。 ※昨日今日とは、思はざりし物を 古今集雑歌中 やまひしてよわくなりにける時よめる なりひらの朝臣 つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとはおもはさりしを ※幄屋 四方に柱をたて、棟、檐を渡して作った屋形にかぶせ、四方を囲う幕。また、その小屋。神事、または、朝廷の儀式などのおりに、参列の人を入れるため、臨時に庭に設ける仮屋。あげばり。幄の屋。幄舎。幄屋。 ※常寧殿(せいねいてん) 清涼殿と常寧殿(じょうねいでん)の間違いか。他の一方本により常寧殿とした。