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Channel: 新古今和歌集の部屋
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十訓抄 ほめてはならない

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十訓抄第一 可施人惠事
一ノ五十七


われ、その能ありと思へども、人々にゆるされ、世に所置かるるほどの身ならずして、人のしわざも、ほめむとせむことをも、いささか用意すべきものなり。

三河守知房所詠の歌を、伊家辨、感歎して

優によみ給へり

といひけるを、知房、腹立して

詩を作ることはかたきにあらず。和歌のかたは、すこぶるかれに劣れり。これによりて、かくのごとくいはるゝ。もつとも奇怪なり。今よりのち、和歌をよむべからず

といひけり。

優の詞も、ことによりて斟酌すべきにや。これはまされるが、申しほむるをだに、かくとがめけり。いはむや、劣らむ身にて褒美、なか/\、かたはらいたかるべし。よく心得て、心操をもてしづむべきなり。

人の善をもいふべからず。いはむや、その悪をや。このこころ、もつとも神妙か。

ただし、人々遍照寺にて、山家秋月といふことをよみけり。その中に範永朝臣、藏人たる時の歌、

すむ人もなき山里の秋の夜は月の光もさびしかりけり

とありけり。件の懷紙の草案どもを、定頼中納言とりて、公任卿出家して居られたる、北山長谷といふところに遣はしたりければ、範永が歌を深く感じて、かの歌の端に

範永誰人哉、得其躰 範永、誰人や、その躰を得たり

と自筆にて、書きつけられたりけるを、範永、情感にたへず、その草案を乞ひ取りて、錦袋に入れて、寶物として持ちたりけり。

これこそ稱美のかひありと聞こゆれ。かやうのことは、よくいれたる人のすべきなり。


謡曲 野宮

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野   宮

                 三番目物・本鬘物 金春禅竹作

嵯峨野の野宮を訪れた諸国一見の僧の前に一人の女が現れ、ここは昔斎宮が仮に移られた野宮で、今日は九月七日で神事を行う日なので帰れと告げる。僧が謂れを尋ねると、昔光源氏がここに六条御息所を訪れた日で、源氏の愛を失った御息所が娘と共にここから伊勢へ下っていく話を語り、自分こそ御息所の霊と明かして消える。里の男から源氏の話を聞いた僧は、夜弔っていると、御息所が花車に乗って現れる。そして葵上との車争いの恥ずかしさと痛恨を述べ、源氏の訪問を思いつつ、懐旧の舞を舞い、再び車に乗って消え失せた。


女 花に馴れ來し野の宮の、花に馴れ來し野の宮の、秋より後はいかならん。

シテ 折しもあれ物のさびしき秋暮れて、猶萎り行く袖の露、身を砕くなる夕まぐれ、心の色はをのづから、千種の花に移ろひて、衰ふる身の慣ひかな。

シテ 人こそ知らね今日ごとに、昔の跡に立歸り。

シテ 野の宮の、森の木枯秋更て、森の木枯秋更て、身に沁む色の消かへり、思へばいにしへを、何としのぶの草衣、きてしもあらぬ假の世に、行き歸るこそ恨みなれ、行き歸るこそ恨みなれ。

 

※身に沁む
色の  第十五 戀歌五 1336 藤原定家朝臣
水無瀬の戀十五首の歌合に
白栲の袖のわかれに露おちて身にしむいろの秋かぜぞ吹く

美濃の家づと 一の巻 春歌上5

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百首ノ歌奉りし時            家隆朝臣

梅がかにむかしをとへば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる

いとめでたし。伊勢物語業平朝臣の√月やあらぬ云々
の歌の段ををもて、かの朝臣の心にてよめる歌なり。影ぞの
ぞもじ力あり。すべてかやうのぞには心をつけて見べき也。月
影の袖にうつるといふに、いよ/\昔を恋て、なく涙のかゝる意を
こめたり。月のこたへぬといひて、梅がかのこたへぬことも
聞えたるは、及びがたきいひざまなり。一首の意は、恋しき昔の
事を、かはらぬ梅がかにとへば、梅が香はこたへずして、月ぞこた
へがほなるを、それもこたへはせずして、其影の袖にうつるよと也。

千五百番ノ歌合に          右衛門督通具

梅花たが袖ふれしにほひとぞと春やむかしの月にとはばや

めでたし。詞めでたし。二の句、古き歌の詞也。此集
のころ、かのなりひらの朝臣の歌をとりて、春やむかしのといふ
ことをよめる歌おほし。そはなべての本歌とれるやうとは
かはりて 、此一句に、かの歌の一首の意をこめ、或は彼段の意を
もこめてとれり。こゝの歌にては、此四の句に、かの上ノ句の意をこめ
て、月は昔の春のまゝの月なれば、昔の事をもよくしり
たるべければ、昔たが袖ふれし名残のにほひぞと問むと也。

               皇太后宮大夫俊成卿女

梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月

めでたし。上ノ句めでたし。梅花あかぬ色かとつゞき
たるは、折てなりけるりの歌の詞なり。本歌といふには非ず。
すべて昔にてといふに二ツ有。むかしになりて、今は跡もなき
意と、又昔のまゝにてかはらぬ意となり。こゝなるは、後の意
なり。此歌もかの伊勢物語の意なり。あかぬとは、梅の
うへにいへれども、昔へもひゞかせたる物にて、あかぬむかしの意なり。
 一首の意は、此見る春の月は、あかぬむかしのかたみなるを、月
のみならず、梅の花の色香も、むかしのまゝにて、おなじかた
みなるぞ。

だいしらず                  西行

とめこかし梅さかりなるわがやどをうときも人はをりにこそよれ

上句、二三一と句を次第して聞べし。四の句は人はといふ詞は、
とめこかしの上につけて心得べし。下句此ほうしのふ
りなり。一首の意、うとき間(アヒダ)なりとてとはぬも、をりからにこそ
よることなれ。此梅花の盛なる我やどをば、うとき人なりとも、
香をとめてとひよかしと也。白楽天が詩の句引べし。

百首歌奉りしに春の歌        式子内親王

ながめつるけふはむかしになりぬとも軒ばの梅はわれをわするな

我なくなりて、昔の人になりぬとも、今日かくながめつることを

わするなとなり。梅はといへるはもじ心をつくべし。思ひ出る
人もあるまじきを、せめて梅はと聞えて、あはれ也。眞木
柱ノ巻に√今はとてやどかれぬともなれきつる槇の柱はわれを
わするな、とある歌より出たるべし。

十訓抄 俊成卿女連歌

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十訓抄第三 可侮人倫事
三ノ八
近ごろ、最勝光院に梅盛りなる春、ゆゑづきたる女房一人、釣殿の邊にたゝづみて、花を見るほどに、男法師などうちむれて入り來ければ、こちなしとや思ひけむ、歸り出でけるを、着たる薄衣の、ことのほかに黄ばみ、すすけたるを笑ひて、
花を見捨てゝ歸る猿丸
と連歌をしかけたりければ、とりあへず、
星まぼる犬の吠えるに驚きて
と付けたりけり。人々恥ぢて、逃げにけり。
この女房は俊成卿の女とて、いみじき歌よみなりけるが、深く姿をやつしたりけるとぞ。


古今集・新古今集評釈

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古今集・新古今集評釈
 ー語釈・文法・鑑賞

著者:松尾聡(古今)、吉岡曠(新古今)
発行:清水書院
初版:昭和56年6月30日

古今集
約160首(引用を含めると180首)を抄出し注釈・鑑賞を試みたもの。抄出に当たっては、高校の教科書などに採用されているもの。
底本は、体系(伝二条家相筆本)。
歌番号は、国歌大観。

新古今集
当代歌人の108首を抄出した。
春歌上下20首、夏歌10首、秋歌20首、冬歌10首、賀歌2首、哀傷歌2首、離別歌1首、羇旅歌3首、恋歌30首、雑歌8首、神祇歌1首、釈教歌1首。
底本は、全集(山崎宗鑑筆本)。
歌番号は、国歌大観。

俳句 吉野奥千本

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吉野
十萬四方

    我と櫻

吉野山奥千本にて

十訓抄 朋友

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十訓抄第五 可撰朋友事
五ノ三

後三条院、東宮にておはしましける時、学士實政朝臣、任国に赴きけるに、餞別の名殘、惜しませ給ひて
州民縦作甘棠詠 州民、縦ひ甘棠の詠を作すとも
莫忘多年風月遊 忘るゝこと莫れ、多年風月の遊
この意は、毛詩にいはく
孔子曰、甘棠莫伐、召伯之所宿也 孔子曰く、甘棠伐ること莫れ、召伯の宿りし所なり
といへることなり。
また、御歌
忘れずは同じ空とも月を見よほどは雲居にめぐりあふまで
君なれども、臣なれども、たがひに志の深く、隔つる思ひのなきは、朋友にひとしといへり。
 
忘れずは
巻第九 離別歌 877 後三条院御歌
みこの宮と申しける時大宰大貳實政學士にて侍りける甲斐守にて下り侍りけるに餞たまはすとて

美濃の家づと 一の巻 春歌上6

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土御門ノ内大臣ノ家にて梅香留袖
               藤原有家朝臣

散ぬればにほひばかりをうめの花ありとや袖に春風ぞふく

めでたし。詞めでたし。二の句のをもじ、なる物をといふ
意なり。散ぬればとは、手折て持たる梅花の散しをいふ。さ
やうに見ざれば、袖にといふことよせなし。心をつくべし。手折持

ちたることは、詞に見えねども、本歌に√をりつれば袖こそとあるに
て、おのづからさやふに聞こゆ。かゝる所、此集のころの歌たくみ
なり。本歌のとりざまおもしろし。
百首歌奉りし時
難波がたかすまぬ波もかすみけりうつるもくもるおぼろ月夜に
いとめでたし。詞めでたし。二三の句と四の句のかけ合、いとめでたし。とぢめのには、うつるもくもる朧月夜なる故に、かすまぬ波も、おぼろ月よにかすみけりといふ意なり。

摂政ノ家ノ百首ノ歌合に        寂蓮法師

今はとてたのむのかりもうちわびぬおぼろ月よのあけぼのゝそら

めでたし。詞めでたし。上句、二一三と次第してきくべ
し。田面を、伊勢物語の歌によりて、鳫の歌には、多くた
のむとよみならへり。鳫ものももじは、心づよくかへる鳫もの
意なり。一首の意、曙は旅だつ時なる故に、今はかぎりと
おもへば、田面の朧月よの曙のけしきを、みすてゝ別るゝこと
を、わびしく思ひて、うちなくとなり。わぶとは、鳴につきていへり。

刑部卿頼輔が歌合し侍けるに、よみてつかはしける
                   俊成卿

きく人ぞなみだはおつるかへるかりなきてゆくなる明ぼのゝそら

めでたし。下句めでたし。初二句、よのつねならば、きく

人も涙ぞおつるとよむべきを、かくよめる。ぞもじはもじの
はたらきに心をつくべし。四の句は、うちひらめなる詞なれ共、
此歌にてはめでたく聞ゆ。すべて同じことも、いひなしと上下の
つゞきからによりて、よくもあしくもなるわざぞかし。
古哥に√鳴わたる鳫のなみだやおちつらむとあるを、心にもち
て、今は鳴て別れゆく鳫なる故に、聞人ぞかなしくて、其涙は
おつるとなり。或抄に、鳫は故郷へ行く故に、悦びて、涙はおと
さずして、聞人は涙を落す也といへるは、鳴てゆくといへるにかなはず。

帰鳫                 摂政

わするなよたのむの澤をたつかりもいなばの風の秋の夕ぐれ

めでたし。詞めでたし。澤と稲ばとは、春と秋との
田のさまにて、よくかなへり。三の句もは、今はたちてゆくとも
の意なり。風は、古哥に√秋風に初鳫がねぞ聞ゆなる√秋風
にさそはれわたるなど有りて、よせあり。はてにをもじを
そへて心得べし。或抄に、たのむを、秋をわすれず来む
ことを頼むといふ義也といへれど、其意なし。


十訓抄 忠義の出家

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十訓抄第六 可存忠直事 
六ノ九

橘良利は寛平法皇の世を遁れさせ給ふ時、同じく家を出でて、寛蓮大とて修行の御供に候ひける。
和泉の國、日根といふところにて、よみける。

ふるさとの旅寝の夢に見えつるはうらみやすらむまたもとはねば

円融院法皇、失せさせ給ひて、紫野の葬送ありけるに、一年、このところにて、子の日せさせ給ひしことなど思ひ出でて、行成卿、かくぞよみける。

おくれじとつねの御幸をいそぎしに煙にそはぬ旅のかなしさ

出家まではなけれども、思ひ入れたる志、いと深くおぼゆ。

※ふるさとの
巻第十 羇旅歌 912 橘良利
亭子院御ぐしおろして山々寺々に修行し給ひける頃御供に侍りて和泉國日根といふ所にて人々歌よみ侍りけるによめる
大和物語 二段
 

十訓抄 優雅な女性

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十訓抄第七 可専思慮事
七ノ十五

鳥羽院の御時、雨いと降りける夜、若殿上人あまた集まりて、古きためしの品定めもやありけむ、
たれか優に文書く女、知りたり
と、いひあらそひ出でて
今夜、こときらむ。文やりて、返事、かたみに見て、劣り優り定めむ
などいふほどに、子一つばかりにもなりぬ。人々、宿直所へ硯、紙召しにつかはすとて、随身どもを走らかせ給ひけり。
その時、中院大臣は中將にて、かた/\がた思ひめぐらし給ふ。花園内大臣家の督殿こそあらめ。忘れて久しくなりにし人を思ひ出で給ひて、月ごろのあやしさこそとなしひ給ふより、いみじき言の葉盡くし書き給へり。紫の七重薄樣に書きて、同じ色につつまれたりける。夜目に暗くやありけむ。雅兼朝臣は大殿のもたれはといふがりやる。白き薄樣とかや。
かやうにあまた書きてやる。さながら持ていぬ。おの/\興あるあらそひのうちにも、よくもがなと心を盡せる氣色、をかしかりけるに、とばかりありて、返事どもありけるに、このもたれはが返事、なかにすぐれたりけり。花園の督殿はさりともと、たのもしく思はれたりけるに、こよなう書き劣りて、やすからずおぼされけり。
のちに人のいひけるは、
花園の北の方は優なる人にて、さるべきをり/\の歌の返し、優なる文の返事などをば、見入れてへ給へりければ、督殿、男、かれ/\になる時は、この上をせめ聞えけるに、その夜しも、上おはせざりけり。絶えて久しくなりたる人、にはかにおとづれたるに、心も心ならで、あわてゝ書きて、名折りたる
とぞいひける。
これも心のすべなきによりてなり。はるかになりなむ人の、にはかにいひ出でたらむにつけても、心をしづめて、
いかなるやうのあるにや
と案ずるべし。そのうへ、例の人おはせずは、いよ/\、その夜、返事なからむは、まさりぬべし。これは待ちはかりたるにはあらねども、思ひはかりなきかたをいはむとてなり。
すべて文はいつもけなるまじきなり。あやしく見苦しきことなども書きたる文の、思ひかけぬ反古の中より出でたるにも、見ぬ世の人の心際は見ゆるものぞかし。ただいまさしあたりて、はづかしからぬ人と思へども、落ち散りぬれば、必ずあいなきこともあれば、よく心得べきことなり。
かの北の方とかやは春宮大夫公實卿の女、待賢門院の御妹なり。女院につき參らせて、鳥羽院へも時々參り給ひけるが、花園に入り籠り給ひけるのち、かの家に菊の花の咲きたりけるを、院より召しければ、參らせらるゝとて、枝に結びつけられたりける、

九重にうつろひぬとも菊の花もとの籬を思ひ忘るな


とありけるをば、ことに心おはするさまにぞ、このゆゑを知れる人は申しける。
かの貫之が娘の宿に、匂ひことなる紅梅のありけるを、内裏より召しけるに、鶯の巣をつくりたりけるを、さながら奉るとて、


勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかがこたえむ


といふ歌をつけたりけるふるごと、思ひ出でられて、かた/\いとやさし。


※九重に
巻第五 秋歌下 508 花園左大臣室
鳥羽院御時内裏より菊を召しけるに奉るとて結びつけ侍りける

美濃の家づと 一の巻 春歌上7

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百首ノ歌奉りし時

帰るかりいまはのこゝろありあけに月と花との名こそをしけれ

詞めでたし。此月花に、鳫の心をとゞめず、みすてゝ
ゆかむは、鳫にめでられぬならば、あたら月花の名をれ

ぞと、月花のために、名ををしみたるなり。今はといへる
も、心といへるも、下句に正しくあたらず、心有明といへるも、しひ
たるいひかけなり。又三の句のにもじも、たゞよはしくきこゆ。
又月には、有明といへるあへしらひあれども、花のあへしらひの詞のなきも、たらはぬこゝちす。ふるき抄に、月と花と
を見捨てゝゆく悪名をばいかゞせんと、鳫に教訓したる也と
いへるは、いみじきひがごとなり。

守覚法親王ノ家ノ五十首ノ歌に   定家朝臣

霜まよふ空にしをれしかりがねの帰るつばさに春さめぞふる

めでたし。霜につばさしをれて来りし鳫の、今又

春雨にしをれて帰るとなり。しをれしを、春雨の方へも
ひゞかせ、つばさを、上へもひゞかせ、又帰るといへるにて、上は、去年の
秋来たりしことなること、おのづから聞えたり。かやうの
所をよく心得ざれば、昔の歌の趣も見えがたく、みづからの
歌も、よきはよみえがたきわざぞかし。

百首ノ歌奉りし時          摂政

ときはなる山のいはねにむす苔のそめぬみどりに春雨ぞふる

むす苔のと切て、そめぬ緑とつゞけて心得べし。むす苔のそめぬとつゞきては、そまぬといはではかなはず。そめぬは、春雨のそめぬなり。ときはも岩根も、そめぬ意をたすけたり。

建仁元年三月歌合に霞隔遠樹
              権中納言公經

高瀬さすむつだのよどの柳原みどりもふかくかすむ春かな

詞めでたし。淀の水の深きにむかひて、緑もふかく霞む
となり。下句、詞はめでたけれども、こゝろまぎらはしく、聞ゆ。
其故は、深く霞みて、柳の緑の色をへだつる意なるべきに、みど
りも深くといへるは、霞む故に緑の深きと云やうに聞ゆれば
なり。或抄に、柳のみどりもふかく、霞も深きなりといへ
るは、さらに詞にかなはず。其うへ霞の深くは、いかでか緑の深きは見
                              えん。

十訓抄 好人

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十訓抄第七 可専思慮事
七ノ三十三

大宰大弐高遠の、物へおはしける道に、女房車をやりて過ぎける牛飼童部、のろひごとをしけるを聞きて、かの車をとどめて、尋ね聞きければ、ある殿上人の車を女房たちの借りて、物詣でせられけるが、約束のほど過ぎて、道の遠くなるを、腹立つなりけり。
大弐いはれるけるは、
女房に車貸すほどの人なれば、主はよもさやうの情けなきことは思はれじ、おのれが不當にこそ
とて、牛飼を走らせて、主のもとへやりけり。
さて、わが牛飼に、
この女房の車を、いづくまでも、仰せられむにしたがひて仕ふまつれ。
と下知せられける。すき人はかくこそあらめと、いみじくこそおぼゆれ。
この人、はかなくなられてのち、ある人の夢に、

ふるさとへ行く人もがな告げやらむ知らぬ山路にひとり迷ふと

※ふるさとへ
巻第八 哀傷歌 814
後一條院の中宮かくれ給ひて後人の夢に
藤原道長女 威子だが、袋草紙、十訓抄では藤原高遠の幽霊

春歌下 幾年の春

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新古今和歌集 巻第二 春歌下

千五百番歌合に春の歌

    皇太后宮大夫俊成

  いくとせ
 の春に
  心をつ
くし來ぬ

あはれと思へ
  みよし野の花

十訓抄 堪忍序

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十訓抄第八 可堪忍諸事事
八ノ序

ある人いはく、よろづのことを思ひしのばむは、すぐれたるなるべし。人の心中に、もろ/\の悪しきことをのみ思ふ。これをしのばざるは、あさましかるべし。人の身の上に、さま/\の苦しみあり。これをしのばざるは、世に立ちめぐるべからず。なかにも年若き輩は、飢ゑをしのびて、道をまなび、寒きをしのびて、君に仕へつゝ、家をおこし、身を立つるはかりことをすべきなれば、なにごとにつけても、かた/\ものに耐へしのぶべきなり。
おほかた、このことをたもてるを、五のある人といふ。五戒十善など名づけて、おろづの罪を失ふ法とせり。一切の罪をおかすこと、ものにしのびえぬが、いたすところなり。
これゆゑにや、源信僧都四十一箇條起請、第一
設雖有不叶心事 設ひ心に叶はざる事有りと雖も
思忍全不起瞋恚 思ひ忍びて全て瞋恚を起さゝれ
とあり。
かゝれば、聖をとぶらふも、七賢位のなかに忍法位ともたて、六度のなかに忍辱波羅蜜とも稱し、十地には堪忍地とも號し、證果をば無生忍ともいふ。釋尊をば能忍とも名づけ奉る。羅ご羅尊者は忍辱第一なり。このゆゑにや、唐には多くの値にて、忍といふ文字を書きて、まぼりにしたる人ありけり。
しかれば、荒れたる軒に生ひたるあだなる草までも、かかる名を得たれば、なべてはすまじきとぞ。なかにも、
雪山にある草を名づけて、忍辱草となす
といふ分あり。かの霊草も同名にかよひぬ。尋瑞草といふ名もあれば、いかにもうちある名のたぐひにはあらず。
法師品の
加刀杖瓦石 刀杖瓦石を加ふとも
念佛故応忍 佛を念ずるが故に応に忍ぶべし
の文を、かの草に寄せて、寂念※がよめる

深き夜の窓うつ雨に音せぬはうき世をのきのしのぶなりけり

不輕品の心を、江以言が詩にも作れり
眞如珠上塵厭礼 眞如の珠の上に、塵、礼を厭ふ
忍辱衣中石結縁 忍辱の衣の中に、石縁を結ぶ
五郎中將の
のちも頼まむ
とよめる歌の詞もをかしく、周防内侍が
われさへのきの
と書きつける筆跡もゆかし。
花園左大臣、かの草のもみぢにつけて、心の色をあらはし給ひけむもやさしくおぼゆ。
いづかたにつけても、思ひ捨てがたき草の名なり。


※深き夜の
巻第二十 釈教歌 1950 寂蓮※
法師品加刀杖瓦石念佛故應忍のこころを
深き夜の窓うつ雨に音せぬはうき世をのきのしのぶなりけり

※花園左大臣かの草のもみぢにつけて
巻第十一 恋歌一 1027 花園左大臣
忍草の紅葉したるにつけて女のもとに遣はしける
わが恋も今は色にや出でなまし軒のしのぶも紅葉しにけり

恋歌一 吉野の滝

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新古今和歌集巻第十一 戀歌一

 題しらず
    よみ人知らず

音にの
  みありと
      聞きこ
  しみ吉野
     の
 瀧は今日
  こそ袖に落ちけれ


美濃の家づと 一の巻 春歌上8

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千五百番歌合に            藤原雅経

白雲のたえまになびく青柳のかつらぎ山に春風ぞふく

めでたし。上句詞めでたし。青柳は、葛城の枕詞なる
を、やがて其山に生立る柳に用ひたり。さて柳は、風のふく
によりてなびくなるを、たしかにさはいで、なびく青柳の
とまづいひて、春風ぞ吹ととぢめたるは、柳のなびくによりて、
春風の吹が見ゆるさまにて、ゆるやかなる物也。或人、柳は
山の上にある物にあらずと難じたれど、かの家隆朝臣の、
末の松山波にはなるゝ横雲などをこそ、さもいはめ。山の上
に柳をよめるばかりのことは、此集の比にとりては、なでふ事かあ
                            らん。

                  有家朝臣

青柳の糸に玉ぬくしら露のしらずいくよの春かへぬらん

詞めでたし。へぬらんは、糸の緑也。拾遺元輔√青柳の糸の緑
をくりかへしいくらばかりの春をへぬらむ、と云歌にことなるところ
も見えず。玉も用なく聞ゆ。

                  宮内卿

うすくこき野べのみどりの若草に跡まで見ゆる雪のむら消

四の句めづらかなり。よくとゝのへる歌也。跡とは、雪の消果たる後
をいへるにて、雪の縁の詞にてもある也。雪は残らず消果ての
後迄、始めの村消の跡の見ゆるよしなり。

                  西行

よし野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる春にもあるかな

ちりてといへる詞、花のかたへひゞけり。下句、此集のころに
ては、此法師のふりなり。

摂政家百首歌合に野遊       家隆朝臣

思ふどちそこともしらず行くれぬ花の宿かせ野べのうぐひす

下句めでたし。本歌√春の山べにうちむれて云々、√くれ
なばなげの花の陰かは。六百番歌合判に、素性が哥を
とり過たるやうにいへれど、さはあらず。

十訓抄 われもしか

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十訓抄第八 可堪忍諸事事 
八ノ七


大和に男ありけり。本の妻と壁を隔てて、めづらしき女を迎へて、月ごろ經れども、この妻、ねためる氣色もなくて過ぎけり。
秋の夜の、つく/\と長きに、鹿の音の、枕におとづるゝを、本の妻に、
聞き給ふや
と問ひければ、よめる。


われもしかなきてぞ人に戀ひられしいまこそよそに聲をのみ聞け


男、かぎりなくめでて、今の妻を送り、本の妻と住みけり。


※われもしか
巻第十五 恋歌五 1372 よみ人知らず
題しらず
大和物語百五十八段、今昔物語巻第三十第十二にも同内容の話がある。
 

十訓抄 筒井筒

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十訓抄第八 可堪忍諸事事
八ノ八


業平中將の、高安に通ひけるころ、いささかつらげなる氣色もなくて、男の心のごとくに出だしたてゝやりけるが、なほ行く末やおぼつかなかりけむ、夜ふくるまで待ちゐて、箏をかきならして


たつた山夜半にや君がひとり行くらむ


とながめける。優にやさしきためしなり。男前栽の中にかくれて、このことをうかがひつゝ、外心失せにけりとなむ。
女人をば佛も、
内心如夜叉 内心は夜叉の如し
と仰せられたれば、いかでか、その心なくてしもあらむ。されども、かやうに忍び過ぐせるは、まことにいみじくおぼゆかし。


建礼門院右京大夫集 平家都落

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寿永【1182~4年】元暦【1184~5年】などの頃の世の中の騒動は、夢だとも幻とも、とても悲しい事だとも何とも、すべてすべて言葉に言い表すこともできませんでしたから、周りの様々な事がどうであったとか判別もできず、いっその事思い出すまいと今でも思っております。
平家の存じ上げております方々の都を離れるとのお噂をお聞きした秋の頃【寿永2年7月】の事は、とかく言い表そうとしても、心も言葉も尽くせません。
本当に都落ちの際には、私めも資盛樣も、あらかじめそれがいつと誰も知っておりませんでしたので、ただ言いようのない悲しい夢だと、平家に身近な方も縁の無い方も、見聞きする人は、皆迷わずにはいられなかったのでございます。
世間一般が落ち着かず、平家の将来が頼りなく、不安との噂が流れた頃などは、資盛様は蔵人頭をなさって、特に心の余裕がなさそうであった上、周囲の人も「こんな状況で二人が逢っていることは良くない事だ」と言う事もあって、さらにまたいっそう人目を忍んでお逢いして、自然と何かと遠慮がちに言葉を交わしました時も、また普段の口癖にも資盛樣は、
「この樣な世間の騒乱になったのだから、自分も戦死する中に入ることは疑いないことだ。そうなったら、貴女は少しくらい不憫に思ってくださいますでしょうか。例え何とも思わなくても、この樣に親しくお付き合いし、何年にもなった情けの事をお考えになり、後生を願って必ず弔うよう取り計らって下さい。また、もし命がもうしばらくあるとしても、一切今は昔のままの自分とは思うまいと、心に固く決めているのですよ。その訳は、物事に心を動かされ、名残惜しいとか、あの人の事が気になるなど考え始めたら、思うだけでもきりがなくなってしまうでしょうから。心の弱さもどの樣なことであろうかと自分ながら分からないので、何も考えない樣に思いを捨てて、都の人々に『その後如何でしょうか?』などと書いて手紙を出したりする事などは、どこの海岸でもするまいと決心しているので、『私の事をおろそかに思って便りもくれない』とか思わないで下さいね。私は万事、たった今から死んだものと同樣になったと心を決めているはずなのですが、やはり、ともすれば元の気持ちになってしまって、とても悔しいです。」
と言っていたことの、本当にそのとおりだとお聞きしましたが、何と言えば良いのでしょうか。ただ涙の他、言葉も無かったもので、ございますが、ついに秋の初めの頃、平家の皆様が都落ちした事を、夢の中で、夢を見ている樣な心地がしました事は、何に例えたら良いのでしょうか。
さすがに、情けを知る者は誰も、この悲運を話し、思わない人はいなかったけれど、一方では身近な人々でもわたくしの悲しみを解ってくれる人は誰もいないと思っておりましたので、人にも言わず、つくづくと独りで思い続けて、我慢しきれないと、仏様に向かって、一日中泣いてばかりでございました。けれども、実際頂いた命は定められた寿命があるという事ですから勝手には死ぬこともできず、出家することでさえも自分の思うままにはならなくて、一人で家を飛び出して寺に入る事もできないままに、ついそのままでいる事が、厭ましく思って、

また他に前例の無く、同じ樣な事も知らない生き別れという辛い経験をしたのに、まだこうしてそのままに生きている自分がうとましい…
【夢のうちの夢:後撰集 哀傷 大輔 悲しさの慰むべくもあらざりつ夢のうちにも夢とみゆれば】

壽永元暦などのころの世のさわぎは、夢ともまぼろしとも、あはれともなにとも、すべて/\いふべききはにもなかりしかば、よろづいかなりしとだに思ひわかれず、なか/\思ひも出でじとのみぞ今までもおぼゆる。見し人/"\の都別ると聞きし秋ざまのこと、とかくいひても思ひても、心も言葉も及ばれず。まことの際は、我も人も、かねていつともしる人なかりしかば、ただいはむ方なき夢とのみぞ、近くも遠くも、見聞く人みなまよはれし。
おほかたの世騒がしく、心細きやうに聞こえしころなどは、蔵人頭にて、ことに心のひまなげなりしうへ、あたりなりし人も、
「あいなきことなり。」など言ふこともありて、さらにまた、ありしよりけに忍びなどして、おのづからとかくためらひてぞ、もの言ひなどせし折々も、ただおほかたの言ぐさも、
「かかる世の騒ぎになりぬれば、はかなき数にならんことは、疑ひなきことなり。さらば、さすがにつゆばかりのあはれはかけてんや。たとひ何とも思はずとも、かやうに聞こえ慣れても、年月といふばかりになりぬる情けに、道の光も必ず思ひやれ。また、もし命たとひ今しばしなどありとも、すべて今は、心を、昔の身とは思はじと、思ひしたためてなんある。そのゆゑは、ものをあはれとも、何の名残、その人のことなど思ひ立ちなば、思ふ限りも及ぶまじ。心弱さもいかなるべしとも、身ながらおぼえねば、何事も思ひ捨てて、人のもとへ、
さてもなど言ひて文やることなども、いづくの浦よりもせじと思ひとりたるを、なほざりにて聞こえぬなど、なおぼしそ。よろづ、ただ今より、身を変へたる身と思ひなりぬるを、なほともすれば、もとの心になりぬべきなん、いとくちをしき。」
と言ひしことの、げにさることと聞きしも、何とか言はれん。
涙のほかは、言の葉もなかりしを、つひに、秋の初めつ方の、夢のうちの夢を聞きし心地、何にかはたとへん。

さすが心ある限り、このあはれを言ひ思はぬ人はなけれど、かつ見る人々も、わが心の友はたれかはあらんとおぼえしかば、人にもものも言はれず。つくづくと思ひ続けて、胸にも余れば、仏に向かひ奉りて、泣き暮らすほかのことなし。されど、げに、命は限りあるのみにあらず、さま変ふることだにも心任せで、一人走り出でなんどは、えせぬままに、さてあらるるが心憂くて、
またためし たぐひも知らぬ 憂きことを 見てもさてある 身ぞうとましき


参考図書
現代語訳日本の古典 11 和泉式部・西行・定家他 辻邦生/訳 河出書房新社 
新編日本古典文学全集 47 建礼門院右京大夫集・とはずがたり 久保田淳/校注・訳 小学館 
新潮日本古典集成 建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江/校注 新潮社 
和歌文学大系 23 式子内親王集/建礼門院右京大夫集/俊成卿女集/艶詞 久保田淳/監修 明治書院
日本詩人選 13 建礼門院右京大夫 中村真一郎著 筑摩書房

花の咎

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 とふ人の

絶えたる山も

花の
  とが

 


本歌

花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける

河南町弘川寺にて

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