新古今和歌集 巻第十八雑歌下
題しらず
西行法師
世をいとふ名をたにもさはとヽめ置て数ならぬ身の思出にせん
身のうさを思ひしらてやヽみなましそむくならひの無世成せば
いかがすへき世にあらはやは世をもすてヽあなうのよやと更に思はん
何事にとまる心のありけれはさらにしも又世のいとはしき
入道前関白太政大臣
昔よりはなれがたきはうき世哉かたみ○しのふ中ならねとも
なけくこと侍けるころ大峯にこもるとて同
行とももかたへは京へかへりねなど申てよ
み侍ける 大僧正行尊
思出てもしも尋る人もあらは有とないひそさためなき世に
歌:世を厭ふ名をだにもさはとどめ置きて数ならぬ身の思出にせむ
読み;よをいとうなをだにもさはとどめおきてかずならぬみのおもいでにせむ 隠
意味:世を厭ったという名だけでも後世に残らないだろうか。取るに足らないその他大勢の私だから、そのことだけでも死出の旅路の思い出にしたい。
備考:新古今注、九代抄
歌:身の憂さを思ひ知らでややみなましそむく習のなき世なりせば
読み:みのうさをおもいしらでややみなましそむくならいのなきよなりせば 隠
意味:自分が持っている業を知らないで、死んでしまっていたらどうなっていただろうか。仏の道という背くことのないものが無い世の中であったなら。
備考:定家十体、新古今注
歌:いかがすべき世にあらばやは世をも捨ててあなうの世やと更に思はむ
読み:いかがすべきよにあらばやはよをもすててあなうのよやとさらにおもわむ
意味:どうすべきだろうか。世俗にいたとすれは、世を捨ててしまって、ああいやな世の中だったと思うのだが、もう出家してしまった私が更に今思ってしまいます。
備考:山家集では、題は「行基菩薩の何処にか一身をかくさむと書き給ひたること思ひ出られて」
美濃の家づと、新古今注
歌:何事にとまる心のありければ更にしもまた世の厭はしき
読み:なにごとにとまるこころのありければさらにしもまたよのいとわしき
意味:何事にも心を留めないという仏法の教えに背いて、つい心を惑わせてしまうこともあるので、さらに世の中が厭わしく思える。
備考:八代抄、新古今注、九代抄
作者:さいぎょう1118~1190俗名佐藤義清23歳で出家諸国を行脚。
歌:昔より離れがたきはうき世かなかたみに忍ぶ中ならねども
読み:むかしよりはなれがたきはうきよかなかたみにしのぶなかならねども 隠
作者:藤原兼実ふじわらのかねざね1149~1207忠通の子、慈圓の同母兄、良経の父。月輪殿、後法性寺殿と呼ばれる。1196年の政変で失脚。1202年出家。
備考:出典未詳
美濃の家づと、新古今注、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)
歌:思ひ出でてもしも尋ぬる人もあらばありとないひそ定なき世に
読み:おもいでてもしもたずぬるひともあらばありとないいそさだめなきよに 隠
ぎょうそん1057~1135源基平の子。平等院大僧正と称される。園城寺長吏、天台座主など。
備考:八代抄、新古今注
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