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Channel: 新古今和歌集の部屋
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百人一首 やすらはで 伝道澄筆色紙コレクション

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     赤染衛門

やすらはて

 ねなまし物を

   さよふけ○

  かたふくまて
        の
   月をみし
      かな


やすらはで寝なまし物を小夜更けて傾くまでの月をみしかな


平成28年4月3日 壱


盛衰記絵抄 武蔵坊弁慶

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武藏坊弁慶は出雲の国の   ▲せしに冨樫にあやしまれ院宣を
産にて幼稚の時より出家し      逆に勧進帳の文に讀みし
同州鰐淵山に登り              難なく義経を奥
又播州の書冩                     州へ
山に至り修行し                    下向
後比叡山の西                    せしむ 
塔の武蔵坊に                    文武の
居て碩学の                      英名
功を尽す終に                   世に知る
志を起し義経に                   所なり
随ひて所々の合戦
に有名を顕し後義経が奥州落ちのとき     玉塵園雪佳抄録
山伏に姿をかへて安宅の関越えんと▲     玉陽斎国春図画

百人一首 百敷きや 伝道澄筆色紙コレクション

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   順徳院

もゝし   猶あ
  き    まり
   や    ある
 ふるき
   軒  むかし
はの     なり
 忍ふに    けり
   も



百敷きや古き軒場の忍ぶにもなほ余りある昔なりけり


平成28年4月3日 壱點壱

古今集遠鏡

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古今集遠鏡 全六巻
本居宣長 著


文化十三年 刊








仮名序


巻第一春歌上


巻第七賀歌


謡曲 張良

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張   良

                           四・五番目物 霊験物 観世信光作

漢の高祖の臣張良が夢の中で、下ひの土橋で行き会った馬上の老人が沓を落とし、取って履かせよと命じられ、そのとおりにすると老人は五日後に兵法の大事を教えると告げ夢が覚めた。
五日後に行ってみると遅参を責められ、更に五日後に来いと命じて消えうせた。張良は五日後夜明け前に到着して老人を待つと黄石公と名乗り、再度心を試し沓を川へ落とす。張良は川に飛び込むが大蛇が現れ、剣を抜いて立ち向かうと恐れて、沓を差し出す。黄石公は喜び兵法の秘書を授ける。大蛇は観音菩薩の再誕で、張良の守護神になると告げて雲の中へ消え、黄石公は高山に登り石となる。

ワキ 瑶臺霜滿てり、一聲の玄鶴空に唳き、巴狭秋深し、五夜の哀猿月に叫ぶ、物すさましき山路かな。

同 有明の、月も隈なき深更に、月も隈なき深更に、山の峡より見渡せば、所は下ひの河波に、渡せる橋に置く霜の、白きを見れば今朝はまだ、渡し人の跡もなし、嬉しや今はゝや、念ふ願ひも滿つ潮の、曉かけて遙に、夜馬に鞭打つ人影の、駒を駛むる氣色あり。
 

※渡せる橋に置く霜の、白きを見れば
巻第六 冬歌 620 中納言家持
題知らず
鵲のわたせる橋に置く霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける

十訓抄 夕陽丘

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十訓抄第十 可庶幾才藝事
十ノ五十三


近くは、壬生の二位家隆卿、八十にて、天王寺にて終り給ひける時、三首の歌をよみて、廻向せられける。
臨終正念にて、その志、むなしからざりけり。
そのうち一首にいはく、

契りあれば難波の里に移り來て波の入り日を拝みつるかな

寶日上人といひし人の、無常の古歌三首を、日の所作に詠じて、往生の素懷をとげ給ひけるも、そのことわり、たがはずこそ。

十訓抄 朝倉や

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十訓抄第一 可施人惠事
一ノ二

天智天皇、世につつみ給ふことありて、筑前の國上座の郡朝倉といふ所の山中に、黒木の屋を造りておはしけるを、木の丸殿といふ。圓木にて造るゆゑなり。

今、大嘗会の時、黒木の屋とて、北野の齋場所に造る、かの時のためしなり。民をわづらはさず、宮造りも倹約なるべきといふよしなり。唐堯の宮に土の階をもちゐぬ、萱の軒を切らざりけるためしなり。

さて、かの木の丸殿には用心をし給ひければ、入來の人、必ず名のりをしけり。

朝倉や木の丸殿にわがおれば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ

これ、天智天皇の御歌なり。これ、民ども聞きとどめて、うたひそめたりけるなり。その國々の風俗ども、えらび給ひける時、筑前の國の風俗の曲にうたひけるを、延喜の帝、神樂の歌ども加へられけるに、うたひそへられたりけるなり。其駒も同じ御時加へられたるとぞ。

朝倉にとりては、めでたき曲なり。昔よりかたみにゆづりて、上手にうたはせむとするなり。ことかき、すががきを掻くに、拍子ばかりをうちて、上下、臈をいはず、堪能のものにゆづりて、かれがうたふを待つなり。暑堂の御神樂に、齊信、公任、本末の拍子とられける時も付歌にて、定頼ぞ朝倉をばうたはれる。

 

※朝倉や
巻第十七 雑歌中 1687 天智天皇御歌
題しらず

謡曲 梅枝

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梅   枝

                            四番目物・執心女物 作者不明

身延山僧が行脚の途中、摂津の住吉の浦でにわか雨に会い、庵に宿を求め、室内に舞楽の太鼓、衣装があるの不思議に思い、女主人に尋ねると、昔天王寺の伶人浅間と住吉の伶人富士が内裏で管弦の役を争い、富士が太鼓を賜った事を恨んだ浅間は、富士を殺害した。富士の妻は嘆き悲しみ、太鼓を打って慰めていたが、その妻も死んでしまったと語り、弔いを勧める。僧は妻の縁者かと尋ねると、遠い昔の物語だと答え、恋慕の執心の深いことを告げ、執心救済を頼んで消えた。里の男が僧の問いに答え、萩原の院の時に起こった浅間と富士の芸道遺恨による殺人事件を語り、富士夫妻の回向を勧める。その夜女人成仏を約束する法華経を一心に手向けると、
舞台の衣装を着けた妻の霊が現れ、恋慕のあまり亡夫の形見のまとい太鼓を打った生前を回想し、僧が懺悔の舞を勧めると、女は夜半楽の奏し越天楽今様を歌い、夜明けとともに消えた。

 

ワキ 夫佛法樣々なりと申せども、法華はこれ最第一

ツレ 三世の諸佛の出世の本懷、衆生成佛の直道なり

ワキ なかむづく女人成佛疑ひ有べからず。

ワキ・ワキヅレ 一者不得作梵天王、二者帝釈三者魔王、四者轉輪聖王、五者佛身云何女身。

同 速得成佛、なに疑ひかありそ海の、深き執心を、晴らして浮かび給へや。

同 或は若有聞法者、或は若有聞法者、無一不成佛と説き、一度、此經を聞人、成佛せずといふ事なし、唯頼め頼もしや、弔ふ、燈の影よりも、化したる人の來りたり、夢か現か、見たり共なき姿かな。

 

※唯頼め
巻第十三 恋歌三 1223 前大僧正慈圓
攝政太政大臣家百首歌合に契戀のこころを
ただ頼めたとへば人のいつはりを重ねてこそは又も恨みめ


十訓抄 やさしき蔵人

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十訓抄第一 可施人惠事
一ノ十八

後大寺左大臣、小侍從と聞えし歌よみに通ひ給ひけり。ある夜、ものがたりして、曉歸りけるほどに、この人の供なりける藏人といふものに、いまだ入りもやらで、見送りたるが、ふり捨てがたきに、立ち歸りて、なにごとにても、いひて來とのたまひければ、

ゆゆしき大事かな

と思へど、程經べきことならねば、やがて走り入りて、車寄せに、女の立ちたる前についゐて、

申せと候ふ

とは、左右なくいひ出でたれど、なにともいふべしともおぼえぬに、をりしも里の鶏、聲々鳴き出でたりければ、

ものかはと君がいひけむ鳥の音のけさしもなどか悲しかるらむ

とばかりいひかけて、やがて走りつきて、車寄せにて、

かくこそ申して候ひつれ

と申しければ、いみじくめでられけり。

さてこそ、使にははからひつれとて、後にしる所などたびたりけるとなむ

上東門院の伊勢大輔が墨するほどに

けふ九重にといふ歌を案じ得、一間を居ざり出づるあひだに、

こはえもいはぬ花の色かな

の末の句を付けたりける、心のはやさにも、劣らずこそ聞ゆれ。

かの藏人は、内裏の六位などへて、やさしき藏人といはれけり。

 

※ものかはとの本歌
巻第十三 恋歌三 1191 小侍従 
題しらず

謡曲 松風

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松   風


                 三番目物・本鬘物 世阿弥作

一人の僧が須磨を訪ね、一本の松を見つけ、浦の男から行平が須磨に流されていた時に愛した松風、村雨という姉妹の墓標と教えられ、弔うと秋の日も暮れ、月が輝くと、二人の蜑が現れる。乙女たちは、蜑の身を嘆きつつ、浦の月を歌い、塩を汲み、塩屋に帰ってくる。僧は、浜辺の事を話し行平の歌を口ずさむと二人は涙ぐみ、松風、村雨の霊であると告げ、行平に愛され、三年後に行平は都に帰り亡くなり、自分たちも死んでしまったが、行平への思慕が死後もつのると語る。やがて二人は僧に回向を願い、なおも昔語りを続けるうち、懐かしさから、行平の形見の衣を抱きしめ、涙を流しながら舞を舞う。やがて二人は弔いを頼み、波風に消え失せた。

 

シテ 面白や馴れても須磨の夕間暮、蜑の呼び聲幽かにて

二人 沖に小さき漁り舟の、影幽かなる月の顏、雁の姿や友千鳥、野分鹽風いづれも實、かかる所の秋なりけり、あら心凄の夜すがらやな。

シテ いざ/\鹽を汲まむとて、汀に滿ち干の鹽衣の

ツレ 袖を結んで肩に掛け

シテ 鹽汲むためとは思へ共

ツレ よしそれとても

シテ 女車

同 寄せては歸る片男波、寄せては歸る片男波、蘆べの田鶴こそは立騷げ、四方の嵐も音添へて、夜寒何と過ごさむ、更行月こそさやかなれ、汲むは影なれや、燒鹽煙心せよ、さのみなど蜑人の、憂き秋のみを過ごさむ。

同 松島や、小島の蜑の月にだに、影を汲むこそ心あれ、影を汲むこそ心あれ。

地 運ぶは遠き陸奧の、其名や千賀の鹽竈

シテ 賤が鹽木を運びしは、阿漕が浦に引鹽

地 其伊勢の海の二見の浦、二度世にも出ばや

シテ 松の村立霞む日に、鹽路や遠く鳴海潟

地 それは鳴海潟、爰は鳴尾の松陰に、月こそ障れ蘆の屋

シテ 灘の鹽汲む憂き身ぞと、人にや誰も黄楊の櫛

地 さしくる鹽を汲み分けて、見れば月こそ桶にあれ

シテ 是にも月の入りたるや

地 嬉しやこれも月有

シテ 月はひとつ

地 影はふたつ、みつしほの、よるの車に月を載せて、憂し共思はぬ、鹽路かなや

 

灘の鹽焼…誰も黄楊の櫛
第十七 雑歌中 1588 在原業平朝臣
題しらず
葦の屋の灘の鹽やき暇なみ黄楊のをぐしもささず來にけり

美濃の家づと1 春歌上

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 春歌上

春たつ心をよみ侍ける    攝政太政大臣

みよし野は山もかすみてしら雪のふりにし里に春は來にけり

めでたし。詞めでたし。初句はもじ、いひしらずめで

たし。のともやともあらむは、よのつねなるべし。

春のはじめの御歌      太上天皇御製

ほの/"\と春こそ空に來にけらし天のかぐ山かすみたな引

初ノ御句、かすみたな引へかゝれり。二の句へつゞけては心得べ
からず。空とあるを重く見て、山の名の天といふと、
相照してみべし。此集の比の歌は、すべてかゝるところに、
こゝろをこめたる物なり。

百首ノ歌奉りし時春の歌     式子内親王

山ふかみ春ともしらぬ松の戸をたえ/"\かゝる雪のたま水

めでたし。詞めでたし。下句はさら也。春ともしらぬ

松つゞきたるも、趣の外のあまりのにほふなり。

五十首ノ歌奉りし時        宮内卿

かきくらし猶ふる里の雪のうちに跡こそ見えね春は來にけり

四の句、雪なほふる故に、來つる跡はなけれどもなり。
春はといへるに、人は來ぬこゝろあらはれたり。

入道前關白右大臣に侍りける時百首歌よませ侍けるに
立春のこゝろを    皇太后大夫俊成

けふといへばもろこしまでもゆく春をみやこにのみとおもひける哉

二三句、かの大貮三位が歌とはやうかはりて、くちをし。立春
の歌に、ゆく春とはいかゞ。三月盡の歌にもなりぬべし。これらも

よさまにたすけていはばいふべけれど、今ノ人のかくよみたらん
には、たれかゆるさむ。などたつ春とはよまれざいけむ。

題しらず                西行法師

岩間とぢし氷もけさはとけそめて苔の下水道もとむらむ

初句もじあまりいと聞ぐるし。此法師の歌、此病つねに
おほし。道もとむらむ、よせなし。されどかゝる所此法
師の口つきにて、こと人はえいはぬことなり。

十訓抄 秀歌

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十訓抄第一 可施人惠事
一ノ三十六

近ごろの歌仙には、民部卿定家、宮内卿家隆とて、一雙にいはれけり。そのころ、われもわれもとたしなむ人多けれど、いづれも、この二人には及ばざりけり。

ある時、後京極攝政、宮内卿を召して、

この世に歌詠みに多く聞ゆるなかに、いづれか勝れたる。心に思はむやう、ありのままにのたまへ

と御尋ねありけるに、

いづれも分きがたく

と申して、思ふやうありけるを

いかに/\

と、あながちに問はせ給ひければ、ふところより畳紙を落して、やがて罷り出でけるを、御覽ぜられければ

明けばまた秋のなかばも過ぎぬべしかたぶく月の惜しきのみかは

と書きたりけり。

これは民部卿の歌なり。かねて、かかる御尋ねあるべしとは、いかでか知らむ。もとよりおもしろくて、書きて持たれたりけるなめり。

これら用意深きたぐひなり。

謡曲 蝉丸

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蝉   丸

                    四番目物 狂女物 作者不明

延喜帝は、侍従の清貫に命じて盲目の第四皇子蝉丸を逢坂山に捨てさせる。清貫は宮を出家させ、蓑と笠と杖を与え立ち去る。前世の報いと諦める宮とそれを憐れんだ博雅三位が藁屋を用意し、見舞うことを約束して立ち去り、宮はただ一人琵琶に心を慰めていた。一方三宮の逆髪は、心が乱れ宮中を逐われ彷徨い逢坂山に辿り着き、水鏡に映る自分のあさましい姿を見る。そのうち蝉丸が弾ずる琵琶の音に魅かれ、藁屋に近づき、思いもかけず弟と姉が知り合い、お互いが手を取り再会を喜び、宿業を嘆き合う。やがて逆髪は別れを告げ立ち去り、涙の蝉丸は、姉宮を見送る。

 

せみ丸 第一第二の絃は索々として秋の風、松を拂つて疎韻おつ、第三第四の宮は、我蝉丸が調べも四つの、折から成りける村雨かな、あら心凄の夜すがらやな。

せみ丸 世の中は、とにもかくにもありぬべし、宮も藁屋も、果てしなければ。

シテ 不思議やなこれなる藁屋の内よりも、撥音氣高き琵琶の音聞ゆ、そもこれ程の賤が屋にも、かかる調べの有りけるよと、思ふに付てなどやらん、世に懐かしき心地して、藁屋の雨の足音もせで、ひそかに立寄り聞居たり

せみ 誰そや此藁屋の外面に音するは、此程折々訪はれつる、博雅の三位にてましますか

シテ 近づき聲をよく/\聞けば、弟の宮の聲なるぞや、なふ逆髪こそ參りたれ、蝉丸は内にましますか

せみ 何逆髪とは姉宮かと、驚き藁屋の戸を明れば

シテ さもあさましき御有樣

せみ 互ひに手に手を取り交はし

シテ 弟の宮か

せみ 姉宮かと。

同 共に御名の夕つけの、鳥も音を鳴く逢坂の、せきあへぬ御涙、互ひに袖やしほるらん。
 

※世の中は、とにもかくにもありぬべし、宮も藁屋も、果てしなければ
第十八 雑歌下 1851 蝉丸
題しらず
世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ
江談抄 第三 63

 

美濃の家づと 一の巻 春歌上2

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述懷百首に若菜         俊成卿

澤におふるわかなならねどいたづらに年をつむにも袖はぬれけり

日吉社によみて奉りける子日の哥

さゝ波やしがのはま松ふりにけりたが世にひける子日なるらむ

子日の歌とは聞えず。下句、たが世の子日に引るならんと
いふべきを、さはいひがたき故にかくいへる、つねにあることなり。
されど子日は引べきにあらざればいかゞ。

百首ノ哥奉りし時      藤原家隆朝臣

谷川のうち出る波も聲たてつうぐひすさそへ春の山かぜ

めでたし。下句詞めでたし。本歌√谷風 にうち出る
浪や云々。√風のたよりにたぐへてぞ鴬さそふしるべにはやる。
波もこゑたてつるほどに、鴬をもさそひて、聲たてさせ
よと、山かぜにいへるこゝろなり。

家の百首ノ歌合に餘寒        摂政

空は猶かすみもやらず風さえて雪けにくもる春の夜の月

初句のなほといふ詞は、三四の句へかゝれり。もし霞みもやらず
といふへかけていふときは、まだといふなり。これにてなほと
まだとのけぢめを心得べし。霞にくもるべき春の月
の、雪けにくもるとなり。四の句にて然聞ゆ。月はたらかず。

和歌所にて春山月         越前

山深み猶かげさむし春の月空かきくもり雪はふりつゝ

春のこゝろはたらかず。猶をすむ。春をよはなどとかふれば、
冬月のさまなり。

十訓抄 不吉の歌

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十訓抄第一 可施人惠事
一ノ四十七

かやうの振舞のみにあらず、詩歌などにつけても、必ず禁忌の詞を除きて、越度なきやうに思慮すべきなり。

壬生忠岑、宣旨によりて、春の歌奉りけるに、

白雲のおりゐる山

とよみけるを、躬恆、ことに難じ申しけり。そののち、ほどなく世の中かはりにけり。

堀河院御會に、右大辨長忠に題を召したりければ、夢後郭公といふ題を奉りける。これまた、いくほどなく院かくれさせ給ひけり。

同じ御時、中宮の御方にて、花合といふことありけるに、越前守仲實が歌に、玉の身といふことをよめりける。いま/\しきことと、人申しけるほどに、宮、やがて失せ給ひけり。

周防内侍が郁芳門院の歌合に

わがしたもえの煙なるらむ

とよめりけるも、時の人、いかにとかや申しけるとぞ。

必ずしも、これによるべきかはと思へども、人のいひならはせること、捨てらるべきにあらず。詮は、かかる失錯をせじと思慮すべき。

近くは中御門攝政殿も

朝眠遅覺不開窓 朝眠遅く覚めて窓を開かず

といふ詩を作り給ひて、いくほどなく御とのごもりながら、頓死せさせ給ひにけるとぞ。


謡曲 船橋

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舟    橋

                   四番目物・執心男物 世阿弥作

熊野の山伏一行が陸奥平泉への途中上野国佐野の里の川辺で、橋建立勧進の男女に会い、佐野の舟橋の謂れを万葉集の歌を引いて語り、役行者の一言主命の逸話から行者こそ勧進に応ずべきと勧める。山伏は、万葉集の「佐野の舟橋とりはなし」は、「取り放し」か「鳥は無し」のどちらかと尋ねると、万葉集の逸話である若い男が人目をしのんで女に逢いに橋を渡っていたら親同士が橋を取り放していて男は死んでしまったことを語る。
その男女こそ自分たちと語り、弔いを頼み夕暮れの空に消える。その夜加持をする山伏たちの前に二人の霊が現れ、女は救いに喜び、男は妄執により成仏できぬと訴え、山伏の法力により成仏する。


シテ いかに客僧、橋の勧めに入て御通り候へ

ワキ 見申せば俗躰の身として、橋興立の心ざし、かえす/“\も優しうこそ候へ

シテ 是は仰とも覺えぬ物哉、必ず出家にあらねばとて、志の有まじきにても候はず、先勧めに入て御通り候へ

ワキ 橋の勧めには參り候べし、扨此橋はいつの御宇より渡されたる橋にて候ぞ

シテ 万葉集の歌に、東路の佐野の舟橋取り放しと、詠める歌の心をばしろしめし候はずや

ツレ いや左樣に申せば恥づかしや、身のいにしへも淺間山

シテ 焦がれ沈みし此川の

二人 さのみは申さじさなきだに、苦しび多き三瀬川に、浮かぶ便りの船橋を、渡してたばせ給へとよ。

ワキ 實々親し離くればの物語、さては古りにし船橋の、主を済けん其ためか

シテ 殊更これは山伏の、橋をば渡し給ふべし

ワキ そも山伏の身なればとて、とりわき橋を渡すべきか

シテ さのみな争ひ給そとよ、役の優婆塞葛城や、祈りし久米路の橋はいかに

女 譬ふべき身にあらねども、われも女の葛城の神

シテ 一言葉にて止むまじや、ただ幾度も岩橋の

女 など御心にかけ給はぬ

二人 去ながらよそにて聞くも葛城や、夜作るなる岩橋ならば、渡らんことも難かるべし。

同 是は永き春の日の、長閑き水の船橋に、さして柱もいるまじや、徒に朽果てんを、作り給へ山伏。

同 所は同じ名の、所は同じ名の、佐野のわたりの夕暮に、袖うち拂ひて、御通りあるか篠懸の、比も春也河風の、花吹き渡せ船橋の、法に往來の、道作り給へ山伏、峰々巡り給ふとも、渡りを通らでは、いづくへ行かせ給ふべき。

 

※よそにて聞くも葛城や
巻第十一 恋歌一 990 よみ人知らず
題しらず
よそにのみ見てややみなむ葛城や高間の山のみねのしら雲

※佐野のわたりの夕暮に、袖うち拂ひて
巻第六 冬歌 671 藤原定家朝臣
百首歌奉りし時
駒とめて袖うち拂ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ

美濃の家づと 一の巻 春歌上3

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詩をつくらせて歌にあはせ侍りしに水郷春望
                  左衛門督通光

みしまえや霜もまだひぬ芦の葉につのぐむほどの春風ぞふく

二の句は、霜のまだ消えぬをいへるか。然らば蘆の角ぐむばかり
の春風の吹むに、霜のきえぬこといかゞ。又ひぬとは、既にとけ
たる跡のかわかぬをいへるか。さては俄に春めきたるさまは、
さることもなけれども、とけていまだひぬを、たゞ霜もまだひぬ
といひては、言たらず。四の句、ばかりのといふべきをを、ほどの
といへるは、いやしき詞にちかし。

                    藤原秀能

夕月夜しほみちくらし難波江のあしのわか葉をこゆるしら波

下句詞めでてたし。夕月夜は、塩みちくらしに、時よせ
あり。又眺望にもかゝれり。若葉にてまだみじかき故に、波のこゆる
                             なり。

春のうた                 西行

ふりつみし高根のみ雪とけにけり清瀧川のみづのしらなみ

めでたし。詞めでたし。雪にきゆるといふと、とくると
いふとのけぢめ、此歌にてわきまふべし。此けりは、おし
はかりて定めたる意なり。水の白波、此集のころ、人の
好みてよむ詞なり。よき詞なり。此歌にては、水のまされりて、
波の高きさまによめるなり。水の濁れることにいへる説はひがごと。

百首ノ歌奉りし時            惟明親王

うぐひすのなみだのつらゝうちとけてふるすながらや春をしるらむ

                 前大僧正慈圓

天の原ふじのけぶりの春の色の霞になびく明ぼのの空

下句詞めでたし。上句のもじ五ツ重なりたる中に、
けぶりのは、俗言にけぶりがといふ意にて、餘ののとは異なり。
 四の句は、天の原はおしなべて春の色にかすめる故に、煙も
その霞へ立のぼるをいひて、家隆ノ朝臣の、波にはなるゝよこ
雲と同じさまなり。なびくとは、たゞ立のぼりてなびくさまを
いへるのみにて、なびくに意はなし。明ぼのよせなし。曙なら

ずとも同じことなるべければなり。但し此集の比は、春の哥
には、かくいつにても有べき事を、明ぼのとよめる。例のことなり。
今は心すべきわざぞ。空も、上に天ノ原とあれば、よくもあらず。

晩霞              後徳大寺左大臣

なごのうみの霞のまよりながむれば入日をあらふおきつしら波

初句のもじ、やとあるべき哥なり。此のながめは、かすみの
間ならでも同じことなれば、題の意はたらかず。

十訓抄 異名

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十訓抄第一 可施人惠事
一ノ四十八


また詩歌につけて、異名などつけらるゝことあり。

治部卿能俊は白河院、鳥羽殿の御會に、

月の中なる月をこそ見れ

とよみて、天變の少將といはれけり。

中納言親經卿は後鳥羽院詩歌合に

月自家山送我來 月、家山より我を送りて來たる

と作りて、山送りの辨とぞ付けられける。

かやうのこと、よく心得べし。同じ異名なれども、さむるうつゝの少將、待宵の小侍從などつけられたるは、優におぼゆかし。

謡曲 富士太鼓

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富 士 太 鼓

                   四番目物・狂女物 作者不明20-5

住吉社の楽人富士は、宮中の管弦の催しがあるので、太鼓の役を志願して京に上ったが、富士の妻が不吉な夢を見たため娘と共に上京し、夫の死を知る。天王寺の楽人浅間が押しかけた富士を恨み殺した。形見の鳥甲と舞衣を受け取り、引き止めるべきだったと悔やむ。やがて形見の衣を身に付け、狂乱の状態で、夫の敵と太鼓を娘と共に打つ。いつしか富士の霊が妻に憑依し、舞楽を舞う。夫の霊が去った後、夫を偲びつつ住吉へ帰っていく。

 

二人 雲の上なを遥かなる、雲の上なを遥かなる、富士の行ゑを尋ねむ。

女 是は津の國住吉の楽人、富士と申人の妻や子にて候、扨も内裏ん七日の管弦のましますにより、天王寺より楽人召され參るよしを聞、わらはが夫も太鼓の役

二人 世に隠れなければ、望み申さむ其爲に、都へ上りし夜の間の夢、心にかかる月の雨。

二人 身を知る袖の涙かと、明かしかねたる終夜。

二人 寝られぬままに思ひ立つ、寝られぬままに思ひ立つ、雲井やそなた故郷は、あとなれや住吉の、松の隙より詠むれば、月落かかる山城も、はや近づけば笠を脱ぎ、八幡に祈り掛帯の、結ぶ契りの夢ならで、現に逢ふや男山、都に早く着にけり、都に早く着にけり。


 

※身を知る袖の涙
第十四 恋歌四 1271 太上天皇
百首歌中に
忘らるる身を知る袖のむら雨につれなく山の月は出でけり


地 實や女人の惡心は、煩悩の雲晴れて、五常樂を打ち給へ

女 修羅の太鼓は打ち止みぬ、此君の御命、千秋樂と打たふよ

地 扨又千代や万代と、民も榮へて安穏に

女 太平樂を打たふよ

同 日もすでに傾きぬ、日もすでに傾きぬ、山の端を眺めやりて、招き返す舞の手の、嬉しや今こそは、思ふ敵は討たれ、討たれて音をや出すらん。我には晴るる胸の煙、富士が恨みを晴らせば、涙こそ上なかりけれ。

※晴るる胸の煙、富士が恨み
第十二 恋歌二 1132 藤原家隆朝臣
攝政太政大臣家百首歌合に
富士の嶺の煙もなほぞ立ちのぼるうへなきものはおもひなりけり

美濃の家づと 一の巻 春歌上4

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をのこども詩をつくりて歌に合わせ侍りしに水郷春望
                 太上天皇御製

見わたせば山本かすむみなせ川ゆうべは秋となにおもひけむ

此集秋清輔の√うす霧のまがきの花の朝じめり秋は
夕と誰かいひけむとある歌よりは、上ノ御句もまさり、又秋は
夕といふは、常のことなるに、夕は秋とあるは、こよなくめづらか也。

摂政家百首歌合に春曙         家隆朝臣

霞たつ末のまつ山ほの/"\と波にはなるゝ横雲のそら

詞めでたし。二三の句はさらなり。霞たつ末といひかけたり。
 末の松山を、浪のこゆる物にして、かくよめるなり。かやうの
趣は、此集のころのたくみの過ぎたるなり。霞たつとほの
ぼのとかけ合へり。 一首の意、横雲は、なべて峯に於(オイ)てはな
るゝ物なるに、是は浪の上に於(オイ)てはなるゝにて、上の慈圓大僧正の、霞になび

く烟と同じさま也。歌さまはいとめでたけてど、浪にはなるゝは心ゆかず。
或抄に、末ノ松山は、山ごしに海の見ゆる所なりといひてときたる
は、四の句を心得かねてのしひごとなり。

守覚法親王家五十首歌に      藤原定家朝臣

春の夜の夢のうきはしとだえして峯にわかるゝよこ雲の空

詞めでたし。とだえをいはむために、夢を夢のうき橋
とよみ玉へり。さて夢のとだえと、横雲のわかるゝとをたゝ
かはせたり。三の句の下に、見ればといふ言をそへ、峯にの下に、
ももじをそへて心得べし。又は、橋は峯に縁あれば、
四の句までを浮橋へつけて、横雲のわかるゝをも、すなはち

夢のさむるにしたるにもあらむか。歌さまのめでたきに
あはせては、春の夜の詮なし。夢のとだえに、夜のみじかきこと
を思はせたるべけれど、春のよのみじかきには、中/\に夢は
のこるべき物をや。

大空は梅のにほひに霞つゝくもりもはてぬ春の夜のつき

二三の句は、霞める空に、梅香のみちたるを、かくいひなせる
なり。四の句は、たゞ古歌の趣をとりて、春の月のさま也。
梅のにほひ、かけ合たる詞なき故に、はたらかず。此句をのぞきて、
たゞかすみつゝにても聞ゆればなり。或人の云、√大ぞらは
くもりもはてぬ花の香に梅さく山の月ぞかすめる、などあらま
                          ほし。

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