平家物語 第一
御こしぶりの事
おなしき廿八日のいの
こくはかりに、ひくちとみのこうちへんより、火いてきたり。おりふしたつみの風はけ
しかりけれは、京中おほくやけにけり。きたのゝてんしんのこうはいとの、具へいしんわう
のちくさとの、とう三てうのかもゐとの、さい三てうのそめとの、ふゆつきのおとゝ
のかん院殿、ていしんくおの小一てう、せうせんこうのほりかは殿、たちばなのいちせい
か、はい松とのにいたるまてむかしいまのめい所廿よか所。くきやうの宿所たに、十七か所
まてやけにけり。てん上人、しょ大夫以下のいゑ/\は、しるすにおよはす。しやりんは
かりなるほむらか、三ちやう五ちやうをてたてゝ、とひこえ/\いぬゐをさしてやけ
ゆけは、おそろしなともをろかなり。はては大たいにふきつけたり。しゆしやく門より
はしめて、おうてんもん、、くうぃしやうもん、大こくてん、ふらく院、しよし八しやう、あひ
たん所、くわんのちょう、大かくれうにいたるまて、たゝいつしかのあいたのくわいしんの地
とそなりはてる。其他いゑ/\の日記、代々のもんしょ、七ちん万ほうさなからへんし
のけむりとなる。そのついゑいくそはくそや。人のやけしぬる事す百人。きゆはのたくい
かすをしらす。およそ此都三分の一はやけたりなとそ申ける。これたゝ事にあらす。
同じき廿八日の亥の刻ばかりに、樋口富小路辺より、火出できたり。
折節、辰巳の風激しかりければ、京中多く焼けにけり。
北野の天神の紅梅殿、具平親王の千種殿、東三条の鴨居殿、西三条の染殿、冬嗣の大臣の閑院殿、貞信公の小一条、昭宣公の堀川殿、橘逸勢が這松殿にいたるまで、昔今の名所廿四か所、公卿の宿所だに十七か所まで焼けにけり。
殿上人、諸大夫以下の家々は、記すに及ばず。
車輪ばかりなる火が、三町五町を隔てて、飛び越え/\、戌亥をさして焼け行けば、恐ろしなども愚かなり。
果ては大内に吹き付けたり。
朱雀門より始めて、応天門、会昌門、大極殿、豊楽院、諸司八省、朝所、官庁、大学寮に至るまで、只一時の間の灰燼の地とぞ成り果てける。
其外家々の日記、代々の文書、七珍万宝さながら変事の煙となる。其費えいくそばくぞや。
人の焼け死ぬる事数百人。
牛馬の類数を知らず。
およそ此の都、三分の一は焼けたりなどぞ申ける。
是、只事に非ず。
参考
校訂 中院本平家物語 上 今井正之助 遍 三弥井書店