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冷泉家王朝の和歌守(うたもり)展
東京都美術館
2009年10月24日から12月20日まで
春歌とて
西行法師
降りつみし
高嶺の
み雪
解けにけり清滝
川の水のし
らなみ
ふりつみしたかねのみゆきとけにけりきよたきがわのみずのしらなみ
新古今和歌集 第六 冬歌
五十首歌奉りし時
攝政太政大臣
水上や
たえだえ
こほる
岩間より
きよたき川に
のこるしら波
みなかみやたえだえこおるいわまよりきよたきがわにのこるしらなみ
新古今和歌集 巻第二 春歌下
堀河院御時百首歌奉りけるに
權中納言國信
岩根越す
きよたき
川のはや
ければ
波をりかくる
きしの山吹
読み:いわねこすきよたきがわのはやければなみおりかくるきしのやまぶき
春歌上
よみ人知らず
時はいまは
春になりぬと
み雪ふる
遠き山べに
かすみ
たなびく
万葉集巻第八 1439 春雑歌
中臣朝臣武良治
時者今者 春尓成跡 三雪零 遠山辺尓 霞多奈婢久
新古今和歌集 巻第一春歌上
壬生忠見
焼かずとも
草はもえな
む
春日野を
ただ
春の日に任
せたらなむ
読み:やかずともくさはもえなむかすがのをただはるのひにまかせたらなむ
写真 東大寺より若草山山焼きを
きり/\す鳴や霜
夜のさむしろに
衣かたしき
ひとり
かも
ねん
新古今和歌集 巻第五秋歌下
百首歌奉りしに
摂政太政大臣
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む
正治二年後鳥羽院初度百首
橋本公綱
生没年不明1650年頃生
父は権大納言葉室頼業。橋本季村の養子となる。正四位下左近衛中将
ながらへば又此比やしのばれん
うしとみしよぞ今は恋しき
新古今和歌集 巻第十八雑歌下
題知らず 藤原清輔朝臣
長らへばまたこの頃や忍ばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき
油小路隆貞
1622-1699父は権中納言 油小路隆基。初名は隆親、隆房。
1627 従五位下
1660-1672 権大納言
1667 正二位
1685-1686 蟄居
西へゆくしるべとおもふ月かけの空だのめこそかひのなけれ
返し 西行法師
立ち入らで雲まにわけし月影はまたぬけしきや空にみえけむ
人の身まかりける後結縁経供養しける
に即住安楽の心をよめる
瞻西上人
むかしみし月の光をしるべにてこよいや君が西へ行く覧
勧心をよみ侍ける
西行法師
やみはれて心の×××××月は西の山辺や
ちかくなるらむ
新古今和歌集 巻第二十釋教歌
西行法師を呼び侍りけるに罷るべき由をば申しながらま
うで來で月の明かりけるに門の前を通ると聞きてよみ
て遣はしける
待賢門院堀河
西へ行くしるべとおもふ月影の空だのめこそかひなかりけれ
返し 西行法師
立ち入らで雲間に分けし月影は待たぬけしきや空に見えけむ
人の身まかりける後結縁経供養しける
に即住安楽の心をよめる
瞻西上人
昔見し月のひかりをしるべにて今宵や君が西へ行くらむ
勸心をよみ侍りける
西行法師
闇晴れてこころのそらにすむ月は西の山辺や近くなるらむ
春日野の下
もえわたる草
のうへに
つれなくみゆる
春のあは
雪
堀河院御時百首歌奉りけるに殘りの雪の心をよ
み侍りける
権中納言国信
春日野の下萌えわたる草のうへにつれなく見ゆる春のあわ雪
徳大寺公信
慶長十一年(1606年)ー貞享元年(1684年)。従一位左大臣。
藤本了因極
平成28年3月2日 壱點伍
うたゝねはおぎ
ふくかぜに
おどろけど
ながき夢路に
さむる時なき
新古今和歌集 巻第十六雑歌上
崇徳院御歌
うたたねは荻吹く風に驚けどながき夢路ぞ覚むる時なき
萩原員従
1645-1710
1702 正三位
藤本了因極
平成28年3月2日 壱點伍
やましろのいは田
のをのゝはゝそ原
見つゝやきみが
山路こゆらん
第十七 雜歌中
題しらず
式部卿宇合
山城の岩田の小野のははそ原見つつや君が山路越ゆらむ
読み:やましろのいわたのおののははそはらみつつやきみがやまじこゆらむ
意訳:山城の石田小野の小楢が紅葉している中を見ながら、あの人は山路を越えている頃だろうか。
作者:藤原宇合ふじわらのうまかい694~737不比等の子。遣唐副使として唐に渡る。常陸守の時常陸風土記編纂に関係したといわれる。
備考:万葉集巻第九,石田;京都市伏見区石田。古今和歌六帖。八代集抄
万葉集巻第九1730
宇合卿歌三首
山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武
山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ
岡崎宣持
元和三年ー寛文十二年(1617-1672年)従三位。
藤本了因極
平成28年3月2日 壱點伍