尾張廼家苞 五之上
尾張廼家苞五 新古今集 雑部上 入道前關白百首哥に立春 俊成卿 年くれし涙のつらゝとけにけり苔の袖にも春やたつらむ 年暮し涙は年のくるゝをゝしみし涙にて、おのづから老 後の意もあり。老後の意は無し。つらゝとは涙の袖にかゝりたるが、袖一面ニ氷 りたるを云。一首の意は、年のくるゝををしみて、落としたる涙が、苔 の袖にとまりて、つらゝとなりたるが、解たる ほどに、これは春がたつ事がしらぬと也。 土御門内大臣家にて山家殘雪有家朝臣 山陰やさらでは庭に跡もなし春ぞ來にける雪の村消 庭の雪の村消たるを、春の來たる跡とみて、それより外に はとひくる人の跡もなきよし也。春ぞといへるにて、人は來ぬ意あり。 此哥三四ノ句もなしといひて、ぞ來にけるといへるてにをはのかけ 合わろし。二段にきれてとゝのひたり。かくの如き哥は、上句にて きれたるが豪氣あり。此集の歌に此姿多し。 二三ノ句を さらでは跡もなき庭になどやうにあらば、てにをはのかけ合よ ろしからんをかくしても聞ゆれど、詞づかひ委曲にて、つよからず。さらではとは、雪の村 消ならではといふ事。一首の意、かやうな山陰は、さうでなうては庭の雪 に跡はない。さては春が來たとみゆる、あの 村消の雪が、人の來た跡のやうな、はと也。 近衛つかさにて年久しくなりて後うへのをのこも大内 の花見にまかりけるによめる 定家朝臣 春をへてみゆきになるゝ花の陰ふり行身をも哀とやおもふ 初二句は、春ごとの行幸に供奉してなれたるよし也。左近衛 の中少将 は、行幸の時、鳳輦に乗御の間、 階下のさくらの木の下にたつ事也。三ノ句陰なるゝといふによし有。なるゝ とは、 陰の事也。よし有など よそ/\しげなるはいかに。さてみゆきといふに、花の雪をかねてその縁 にふり行といひて我身の昇進もえせで年のふり行にいひ かけたり。此卿は、文治五年任少将、建仁二 年轉中将、承源四年辞中将。 身をものもゝじは、わが花の雪と ふり行をあはれとおもふにつけて、花も又我を哀とやおもふといふ意也。 最勝寺桜は鞠のかゝりにて久しく成にしを其木年 ふりて風にたふれたるよし聞侍しかばをのこどもにおほ せてこと木を跡にうつし植させし時まづまかりてみ侍 ければ数多の年々暮にし春まで立馴にける事などお もひ出てよみ侍ける 雅經 馴/\てみしは餘波の春ぞともなどしら河の花の下蔭 此餘波は、今俗言ニ云なごり也。此詞、いにしへはかやうに用ひたるはなかり しを、此集の比より折々みえたり。此たぐひ程何くれと数あり。世々 因循して、用ひ來る事也。 白川は 最勝寺のある所の名なるを、などしらざりしと云事にいひかけ たる也。されどなどゝいふ事こゝには正しくはあらず。正しく いはゞなごりの春ぞともしらざりしとあるべき也。其うへしらざ りしといふ事を、しら川といひては詞たらず。しら川にてはしらん といふ意になる也。もし其心かとおもへど、などしらんといひては 此哥はよろしからず。かにかくにこれはつたなきいひかけ也。などゝいへど しらざりけん ときこゆ。すべて一首の語勢による事也。一首の意は、花の下陰になれ/\て、 此春みた花が、別の春で有たと、その時何故しらなんだ事ぞと也。 建久六年東大寺供養に行幸の時興福寺の 八重ざくら盛なりけるをみて枝にむすびつけて 侍ける 讀人しらず 故郷とおもひなはてぞ花桜かゝるみゆきに逢世ありけり 舊き都の跡を、故郷といふ也。一首の意は、奈良を、今は故郷に成たと おもひ捨てしまうな、花さくらよ。かやうニみゆきにあふ時もある世なるにと也。
尾張廼家苞五 新古今集 雑部上 入道前關白百首哥に立春 俊成卿 年くれし涙のつらゝとけにけり苔の袖にも春やたつらむ 年暮し涙は年のくるゝをゝしみし涙にて、おのづから老 後の意もあり。老後の意は無し。つらゝとは涙の袖にかゝりたるが、袖一面ニ氷 りたるを云。一首の意は、年のくるゝををしみて、落としたる涙が、苔 の袖にとまりて、つらゝとなりたるが、解たる ほどに、これは春がたつ事がしらぬと也。 土御門内大臣家にて山家殘雪有家朝臣 山陰やさらでは庭に跡もなし春ぞ來にける雪の村消 庭の雪の村消たるを、春の來たる跡とみて、それより外に はとひくる人の跡もなきよし也。春ぞといへるにて、人は來ぬ意あり。 此哥三四ノ句もなしといひて、ぞ來にけるといへるてにをはのかけ 合わろし。二段にきれてとゝのひたり。かくの如き哥は、上句にて きれたるが豪氣あり。此集の歌に此姿多し。 二三ノ句を さらでは跡もなき庭になどやうにあらば、てにをはのかけ合よ ろしからんをかくしても聞ゆれど、詞づかひ委曲にて、つよからず。さらではとは、雪の村 消ならではといふ事。一首の意、かやうな山陰は、さうでなうては庭の雪 に跡はない。さては春が來たとみゆる、あの 村消の雪が、人の來た跡のやうな、はと也。 近衛つかさにて年久しくなりて後うへのをのこも大内 の花見にまかりけるによめる 定家朝臣 春をへてみゆきになるゝ花の陰ふり行身をも哀とやおもふ 初二句は、春ごとの行幸に供奉してなれたるよし也。左近衛 の中少将 は、行幸の時、鳳輦に乗御の間、 階下のさくらの木の下にたつ事也。三ノ句陰なるゝといふによし有。なるゝ とは、 陰の事也。よし有など よそ/\しげなるはいかに。さてみゆきといふに、花の雪をかねてその縁 にふり行といひて我身の昇進もえせで年のふり行にいひ かけたり。此卿は、文治五年任少将、建仁二 年轉中将、承源四年辞中将。 身をものもゝじは、わが花の雪と ふり行をあはれとおもふにつけて、花も又我を哀とやおもふといふ意也。 最勝寺桜は鞠のかゝりにて久しく成にしを其木年 ふりて風にたふれたるよし聞侍しかばをのこどもにおほ せてこと木を跡にうつし植させし時まづまかりてみ侍 ければ数多の年々暮にし春まで立馴にける事などお もひ出てよみ侍ける 雅經 馴/\てみしは餘波の春ぞともなどしら河の花の下蔭 此餘波は、今俗言ニ云なごり也。此詞、いにしへはかやうに用ひたるはなかり しを、此集の比より折々みえたり。此たぐひ程何くれと数あり。世々 因循して、用ひ來る事也。 白川は 最勝寺のある所の名なるを、などしらざりしと云事にいひかけ たる也。されどなどゝいふ事こゝには正しくはあらず。正しく いはゞなごりの春ぞともしらざりしとあるべき也。其うへしらざ りしといふ事を、しら川といひては詞たらず。しら川にてはしらん といふ意になる也。もし其心かとおもへど、などしらんといひては 此哥はよろしからず。かにかくにこれはつたなきいひかけ也。などゝいへど しらざりけん ときこゆ。すべて一首の語勢による事也。一首の意は、花の下陰になれ/\て、 此春みた花が、別の春で有たと、その時何故しらなんだ事ぞと也。 建久六年東大寺供養に行幸の時興福寺の 八重ざくら盛なりけるをみて枝にむすびつけて 侍ける 讀人しらず 故郷とおもひなはてぞ花桜かゝるみゆきに逢世ありけり 舊き都の跡を、故郷といふ也。一首の意は、奈良を、今は故郷に成たと おもひ捨てしまうな、花さくらよ。かやうニみゆきにあふ時もある世なるにと也。