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Channel: 新古今和歌集の部屋
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二つの大江山 御伽草子

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酒呑童子

むかしわがてうのことなるにてんちひらけしこの方は神國といひながら、又はぶつぽうさかんにて人わうのはじめよりえんぎの帝にいたるまでわうぽうともにそなはり、まつりごとすなほにして、たみをもおはれみ給ふことげうしゅんのみよとてもこれにはいかでまさるべき。しかれども世の中にふしぎの事の出きたり。たんばの國大江山には鬼神のすみて日くるれば、きんごくたこくの者迄もかずをもしらずとりて行。

もとよりはかせはめいじんにて、一つのまきものとりいだし、くだんの躰をみわたしよこ手をちやうどうち、

ひめぎみの御ゆくゑは、たんばのくに大江山のきしんがわざにて候なり。御いのちにはしさいなし。猶それがしがほうべんにて円めいといのらん何のうたがひ有べきぞ。此うらかたをよくみるに、くわんぜおんに御きせいあり。たんじゃうなりしそのぐわん、いまだじやうじゆせぬ御とがめとみえてあり。くはんをんへ御まいりあり。よきに御きせいましまさばひめ君さうなく都にかへらせ給はん

とみとをすやうにうらなひてはかせはわがやにかへりける。

その中に関白どのすゝみ出、

さがの天わうの御よの時、是ににたりし事有しに、こうぼう大しのふうじこめこくどをさつてしさいなし。さりながら今こゝにらいくはうをめされつゝ、鬼神うてよとのたまはゞ、さだみつ、すゑたけ、つな、きんとき、ほうしやうをはじめとし、此人々には鬼神もおぢをのゝきておそれをなすとうけ給はる。此もの共に仰付られ候かし。

みかどもげにもと思召、らいくわうをめされける。よりみつちょくをうけ給はり、いそぎさんだい仕りければ、みかどえいらんまし/\て、

いかによりみつうけ給はれ。たんばのくに大江山にきじんがすみてあだをなす。わが國なればそつどのうち、いづくにきじんのすむべきぞ。いはんやまぢかきあたりにて、人をなやますいはれなし。たいらげよ。

とせんじなり。よりみつちょくをうけ給はり、あつぱれ大事のせんじかな。鬼神はへんげの物なれば、討手むかふとしるならば、ちりや木の葉と身を変じ、我らぼんぷのまなこにて、見つけん事はかたかるべし。さりながらちょくをばいかでそむくべき。いそぎわが屋に帰りつゝ人々をめしよせて、われらが力にかなふまうじ。佛神に祈をかけ、かみの力をたのむべし。尤しかるべしとて、よりみつとほうしやうは、やはたに社さん有ければ、つな、きんときは住吉へ、さだみつとすゑたけはくまのへさんろう仕り、様々の御りうぐあんもとよりぶつほうしんこくにて、神もなふじゆまし/\て、いづれもあらたに御りしやうあり。よろこびこれにしかじとて、みな/\わが屋にかへりつゝ、ひとつところにあつまりて色々せんぎまち/\なり。

よりみつ仰けるやうは、

このたびは人あまたにてかなふまじ。以上六人が山ぶしにさまをかへ、山ぢにまよふふぜいにて、たんばの國鬼がじやうへたづねゆき、栖だにも知ならば、いかにもぶりやくをめぐらして、うつべきことはやすかるべし。めん/\おいをこしらへてぐそく、かぶとをいれ給へ。人/\いかに。

と有ければ

うけ給はる

と申て、めん/\おいをこしらへける。


宮内卿没年に関する疑問

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宮内卿


主な出詠
正治二年(1200年)
 新宮三首歌合
 正治二年後鳥羽院後度百首


建仁元年(1201年)
 千五百番歌合
薄く濃き野辺のみどりの若草にあとまで見ゆる雪のむらぎえ

片枝さすをふのうらなし初秋になりもならずも風ぞ身にしむ


 老若五十首歌合(二月十六、十八日)
かきくらし猶ふる里の雪のうちに跡こそ見えね春は来にけり

からにしき秋のかたみやたつた山散りあへぬ枝に嵐吹くなり


 新宮撰歌合(三月)
ふるさとの便り思はぬながめかな花散るころの宇津の山越え


 仙洞句題五十首(九~十二月)
花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで

月をなほ待つらむものかむら雨の晴れ行く雲の末の里人

霜を待つ籬の菊の宵のまにおきまよふ色は山の端の月

竹の葉に風吹きよわる夕暮の物のあはれは秋としもなし


 八月十五夜和歌所歌合(撰歌合 八月十五日)
心ある雄島のあまの袂かな月やどれとは濡れぬものから

まどろまで眺めよとてのすさびかな麻のさ衣月にうつ声


 水無瀬恋十五首歌合(九月十三日)
聞くやいかにうはの空なる風だにも松に音するならひありとは



建仁二年(1203年)
俊成卿九十之賀
ながらへてけさぞうれしき老の波八千代をかけて君に仕へむ(建礼門院右京大夫集)



元久元年(1204年)
春日社歌合
寂しさを我が身一つにこたふなりたそがれ時の峰の松風


無名抄 俊成卿女宮内卿兩人歌讀替事
此人はあまり歌を深く案じて病に成りて、一度は死に外れしたりき。父の禪門何事も身のありての上の事にこそ。かくしも病になるまでは、いかに案じ給ふぞ。
と諫められけれども用ゐず、終に命もやなくてやみにしは、そのつもりにや有りけん。
寂蓮は此事をいみじがりて、兄人の具親少將の、哥に心を入れぬをぞ憎み侍し。


寂蓮 建仁二年七月二十日没


 

古今集 哀傷歌2 濁点表記断簡コレクション

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古今和歌集 巻第十六 哀傷歌
843-846

おもひに侍ける人をとふらひ
にまかりてよめる

たたみね

 すみそめの君かたもとは雲なれや
  たえすなみたの雨とのみふる

女のおやのおもひにて山寺
      或
に侍けるを人とふらひつか
はせりけれは返事によめる

読人しらす

 あしひきの山邊にいまはすみそめの

  衣の袖はひるときもなし

諒闇のとし池のほとりの
花を見てよめる

たかむらの朝臣


/水の面にしづく花の色さやかにも
        ゛
  君かみかけのおもほゆるかな

       ミコキ
深草のみかとの御国忌の
日よめる

文屋やすひて

 草ふかき霞の谷にかけかくし
 (てるひのくれしけふにやはあらぬ)
 

「しづく」に濁点、「みかけ」に朱筆で濁点、「たえすなみた」と「かけかくし」に濁点無し。

平成28年3月15日 壱

人生七十古来稀也

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曲江
    杜甫
朝囘日日典春衣 朝より回りて日々春衣を典し、

毎日江頭盡醉歸 毎日江頭に酔ひを尽くして帰る。

酒債尋常行處有 酒債は尋常行く処に有り、

人生七十古來稀 人生七十古来稀なり。

穿花蛺蝶深深見 花を穿つ蛺蝶は深深として見え、

點水蜻蜓款款飛 水に点ずる蜻蜓は款款として飛ぶ。

傳語風光共流轉 伝語す風光、共に流転して、

暫時相賞莫相違 暫時相賞して相違ふこと莫れと。

古今集 哀傷歌1 濁点表記断簡コレクション

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古今和歌集 巻第十六 哀傷歌
811-819

よみ人しらす

それをたに思ふ事とてわかやとを
 みきとないひそ人のきかくに

あふ事のもはらたえぬる時にこそ
 人のこひしきこともしりけれ

わひはつる時さへ物の悲しきは
 いつこをしのふなみたなるらむ

藤原おきかせ

うらみてもなきてもいはむ方そなき
 鏡に見ゆるかけならすして


読人不知

夕ざれは人なきとこをうちはらひ
 なけかんためとなれるわかみか

わたつみのわか身こす波立かへり
 あまのすむてふうらみつるかな

あらを田をあらすきかへしかへしても
 人のこゝろを見てこそやまめ

ありそ海の濱のまさことたのめしは
 わするゝ事の数にそありける

葦邊より雲ゐをさして行鳫の
(いやとほさかるわか身かなしも)

「夕ざれは」に濁点があり「わかやとを」、「わひはつる」に濁点は無し。

平成28年3月15日 壱

古今集 恋歌一 濁点表記断簡コレクション

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古今和歌集 巻第十一 恋歌一
520-529

こむ世にもはやなりなむめのまへに
 つれなき人をむかしと思はん

つれもなき人をこふとて山びこの
 こたへするまてなけきつるかな

    加寸"
行水にかくよりもはかなきは
 おもはぬ人を思ふなりけり

人をおふ心はわれにあらねはや
 身の迷たにしられさるらむ

おもひやるさかひはるかになりやする
 まとふ夢路にあふ人のなき

夢の中にあひみん事をたのみつゝ
 くらせるよひはねんかたもなし

こひしねとするわさならし烏羽玉の
 よるはすがらに夢に見えつゝ

涙河まくらなかるゝうきねには
 ゆめもさたかに見えすそ有ける

恋すれはわか身はかけとなりにけり
 さりとて人にそはぬものゆへ

かゝり火にあらぬ我身のなそもかく
 涙のかはにうきてもゆらん

「山びこ」、「すがら」に濁点表記、欠落「加寸"」に他者補筆で濁点表記し、「するまてなけき」、「まとふ」、「わさ」に濁点無し。

※行く水に
伊勢物語 五十段
むかしをとこありけり。うらむる人をうらみて
とりのこをとをづゝとはかさぬともひとのこゝろをいかヾがたのまん
といへりければ、をんな
あさつゆはきえのこりてもありぬべしたれかこのよをたのみはつべき
をとこ
ふくかぜにこぞのさくらはちらずともあなたのみがた人のこゝろは
またおんなかえし
ゆくみづにかずかくよりもはかなきはおもはぬひとをおもふなりけり
ゆくみずとすぐるよはひとちるはなといづれまててふことをきくらむ
あだくらべかたみにしけるをんなのしのびありきするかごとなるべし

平成28年3月15日 壱

建礼門院右京大夫集 俊成卿九十賀

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建仁三年の年の霜月の二十日余りの何日だったかしら、五条の三位入道俊成様が九十歳になられましたと聞かせおわしまして、後鳥羽院より長寿の御祝を賜う事とになり、贈物の法服の装束の袈裟に歌を書くべしと勅命がございまして、師光入道の娘の宮内卿の宮殿に歌を召されて、紫の糸にて院の仰せで私が刺繍致しましたが、 命が長らえて今朝、袈裟を頂きとても嬉しく寄る年波の老た私ですが帝の長寿の八千代をかけて君に仕へましょう とありましたが、賜る方への人の歌としては今少し良くはないのでは?と心の中では、覚えましたけれども、そのままに刺繍すべき事なので、縫いましたが、「けさぞ」の「ぞ」の文字、「仕へむ」の「む」の文字を、「や」と「よ」とに変えるべきと言うことになり、急にその夜になって、私に二条殿へ参るべき由仰せ事となって、範光の中納言の車を迎えに寄越し、それに乗って参りまして、文字二つを刺繍し直し、やがて祝賀会が始まり、御子左家の方々も懐かしくて、夜もすがら脇に控えて見ていた所、昔の俊成様や母の事などを思い出して、大変歌道一筋の面目は格別の事だと覚えましたので、次の早朝に入道様の元へその由申し上げました。 俊成様の長寿は、猶今日より後も数えるべき九十歳が過ぎて更に百歳を超えるまで御活躍を御祈念申し上げます

建仁三年の年霜月の二十日余り幾日のひやらむ、五條の三位入道俊成九十に滿つと聞かせおはしまして、院より賀たまはするに、贈物の法服の装束の袈裟に歌を書くべしとて、師光入道の女宮内卿の殿に歌は召されて、紫の糸にて院の仰せ事にておきて参らせたりし、

ながらへてけさぞうれしき老の波八千代をかけて君に仕へむ

とありしが、たまはりたらむ人の歌にては今少しよかりぬべく心のうちにおぼえしかども、そのままにおくべき事なればおきてしを、けさぞのぞの文字、仕へむのむの文字を、やとよとになるべかりけるとて、にはかにその夜になりて、二條殿へ參るべき由仰せ事とて、範光の中納言の車とてあれば、參りて、文字二つおき直して、やがて賀もゆかしくて夜もすがらさぶらひて見しに、昔の事おぼえて、いみじく道の面目なのめならずおぼえしかば、つとめて入道のもとへその由もうしつかはす。

君ぞなほけふより後もかぞふべき九のかへりの十のゆく末

羇旅歌 山の架橋

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        藤原定家
たび人の
   袖ふきかへす秋風に
夕日淋しき
    山のかけ橋


たびびとのそでふきかへすあきかぜにゆふひさびしきやまのかけはし

神戸市布引滝 猿のかずら橋


続古今 生田の森の春の曙 順徳院

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秌かぜに

またこそとは

めつのくにの

いくたのもりの

春の曙



続古今 巻第十七雑歌上
だいしらず   順徳院
秋風に又こそ訪はめ津の国の生田の森の春の曙


本歌
君すまば訪はましものを津の国の生田の森の秋の初風(金葉集、詞花集 清胤)

秋風に契りたのむのかり田にもなきてそかへる春のあけぼの(秋篠月清集 九条良経)

あきかぜに不破の関屋はあれにしを霞にくもるはるのあけぼの(壬二集 藤原家隆)

布引の滝 仙人の衣 九条良経

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 藤原良経

山人の衣

 なるらし

  白妙の

月に晒せる

 布引のたき


建仁元年仙洞句題五十首

月照清水


布引の滝 白雲落下 藤原家隆

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    藤原家隆

   幾世とも

 知られぬものは

    白雲の

上より落つる

  布引の瀧

 


新後撰集 巻十七:雑上
いくよともしられぬものはしらくものうへよりおつるぬのひきのたき

千五百番歌合 雑歌一
慈円判
いとどしく音さへ高く聞ゆなり雲に晒せる布引の滝

布引 琴の調 紀貫之

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       紀貫之
松の音琴に調ぶる山風は
 滝の糸をやすけて弾くらむ



貫之集
まつのおとことにしらぶるやまかぜはたきのいとをやすけてひくらむ

風雅集
まつのおとをことにしらぶるあきかせはたきのいとをやすけてひくらむ

編ける

布引 結氷の滝 寂蓮

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     寂蓮法師 詠

岩ばしる

 おとは氷にとぢられて

   松風おつる

    布引のたき

いわばしるおとはこほりにとじられてまつかぜおつるぬのびきのたき



布引 山姫の布 伊勢

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   伊勢

たち縫はぬ

 衣着し人も

  なきものを

なに山姫の

 布晒すらむ



古今和歌集 巻第十七
竜門にまうててたきのもとにてよめる
        伊勢
たちぬはぬきぬきし人もなきものをなに山姫のぬのさらすらむ


布引 散白玉 業平

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  在五中将業平朝臣 遺蹟

ぬきみだる人こそ

   あるらし
      白たまの

  まなくもちるか

    そでの狭きに


古今和歌集 巻第十七雑歌上
布引の滝の本にて人人あつまりて歌よみける時によめる
          なりひらの朝臣
ぬきみだる人こそあるらし白玉のまなくもちるか袖のせばきに

伊勢物語
むかし、男、津の国、菟原の郡、蘆屋の里にしるよしして、いきてすみけり。昔の歌に、
蘆の屋のなだのしほ焼きいとまなみつげの小櫛もささず来にけり
とよみけるぞ、この里をよみける。ここをなむ蘆屋のなだとはいひける。この男、なま宮づかへしければ、それをたよりにて、衛府の佐ども集り来にけり。この男のこのかみも衛府の督なりけり。その家の前の海のほとりに、遊び歩きて、
いざこの山のかみにありといふ布引の滝見にのぼらむといひて、のぼりて見るに、その滝、ものよりことなり。長さ二十丈、広さ五丈ばかりなる石のおもて、白絹に岩をつつめらむやうになむありける。さる滝のかみに、わらうだの大きさして、さしいでたる石あり。その石の上に走りかかる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。そこなる人にみな滝の歌よます。かの衛府の督まづよむ。
わが世をば今日か明日かと待つかひの涙の滝といづれ高けむ
あるじ、次によむ。
ぬき乱る人かそあるらし白玉のまなくも散るか袖のせばきに
とよめりければ、かたへの人、笑ふことにやありけむ、この歌にめでてやみにけり。
かへり来る道とほくて、うせにし宮内卿もちよしが家の前来るに、日暮れぬ。やどりの方を見やれば、あまのいさり火多く見ゆるに、かのあるじの男よむ。
晴るる夜の星か河べの蛍かもわがすむかたのあまのたく火か
とよみて、家にかへり来ぬ。その夜、南の風吹きて、浪いと高し。つとめて、その家の女の子どもいでて、浮き海松の浪に寄せられたるひろひて、家の内にもて来ぬ。女方より、その海松を高杯にもりて、かしはをおほひていだしたる、かしはにかけり。
わたつみのかざしにさすといはふ藻も君がためにはをしまざりけり
ゐなかの人の歌にては、あまれりや、たらずや。


平家物語の中の新古今和歌集 老蘇森

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卷第八 山門御幸

高倉院の皇子は、主上の外三所ましましき。二宮をば儲君にし奉らむとて、平家いざなひ參らせて、西国へ落ち給ひぬ。三四は都にましましけり。

同八月五日、法皇この宮たちをむかへ寄らせ參らせ給ひて、まづ三の宮の五歳にならせ給ふを
是へ/\
と仰せければ、法皇を見參らッさせ給ひて、大きにむつからせ給ふあひだ、
とう/\
とて出し參らッさせ給ひぬ。

其後四の宮の四歳にならせ給ふを
是へ
と仰せれけば、すこしもはばからせ給はず、やがて法皇の御膝のうへに參らせ給ひて、よにもなつかしげにてぞましましける。法皇御涙をはら/\とながさせ給ひて、
げにもすぞろならむ者は、かやうの老法師を見て、なにとてかなつかしげには思ふべき。是ぞ我がまことの孫にてましましける。故院のをさなおひに、すこしもたがはせ給はぬ物かな。かかる忘れがたみを今まで見ざりける事よ
とて、御涙せきあへさせ給はず。

浄土寺の二位殿、そのときはいまだ丹後殿とて御前に候はせ給ふが、
さて御ゆづりは、此宮にてこそわたらせおはしましさぶらはめ
と申させ給へば、法皇、
子細にや
とぞ仰せける。内々御占ありしにも、
四の宮位につかせ給ひては、百王まで日本國の御ぬしたるべし
とぞかんがへ申しける。

御母儀は七條修理大夫信隆卿の御娘なり。建礼門院のいまだ中宮にてましましける時、その御方に宮づかひ給ひしを、主上常は召されける程に、うちつづき宮あまたいできさせ給へり。信隆卿、御娘あまたおはしければ、いかにもして女御、后にもなし奉らばやねがはれけるに、人の白い鶏を千かうつれば、其家に必ず后いできたるといふ事ありとて、鶏の白いを千そろへてかはれたりける故にや。此御娘、皇子あまたうみ參らせ給へり。信隆卿内々うれしうは思はれけれども、平家にもはばかり、中宮にもおそれ參らせて、もてなし奉る事もおはせざりしを、入道相國の北の方、八條の二位殿、
苦しかるまじ。われそだて參らせて、まうけの君にし奉らむ
とて、御めのとどもあまたつけて、そだて參らせ給ひけり。

中にも四の宮は、二位殿のせうと、法勝寺執行能圓法印のやしなひ君にてぞましましける。法印平家に具せらえて、西國に落ちし時、あまりにあわてさわいで、北の方をも宮も京都にすておき參らせて下られたりしが、西國よりいそぎ人をのぼせて、
女房、宮具し參らせて、とく/\くだり給ふべし
と申されたりければ、北の方なのめならず悦び、宮いざなひ參らせて、西七條なる所まで出でられたりしを、女房のせうと紀伊守範光
是は物のついてくる給ふか、此の宮の御運は只今開けさせ給はんずる物を
とて、とりとどめ參りたりける。何事もしかるべき事と申しながら、四の宮の御ためには、紀伊守範光奉公の人ぞ見えたりける。されど四の宮位につかせ給ひて後、そのなさけをもおぼしめしいでさせ給はず、朝恩もなくして歳月をおくりけるが、せめての思のあまりにや、二首の歌をようで、禁中に落書をぞしたりける。

一聲は思ひ出でなばほととぎすおいその森の夜半のむかしを(三 夏歌 民部卿範光)

籠のうちもなほうらやまし山がらの身のほどかくすゆふがほの宿 ※寂蓮

主上是を叡覽あッて
あなむざん、さればいまだ世にながらへてありけるかな。今日までこれをおぼしめしよらざりけるこそおろかなれ
とて、朝恩かうぶり、正三位に叙せられけるとぞきこえし。

平家物語の新古今和歌集 鳴くは昔の人や恋しき

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灌頂卷

かくて女院は、文治元年五月一日、御ぐしおろさせ給ひけり。
御戒の師には、長樂寺の阿證房の上人印西とぞきこえし。御布施には先帝の御直衣なり。今はの時まで召されたりければ、その御うつり香も未だうせず。御形見に御覽ぜんとて、西国よりはる/”\と都までもたせ給ひたりければ、いかならん世までも御身をはなたじとこそおぼしめされけれども、御布施になりぬべき物のなきうへ、かつうは彼御菩提のためとて、泣く/\とりいださせ給ひけり。上人これを給はッて、何と奏するむねもなくて、墨染の袖をしぼりつつ、泣く/\罷出でられけり。此御衣をば幡にぬうて、長樂寺の仏前にかけらえけるとぞ聞こえし。

女院は、十五にて女御の宣旨をくだされ、十六にて后妃の位に備り、君王の傍に候はせ給ひて、朝には朝政をすすめ、よるは夜を専らにし給へり。廿二にて皇子御誕生、皇太子にたち、位につかせ給ひしかば、院号蒙らせ給ひて、建礼門院とぞ申しける。入道相國の御娘なるうへ、天下の國母にてましましければ、世の重うし奉る事なのめならず。今年は廿九にぞならせ給ふ。桃李の御粧猶こまやかに、芙蓉の御かたちいまだ衰へさせ給はねども、遂に御樣をかへさせ給ふ。

浮世を厭ひ、まことの道にいらせ給へども、御歎はさらにつきず。人々いまはかくとて海に沈みし有樣、先帝、二位殿の御面影、いかならん世までも、忘れがたくおぼしめすに、露の御命、なにしに今までながらへて、かゝるうき目を見るらんと、おぼしめしつゞけて、御涙せきあへさせ給はず。五月の短夜なれども、あかしかねさせ給ひつゝ、おのづからうちまどろませ給はねば、昔のことは夢だにも御覽せず、壁にそむける殘の燈のかげかすかに、夜もすがら窓うつくらき雨の音ぞさびしかりける。上陽人が上陽宮に閉ぢられけん悲しみも、是には過ぎじとぞ見えし。

昔をしのぶつまとなれとてや、もとの主のうつし植ゑたりけん花橘の、簷近く風なつかしうかをりけるに、山郭公二聲三聲おとづれければ、女院ふるき事なれどもおぼしめし出でて、御硯の蓋にかうぞあそばされける。

ほととぎす花たちばなの香をとめてなくはむかしのひとや戀しき(巻第三夏歌 よみ人知らず)

平家物語の新古今和歌集 物かはの蔵人

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卷第五 月見

其なかにも、徳大寺の左大將實定卿は、ふるき都の月を戀ひて、八月十日あまりに、福原よりぞのぼり給ふ。何事も皆かはりはてて、まれにのこる家は、門前草ふかくして、庭上露しげし。蓬が杣、淺茅が原、鳥のふしどとあれはてゝ、蟲の聲々うらみつつ、黄菊紫蘭の野邊とぞなりにける。故郷の名殘とては、近衞河原の大宮ばかりぞましましける。大將その御所に參ッて、まづ随身に惣門をたゝかせらるゝに、うちより女の聲して、
たそや、蓬生の露うちはらふ人もなき所に
とゝがむれば、
福原より大將殿の御參り候
と申す。
惣門はじやうのさされてさぶらふぞ。東面の小門よりいらせ給へ
と申しければ、大將さらばとて、東の門より參られけり。大宮は御つれ/”\に、昔をやおぼしめしていでさせ給ひけん、南面の御格子あげさせて、御琵琶あそばされけるところに、大將參られたりければ
いかに夢かやうつつか。これへ/\
とぞ仰せける。源氏の宇治の卷には、うばそくの宮の御娘、秋のなごりを惜しみ、琵琶をしらべて夜もすがら、心をすまし給ひしに、在明の月いでけるを、猶たへずやおぼしけん、撥にてまねき給ひけんも、いまこそ思ひ知られけれ。

待宵小侍從といふ女房も、此御所にぞ候ひける。この女房を待宵と申しける事は、或時御所にて、
待つ宵、歸る朝、いづれかあはれはまされる
と御尋ねありければ、

待つ宵のふけゆく鐘の聲きけばかへるあしたの鳥はものかは(巻第十三恋歌三 小侍従)

とよみたりけるによッてこそ、待宵とは召されけれ。大將、かの女房よびいだし、昔いまの物語して、さ夜もやう/\ふけ行けば、ふるき都のあれゆくを、今樣にこそうたはれけれ。

ふるき都をきてみれば
あさぢが原とあれにける
月の光はくまなくて
秋風のみぞ身にはしむ

と、三反うたひすまされければ、大宮をはじめ參らせて、御所中の女房たち、みな袖をぞぬらされける。
さる程に夜もあけければ、大將暇申して福原へこそかへられけれ。御ともに候藏人を召して、
侍從があまりなごり惜しげに思ひたるに、なんぢかへッて、なにともいひてこよ
と仰せければ、藏人ははしりかへッて畏り、
申せと候
とて、

物かはと君がいひけん鳥のねのけさしもなどかかなしかるらん

女房涙をおさへて、

またばこそふけゆく鐘も物ならめあかぬわかれの鳥の音ぞうき

藏人かへり參ッて、このよし申したりければ、
さればこそなんぢをばつかはしつれ
とて、大將大きに感ぜられけり。それよりしてこそ物かはの藏人とはいはれけれ。

写真 小侍従墓と顕彰碑
島本町

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第一 春歌上

56 祐子内親王藤壺に住みはべりけるに女房うへ人などさるべきかぎり物語して春秋のあはれいづれにか心ひくなど争ひ侍りけるに人々多く秋に心を寄せ侍りければ菅原孝標女
淺みどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月

62  百首歌奉りし時 攝政太政大臣
歸る雁いまはのこころありあけに月と花との名こそ惜しけれ

79  題しらず 西行法師
よし野山さくらが枝に雪降りて花おそげなる年にもあるかな

80 白河院鳥羽におはしましける時人々山家待花といふこころをよみ侍りけるに 藤原隆時朝臣
さくら花咲かばまづ見むと思ふまに日かず經にけり春の山里

83  百首歌奉りしに 式子内親王
いま桜咲きぬと見えてうすぐもり春に霞める世のけしきかな

85 題しらず 中納言家持
行かむ人來む人しのべ春かすみ立田の山のはつざくら花

86 花歌とてよみ侍りける 西行法師
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ

87 和歌所にて歌つかうまつりしに春歌とてよめる 寂蓮法師
葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかるしら雲

88  題しらず よみ人知らず
いそのかみ古き都を來て見れば昔かざしし花咲きにけり

89 題しらず 源公忠朝臣
春にのみ年はあらなむ荒小田をかへすがへすも花を見るべく

90八重桜を折りて人の遣はして侍りければ 道命法師
白雲のたつたの山の八重ざくらいづれを花とわきて折らまし

91 百首奉りし時 藤原定家朝臣
白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふらし

92 題しらず 藤原家衡朝臣
吉野山はなやさかりに匂ふらむふるさとさらぬ嶺のしらくも

93 和歌所歌合に羇旅花といふこころを 藤原雅經
岩根ふみかさなる山を分けすてて花もいくへのあとのしら雲

94 五十首歌奉りし時 藤原雅經
尋ね來て花に暮らせる木の間より待つとしもなき山の端の月

95 故郷花といへるこころを 前大僧正慈圓
散り散らず人もたづねぬふるさとの露けき花に春かぜぞ吹く

96 千五百番歌合に 右衞門督通具
いそのかみふる野のさくら誰植ゑて春は忘れぬ形見なるらむ

97 千五百番歌合に 正三位季能
花ぞ見る道のしばくさふみわけて吉野の宮の春のあけぼの

98 千五百番歌合に 藤原有家朝臣
朝日かげにほへる山のさくら花つれなく消えぬ雪かとぞ見る

第二 春歌下
99  釋阿和歌所にて九十の賀し侍りしをり屏風に山に櫻かきたるところを 太上天皇
さくら咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな

100 千五百番歌合に春の歌 皇太后宮大夫俊成
いくとせの春に心をつくし來ぬあはれと思へみよし野の花

101 百首歌に 式子内親王
はかなくて過ぎにしかたを數ふれば花に物思ふ春ぞ經にける

102 内大臣に侍りける時望山花といへるこころをよみ侍りける 京極前關白太政大臣

白雲のたなびく山のやまざくらいづれを花と行きて折らまし

103 祐子内親王家にて人々花の歌よみ侍り侍りけるに 權大納言長家
花の色にあまぎるかすみたちまよひ空さへ匂ふ山ざくらかな

104 題しらず 山部赤人
ももしきの大宮人はいとまあれ櫻かざして今日もくらしつ

105 題しらず 在原業平朝臣
花にあかぬ歎はいつもせしかども今日の今宵に似る時は無し

106 題しらず 凡河内躬恆
いもやすくねられざりけり春の夜は花の散るのみ夢にみつつ

107 題しらず 伊勢
山ざくら散りてみ雪にまがひなばいづれか花と春にとはなむ

108 題しらず 紀貫之
わが宿の物なりながら櫻花散るをばえこそとどめざりけれ

109  寛平御時きさいの宮の歌合に よみ人知らず
霞たつ春の山邊にさくら花あかず散るとやうぐひすの鳴く

110 題しらず 山部赤人
春雨はいたくな降りそさくら花まだ見ぬ人に散らまくも惜し

110b 題しらず 中納言家持
ふるさとに花はちりつつみよしののやまのさくらはまださかずけり

111 題しらず 紀貫之
花の香にころもはふかくなりにけり木の下かげの風のまにまに

113 守覺法親王五十首歌よませ侍りける時 藤原家隆朝臣
この程は知るも知らぬも玉鉾の行きかふ袖は花の香ぞする

114 攝政太政大臣家に五十首歌よみ侍りけるに 皇太后宮大夫俊成
またや見む交野のみ野のさくらがり花の雪散る春のあけぼの

115 花歌よみ侍りけるに 祝部成仲
散り散らずおぼつかなきは春霞たつたの山のさくらなりけり

116  山里にまかりてよみ侍りける 能因法師
山里の春の夕ぐれ來て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける

117 題知らず 惠慶法師
櫻散る春の山べは憂かりけり世をのがれにと來しかひもなく

118 花見侍りける人に誘はれてよみはべりける 康資王母
山ざくら花のした風吹きにけり木のもとごとの雪のむらぎえ

119 題しらず 源重之
はるさめのそぼふる空のをやみぜず落つる涙に花ぞ散りける

120 題しらず 源重之
雁がねのかへる羽風やさそふらむ過ぎ行くみねの花も殘らぬ

121 百首歌めしし時春の歌 源具親

時しもあれたのむの雁のわかれさへ花散るころのみ吉野の里

122 見山花といへるこころを 大納言經信

山ふかみ杉のむらだち見えぬまでをのへの風に花の散るかな

123 堀河院御時百首歌奉りけるに花の歌 大納言師頼

木のもとの苔のも見えぬまで八重散りしけるやまざくらかな

124 花の十首歌よみ侍りけるに 左京大夫顯輔

ふもとまで尾上の櫻ちり來ずはたなびく雲と見てや過ぎまし

125 花落客稀といふことを 刑部卿範兼

花散ればとふ人まれになりはてていとひし風の音のみぞする

126 題しらず 西行法師

ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ

127 題しらず 越前

山里の庭よりほかの道もがな花ちりぬやと人もこそ訪へ

128 五十首歌奉りし中に湖上花を 宮内卿

花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで

129 五十首歌奉りし中に關路花を

宮内卿 あふさかやこずゑの花をふくからに嵐ぞかすむ關の杉むら

130 百首歌奉りしに春の歌 二條院讃岐

山たかみ峯の嵐に散る花の月にあまぎるあけがたのそら

131 百首歌召しける時春の歌 崇院御歌

山たかみ岩根の櫻散る時はあまの羽ごろも撫づるとぞ見る

132 春日社歌合とて人々歌よみ侍りけるに 刑部卿頼輔

散りまがふ花のよそめはよし野山あらしにさわぐみねの白雲

133  最勝四天王院の障子に吉野山かきたる所 太上天皇

みよし野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春のあけぼの

134 千五百番歌合に 藤原定家朝臣

櫻色の庭のはるかぜあともなし訪はばぞ人の雪とだにみむ

135 ひととせ忍びて大内の花見にまかりて侍りしに庭に散りて侍りし花を硯の蓋に入れて攝政のもとにつかわし侍りし 太上天皇

今日だにも庭を盛とうつる花消えずはありとも雪かとも見よ

136 返し 攝政太政大臣

さそはれぬ人のためとやのこりけむ明日よりさきの花の白雪

137  家の八重櫻を折らせて惟明親王のもとへつかはしける 式子内親王

八重にほふ軒端の櫻うつろひぬ風よりさきに訪ふ人もがな

138 返し 惟明親王

つらきかなうつろふまでに八重櫻とへともいはで過ぐるこころは

139 五十首歌奉りし時 藤原家隆朝臣

さくら花夢かうつつか白雲のたえてつねなきみねの春かぜ

140 題しらず 皇太后宮大夫俊成女

恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば

141 題しらず 後大寺左大臣

はかなさをほかにもいはじ櫻花咲きては散りぬあはれ世の中

142 入道前關白太政大臣家に百首歌よませ侍りける時 俊惠法師

ながむべき殘の春をかぞふれば花とともにも散るなみだかな

143 花の歌とてよめる 殷富門院大輔

花もまたわかれむ春は思ひ出でよ咲き散るたびの心づくしを

144 千五百番歌合に 左近中將良平

散るはなのわすれがたみの峰の雲そをだにのこせ春のやまかぜ

145  落花といふことを 藤原雅經

花さそふなごりを雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風

146 題しらず 後白河院御歌

惜しめども散りはてぬれば櫻花いまはこずゑを眺むばかりぞ

147 殘春のこころを 攝政太政大臣

吉野山花のふるさとあと絶えてむなしき枝にはるかぜぞ吹く

148 題しらず 大納言經信

ふるさとの花の盛は過ぎぬれどおもかげさらぬ春の空かな

149 百首歌の中に 式子内親王

花は散りその色となくながむればむなしき空にはるさめぞ降る

150 小野宮のおほきおほいまうちぎみ月輪寺に花見侍りける日よめる 原元輔

誰がためか明日は殘さむ山ざくらこぼれて匂へ今日の形見に

152 紀貫之曲水宴し侍りける時月入花瀬暗といふことをよみ侍りける 坂上是則

花流す瀬をも見るべき三日月のわれて入りぬる山のをちかた

153 雲林院の櫻散りはててわづかに片枝に殘りて侍りければ 良暹法師

尋ねつる花もわが身もおとろへて後の春ともえこそ契らね

154 千五百番歌合に 寂蓮法師

思ひ立つ鳥はふる巣もたのむらむ馴れぬる花のあとの夕暮

155 千五百番歌合に 寂蓮法師

散りにけりあはれうらみの誰なれば花のあととふ春の山風

156 千五百番歌合に 權中納言公經

春ふかくたづねいるさの山の端にほの見し雲の色ぞのこれる

157 百首歌奉りし時 攝政太政大臣

初瀬山うつろう花に春暮れてまがひし雲ぞ峯にのこれる

158  百首歌奉りし時 藤原家隆朝臣

吉野川岸のやまぶき咲きにけり嶺のさくらは散りはてぬらむ

167 春の暮つ方実方朝臣のもとに遣はしける 藤原道信朝臣

散り殘る花もやあるとうちむれてみ山がくれを尋ねてしがな

第四 秋歌上
363  西行法師すすめて百首よませ侍りけるに 藤原定家朝臣

見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ

第五 秋歌下 
523 櫻のもみぢしはじめてるを見て 中務卿具平親王

いつの間に紅葉しぬらむ山ざくら昨日か花の散るを惜しみし

第七 賀歌
713  祐子親王家にて櫻を 土御門右大臣

君が世に逢ふべき春の多ければ散るとも櫻あくまでぞ見む

732 二條院御時花有喜色というこころを人々仕うまつりけるに 刑部卿範兼

君が世に逢へるは誰も嬉しきを花は色にも出でにけるかな

733 同御時南殿の花盛に歌よめと仰せられければ 參河内侍

身にかへて花も惜しまじ君が代に見るべき春の限りなければ

第八 哀傷歌 
759 醍醐のみかどかくれ給ひて後彌生のつもごりに三條右大臣に遣はしける 中納言兼輔

櫻散る春の末にはなりにけりあままも知らぬながめせしまに

760 正暦二年諒闇の春櫻の枝につけて道信朝臣に遣はしける 藤原實方朝臣

墨染のころもうき世の花盛をり忘れても折りてけるかな

761 返し 藤原道信朝臣

あかざりし花をや春も戀つらむありし昔をおもひ出でつつ

762 彌生の頃人におくれて歎きける人のもとへ遣はしける 成尋法師

花ざくらまだ盛にて散りにけむなげきのもとを思ひこそやれ

763 人の櫻を植ゑ置きてその年の四月になくなりける又の年初めて花の咲きけるを見て 大江嘉言

花見むと植ゑけむ人もなき宿のさくらは去年の春ぞ咲かまし

765 公守朝臣母身まかりて後の春法金剛院の花を見て 後大寺左大臣

花見てはいとど家路ぞ急がれぬ待つらむと思ふ人しなければ

774 返し 藤原爲頼朝臣

一人にもあらぬおもひはなき人も旅の空にや悲しかるらぬ

第十一 戀歌一
1016 女を物ごしにほのかに見て遣はしける 原元輔

匂ふらむ霞のうちのさくら花おもひやりても惜しき春かな

1017 年を經ていひわたり侍りける女のさすがにけぢかくはあらざりけるに春の末つ方いひ遣はしける 大中臣能宣朝臣

幾かへり咲き散る花を眺めつつもの思ひ暮らす春に逢ふらむ

第十六 雜歌上 
1450 堀河院におはしましける頃閑院の左大將の家の櫻を折らせに遣はすとて 圓融院御歌

垣越しに見るあだびとの家櫻はな散るばかり行きて折らばや

1451 御返事 左大將朝光

をりにことおもひやすらむ花櫻ありし行幸の春を戀ひつつ

1452 高陽院にて花の散るを見てよみ侍りける 肥後

萬世をふるにかひある宿なれやみゆきと見えて花ぞ散りける

1453 返事 二條關白内大臣

枝ごとの末まで匂ふ花なれば散るもみゆきと見ゆるなるらむ

1454 近衛司にて年久しくなりて後うへのをのこども大内の花見に罷れりけるによめる 藤原定家朝臣

春を經てみゆきに馴るる花の蔭ふりゆく身をもあはれとや思ふ

1455  最勝寺の櫻は鞠のかかりにて久しくなりにしをその木年經て風に倒れたるよし聞き侍りしかばをのこどもに仰せて異木をその跡に移し植ゑさせし時まづ罷りて見侍りければ數多の年々暮れにし春まで立ち馴れにけることなど思ひ出でてよみ侍りける 藤原雅經

馴れ馴れて見しはなごりの春ぞともなどしらかわの花の下蔭

1456 建久六年東大寺供養に行幸の時興福寺の八重桜盛んなりけるを見て枝に結びつける よみ人知らず

故郷とおもひな果てそ花櫻かかるみゆきに逢ふ世ありけり

1457 罷り居て侍りける頃後大寺左大臣白河の花見に誘ひ侍りければ罷りてよみ侍りける 源師光

いさやまた月日の行くも知らぬ身は花の春とも今日こそはみれ

1458 敦道のみこのともに前大納言公任の白河の家に罷りて又の日みこの遣はしける使につけて申し侍りける 和泉式部

をる人のそれなるからにあぢきなく見しわが宿の花の香ぞする

1459 題しらず 藤原高光

見ても又またも見まくのほしかりし花の盛は過ぎやしぬらむ

1460 京極前太政大臣家に白河院御幸し給ひて又の日花の歌奉られけるによみ侍りける 堀河左大臣

老いにける白髪も花も諸共に今日のみゆきに雪と見えけり

1461 後冷泉院御時御前にて翫新成櫻花といへるこころををのこどもつかうまつりけるに 大納言忠家

櫻花折りて見しにも變らぬに散らぬばかりぞしるしなりける

1462 後冷泉院御時御前にて翫新成櫻花といへるこころををのこどもつかうまつりけるに 大納言經信

さもあらばあれ暮れ行く春も雲の上に散る事知らぬ花し匂はば

1463 無風散花といふ事をよめる 大納言忠

櫻ばな過ぎゆく春の友とてや風のおとせぬよにも散るらむ

1464 鳥羽殿にて花の散りがたなるを御覽じて後三条の内大臣にたまはせける 鳥羽院御歌

惜しめども常ならぬ世の花なれば今はこのみを西に求めむ

1465 世を遁れて後百首歌よみ侍りけるに花歌とて

皇太后宮大夫俊成 今はわれ吉野の山の花をこそ宿のものとも見るべかりけれ

1466 入道前關白太政大臣家歌合に 皇太后宮大夫俊成

春來れば猶この世こそ忍ばるれいつかはかかる花を見るべき

1467 同家百首歌に 皇太后宮大夫俊成

照る月も雲のよそにぞ行きめぐる花ぞこの世の光なりける

1468 春頃大乗院より人に遣はしける 前大僧正慈圓

見せばやな志賀の唐崎ふもとなるながらの山の春のけしきを

1469 題しらず 前大僧正慈圓

柴の戸に匂はむ花はさもあらばあれ詠めてけりな恨めしの身や

1470 題しらず 西行法師

世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ

1471 東山に花見に罷り侍るとてこれかれ誘ひけるをさしあふ事ありて留りて申し遣はしける 安法法師

身はとめつ心はおくる山ざくら風のたよりに思ひおこせよ

1483 四月の祭の日まで花散り殘りて侍りける年その花を使の少將の挿頭に賜ふ葉に書きつけ侍りける 紫式部

神代にはありもやしけむ櫻花今日のかざしに折れるためしは

第十七 雜歌中
1616 五十首歌奉りし時 前大僧正慈圓

花ならでただ柴の戸をさして思ふ心のおくもみ吉野の山

1617 題しらず 西行法師

吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ

1665 百首歌奉りしに山家のこころを

攝政太政大臣 忘れじの人だに訪はぬ山路かな櫻は雪に降りかはれども

第十八 雜歌下 
1845b 題しらず 西行法師

ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ

第十九 神祇歌 
1906 熊野へ詣で給ひける時花の盛なりけるを御覽じて 白河院御歌

咲きにほふ花のけしきを見るからに神の心ぞ空に知らるる

ほととぎす

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ほととぎす

第三 夏歌 

189 題知らず 延喜御歌
夏草は茂りにけれどほととぎすなどわがやどに一聲もせぬ

190 題知らず 柿本人麿
なく聲をえやは忍ばぬほととぎす初卯の花のかげにかくれて

191 加茂に詣でて侍りけるに人のほととぎす鳴かなむと申しけるあけぼの片岡の梢をかしく見え侍りければ 紫式部
郭公こゑ待つほどはかた岡の森のしづくに立ちや濡れまし

192 加茂にこもりたる曉郭公の鳴きければ 辨乳母
郭公み山出づなるはつこゑをいづれの里のたれか聞くらむ

193 題しらず よみ人知らず
五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまたなかむかも

194 題しらず よみ人知らず(後鳥羽院)
おのがつま戀ひつつ鳴くや五月やみ神なび山の山ほととぎす

195 題しらず 中納言家持
郭公一こゑ鳴きていぬる夜はいかでか人のいをやすくぬる

196 題しらず 大中臣能宣朝臣
郭公鳴きつつ出づるあしびきのやまと撫子咲きにけらしな

197 題しらず 大納言經信
二聲と鳴きつと聞かば郭公ころもかたしきうたた寝はせむ

198 待客聞時鳥といへるこころを 白河院御歌
郭公まだうちとけぬしのびねは來ぬ人を待つわれのみぞ聞く

199 題しらず 花園左大臣
聞きてしも猶ぞ寝られぬほととぎす待ちし夜頃の心ならひに

200 神だちに郭公を聞きて 前中納言匡房
卯の花のかきねならねど時鳥月のかつらのかげになくなり

201 入道前關白右大臣に侍りける時百首歌よませ侍りけるに郭公の歌 皇太后宮大夫俊成
むかし思ふ草のいほりのよるの雨涙な添へそ山ほととぎす

202 入道前關白右大臣に侍りける時百首歌よませ侍りけるに郭公の歌 皇太后宮大夫俊成
雨そそぐ花たちばなに風すぎてやまほととぎす雲に鳴くなり

203 題しらず 相模
聞かでただ寝なましものを郭公なかなかなりや夜半の一聲

204 題しらず 紫式部
誰が里も訪ひもや來ると郭公こころのかぎり待ちぞわびにし

205 寛治八年前太政大臣高陽院歌合に郭公を 周防内侍
夜をかさね待ちかね山のほととぎす雲居のよそに一聲ぞ聞く

206 海邊郭公といふことをよみ侍りける 按察使公通 二聲と聞かずは出でじ郭公いく夜あかしのとまりなりとも

207 百首歌奉りし時夏歌の中に 民部卿範光
郭公なほひとこゑはおもひ出でよ老曾の森の夜半のむかしを

208 郭公をよめる 八條院高倉
ひとこゑはおもひぞあへぬ郭公たそがれどきの雲のまよひに

209 千五百番歌合 攝政太政大臣
有明のつれなく見えし月は出でぬ山郭公待つ夜ながらに

210 後徳大寺左大臣家に十首の歌よみ侍りけるに、よみて遣はしける 皇太后宮大夫俊成
わが心いかにせよとてほととぎす雲間の月の影に鳴くらむ

211 郭公のこころをよみ侍りける 前太政大臣
ほととぎす鳴きているさの山の端は月ゆゑよりもうらめしきかな

212 郭公のこころをよみ侍りける 權中納言親宗
有明の月は待たぬに出でぬれどなほ山ふかきほととぎすかな

213 杜間郭公といふことを 藤原保季朝臣
過ぎにけりしのだの森の郭公絶えぬしづくを袖にのこして

214 題しらず 藤原家隆朝臣
いかにせむ來ぬ夜あまたの郭公またじと思へばむらさめの空

215 百首歌奉りしに 式子内親王
聲はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそぐ宵のむらさめ

216 千五百番歌合に 權中納言公經
ほととぎす猶うとまれぬ心かな汝がなく里のよその夕ぐれ

217  題しらず 西行法師
聞かずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉のむらだち

218 題しらず 西行法師
郭公ふかき峰より出でにけり外山のすそに聲の落ち來る

219 山家曉郭公といへるこころを 後徳大寺左大臣
をざさふく賤のまろ屋のかりの戸をあけがたに鳴く郭公かな

220 五十首歌人々によませ侍りける時夏歌とてよみ侍りける 攝政太政大臣
うちしめりあやめぞかをる郭公啼くやさつきの雨のゆふぐれ

235 五十首歌奉りし時 藤原定家朝臣
さみだれの月はつれなきみ山よりひとりも出づる郭公かな

236 太神宮に奉りし夏の歌の中に 太上天皇
郭公くもゐのよそに過ぎぬなり晴れぬおもひのさみだれの頃

237 建仁元年三月歌合に雨後郭公といへるこころを 二條院讃岐
五月雨の雲間の月の晴れゆくを暫し待ちけるほととぎすかな

244 題しらず よみ人知らず
郭公はなたちばなの香をとめて鳴くはむかしの人や戀しき

248 堀河院御時きさいの宮にて閏五月ほととぎすといふといふこころをおのおこども仕うまつりけるに 權中納言國信
郭公さつきみなづきわきかねてやすらふ聲ぞそらに聞ゆる

第五 秋歌下 
456 題しらず 善滋爲政朝臣
郭公鳴くさみだれに植ゑし田をかりがねさむみ秋ぞ暮れぬる

第十一 戀歌一 
1043 五月五日馬内侍に遣はしける 前大納言公任
時鳥いつかと待ちし菖蒲草今日はいかなるねにか鳴くべき

1044 返し 馬内侍
さみだれはそらおぼれする時鳥ときになく音は人もとがめず

1045 兵衞佐に侍りける時五月ばかりによそながら物申しそめて遣はしける 法成寺入道前攝政太政大臣
時鳥こゑをば聞けど花の枝にまだふみなれぬものをこそ思へ

1046 返し 馬内侍
時鳥しのぶるものをかしは木のもりても聲の聞えけるかな

1047 郭公鳴きつるは聞きつやと申しける人に 馬内侍
心のみ空になりつつほととぎす人だのめなる音こそなかるれ

第十六 雜歌上
1484 いつきの昔を思ひ出でて 式子内親王
ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ

1485 左衞門家通中將に侍りける時祭の使にて神館にとまりて侍りける曉齋院の女房の中より遣はしける よみ人知らず
立ち出づるなごりありあけの月影にいとどかたらふ時鳥かな

1475 題しらず 法印幸
世をいとふ吉野の奧のよぶこ鳥ふかき心のほどや知るらむ

1487 三條院御時五月五日菖蒲の根を時鳥のかたに作りて梅の枝に据ゑて人の奉りて侍りけるをこれを題にて歌仕うまつれと仰せられければ 三條院女藏人左近
梅が枝にをりたがへる時鳥こゑのあやめも誰か分くべき

切出歌 夏歌
212b  郭公のこころをよみ侍りける 顯昭法師
時鳥むかしをかけて忍べとや花のね覺に一こゑぞする

244b 題しらず 増基法師
郭公花たち花のかばかりに鳴くやむかしの名殘なるらむ

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