新古今和歌集 巻第十七雑歌下
山 菅贈太政大臣
あし曳のこ(かイ)なた
か(こイ)なたに
道はあれと
都へいさといふ
人そ(のイ)なき
読み:あしびきのかなたこなたにみちはあれどみやこへいざといふひとのなき 隠
意味:筑紫の山もあちらこちらに道はあるが、私に「さあ都に帰りましょう」という人は誰もいない
作者;菅原道真すがわらのみちざね845~903菅公、菅丞相と称される。右大臣。遣唐大使に任命されるも遣唐使を廃止。藤原時平の讒言により大宰権帥に左遷され、大宰府で没した。漢詩、和歌、書をよくした。没後天満天神として祭られた。
備考:出典未詳 。大宰府天満宮の後世の者が道真の変わりになって詠んだと思われる和歌一群。八代集抄、定家十体、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)
尭真ぎょうしん
安土桃山・江戸初期の真宗高田派の僧。専修寺13世。尭慧の長男。太政大臣近衛前久の猶子。正親町天皇・後陽成天皇、豊臣秀吉らの保護を受ける。元和5年(1619年)寂。71才。
写真は、太宰府政庁跡
平成27年9月22日 壱點伍