き奉り給て、よにこと心おぼせじなどいふ。
大尼也 かた 三天一の方のあき
あま君゙よろしくなり給ぬ。方もあきぬ
たるなり。
れば、かくうたてある所に、久しうおはせん
抄浮舟也
もびんなしとてかへる。この人は猶いとよ
はげなり。みちのほどもいかゞものし給
はん。いと心ぐるしきことゝいひあへり。車ふ
僧都の母也
たつして、おい人゙のり給へるにはつかうまつ
三浮舟也
るあまふたり。つぎのには此人をふせて、
かたはらにいまひとりのりそひて、道すが
ら行もやらず車とめて、ゆ參りなど
細大原也
し給。ひえざが本に、を野といふ所にぞす
み給ける。そこにおはしつくほどいととをし。
頭注
あま君よろしく
孟尼公本懐中神も
あく也。三僧都の母也。
つぎのには 次の車也。
孟いもうとの尼の車に
浮舟をのせたり。いまひ
とりは尼公の外たるべし。
師女房にや。
をのといふ所にて
河小野ノ郷内大原村也。
布薩といふ物にあり。
中やどりをぞまふくべかりけるなどいひ 大尼也 て、夜ふけておはしつきぬ。僧都はおやをあ 浮舟也 つかひ、むすめのあま君はこのしらぬ人を はぐゝみて、みないだきおろしつゝやすむ。 大尼也 やまひ たま おいの病のいつともなきが、くるしと思給 みち へしとを道のなごりこそしばしわづら ひ給ひけれ。やう/\よろしうなり給に ければ、僧都はのぼり給ぬ。かゝる人なんゐて きたるなど、法しのあたりにはよからぬ ことなれば、みざりし人にはまねばず。尼 君゙もみなくちがためさせつゝ、もし尋くる 人もやあると思ふもしづ心なし。いかでさる 頭注 夜ふけて 細病者な れば道にて逗留のあ
る。 もし尋くる人もや 孟人の 尋ね來てとり返してはと 尼君の心也。抄夢浮橋の 序にかけり。
ゐ中人゙のすむあたりに、かゝる人おちあぶ れけん、物まうでなどしたりける人のこ こちなどわづらひけんをまゝ母などや うの人のたばかりて、をかせたりにやな 孟浮舟の宇治にての一言也 どぞ思よりける。河にながしてよといひし 一言よりほかに、物もさらにの給はねば、 いとおぼつかなく思て、いつしか人にもな しみんと思ふに、つく/"\としておきあ がるよもなく、いとあやしうのみものし 給へばつゐにいくまじき人にやとおもひ ながら、うちすてんもいとおしういみいみじ。 細長谷にての尼君の夢也 夢がたりもし出て、はじめよりいのらせ 頭注 いかでさるゐ中人゙のすむ あたりに 抄宇治のあた りにかゝる人はあらじ。もの まうでの人の宇治院に とまりてわづらひ出し たるを、継母など捨をき たるかと也。 河にながしてよといひし 孟浮舟の宇治にての一 言也。抄浮舟のいまだ人 心ちなきさま也 き奉り給て、 「世に異心おぼせじ」など言ふ。
尼君、よろしくなり給ぬ。方も開きぬれば、かくうたてある所に、 久しうおはせんも便無しとて、帰る。 「この人は猶いと弱げなり。道の程も如何、ものし給はん。いと心 苦しきこと」と言ひ合へり。 車二つして、老い人乗り給へるには、仕うまつる尼二人。次のには、 この人を伏せて、傍らに今一人乗り添ひて、道すがら行きもやらず、 車留めて、湯參りなどし給ふ。 比叡坂本に、小野といふ所にぞ住み給ひける。そこにおはし着く程、 いと遠し。 「中宿りをぞ設(まふ)くべかりける」など言ひて、夜更けておは し着きぬ。僧都は親を扱ひ、娘の尼君はこの知らぬ人をはぐくみて、 皆抱き降ろしつつ休む。老いの病のいつとも無きが、苦しと思ひ給 へし遠道の名残こそ、暫し患ひ給ひけれ。やうやうよろしうなり給 ふにければ、僧都は登り給ひぬ。掛る人なん率て來たるなど、法師 の辺りには、善からぬ事なれば、見ざりし人にはまねばず。尼君も 皆口固めさせつつ、もし尋ね來る人もやあると思ふも静心無し。如 何でさる田舎人の住む辺りに、かかる人落ちあぶれけん、物詣でな どしたりける人の心地など患ひけんを、まま母などやうの人のたば かりて、置かせたりにやなどぞ思ひよりける。 「河に流してよ」と言ひし一言より他に、物も更に宣はねば、いと 覚束無く思ひて、いつしか人にもなし見んと思ふに、つくづくとし て起き上がるよもなく、いとあやしうのみ物し給へば、遂に行くま じき人にやと思ひながら、打ち捨てんも愛おしういみいみじ。夢語 りもし出でて、始めより祈らせ 略語 ※奥入 源氏奥入 藤原伊行 ※孟 孟律抄 九条禅閣植通 ※河 河海抄 四辻左大臣善成 ※細 細流抄 西三条右大臣公条 ※花 花鳥余情 一条禅閣兼良 ※哢 哢花抄 牡丹花肖柏 ※和 和秘抄 一条禅閣兼良 ※明 明星抄 西三条右大臣公条 ※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説 ※師 師(簑形如庵)の説 ※拾 源注拾遺
中やどりをぞまふくべかりけるなどいひ 大尼也 て、夜ふけておはしつきぬ。僧都はおやをあ 浮舟也 つかひ、むすめのあま君はこのしらぬ人を はぐゝみて、みないだきおろしつゝやすむ。 大尼也 やまひ たま おいの病のいつともなきが、くるしと思給 みち へしとを道のなごりこそしばしわづら ひ給ひけれ。やう/\よろしうなり給に ければ、僧都はのぼり給ぬ。かゝる人なんゐて きたるなど、法しのあたりにはよからぬ ことなれば、みざりし人にはまねばず。尼 君゙もみなくちがためさせつゝ、もし尋くる 人もやあると思ふもしづ心なし。いかでさる 頭注 夜ふけて 細病者な れば道にて逗留のあ
る。 もし尋くる人もや 孟人の 尋ね來てとり返してはと 尼君の心也。抄夢浮橋の 序にかけり。
ゐ中人゙のすむあたりに、かゝる人おちあぶ れけん、物まうでなどしたりける人のこ こちなどわづらひけんをまゝ母などや うの人のたばかりて、をかせたりにやな 孟浮舟の宇治にての一言也 どぞ思よりける。河にながしてよといひし 一言よりほかに、物もさらにの給はねば、 いとおぼつかなく思て、いつしか人にもな しみんと思ふに、つく/"\としておきあ がるよもなく、いとあやしうのみものし 給へばつゐにいくまじき人にやとおもひ ながら、うちすてんもいとおしういみいみじ。 細長谷にての尼君の夢也 夢がたりもし出て、はじめよりいのらせ 頭注 いかでさるゐ中人゙のすむ あたりに 抄宇治のあた りにかゝる人はあらじ。もの まうでの人の宇治院に とまりてわづらひ出し たるを、継母など捨をき たるかと也。 河にながしてよといひし 孟浮舟の宇治にての一 言也。抄浮舟のいまだ人 心ちなきさま也 き奉り給て、 「世に異心おぼせじ」など言ふ。
尼君、よろしくなり給ぬ。方も開きぬれば、かくうたてある所に、 久しうおはせんも便無しとて、帰る。 「この人は猶いと弱げなり。道の程も如何、ものし給はん。いと心 苦しきこと」と言ひ合へり。 車二つして、老い人乗り給へるには、仕うまつる尼二人。次のには、 この人を伏せて、傍らに今一人乗り添ひて、道すがら行きもやらず、 車留めて、湯參りなどし給ふ。 比叡坂本に、小野といふ所にぞ住み給ひける。そこにおはし着く程、 いと遠し。 「中宿りをぞ設(まふ)くべかりける」など言ひて、夜更けておは し着きぬ。僧都は親を扱ひ、娘の尼君はこの知らぬ人をはぐくみて、 皆抱き降ろしつつ休む。老いの病のいつとも無きが、苦しと思ひ給 へし遠道の名残こそ、暫し患ひ給ひけれ。やうやうよろしうなり給 ふにければ、僧都は登り給ひぬ。掛る人なん率て來たるなど、法師 の辺りには、善からぬ事なれば、見ざりし人にはまねばず。尼君も 皆口固めさせつつ、もし尋ね來る人もやあると思ふも静心無し。如 何でさる田舎人の住む辺りに、かかる人落ちあぶれけん、物詣でな どしたりける人の心地など患ひけんを、まま母などやうの人のたば かりて、置かせたりにやなどぞ思ひよりける。 「河に流してよ」と言ひし一言より他に、物も更に宣はねば、いと 覚束無く思ひて、いつしか人にもなし見んと思ふに、つくづくとし て起き上がるよもなく、いとあやしうのみ物し給へば、遂に行くま じき人にやと思ひながら、打ち捨てんも愛おしういみいみじ。夢語 りもし出でて、始めより祈らせ 略語 ※奥入 源氏奥入 藤原伊行 ※孟 孟律抄 九条禅閣植通 ※河 河海抄 四辻左大臣善成 ※細 細流抄 西三条右大臣公条 ※花 花鳥余情 一条禅閣兼良 ※哢 哢花抄 牡丹花肖柏 ※和 和秘抄 一条禅閣兼良 ※明 明星抄 西三条右大臣公条 ※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説 ※師 師(簑形如庵)の説 ※拾 源注拾遺