十訓抄第七 可専思慮事
七ノ十五
鳥羽院の御時、雨いと降りける夜、若殿上人あまた集まりて、古きためしの品定めもやありけむ、
たれか優に文書く女、知りたり
と、いひあらそひ出でて
今夜、こときらむ。文やりて、返事、かたみに見て、劣り優り定めむ
などいふほどに、子一つばかりにもなりぬ。人々、宿直所へ硯、紙召しにつかはすとて、随身どもを走らかせ給ひけり。
その時、中院大臣は中將にて、かた/\がた思ひめぐらし給ふ。花園内大臣家の督殿こそあらめ。忘れて久しくなりにし人を思ひ出で給ひて、月ごろのあやしさこそとなしひ給ふより、いみじき言の葉盡くし書き給へり。紫の七重薄樣に書きて、同じ色につつまれたりける。夜目に暗くやありけむ。雅兼朝臣は大殿のもたれはといふがりやる。白き薄樣とかや。
かやうにあまた書きてやる。さながら持ていぬ。おの/\興あるあらそひのうちにも、よくもがなと心を盡せる氣色、をかしかりけるに、とばかりありて、返事どもありけるに、このもたれはが返事、なかにすぐれたりけり。花園の督殿はさりともと、たのもしく思はれたりけるに、こよなう書き劣りて、やすからずおぼされけり。
のちに人のいひけるは、
花園の北の方は優なる人にて、さるべきをり/\の歌の返し、優なる文の返事などをば、見入れてへ給へりければ、督殿、男、かれ/\になる時は、この上をせめ聞えけるに、その夜しも、上おはせざりけり。絶えて久しくなりたる人、にはかにおとづれたるに、心も心ならで、あわてゝ書きて、名折りたる
とぞいひける。
これも心のすべなきによりてなり。はるかになりなむ人の、にはかにいひ出でたらむにつけても、心をしづめて、
いかなるやうのあるにや
と案ずるべし。そのうへ、例の人おはせずは、いよ/\、その夜、返事なからむは、まさりぬべし。これは待ちはかりたるにはあらねども、思ひはかりなきかたをいはむとてなり。
すべて文はいつもけなるまじきなり。あやしく見苦しきことなども書きたる文の、思ひかけぬ反古の中より出でたるにも、見ぬ世の人の心際は見ゆるものぞかし。ただいまさしあたりて、はづかしからぬ人と思へども、落ち散りぬれば、必ずあいなきこともあれば、よく心得べきことなり。
かの北の方とかやは春宮大夫公實卿の女、待賢門院の御妹なり。女院につき參らせて、鳥羽院へも時々參り給ひけるが、花園に入り籠り給ひけるのち、かの家に菊の花の咲きたりけるを、院より召しければ、參らせらるゝとて、枝に結びつけられたりける、
九重にうつろひぬとも菊の花もとの籬を思ひ忘るな
とありけるをば、ことに心おはするさまにぞ、このゆゑを知れる人は申しける。
かの貫之が娘の宿に、匂ひことなる紅梅のありけるを、内裏より召しけるに、鶯の巣をつくりたりけるを、さながら奉るとて、
勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかがこたえむ
といふ歌をつけたりけるふるごと、思ひ出でられて、かた/\いとやさし。
※九重に
巻第五 秋歌下 508 花園左大臣室
鳥羽院御時内裏より菊を召しけるに奉るとて結びつけ侍りける