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Channel: 新古今和歌集の部屋
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美濃の家づと 一の巻 春歌上9

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百首歌奉りし時           式子内親王

今さくらさきぬと見えてうすぐもり春に霞めるよのけしき哉

初句いうならず。今といへるは、心をいれてよみ玉へる詞とは聞ゆれ
ど、さしもあらず。此ことばなくても有べきさまなればなり。或抄
に、今といふにて、いつか/\と待たる心ありといへれど、其意は
えうなき歌なり。二の句は、世のけしきのさやうに見ゆる
なり。四の句は、春のけしきにかすめるをいふ。されど此に
もじ、少しいやしく聞ゆ。又近き世に、秋に見しなど、多く
よむにもじは、殊にいやしき詞なり。心すべし。こは事のつい
でにいふなり。

花のうた              西行

芳野山こぞのしをりの道かへてまだみぬかたの花をたづねむ

よくとゝのへり。

和哥所にて春のうた         寂蓮

かづらぎや高間のさくら咲にけり立田のおくにかゝる白雲

かの西行が√高ねのみ雪とけにけりと同じさま也。高間
のさくら立田のおく、二ツの内一ツは、山といふ事あらまほし。

百首歌奉りし時           定家朝臣

しら雲の春はかさねて立田山をぐらのみねに花にほふらし

めでたし。詞めでたし。本哥、万葉長哥に、√白雲の
立田の山の瀧のうへのをぐらの峯に咲をゝる桜の花は云々と
あるを春はかさねてとゝりなし玉へるめでたし。結句、咲

ぬらしとあるべきを、にほふらしとあるは、詞はいさゝかまさり
たりたりけれど、此哥にては、にほふは似つかはしからず。次なる家衡
朝臣のうたも同じ。

和歌所哥合に羇旅花         雅経

岩根ふみかさなる山を分すてゝ花もいくへの跡のしら雲

いとめでたし。詞めでたし。下句、いひしらずおもし
ろし。伊勢物語に√岩ねふみかさなる山にあらねども云々。


冬歌 庵ならべむ 西行

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 さひしさにたへたる
人のまたもあれな
  庵りならへん
   ふゆの山さと

      西行


題しらず  西行法師
寂しさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里

 

大阪府河南町弘川寺の門前

羇旅歌 小夜の中山

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西行上人東国行脚の詠

 年たけて又越ゆべしとおもひきや

  いのちなりけりさやのなか山

      日本芸術院会員 川田順 謹書


新古今和歌集巻第十羇旅歌
 東の方に罷りけるによみ侍りける
         西行法師
年たけてまた越ゆべしと思ひきやいのちなりけりさ夜のなか山

十訓抄 昇進の恨み

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十訓抄第九 可停懇望事
九ノ八


伊通公の參議の時、大治五年十月五日の除目に、參議四人、師頼俊房公息、長實顯季卿子息、宗輔宗俊公息、師時俊房公息等、中納言に任ず。これみな位次の上臈なりといへども、伊通、その恨みにたへず、宰相、右兵衞督、中宮大夫、三つの官を辭して、檳榔毛の車を大宮面に引き出して、破りたき、褐の水干に、さよみの袴きて、馬に乗りて、神崎の君、かねのもとへおはしけり。今は官もなき、いたづらものになれるよしなり。
また年ごろ、惜しみ置かれたりける蒔繪の弓を、中院入道右大臣のもとへ、返しやるとて、
やとせまで手ならしたりし梓弓かへるを見ても音は泣かれけり
返し
なにかそれ思ひ捨つべき梓弓また引きかへすをりもありなむ
かかりければ、この返歌のごとく、ほどなく長承二年九月に、前宰相より中納言になされにけり。宇治大納言隆國、前中納言に大納言なる例とぞ。そののち、うちつづき昇進して、太政大臣まで上り給ひにき。
これは、世もいま少しあがり、人も才能いみじかりけるゆゑなり。かやうの例はまれなることなれば、今のうちあるたぐひ、まなびかたかるべし。
おほかたは、二條院讃岐が歌に
憂きもなほ昔ゆゑぞと思はずはいかにこの世を恨みはてまし ※
とよめる、ことわりにかなへるにや。


※ 第二十 釋教歌 1966 二條院讃岐


源重之 俊成三十六歌仙 伝柳原資廉筆墨流し色紙コレクション

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 右  源重之

かせをいたみ

  岩うつなみの

    をのれのみ

 くたけて物を

  おもふころ哉


詞花集 巻第七 恋歌上
風をいたみ岩打つ波の己のみ砕けて物を思ふころかな

三十六人撰

俊成三十六人歌合

百人一首

柳原資廉
正保元年(1644年)-正徳2年(1712年)権大納言。
柳原資行男。浅野長矩殿中刃傷事件の時の勅使。

平成28年4月15日 壱

十訓抄 定家の勅勘

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十訓抄第十 可庶幾才藝事
十ノ三十六


後鳥羽院の御時、定家卿殿上人にておはしける時、いかなることにか、勅勘によりて、入りこもられたりけるが、あからさまに思ひけるに、年も空しく暮れにければ、父俊成三位、このこと歎きて、かくよみて、職事につけたり。


あしたづの雲居に迷ふ年暮れて霞をさへやへだてはつべき


職事、この歌を奉聞せられければ、ことに御感ありて、定長の朝臣に仰せて、御返歌あり。


あしたづは雲居をさして歸るなりけふ大空の晴るゝけしきに


やがて、殿上の出仕、ゆりにけり。


雜歌下 切出歌 西行

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ねがはくは

 花のしたにて

    春死なむ

 そのきさらきの

  もちつきのころ


新古今和歌集巻第十八 雑歌下
だいしらず     西行法師
ねがはくは花のもとにて春死なむそ如月の望月のころ

 

読み:ねがはくははなのもとにてはるしなむそのきさらぎのもちづきのころ

意味:願いが叶うなら桜が咲く木の下の春に死にたいものだ。その2月の満月の頃、調度釈迦が涅槃に入った日に。

備考:切出歌。新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫) 

大阪府河南町弘川寺  西行墳

賀歌 清正 俊成三十六歌仙筆者不明色紙コレクション

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 左 藤原清正

子日しにしめつる

  野邊のひめこ松

かけを ひかてや

  また  千世

   まし   の


新古今和歌集 巻第七賀歌
 子の日をよめる  藤原清正
子の日してしめつる野辺の姫小松ひかでや千代のかげを待たまし

三十六人撰
子の日しに占めつる野辺の姫小松引かでや千代の陰をまたまし

俊成三十六人歌歌合
左   清正
子日しに占めつる野辺の姫子松引かでや千代の陰を待たまし

和漢朗詠集
子日
ねのひしにしめつるのへのひめこまつひかてやちよのかけをまたまし 清正



十訓抄 蛍のおもひ

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十訓抄第十 可庶幾才藝事
十ノ四十



後撰集にいはく
桂のみこの、螢とらへてといひければ、童の衫の袖につつみて、



つつめどもかくれぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり


と申す。宋玉が隣に住みし女は、これほどまでおもめかすたよりもなくてや、やみにけむ。
そも/\、この歌大和物語には、桂のみこの、故式部卿のみこに住み給ひけるを、かの宮の童女の、男みこを思ひかけてのち、みこの螢とりてとありけるに衫の袖につつみて奉るとよめる、とあり。
それに近ごろ、俊成卿のえらばれたる、古來風躰抄といふものには、桂のみこと申す女みこの螢をとりてとありければ、童男の狩衣の袖につつみて、奉るとてよめるを、男みこと心得て、あしく人のいひなせる、と書かれたり。説々の不同、心得がたし。
中務卿重明親王を桂親王と號す。宇多の女五の宮を鬘の内親王と申す。いづれのことにか、たづぬべし。
寂蓮と申す歌よみありしが、


思ひあれば袖に螢をつつみてもいはばやものをとふ人はなし



とよめる、この心にや。


忠岑 俊成三十六歌仙 筆者不明色紙コレクション

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 右  壬生忠岑

夢よりもはかなき

ものは夏の夜の

 わかれ あかつき

  成けり かたの


後撰集 巻第四夏歌
 題しらす 忠峯
夢よりもはかなき物は夏の夜の暁かたの別なりけり

忠岑集
常よりもはかなきものは夏の夜の暁方の別れなりけり


俊成三十六人歌合
右  忠峯
夢よりもはかなきものは夏の夜のあかつきかたのわかれなりけり




平成28年4月15日 壱點伍

十訓抄 下賤の勅撰集歌

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十訓抄第十 可庶幾才藝事
十ノ五十



さて、もとより、さるべきゝはゝ、ことわりなり。すべて及ばぬほどの身なれども、藝能につけて、望みをとげ、賞をかぶるもの、古今數を知らず、多し。あやしの賤の遊女、傀儡までも、郢曲にすぐれ、和歌を好む輩、よき人にももてなされ、撰集をもけがす。
そのためし、あまた聞こゆるなかに、亭子の帝、鳥養院にて、御遊びありけるに、とりかひといふことを、人々よませられけるに、遊女傀儡あまた參り集まれり。そのなかに、歌よくうたひて、聲よきものをとはるゝに、
丹波守玉淵が女に、白女
と申せり。帝舟に召し乗せて、玉淵は詩歌にたくみなりしものなり。その女ならば、この歌よむべし。さらば、まこととおぼしめすべき由を仰せらるるぼどもなく、よめり


深みどりかひある春にあふ時は霞ならねど立ちのぼりけり

この時、帝、ほめあはれみ給ひて、御袿一重をたまはせけり。そのほか上達部、四位、おの/\衣ぬぎてかけかれば、二間ばかりに積みあまりにけりとなむ。
同じ女、源實、筑紫へまかりける時、山崎にて別れを惜しみけるところにて、
命だに心にかなふものならば何か別れのかなしからまし
とよめりける。のちに古今集に入れり。
しかのみならず、肥後の國の遊君、檜垣嫗は後撰集に入り、神崎の遊女、宮木は後拾遺集をけがす。墓の傀儡、名曳は詞花集をゆり、江口の遊女、妙は新古今の作者なり。
女にも限らず、壬生忠岑は舎人なれども、古今撰者につらなり、山田法師は非人にして、同集をけがす。歌どもは、こと長ければ、しるさず。


十訓抄 頼朝の文武

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十訓抄第十 可庶幾才藝事
十ノ五十五

鎌倉右大將、父子ともに、代々撰集に入り給ひけるこそ、ことにやさしけれ。なかにも右大將、都へ上り給ひけるに、吉水大僧正

なにごとも、おもふばかりはえこそ

など、聞こえられたりける返事に、

陸奧のいはでしのぶはえぞしらぬ書きつくしてよ壺の石ぶみ

とよまれたる、おもしろく、たくみにこそ聞ゆれ。
およそ武士といふは、亂れたる世を平らぐる時、これをさきとするがゆゑに、文ならびて優劣なし。朝家には文武二道をわきて、左右のつばさとせり。文事あれば、必ず武備はる謂なり。かかりければ、もろこしにも、後漢の武王は武將二十八人をえらび定められ、麒麟閣をおきて、勲功をしるされける。舜帝の時、八、八元と名づけて、十六族の文士をえらばれしがごとし。
源順が右親衞源將軍、初めて論語を談ずる時、
職列虎牙雖拉武勇於漢四十七將
職、虎牙に列す、武勇を漢の四十七將に拉ぐと雖も
學抽麟角遂味文章於魯二十篇
學、麟角を抽づ、遂に文章を魯の二十篇に味はふ
とぞ書けりける。文武ともなる心なり。
また、唐の太宗、隋の世をとりて、政を定め給ひける時、魏徴、房玄齡等、勅問にあづかりて、守文、草創の二つを分けて、文武のすすみ退くることをぞ、おの/\心のひくかたにつき、諍ひ申しける。
弓箭の道は、敵に向ひて、勝負をあらはすのみにあらず、うちまかせたることにも、その多く聞ゆ。
左氏傳にいはく、
賈大夫といひける人、形きはめて醜かりけり。めとるところの女、これを憎みて、三年の間、ものいはず、笑わざりければ、男、歎き恨みけれども、かひなかりけり。野に出でて遊ぶ時、一つのきぎすを射て、これを得たり。その時、この妻はじめてうち笑みて、ものいひける
となむ。

千載集 西行 献花桜

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  わが後の世を人とふらはは

佛には桜の

   花をたてまつれ



千載集 雜歌中
花のうたあまたよみ侍りける時
        円位法師
ほとけにはさくらの花をたてまつれわかのちのよを人とぶらはば

河南町弘川寺

弘川寺西行庵跡

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西行庵趾


麓まで唐紅に見ゆるかな
  さかりしぐるる葛城の峰

訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて
  煙を立つる弘川の里

           西行


未詳



弘川寺庭園
弘川寺公園内

百人一首鈔 道晃親王御作

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坂上是則 大内記従五下加賀介御書所読

田村丸ー廣野ー富常ー好蔭ー是則ー望城 好撰○し五人ミ門
富常 異本 富道 好蔭 異本 ○蔭 ○○不○

傳云延喜八年正月大和少掾○○○○同八月廿八日
権大掾○○同十二三月少監物同十五二月権中監物
同十七正月少内記同廿一正月権大内記延長二正七従
五位下○○同月加賀介卒年不詳

朝ぼらけ有明の月と見るまでに~

詞書やまとのくにゝまかれりけるときに雪のふりけるを
見てよめるトアリ波国ニ下向ノ時○○ニ○テ眺めノ
歌ナリトミルヘキや。吉野ノ山ト云ヘキヲ里トイヱルニ心ア
ルヘシ。山ニ○雪ナラハ有明ノ月ニハマカヘラレヌや。里ニ○
落雪ナレハめ○りに。


道晃法親王

1612-1679 江戸時代前期,後陽成天皇の皇子。
慶長17年3月8日(一説に10月12日)生まれ。母は三位局。天台宗。聖護院にはいり,道勝法親王にまなぶ。寛永3年親王となる。園城寺長吏,三山検校をつとめ,のち京都白川の照高院にうつる。茶道,書画,和歌をよくした。遍照寺宮と称された。延宝7年6月18日死去。68歳。


美濃の家づと 春歌上10

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五十首歌奉りし時

尋ね来て花にくらせる木の間よりまつとしもなき山のはの月

二の句、花を見てくらせるにはあらず。尋ねきて、いまだみず

して、暮ぬるよしなり。花にとへるは、花をたづねての意也。
まつとしもなきといへるにて、花は、まて共いまだみえぬ心をあ
らはせり。もし既に見たるにしては、尋ね来てといへるも詮なく、
四の句のかけ合も力なし。新拾遺集俊成卿の歌にも、√山桜
咲やらぬまはくれごとにまたでぞ見ける春のよの月、木の間、
花のかたへもひゞけり。下句、おもひかけざりし月を見て、
それもおもしろき意にても有べけれども、四の句のさま、さは
聞えず、花をこそ見むと思ふに、まちもせぬ月の出たるよと
思ひて、月をばめでぬかたに聞えていかゞか。右の俊成卿の哥は、四の
句のさま、月をもめづるかたに聞えたり。よく味ふべし。

故郷花               慈圓大僧正

ちりちらず人も尋ねぬふるさとの露けき花に春風ぞふく

めでたし。下句めでたし。露けき花と云に、見るあるじ
のさびしく、あはれなる心をもたせたり。一首の意は、春風
の吹て、庭の花ちるを、たゞひとりながめて、よめるにて、あ
はれ故郷ならぬ所の花ならば、ちるやちらずやと、人もたづね
来て、かやうにちるを見ば、をしむ人もあまたあるべきもの
を、とおもへるさまなり。

千五百番歌合に           通具卿

いそのかみふるのゝさくらたれうゑて春は忘れぬかたみなるらん

√植けん時をしる人ぞなきとあるを、誰うゑてとゝれり。
春はと切て、心得べし。忘れぬは、植けむ古へを忘れぬなり。
 これらは、古今集の中の、よき哥のたぐひなり。

                  有家朝臣

朝日かげにほへる山のさくら花つれなくきえぬ雪かとぞ見る

めでたし。上句詞めでたし。桜花の、朝日にあたれる色は、こよ
なくまさりて、まことの雪のごと見ゆる物也。朝日影匂へる山
と云は、万葉の詞にて、それは朝日影の匂へる山なるを、此哥にては、朝
日影に山の桜の匂へるなり。つれなくと云詞、時にかなひて
いたづらならざるうへに、朝日影にもよせ有。

布引の滝 順徳院

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  順徳院御詠

たち縫はぬ

 紅葉の衣

  そめ出でゝ

何山姫の

  ぬの引の瀧

建保名所百首
順徳院
裁ち縫はぬ紅葉のころも染め果ててなに山ひめのぬの引のたき

 

神戸市布引滝

布引の滝 砂子の山 九条兼実

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     九条内大臣兼実

あしのやの

  砂子の山の

   みなかみを

  のぼりて見れば

   布びきのたき

夫木抄

九条内大臣

芦の屋の砂子の山の水上を登りて見れば布引の滝

読み:あしのやのいさごのやまのみなかみをのぼりてみればぬのびきのたき


伊勢物語 八十七段
ここをなむ蘆屋のなだとはいひける。この男、なま宮づかへしければ、それをたよりにて、衛府の佐ども集り来にけり。この男のこのかみも衛府の督なりけり。その家の前の海のほとりに、遊び歩きて、
「【いざ、この山】のかみにありといふ布引の滝見にのぼらむ」といひて、のぼりて見るに、その滝、ものよりことなり。
長さ二十丈、広さ五丈ばかりなる石のおもて、白絹に岩をつつめらむやうになむありける。

春歌下 花散る頃の吉野

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     源具親
 時しも
   あれ
たのむの雁の
  わか
   れさへ
   花散るころ
  のみ吉野
     の里

読み:ときしもあれたのむのかりのわかれさへはなちるころのみよしののさと
時しもあれたのむの雁のわかれさへ花散るころのみ吉野の里

春歌下 吉野川の山吹

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百首歌奉りし時

    藤原家隆朝臣

  吉野川

 岸の
  やまぶき

咲きにけり

  嶺のさく

   らは散りは

    てぬらむ

 

本歌:吉野川岸の山吹吹く風に底の影さへうつろひにけり(古今集春歌下 紀貫之)

吉野川うたたね橋

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