新古今和歌集 下
江戸日本橋通一丁目 須原屋茂兵衛
須原屋茂兵衛は江戸時代の版元。家号は千鐘房(堂)。万治~元禄期より明治まで9代続いた。上方資本が幅を利かせる江戸時代初期より江戸地店として早くから台頭し、江戸出版業界最大手の地位を築き上げたことから、「江戸書林の魁」と呼ばれる。『武鑑』や『江戸切絵図』等の公的出版物を多く手がけたため、郭物を手がけた蔦屋重三郎との対比で「吉原は重三茂兵衛は丸の内」と詠まれた。須原屋茂兵衛からは暖簾分けにより須原屋伊八・須原屋市兵衛などが出て、いわゆる須原屋一統が繁栄した。
同 二丁目 山城屋佐兵衛
藤井文政堂こと山城屋佐兵衛(藤井佐兵衛とも)は、文政年間(1818~1830)の書林仲間加入で、安政6年(1859)に没した2代目が「文政堂」を名乗り始めたといわれている。ただし、文化年間(1804~1818)に京都で刊行された細判合羽摺に板元印「山佐板」が見られる例があり、この山佐と同一人物であれば、実際の創業はもう少し遡る可能性がある。山城屋佐兵衛は新版ばかりを刊行する板元ではなく、既刊本の版権を買い集めることにより、品揃えを充実させていったらしく、現存する板木には、創業期よりも古い板木が多く含まれている。
…中略…
藤井文政堂は現在も営業を続けており、寺町五条で仏教書籍・経本の刊行と古書籍の販売を行っている。
同 芝神明前 岡田屋嘉七
京御幸町御池南 菱屋孫兵衛
《藤井孫兵衛 菱屋 五車楼
創業者は孫兵衛. 近江大津の出身. 漢学者岩垣松苗の家で学僕をしていたが, のちに同家の著述ものを譲り受けて, 明和年間(1764~71)に出版したのが始まりといわれる. 五車楼は12代続いた書肆で, 代々孫兵衛を継承した. 8代目のときが明治維新改革の時期で, 国学や漢学の旺盛期になったことから, 五車楼版の『国史略』や『十八史略』などが読書界人気の中心になった. また中学校, 師範学校の学制施行により, 教科書に採用されるなど9代目のころ全盛期となった. 9代目は病気のため42歳で死去, 長男泰二が4歳で10代目を継ぎ42歳で死去, 弟が11代目を継いだが30代で死去したのち閉店》(『京都出版史』日本書籍出版協会京都支部、1991)
大阪心斎橋南一丁目 敦賀屋久兵衛
同 安堂寺町 敦賀屋彦七
同 堺筋金田町 象牙屋治郎兵衛
以上の刊行者と同じものが九大図書館にあり、文政8 年(1825年)頃刊行と推察される。
九州大学図書館蔵 音無文庫
図書
論語 10巻他
(宋)朱熹撰 ; (清)朱錫旂校 ; (日本)佐藤一齋覆詳
出版情報:江戸, Japan, 京, Japan, 大阪, Japan. 文政8 [1825]. 4冊 岡田屋嘉七 ; 須原屋茂兵衛 ; 山城屋佐兵衛 — 菱屋孫兵衛 — 象牙屋治郎兵衛 ; 敦賀屋九兵衛 ; 敦賀屋彦七