第十七 雜歌中
冬の頃大將はなれて歎くこと侍りける明くる年右大臣になりて奏し侍りける 東三條入道前攝政太政大臣
かかるせも
ありけるものを宇治川の
絶えぬ
ばかりも歎き
けるかな
読み:かかるせもありけるものをうじがわのたえぬばかりもなげきけるかな 隠
意訳:このように官位を復帰することもありましたのに、ずーっと私の氏は絶えてしまうのかと嘆いておりました
作者:藤原兼家ふじわらのかねいえ929〜990師輔の子。東三条殿、法興院殿と呼ばれた。道綱母の夫。 兄兼通と不仲だったため、貞元二年(977年)右大臣を免ぜられていたが、兼通が死後の翌年十月に右大臣に任じられていた。宇治川と氏の掛詞。
歌枕名寄 新古今注