安良岡康作氏によると「自己の『行』の未熟であり、不徹底であり、乱雑であることを鋭く反省しているのであるから、この『不承の阿弥陀仏』も、そうした反省につながるものとして、未熟・不徹底なものとして、著者は考えていたに違いない。したがって『不承の』は、気の進まない、いやいやながらのの意に、わたくしには解せられる。」とし、併せて「このような『不承』の例としては、『玉葉』の元暦元年八月二十一日の条に、『或説云、文覚頗有不承之気云々』とあり」としていて、「気が進まず、いやいやながらする念仏の意」としている。
参考
方丈記全訳注 安良岡康作 講談社学術文庫