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Channel: 新古今和歌集の部屋
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「峰によぢ登りて」考察

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もし、日麗らかなれば、峰によぢ登りて、遙かに故里の空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。
歩み煩ひ無く志し遠く至る時は、これより峰続き、炭山を越え、笠取を過ぎて、或は岩間に詣で、或は石山を拝む。(方丈記前田家本)

方丈記のこの記述について、多くの者は、何の疑問も持たず供水峠を越えたと考えている。
これは、方丈石が方丈の庵跡であると言う認識からそうさせている。

もし方丈の庵が、そこより北にあったとすればどのようなルートがあったのかを探ってみた。

地図を見ると、醍醐上山口と言う地名も有り、又一言寺裏から上醍醐へ行く道が有る。
現地へ行ってみると、入口らしき物があり、砂利を敷き詰めた道があったが、暫く人が通った形跡が無く、あれ放題であった。

住宅街の裏を180m過ぎると竹林となる。竹林は、筍の栽培管理を怠ると荒れ放題となるが、ある程度は管理されている。

暫くすると沢に出る。

途中、電力鉄塔管理の為の橋が掛かっている。

① これを真っ直ぐ沢沿いに行くと途中で道が無くなる。
沢は、地形変化の激しい所であり、800年前は道があったかも知れないが、この沢伝いを行くのは困難である。
② 左の鉄塔への道は、鉄塔までは十分歩けるが、鉄塔からは道と呼べるものは無く、人が歩いた形跡は無くなる。
暫く登ると標高200mぐらいに等高線上に作られた林道に出る。
落葉が敷き詰められて、途中倒木や切り株が有るが、歩けないと言うまでは無い。
丁度馬が通れる位の幅が有ることから、木材を醍醐寺まで運搬する為に造られたのかも知れない。

③ 鉄塔までは30m登るだけなのでそれほど急勾配では無い。
醍醐南端山は、標高234mと言うことで鉄塔を過ぎ、230m軽い坂を歩くと②の林道に出る。

960m程歩くと山陰に入り、ここで二手に道が別れる。

① 左の道は、小川(志津川の源流)を暗きょした橋を過ぎるともはや道は荒れ、樹が生い茂って道が崩落して寸断されている。
② 真っ直ぐに降りる道は、志津川を川に添って降りられ、途中、二三の木の橋が有る。
何年も渡った人がなさそうで、苔むし朽ちて今にも折れそうである。


川沿いを700m下って、急に視界が開けたと思ったら、そこは前に訪れた事の有る上醍醐への道となった。その先は門が締まっている事から行った事は無い。

300m行くと、炭山の集落となった。


結論
標高60mの日野から一気に330mの供水峠を越えて200mの炭山の里に下るより、同54mの一言寺裏から230mの醍醐南端山を登り、緩やかな坂を最大標高290mを越えて220mの炭山集落の端に降りた方が、距離は長いが身体は楽で、55歳の長明にとっても良いコースと言える。
同コースの欠点は、現在は眺望が供水峠より遥かによく、見えすぎる点である。

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