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Channel: 新古今和歌集の部屋
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御伽草子酒呑童子の新古今和歌集 我立つ杣

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御伽草子 酒呑童子

どうじあまりのうれしさに、ゑいほれ申けるやうは、
それがしがいにしへをかたりてきかせ申べし。ほんごくはゑちごのもの、やま寺そだちのちごなりしが、法しにねたみあるにより、あまたのほうしをさしころし、そのよにひえの山につき我すむ山ぞと思ひしに、傳教といふほうしほとけたちをかたらひて、わがたつそまとてをひいだす。力をよばず山をいで、 又此みねにすみしときこうぼう大しといふゑせもの、ふうじてこゝをもをひいだせば、力をよばぬ處に、今はさやうのほうしもなし。かうやの山ににうぢやうす。今又こゝにたちかへり何の子細も候はず。都よりもわがほしき上らう達をめしよせて、思ひのまゝにめしつかひ、ざしきのていを御らんぜよ。るりのくうでんたまをたれ、いらかをならべたておきて、ばんぼく千そうまのまへに、春かと思へば夏も有、秋かと思へば冬も有。かゝるざしきのそのうちに、鐵の御所とてくろがねにて屋かたをたて、よるにもなればそのうちにて、女房たちをあつめおき、足手さすられおきふし申が、いかなる諸天わうの身なりとも、これはいかでまさるべき。
され共心にかゝりしは、都の中にかくれなき、らいくわうと申て大あく人のつはものなり。力は日本にならびなし。又らいくわうがらうとうに、さだみつ、すゑたけ、きんとき、つな、ほうしやう、いづれもぶんぶ二だうのつはものなり。これら六人の者どもこそ心にかゝり候なり。それをいかにと申に、すぎつる春の事なるに、それがしがめしつかふいばらきどうじといふ鬼を、都へつかひにのぼせしとき、七条のほりかはにてかのつなに渡りあふ。いばらきやがて心えて女のすがたにさまをかへ、つながあたりにたちより、もとどりむずととり、つかんでこんとせしところ、つな此よしみるよりも、三じやく五すんするりとぬき、いばらきがかたうでをみづもたまらずうちおとす。やう/\武略をめぐらして、かいなを取かへし、今はしさいも候はず。きやつばらがむつかしさに、われはみやこにゆくことなし。

※わがたつそまとて
巻第二十釈教歌 伝教大師
阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわがたつ杣に冥加あらせたまへ


秋歌上 西行三夕 筆者不明コレクション

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 心なき身に――――もあはれは
しられけり
    しぎたつさはのあきの夕
             暮

新古今和歌集 巻第四秋歌上
西行法師
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮

落款 寛
不明

平成28年3月17日 參點參

盛衰記絵抄

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盛衰記絵抄

玉塵園雪佳(抄録)
玉陽斎国春(画)
嘉永三年(1850年)刊


歌川国春(享和三年(1803年) -天保十年(1839年))江戸時代中後期浮世絵師。
二代目歌川豊国の門人。姓は福田、幼名は冠之助、後に佐兵衛。俗称は具足屋佐兵衛。玉陽斎、山風亭と号す。文政二年(1819年)に二代目歌川豊国の門人となった。歌舞伎役者嵐冠十郎の長男で、自身も文政七年(1824年)、江戸市村座で二代目嵐徳三郎を襲名している。文政十年(1827年)の夏までは役者番付に名が見られるが、その後病弱により役者を廃業し、文政十一年の春から絵に専念した。文政十二年(1829年)3月頃と推定される「国春」の名の披露目の摺物が確認されている。これは師の二代目豊国が絵を描き、七代目市川團十郎らが句を寄せたものである。主に役者絵を描く。後に人形町に版元具足屋を開き、出版者として浮世絵版行に携わった。享年37。


立命館大学ARC

神祇歌 熊野御幸 伝蜷川新右衛門さん筆コレクション

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太上○○

いはにむすこけふみならすみ○○○○

山のかひあるゆくすゑもかな

新宮にまうつとてくま野川にて

くま野川くたすはやせのみなれ棹

さすかみなれぬなみのかよひち

白河院くまのにまうて給へりける

御ともの人々しほやの王子

 

新古今和歌集 巻第十九神祇歌

熊野へ參りて奉り侍りし 太上天皇
岩にむす苔ふみならすみ熊野の山のかひある行末もがな

読み:いわにむすこけふみならすみくまののやまのかひあるゆくすえもがな

本歌:わびしらにましらな鳴きそ足引きの山のかひある今日にやはあらぬ(古今集俳諧歌 凡河内躬恒)

新宮に詣づとて熊野川にて 太上天皇
熊野川くだす早瀬のみなれ棹さすが見なれぬ浪のかよひ路

読み:くまのがわくだすはやせのみなれざおさすがみなれぬなみのかよいじ

備考:新宮は、熊野速玉神社

本歌:大井川下す筏のみなれ棹見慣れぬ人も恋しかりける(拾遺集恋一 よみ人知らず)



智蘊(? - 文安5年(1448年))。室町時代中期の幕府官僚、連歌師。俗名は蜷川親当、通称新右衛門、法名は五峰という。
一休宗純との親交により広く知られる。
漫画一休さんの蜷川新右衛門のモデル。

和歌を正徹に学ぶ。正徹の『正徹物語』下巻「清巌茶話」は彼の聞書きとされている。

連歌では、永享5年の「永享五年北野社一日一万句連歌」を初出として、多くの連歌会に参加。宗砌と共に連歌中興の祖と呼ばれた。連歌集に『親当句集』があるほか、『竹林抄』『新撰菟玖波集』に入集している。宗祇が選んだ連歌七賢の一人。


平成28年3月27日 肆

盛衰記絵抄 納涼

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             三浦介
               義
               澄

三浦十郎義連
上総介廣常
岡崎四郎義
    實等
    候○
            国春画
          養和元年六月
          十九日佐殿納
          涼の御慰として
          三浦介義澄ら
          館へ渡御の図

盛衰記絵抄 瑠璃御前

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          牛若丸
          浄瑠璃御冉○
           のと人通ひ
             賜ふ
               圖


             国春画


瑠璃物語

中世後期の物語草子。《十二段草子》《浄瑠璃十二段》とも。室町中期の成立か。作者不詳。12段よりなる。金売吉次に連れられて奥州へ下る牛若が,三河矢矧(やはぎ)の長者の娘浄瑠璃御前と結ばれる恋物語。
人形浄瑠璃の語源。

和漢朗詠集 蘭 都良香 筆者不明掛軸コレクション

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和漢朗詠集

蘭(ふぢばかま)

凝 如 周 女

 顔施粉滴

  似鮫人眼

    泣珠



凝如周女顔施粉 凝りては周女の顔に粉を施すが如く、
滴似鮫人眼泣珠 滴りては鮫人の眼に珠を泣くに似たる。
紅蘭受露 都良香




平成28年3月26日 伍點伍聿

和漢朗詠集 蘭 素性 筆者不明掛軸コレクション

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和漢朗詠集
蘭(ふじばかま)

ぬししらぬかこそ
 にほへれあきの
  野にたかぬき
   架けしふち
     はかまそも



古今和歌集 巻第四秋歌上
  藤ばかまをよめる
        素性法師
主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に
誰が脱ぎかけしふぢばかまぞも

平成28年3月26日 伍點伍聿


盛衰記絵抄 頼朝兄弟

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頼朝公は義朝の三男母は熱               義つね
田大宮司季範女久安四年尾  範頼           母は九
張國にて生れ白旗丸と号                條雑色
す平治                       常磐幼名
元年                        舎那王丸
正三位 白旗丸                   又牛若丸
惣追  後頼朝                  元暦元年左
補使                       衛門尉文治
建久三年征夷大将軍権               元年検非違
大納言右大将正治元年正月十三日            使判官
五十三歳にて薨ず。 範頼母は遠州の人        文治四年
平治の乱の後同州蒲に隠る元暦元年三河         高舘に
守に任じ建久四年六月鎌倉濱屋鋪にて自殺す  義経   て自害


京都市伏見区西奉行町常磐就捕處

恋一 真木の下葉の忍恋 筆者不明コレクション

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北野宮の歌合に忍恋の心を
         太上天皇

        わが恋は
袖の色      まきの下
  に         葉
             に
  いて       もる
   めや       時雨
            ぬる
             とも


新古今和歌集 巻第十一恋歌一
 北野宮歌合に忍恋の心を
          太上天皇
わが恋はまきの下葉にもる時雨ぬるとも袖の色に出でめや

読み:わがこいはまきのしたばにもるしぐれぬるともそでのいろにいでめや

本歌:時雨の雨間なくし降れば真木の葉もあらそひかねて色づきにけり

備考:北野宮歌合 元久元年十一月十一日

平成28年3月26日 參點七

古今集・新古今集 久松濳一編

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古今集・新古今集

編者:久松濳一
発行:至文堂
初版:昭和23年8月5日


高等学校の副読用

盛衰記絵抄 清盛

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    清盛入道
    桓武天皇十
    代平正盛の子


   備後守忠盛長承
元年洛外鴨川東徳長壽院
三十三間堂建立仁平三年正月
十五日五十八歳にて卒す正盛
の子清盛元永元己亥年に生れ平
治元年十二月二十七日安藝守より
播磨守に任じ太宰大貳にいたる元暦
元年正三位參議に補せられ同二年
右衛門督検非違使別當権中納言に任じ
長寛三年権大納言仁安元年内大臣
同二年太政大臣に經のぼり兵杖髄
身をゆるされ同三年十一月十一日五十
一歳病によつて薙髪清海とあらため
養和元年二月四日六十四歳にて薨ず

恋歌一 難波潟

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     難波かた
    みしかき葦の
    ふしのまも

逢はて この世を過
 くしてよとや 伊勢

新古今和歌集 巻第十一恋歌一

 題しらず

難波潟短き葦の節の間も逢はでこの世をすぐしてよとや

読み:なにわがたみじかきあしのふしのまもあわでこのよをすぐしてよとや





大阪府高槻市奥天神町1丁目の伊勢寺

春歌下 入相鐘落花

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やまざとの
 はるの夕ぐれ
  きてみれば
いりあひの鐘に
  花ぞちりける
       能因


新古今和歌集 巻第二春歌下
 山里にまかりてよみ侍りける
         能因法師
山里の春の夕ぐれ来て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける



読み:やまざとのはるのゆうぐれきてみればいりあひのかねにはなぞちりける


意味:山里に春の夕暮れ時桜を見に来てみれば、夕日が沈む時を告げる鐘が響き渡って、その音に誘われるように花が散っていました。



作者:のういん988~?俗名橘永やす。出家して摂津古曾部に住んだので古曾部入道と呼ばれる。藤原長能に和歌を学び、諸国を行脚し、歌枕を訪ねた。




高槻市古曽部町3丁目10
緯度経度34.860673,135.623238

布引の滝 布引、芦屋 後鳥羽院

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  後鳥羽院御製

布引のたきのしらいと
      うちはへて

   たれ山かぜに
    かけてほすらむ

蛍とぶあしやの
   浦のあまのたく

 一夜もはれぬ
     五月雨のそら

最勝四天王院障子和歌 建永二年(1207年)
     後鳥羽院

  布引の滝
布引の滝の白糸うちはへて誰山風に掛けて干すらむ

  芦屋の里
螢飛ぶ芦屋の浦の海士の焚く一夜も晴れぬ五月雨の空


続後撰和歌集 巻第十六雑歌上

名所歌めしけるついでに 後鳥羽院

布引のたきのしらいとうちはへてたれ山かぜにかけてほすらむ

 


盛衰記絵抄 仏御前、祇王、祇女

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祇王祇女姉妹は都の六條堀川のものにて一たび清盛公の見参に入りて
より寵愛千人の美女も一人にとゞ まり玄宗の貴妃に拾るに同じ
其ころ佛御前と  佛御前
いふ白拍子清
盛公に召され
徳是北辰椿
葉影再改
尊猶南面
松花色と朗詠
を舞ふ清盛魂
○○○色○○佛に
うつりいつとなく祇王姉妹は
秋の薄衣とすてられば祇王

かくぞ○
√もえいずるもかるゝも
おなじのべの草いづれか     祇王

 

秋にあはではつべきと書のこ
して尼になり姉妹嵯峨       祇女
野のおく往生院に入し○
佛も此歌に感じて同じく
尼になり嵯峨のゝおくへ○
三人ともに○○○まして居たりしとぞ


新撰朗詠集
大江朝綱
徳ハ是レ北辰、椿葉之影再ビ改マル、尊ハ猶ホ南面、松花之色十廻
延慶本
もえいづるもかるるもおなじのべのくさいづれかあきにあはではつべき

恋歌三 待宵小侍従

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新古今和歌集 巻第十三恋歌三

 題しらず
   小侍従

 待つ宵
   に更け

ゆく鐘の声聞けば

  あかぬ
 わかれの鳥
はものかは

読み:まつよいにふけゆくかねのこえきけけばあかぬわかれのとりはものかは

待宵小侍従者紀氏武内宿禰苗裔岩清水別

 

盛衰記絵抄 平忠度

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薩摩守忠度は平相國入道の   △▲しらずと書かれたり後
舎弟也壽永二年七月廿七都を        元暦元年二月
落る時俊成卿の館を○○ひて        二日一の谷の
此度撰集の御沙汰あるべき由承る      合戦に岡部
生涯の面目に一首なりとも御恩に      六弥太が為に
預り○○とて○詠みおかれし哥     討れ給ふ生年四十
どもの中秀哥とおぼしきを百余首     一才箙に短冊を
書集められたる              付られたり旅
巻物を贈り                宿の花といふ
給ふ其後                    題にて
世しず                     行暮て
まり                      木の下
て▲     六弥太が            陰を宿と
          郎党              

 ▼千載集を撰せらるに            せば花や
  件の巻物の中さりぬ             今宵の
  べき哥どもいくつも             主なる
  有けれども其身               べし
  勅勘の人なればとて               ×
 名字を省き                  岡部
 著はさ○古郷の                 六弥
花といふ題にて                   太
 さゞ浪や志賀の都は             ×此哥
  あれにしをむかしながら          にて早く
      の山桜かな             忠度卿
      此歌一首入て   薩摩守      とは知
       讀人△▲      忠度    られしと
                         なり

百人一首 歎きつつ 伝道澄筆色紙コレクション

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   右大将道綱母

いかに   歎つゝ
  久    ひと
  し      り
   き ぬる夜
ものと     の
  かは   あくる
   しる    まは

歎きつつ一人寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る

平成28年4月4日 壱點壱

盛衰記絵抄 那須与一

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      那須与一宗高は
       下野國の住人なり元暦
      二年二月廿八日八島
       合戦の刻平家の方
      より飾りたる船一艘汀へ
       漕よせ渚に向かひ
     舩のへさき
    の○長き
   竿の先に日の
  丸畫たる扇をゆひ
附けて建礼門院の后立の
とき千人のうちより撰ばれたる

玉虫の前といふ美女柳五重に
紅の袴着て袖笠被ぎて立てり
○源氏方に是を見て○は
此扇を射るものありやとて○
○○んと義経与一に命じて
是を射て落とすべしといふ与一
畏りて海中に馬を乗り入れ
矢頃をはづみ兵と射    那須
るにあやまらず彼扇の    与一
要をふつと射切たり      宗高
与一此時生年十七才敵も
味方もあつとばかり感○
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