頼朝公は義朝の三男母は熱 義つね
田大宮司季範女久安四年尾 範頼 母は九
張國にて生れ白旗丸と号 條雑色
す平治 常磐幼名
元年 舎那王丸
正三位 白旗丸 又牛若丸
惣追 後頼朝 元暦元年左
補使 衛門尉文治
建久三年征夷大将軍権 元年検非違
大納言右大将正治元年正月十三日 使判官
五十三歳にて薨ず。 範頼母は遠州の人 文治四年
平治の乱の後同州蒲に隠る元暦元年三河 高舘に
守に任じ建久四年六月鎌倉濱屋鋪にて自殺す 義経 て自害
京都市伏見区西奉行町常磐就捕處