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Channel: 新古今和歌集の部屋
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哀傷歌 末の露元の雫 伝経覚筆コレクション

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 僧正遍昭

すゑの露もとのしつくや

よの中のおくれ先立

ためしなるらむ


新古今和歌集 巻第八哀傷歌
        遍照
末の露元の滴や世の中の遅れ先立つ例なるらむ

 

俊成三十六人歌合

和漢朗詠集


経覚
(応永2年(1395年)- 文明5年(1473年))
室町時代の法相宗の僧侶。父は関白九条経教、母は浄土真宗本願寺の出身。母方の縁で後に本願寺8世となる蓮如を弟子として預かり、宗派の違いを越えて生涯にわたり師弟の関係を結んだ。興福寺別当である寺務大僧正を4度務めた事でも知られている。諡号は後五大院。
応永22年(1415)から文明4年(1472)までの自筆日記である経覚私要(別名安位寺殿御自記 重要文化財)残して筆者です。寺務と寺領支配について記されているほか、当時の政治や文化に関する記述も多く、室町時代の貴重な記録。

平成28年4月23日 壱


春歌下 松に懸かる藤

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新古今和歌集 巻第二春歌下

 紀貫之

みどり
  なる
 松にかかれる
   藤なれどお
 のが頃とぞ
花は
  咲きける


読み:みどりなるまつにかかれるふじなれどおのがころとぞはなはさきける

後拾遺集 末の松山 石田松雪筆コレクション

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心かはりて侍りける女に
人にかはりて

     清原元輔

ちぎりきな

   かたみに袖を

 しぼりつゝ

すえの松山

  浪

 こさじ

  とは



後拾遺 恋歌四
心かはりて侍りける女に、人にかはりて
清原元輔
ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは



石田松雪
不明

歌論 後鳥羽院御口伝 式子内親王、良経、慈円

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式子内親王、藤原良経、慈円

近き世になりては、大炊御門前齋院、故中御門の攝政、吉水前大僧正、これら殊勝なり。
齋院は、殊にもみ/\とあるやうに詠まれき。
故攝政は、たけをむねとして、諸方を兼ねたりき。いかにぞや見ゆる詞のなさ、哥ごとに由あるさま、不可思議なりき。百首などのあまりに地哥もなく見えしこそ、かへりては難ともいひつべかりしか。秀哥あまり多くて、兩三首などは書きのせがたし。
大僧正は、おほやう西行がふりなり。すぐれたる哥、いづれの上手にも劣らず、むねと珍しき樣を好まれき。そのふりに、多くの人の口にある哥あり。
やよ時雨
木の葉に袖を比ぶべし
願はくは暫し闇路に
これ躰なり。されども、世の常にうるはしく詠みたる中に、最上の物どもはあり。
あふげば空に
涙雲らで
雲にあらそふ
秋ゆく人の袖
松を時雨の
庭のむら萩
刈る人なしみ
鴫立つ澤の忘れ水
この他多かり。

※やよ時雨
巻第六  冬歌 慈円 580  時雨を
やよ時雨もの思ふ袖のなかりせば木の葉の後に何を染めまし
※願はくは暫し闇路に
巻第二十 釈教歌 慈円 1932 述懷の歌の中に
願はくはしばし闇路にやすらひてかかげやせまし法の燈火
※あふげば空に
巻第十八 雑歌下 慈円 1780 五十首歌の中に
思ふことなど問ふ人のなかるらむ仰げば空に月ぞさやけき
 ※涙雲らで
巻第四  秋歌上 慈円 379 百首歌奉りし時月の歌に
いつまでかなみだくもらで月は見し秋待ちえても秋ぞ戀しき
※秋ゆく人の袖
巻第十  羇旅歌 慈円 984 詩を歌にあはせ侍りしに山路秋行といふことを
立田山秋行く人の袖を見よ木木のこずゑはしぐれざりけり
※松を時雨の
巻第十一 恋歌一 慈円 1030 百首歌奉りし時よめる
わが戀は松を時雨の染めかねて眞葛が原に風さわぐなり
※庭のむら萩
巻第十四 恋歌四 慈円 1322 戀の歌とてよみ侍りける
わが戀は庭のむら萩うらがれて人をも身をあきのゆふぐれ
※刈る人なしみ
巻第六  冬歌  慈円 618 題しらず
霜さゆる山田のくろのむら薄刈る人なしにのこるころかな

賀歌 君が代2 筆者不明掛軸コレクション

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 祝のこヽろを

   よみ侍ける

   皇太后宮
      大夫俊成

君が代は千世とも

  さヽじ天のとや

 いづる月日の

    かぎりなけれ
         ば



歌:君が代は千代ともささじ天の戸やいづる月日の限なければ

読み:きみがよはちよともささじあまのとやいづるつきひのかぎりなければ


備考:五社百首。
八代集抄、美濃の家づと、九代抄、九代集抄


平成28年4月24日 參點肆

美濃の家づと 一の巻 春歌下

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 春歌下

釋阿和哥所にて、九十賀し侍りしをりの屏風に、山に
桜さきたる所を           太上天皇御製

桜さく遠山どりのしだりをのなが/\し日もあかぬ色哉

さくらの咲たる遠山を、やがて山鳥の尾への玉ひかけて、長々
しの序とし玉へり。下御句、俊成卿の命長きをおぼし
めしたるなりといへり。さもあるべし。

千五百番歌合に           俊成卿

いくとせの春に心をつくし来ぬあはれとおもへみよしのゝ花

二の句、春には、春の花になり、きぬは、来ぬるぞのこゝろ

なり。結句、いうならず。

百首哥に              式子内親王

はかなくて過にしかたをかぞふれば花に物思ふ年(イ春)ぞへにける

すべて、はかなく過といふは、何の間もなく過ぐることなり。
此哥にては、なすこともなくて、いたづらに過し意をかね
玉へりと見ゆ。一首の意は、なせることもなくて、はかなく過
来つる。其間の事どもを、かぞへて見れば、たゞ花に物思へる
年を多くへたるばかりぞとなり。又春毎に、たゞ
花にのみ物思ひて、いたづらに早く過来し、年の数をかぞ
へてみれば、花に物思ふことも、多くの年をへたるよといへるにも有べし。

千五百番歌合に           俊成卿女

風かよふねざめの袖の花の香にかをる枕のはるのよの夢

詞いとめでたし。袖のゝのは、俗言にがといふ意にて、
餘の五ツののもじと異なり。一首の意は、風の吹通ふま
くらの、春の夜の夢のめざめの袖が、花の香にかをるよといふ
意なるを、詞を下上に、いりまじへたるにて、詞のいひしらず
めでたき哥なり。三の句を、梅がゝにとして、すべてのさま、
木毎の趣なり。桜にはうとし。

守覚法親王家五十首哥に       家隆朝臣

此ほどはしるもしらぬも玉ぼこの行かふ袖は花の香ぞする

初句、此ごろはにてもあらましを、一三四二五と、句を次第
して見べし。三四の句、玉ぼこの道ゆきかふ人の袖はといふ
べきを、あまりにつゞまり過て、言たらず。のもじは、殊に心ゆか
ずなむ。

歌論 後鳥羽院御口伝 寂蓮、藤原家隆、藤原雅経、藤原秀能

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寂蓮、藤原家隆、藤原雅経、藤原秀能


又、寂蓮、定家、家隆、雅經、秀能等なり。
寂連は、なをざりならず哥詠みし物なり。あまり案じくだきし程に、たけなどぞいたくはたかくはなかりしかども、いざたけある哥詠まむとて、龍田の奧にかゝる白雲と三躰の哥に詠みたりし、恐ろしかりき。折につけて、きと哥詠み、連哥し、ないし狂歌までも、にはかの事に、故あるやうに詠みし方、眞實の堪能と見えき。
家隆卿は、若かりし折はきこえざりしが、建久のころをひより、殊に名譽もいできたりき。哥になりかへりたるさまに、かひ/\しく、秀哥ども詠み集めたる多さ、誰にもすぐまさりたり。たけもあり、心も珍しく見ゆ。
雅經は、殊に案じかへりて哥詠みし物なり。いたくたけある哥などは、むねと多くは見えざりしかども、手だりと見えき。
秀能法師、身の程よりもたけありて、さまでなき哥も殊の他にいでばえするやうにありき。
まことに、詠み持ちたる哥どもの中にも、さしのびたる物どもありき。しかるを、近年、定家無下の哥の由申す由聞ゆ。


※龍田の奧にかゝる白雲
巻第一  春歌上  寂蓮 87  和歌所にて歌つかうまつりしに春歌とてよめる
葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかるしら雲

羇旅歌 明石の戸

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天さかるひなのなかちを

        恋くれは


 明石のとより

   やまとしま
     みゆ


新古今和歌集 第十 羇旅歌
 題しらず
      柿本人麿

あまざかる鄙のなが路を漕ぎくれば
明石のとよりやまと島見ゆ

読み:あまざかるひなのながじをこぎくればあかしのとよりやまとしまみゆ
意味:都を遠く離れた所から長い道のりを、都が恋しいと思いながら舟を漕いで来ると、明石海峡から大和の国の生駒や葛城の山々が見えて来ます。後もう少しで帰れます。
備考:万葉集、仮名序掲載歌

万葉集巻第三255 雑歌 柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首
天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見 [一本云 家門當見由]

柿本神社
明石市立天文科学館


六百番歌合

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攝政太政大臣家歌合 
六百番歌合 34首


 通称六百番歌合。藤原良経が、左大将の建久4年(1193年)に歌人12名に百首を提出させて行われた歌合で判者は俊成。春15、夏10、秋15、冬10、恋50題で、歌人は季経、兼宗、有家、顕昭、家房、経家、隆信、寂蓮、家隆、慈円、良経、定家。


 第一 春歌上
23 余寒 攝政太政大臣
空はなほかすみもやらず風冴えて雪げにくもる春の夜の月


37  春曙 藤原家隆朝臣
霞立つすゑのまつやまほのぼのと波にはなるるよこぐもの空


58  春曙 寂蓮法師
今はとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空


82  野遊 藤原家隆朝臣
おもふどちそことも知らず行き暮れぬ花のやどかせ野べの鶯


第二 春歌下
147  残春 攝政太政大臣
吉野山花のふるさとあと絶えてむなしき枝にはるかぜぞ吹く


第三 夏歌
251  鵜河 前大僧正慈圓
鵜飼舟あはれとぞ見るもののふのやそ宇治川の夕闇のそら


252 鵜河 寂蓮法師
鵜飼舟高瀬さし越す程なれやむすぼほれゆくかがり火の影


260 夏衣  攝政太政大臣
かさねても涼しかりけり夏衣うすきたもとにやどる月かげ


第四 秋歌上
359  秋夕 攝政太政大臣
物おもはでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮


377 稲妻 藤原有家朝臣
風わたる淺茅がすゑの露にだにやどりもはてぬ宵のいなづま


第五 秋歌下
453  秋田 前大僧正慈圓
わきてなど庵守る袖のしをるらむ稻葉にかぎる秋の風かは


531  柞 攝政太政大臣
柞原しづくも色やかはるらむ森のしたくさ秋ふけにけり


532  柞 藤原定家朝臣
時わかぬ浪さへ色にいづみ川ははその森にあらし吹くらし


544  暮秋 攝政太政大臣
立田姫いまはのころの秋かぜにしぐれをいそぐ人の袖かな


第六 冬
602 秋霜 前大僧正慈圓
もみぢ葉はおのが染めたる色ぞかしよそげに置ける今朝の霜かな


第十 羇旅歌
942  旅戀 前大僧正慈圓
東路の夜半のながめを語らなむみやこの山にかかる月かげ


第十二 戀歌二
1082 初戀 藤原定家朝臣
靡かじなあまの藻鹽火たき初めて煙は空にくゆりわぶとも


1087 忍戀 攝政太政大臣
洩らすなよ雲ゐるみねの初しぐれ木の葉は下に色かはるとも


1118 寄河戀 寂蓮法師
ありとても逢はぬためしの名取川朽ちだにはてね瀬々の埋木


1131  寄草戀 中宮大夫家房
逢ふ事はいつといぶきの嶺に生ふるさしも絶えせぬ思なりけり


1132 寄煙戀 藤原家隆朝臣
富士の嶺の煙もなほぞ立ちのぼるうへなきものはおもひなりけり


1138 曉戀 藤原有家朝臣
つれなさのたぐひまでやはつらからめ月をもめでじ有明の空


1141  祈戀 攝政太政大臣
幾夜われ波にしをれて貴船川そでに玉散るもの思ふらむ


1142 祈戀 藤原定家朝臣
年も經ぬいのるちぎりははつせ山をのへの鐘のよそのゆふぐれ


第十三 戀歌三
1223 契戀 前大僧正慈圓
ただ頼めたとへば人のいつはりを重ねてこそは又も恨みめ


第十四 戀歌四
1291 寄席戀 藤原定家朝臣
忘れずはなれし袖もや氷るらむ寝ぬ夜の床の霜のさむしろ


1292  別戀 藤原家隆朝臣
風吹かば峯に別れむ雲をだにありしなごりの形見とも見よ


1304 寄木戀 攝政太政大臣
思ひかねうちぬる宵もありなまし吹きだにすさめ庭の松風


1305 寄風戀 藤原有家朝臣
さらでだにうらみむとおもふ吾妹子が衣の裾に秋風ぞ吹く


1310 寄風戀 攝政太政大臣
いつも聞くものとや人の思ふらむ來ぬ夕暮のまつかぜの聲


1311 寄風戀  前大僧正慈圓
心あらば吹かずもあらなむよひよひに人待つ宿の庭の松風


1321 寄虫戀 寂蓮法師
來ぬ人をあきのけしきやふけぬらむうらみによわるまつ虫の聲


1327  尋戀 前大僧正慈圓
心こそゆくへも知らね三輪の山杉のこずゑのゆふぐれの空


1330  曉戀 前大僧正慈圓
曉のなみだやそらにたぐふらむ袖に落ちくる鐘のおとかな

賀歌 高砂の松

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たかさごの松もむかしになりぬべし

なほ行くすゑは秋の夜の月  寂蓮

新古今和歌集 巻第七 賀歌
 八月十五夜和歌所歌合に月多秋友といふこころをよみ侍りし
          寂蓮法師
高砂の松もむかしになりぬべしなほゆく末は秋の夜の月

読み:たかさごのまつもむかしになりぬべしなおゆくすえはあきのよのつき

意味:長寿と言われる高砂の松とて、我が君の齢に比べると何れ枯れてしまうだろう。となると我が君の生涯の友は秋の夜の月だ。

作者:じゃくれん1139?~1202俗名藤原定長。醍醐寺阿闍利俊海の子叔父の俊成の養子となり、新古今和歌集の撰者となったが、途中没。

備考:撰歌合 本歌 誰をかも知るせん高砂の松も昔の友ならなくに

人麻呂 明石

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ともし火の明石

大門にいらむ日や

漕ぎ別れなむ

家のあたり見ず

万葉集巻第三0254
柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首
留火之明大門尓入日哉榜将別家當不見
燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
ともしびのあかしおほとにいらむひやこぎわかれなむいへのあたりみず

明石市月照寺墓所

正治二年後鳥羽院御初度百首歌

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正治二年後鳥羽院御初度百首歌 80首

1200年23名に百首歌を命じた。

第一 春歌上
3 春 式子内親王
山ふかみ春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
17 春 藤原家隆朝臣
谷河のうち出づる波も聲たてつうぐひすさそへ春の山かぜ
31 春 惟明親王
鶯のなみだのつららうちとけてふる巣ながらや春を知るらむ
44 春 藤原定家朝臣
梅の花にほひをうつす袖のうへに軒漏る月のかげぞあらそふ
45 春 藤原家隆朝臣
梅が香にむかしをとへば春の月こたへぬかげぞ袖にうつれる
52 春 式子内親王
ながめつる今日は昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな
62 春 攝政太政大臣
歸る雁いまはのこころありあけに月と花との名こそ惜しけれ
66 春 攝政太政大臣
ときはなる山の岩根にむす苔の染めぬみどりに春雨ぞ降る
83 春 式子内親王
いま桜咲きぬと見えてうすぐもり春に霞める世のけしきかな
91 春 藤原定家朝臣
白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふらし

第二 春歌下
130 春 二條院讃岐
山たかみ峯の嵐に散る花の月にあまぎるあけがたのそら
149 春 式子内親王
花は散りその色となくながむればむなしき空にはるさめぞ降る
157 春 攝政太政大臣
初瀬山うつろう花に春暮れてまがひし雲ぞ峯にのこれる
158 春 藤原家隆朝臣
吉野川岸のやまぶき咲きにけり嶺のさくらは散りはてぬらむ
174 春 攝政太政大臣
明日よりは志賀の花園まれにだに誰かは訪はむ春のふるさと

第三 夏歌
207 夏 民部卿範光
郭公なほひとこゑはおもひ出でよ老曾の森の夜半のむかしを
215 夏 式子内親王
聲はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそぐ宵のむらさめ
240 夏 式子内親王
かへり來ぬむかしを今とおもひ寝の夢の枕に匂ふたちばな
241 夏 前大納言忠良
たちばなの花散る軒のしのぶ草むかしをかけて露ぞこぼるる
255 夏 攝政太政大臣
いさり火の昔の光ほの見えてあしやの里に飛ぶほたるかな
270 夏 攝政太政大臣
秋近きけしきの森に鳴く蝉のなみだの露や下葉染むらむ
271 夏 二條院讃岐
鳴く蝉のこゑも涼しきゆふぐれに秋をかけたる森のした露

第四 秋歌上
291 秋 皇太后宮大夫俊成
伏見山松のかげよりみわたせばあくるたのもに秋風ぞ吹く
308 秋 式子内親王
うたたねの朝けの袖にかはるなりならすあふぎの秋の初風
349 秋 式子内親王
花薄まだ露ふかし穂に出でばながめじとおもふ秋のさかりを
356 秋 攝政太政大臣
荻の葉に吹けば嵐の秋なるを待ちける夜半のさをしかの聲
357 秋 攝政太政大臣
おしなべて思ひしことのかずかずになほ色まさる秋の夕暮
380 秋 式子内親王
ながめわびぬ秋より外の宿もがな野にも山にも月やすむらむ
432 秋 式子内親王
秋の色はまがきにうとくなりゆけど手枕馴るるねやの月かげ

第五 秋歌下
438 秋 入道左大臣
山おろしに鹿の音高く聞ゆなり尾上の月にさ夜や更けぬる
439 秋 寂蓮法師
野分せし小野の草ぶし荒れはててみ山に深きさをしかの聲
442 秋 惟明親王
み山べの松のこずゑをわたるなり嵐にやどすさをしかの聲
469 秋 寂蓮法師
物思ふそでより露やならひけむ秋風吹けば堪へぬものとは
474 秋 式子内親王
跡もなき庭の淺茅にむすぼほれ露のそこなる松蟲のこゑ
485 秋 式子内親王
ふけにけり山の端ちかく月さえてとをちの里に衣うつこゑ
512 秋 前大僧正慈圓
秋を經てあはれも露もふかくさの里とふものは鶉なりけり
518 秋 攝政太政大臣
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む
534 秋 式子内親王
桐の葉もふみ分けがたくなりにけり必ず人を待つとならねど
540 秋 二條院讃岐
散りかかる紅葉の色は深けれど渡ればにごるやまがはの水

第六 冬歌
584 冬 二條院讃岐
折こそあれながめにかかる浮雲の袖も一つにうちしぐれつつ
589 冬 入道左大臣
まきの屋に時雨の音のかはるかな紅葉や深く散り積るらむ
593 冬 宜秋門院丹後
吹きはらふ嵐の後の高峰より木の葉くもらで月や出づらむ
615 冬 攝政太政大臣
笹の葉はみ山もさやにうちそよぎ氷れる霜を吹くあらしかな
629 冬 守覺法親王
むかし思ふさ夜の寝覺の床さえて涙もこほるそでのうへかな
630 冬 守覺法親王
立ちぬるる山のしづくも音絶えてまきの下葉に垂氷しにけり
635 冬 攝政太政大臣
かたしきの袖の氷もむすぼほれとけて寝ぬ夜の夢ぞみじかき
638 冬 式子内親王
見るままに冬は來にけり鴨のゐる入江のみぎは薄氷りつつ
662 冬 式子内親王
さむしろの夜半のころも手さえさえて初雪しろし岡のべの松
671 冬 藤原定家朝臣
駒とめて袖うち拂ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ
690 冬 式子内親王
日數ふる雪げにまさる炭竈のけぶりもさびしおほはらの里
701 冬 入道左大臣
いそがれぬ年の暮こそあはれなれ昔はよそに聞きし春かは

第七 賀歌
734 祝 式子内親王
天の下めぐむ草木のめもはるにかぎりも知らぬ御世の末々
736 祝 攝政太政大臣
敷島ややまとしまねも神代より君がためとやかため置きけむ

第十 羇旅歌
944 旅 宜秋門院丹後
知らざりし八十瀬の波を分け過ぎてかたしくものは伊勢の濱荻
947 旅 式子内親王
行末は今いく夜とかいはしろの岡のかや根にまくら結ばむ
948 旅 式子内親王
松が根のをじまが磯のさ夜枕いたくな濡れそあまの袖かは
969 旅 藤原家隆朝臣
契らねど一夜は過ぎぬ清見がた波にわかるるあかつきの空
977 鳥 宜秋門院丹後
おぼつかな都にすまぬ都鳥こととふ人にいかがこたへし
985 旅 前大僧正慈圓
さとりゆくまことの道に入りぬれば戀しかるべき故郷もなし

第十一 戀歌一
1030 恋 前大僧正慈圓
わが戀は松を時雨の染めかねて眞葛が原に風さわぐなり
1036 忍戀 式子内親王
わが戀は知る人もなしせく床のなみだもらすな黄楊の小まくら
1073 恋 攝政太政大臣
かぢをたえ由良の湊による舟のたよりも知らぬ沖つしほ風
1074 恋 式子内親王
しるべせよ跡なきなみに漕ぐ舟の行方も知らぬ八重のしほ風

第十二 戀歌二
1083 恋 攝政太政大臣
戀をのみすまの浦人藻鹽垂れほしあへぬ袖のはてを知らばや
1120 恋 二條院讃岐
なみだ川たぎつ心のはやき瀬をしがらみかけてせく袖ぞなき
1124 恋 式子内親王
夢にても見ゆらむものを歎きつつうちぬる宵の袖のけしきは
1134 恋 惟明親王
逢ふことのむなしき空の浮雲は身を知る雨のたよりなりけり

第十三 戀歌三
1153 恋 式子内親王
逢ふことを今日まつが枝の手向草いく世しをるる袖とかは知る

第十四 戀歌四
1293 恋 攝政太政大臣
いはざりき今來むまでの空の雲月日へだててもの思へとは

第十五 戀歌五
1386 恋 藤原家隆朝臣
逢ふと見てことぞともなく明けぬなりはかなの夢の忘れ形見や
第十六 雜歌上
1510 秋 二條院讃岐
むかし見し雲居をめぐる秋の月いまいくとせかそでにやどさむ
1517 秋 攝政太政大臣
月見ばといひしばかりの人は來でまきの戸たたく庭のまつ風
1538 秋 藤原隆信朝臣
ながめても六十ぢの秋は過ぎにけりおもへばかなし山の端の月
1576  土御門内大臣
朝ごとにみぎはの氷ふみわけて君につかふる道ぞかしこき

第十七 雜歌中
1622 山家 藤原家隆朝臣
瀧の音松のひびきも馴れぬればうちぬるほどの夢は見せけり
1663 山家 式子内親王
今はわれ松のはしらの杉の庵に閉づべきものを苔ふかき袖
1664 山家 小侍從
しきみ摘む山路の露にぬれにけりあかつきおきの墨染の袖
1665 山家 攝政太政大臣
忘れじの人だに訪はぬ山路かな櫻は雪に降りかはれども

第十八 雜歌下
1810 鳥 式子内親王
曉のゆふつけ鳥ぞあはれなる長きねぶりを思ふまくらに
1835 山家 前大僧正慈圓
いつかわれみ山の里の寂しきにあるじとなりて人に問はれむ

忠度公園 よく見ないと歌碑と分からない歌碑

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冬の歳時記

白真弓石辺の山の
 常磐なる命なれやも
   恋ひつつ居らむ



万葉集巻第十一2444
寄物陳思
白檀石邊山常石有命哉戀乍居
以前一百四十九首柿本朝臣人麻呂之歌集出

しらまゆみいしへのやまのときはなる いのちなれやもこひつつをらむ



兵庫県明石市天文町2丁目忠度公園

高砂神社玉垣 探しだせたらすごい!歌碑

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たれをかも知る人にせむ高砂の

 松も昔の友ならなくに 藤原興風

 


古今和歌集巻第十七 雑哥中
 題しらす
   藤原おきかせ
誰をかもしる人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに


兵庫県高砂市 高砂神社玉垣

千五百番歌合

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千五百番歌合(後鳥羽院三度百首歌)


建仁二年(1202)9月2日後鳥羽院より30名の歌人に百首歌を奉じさせ、75首を一巻として、一人二巻、十人の判者に判じさせ、翌年3月完成したペーパー上の歌合。判者は、春1,2を忠良、春3,4を俊成、夏1,2を通親、夏3,秋1を良経、秋2,3を後鳥羽、秋4,冬1を定家、冬2,3を季経、祝,恋1を師光、恋2,3を顕昭、雑1,2を慈円とした。通親は途中10月21日没したため、関係部分は未完。
注:歌合番号は、歌合番(歌番号) ○=勝ち △=持 ×=負け 無印=不明 歌番号等は新編国歌大観による。


第一春歌上
46 67(134)○ 右衞門督通具梅のはな誰が袖ふれしにほひぞと春や昔の月にとはばや


47 77(154)○ 皇太后宮大夫俊成女
梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月


74 111(222)○ 藤原雅經
しら雲のたえまになびくあをやぎの葛城山に春風ぞ吹く


75 116(231)○ 藤原有家朝臣
柳のいとに玉ぬく白つゆの知らずいく世の春か經ぬらむ


76 117(223)○ 宮内卿
薄く濃き野邊のみどりの若草にあとまで見ゆる雪のむらぎえ


96 180(360)○ 右衞門督通具
いそのかみふる野のさくら誰植ゑて春は忘れぬ形見なるらむ


97 186(371)  正三位季能
花ぞ見る道のしばくさふみわけて吉野の宮の春のあけぼの


98 220(441)△ 藤原有家朝臣
朝日かげにほへる山のさくら花つれなく消えぬ雪かとぞ見る


第二 春歌下
100 119(238)△ 皇太后宮大夫俊成
いくとせの春に心をつくし來ぬあはれと思へみよし野の花


112 120(240)○ 皇太后宮大夫俊成女
風かよふ寝ざめの袖の花の香にかをるまくらの春の夜の夢


134 235(470)△ 藤原定家朝臣
櫻色の庭のはるかぜあともなし訪はばぞ人の雪とだにみむ


144 268(534)○ 左近中將良平
散るはなのわすれがたみの峰の雲そをだにのこせ春のやまかぜ


154 281(561)○ 寂蓮法師
思ひ立つ鳥はふる巣もたのむらむ馴れぬる花のあとの夕暮


155 253(505)△ 寂蓮法師
散りにけりあはれうらみの誰なれば花のあととふ春の山風


156 230(459)× 權中納言公經
春ふかくたづねいるさの山の端にほの見し雲の色ぞのこれる


第三 夏歌
209 332(662)  攝政太政大臣
有明のつれなく見えし月は出てぬ山郭公待つ夜ながらに


213 372(742)  藤原保季朝臣
過ぎにけりしのだの森の郭公絶えぬしづくを袖にのこして


216 365(728)  權中納言公經
ほととぎす猶うとまれぬ心かな汝がなく里のよその夕ぐれ


239 376(751)  右衞門督通具
行くすゑをたれしのべとて夕風に契りかおかむ宿のたちばな


253 484(967)○ 皇太后宮大夫俊成
大井河かがりさし行く鵜飼舟いく瀬に夏の夜を明かすらむ


254 460(919)○ 藤原定家朝臣
ひさかたの中なる川の鵜飼舟いかに契りてやみを待つらむ


265 485(968)△ 權中納言公經
露すがる庭のたまざさうち靡きひとむら過ぎぬ夕立の雲


269 481(961)△ 前大納言忠良
夕づく日さすや庵の柴の戸にさびしくもあるかひぐらしの聲


281 502(1002)○ 宮内卿
片枝さす麻生の浦梨はつ秋になりもならずも風ぞ身にしむ


282 513(1024)○ 前大僧正慈圓
夏衣かたへ涼しくなりぬなり夜や更けぬらむゆきあひの空


第四 秋歌上
293 527(1052)× 攝政太政大臣
深草の露のよすがをちぎりにて里をばかれず秋は來にけり


294 545(1089)△ 右衞門督通具
あはれまたいかに忍ばむ袖のつゆ野原の風に秋は來にけり


295 539(1076)× 源具親
しきたへの枕のうへに過ぎぬなり露を尋ぬる秋のはつかぜ


296 540(1078)× 顯昭法師
みづぐきの岡の葛葉も色づきて今朝うらがなし秋のはつ風


338 568(1134)○ 左近中將良平
夕さればたま散る野邊の女郎花まくらさだめぬ秋風ぞ吹く


374 714(1427)○ 右衞門督通具
ふかくさの里の月かげさびしさもすみこしままの野邊の秋風


434 315(629)左衞門督通光
さらにまた暮をたのめと明けにけりつきはつれなき秋の夜の空


第五 秋歌下
445 603(1204)○ 前大僧正慈圓
鳴く鹿の聲に目ざめてしのぶかな見はてぬ夢の秋の思を


477 725(1448)○ 權中納言公經
衣うつみ山の庵のしばしばも知らぬゆめ路にむすぶ手枕


480 741(1481)○ 藤原定家朝臣
秋とだにわすれむと思ふ月影をさもあやにくにうつ衣かな


487 755(1509)× 藤原定家朝臣
ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ


513 807(1613)○ 左衞門督通光
いり日さすふもとの尾花うちなびきたが秋風に鶉啼くらむ


515 752(1503)△ 皇太后宮大夫俊成女
とふ人もあらし吹きそふ秋は來て木の葉に埋む宿の道しば


519 769(1536)○ 春宮權大夫公繼
寝覺する長月の夜の床さむみ今朝吹くかぜに霜や置くらむ


537 813(1625)○ 藤原家隆朝臣
露時雨もる山かげのした紅葉濡るとも折らむ秋のかたみに


545 820(1639)○ 權中納言兼宗
行く秋の形見なるべきもみぢ葉も明日は時雨と降りやまがはむ


第六 冬歌
551 836(1621)○ 皇太后宮大夫俊成
おきあかす秋のわかれの袖の露霜こそむすべ冬や來ぬらむ


587 869(1736)△ 源具親
今はまた散らでもながふ時雨かなひとりふりゆく庭の松風


590 908(1814)○ 二條院讃岐
世にふるは苦しきものをまきの屋にやすくも過ぐる初時雨かな


597 884(1766)× 源具親
今よりは木の葉がくれもなけれども時雨に殘るむら雲の月


598 854(1710)○ 源具親
晴れ曇る影をみやこにさきだててしぐると告ぐる山の端の月


606 895(1792)× 殷富門院大輔
我が門の刈田のおもにふす鴫の床あらはなる冬の夜のつき


608 963(1925)× 皇太后宮大夫俊成女
冴えわびてさむる枕に影見れば霜ふかき夜のありあけの月


609 897(1793)× 右衞門督通具霜
むすぶ袖のかたしきうちとけて寝ぬ夜の月の影ぞ寒けき


648 1011(2020)○ 正三位季能
さ夜千鳥聲こそ近くなるみ潟かたぶく月に汐や滿つらむ


684 1023(2045)△ 右衞門督通具
草も木も降りまたがへたる雪もよに春待つ梅の花の香ぞする


696 1414(2828)× 小侍從
思ひやれ八十ぢの年の暮なればいかばかりかはものは悲しき


706 1047(2093)○ 皇太后宮大夫俊成
今日ごとに今日や限と惜しめども又も今年に逢ひにけるかな


第七 賀歌
737 1052(2102)○ 攝政太政大臣
濡れてほす玉ぐしの葉の露霜に天照るひかり幾世經ぬらむ


739 1093(2185)○ 藤原定家朝臣
わが道を守らば君を守らなむよはひはゆづれすみよしの松


第十 羇旅歌
949 1399(2799)△ 皇太后宮大夫俊成女
かくてしも明かせばいく夜過ぎぬらむ山路の苔の露の筵に


970 1432(2865)× 藤原家隆朝臣
故郷にたのめし人もすゑの松待つらむそでになみやこすらむ


第十二 戀歌二
1096 1193(2384)○ 二條院讃岐
うちはへてくるしきものは人目のみしのぶの浦のあまの栲繩


1110 1342(2686)△ 皇太后宮大夫俊成
逢ふことはかた野の里のささの庵しのに霧散る夜はの床かな


1119 1337(2672)○ 攝政太政大臣
歎かずよいまはたおなじ名取川瀬々の埋木朽ちはてぬとも


1126 1277(2552)△ 攝政太政大臣
身に添へるその面影も消えななむ夢なりけりと忘るばかりに


1128 1156(2311)× 前大納言忠良
たのめ置きし淺茅が露に秋かけて木の葉降りしく宿の通ひぢ


1135 1206(2414)× 右衞門督通具
わが戀は逢ふをかぎりのたのみだに行方も知らぬ空の浮雲


第十四 戀歌四
1272 1292(2582)○ 攝政太政大臣
めぐりあはむ限はいつと知らねども月な隔てそよその浮雲


1273 1307(2612)△ 攝政太政大臣
わが涙もとめて袖にやどれ月さりとて人のかげは見えねど


1274 1340(2678)○ 權中納言公經
戀ひわぶるなみだや空に曇るらむ光もかはるねやの月かげ


1276 1262(2523)○ 右衞門督通具
いま來むと契りしことは夢ながら見し夜に似たるありあけの月


1277 1346(2690)○ 藤原有家朝臣
忘れじといひしばかりのなごりとてその夜の月は廻り來にけり


1285 1329(2657)× 皇太后宮大夫俊成女
ならひ來し誰が偽もまだ知らで待つとせしまの庭の蓬生


1294 1235(2469)△ 藤原家隆朝臣
思ひ出でよ誰がかねごとの末ならむ昨日の雲のあとの山風


1319 1333(2665)× 右衞門督通具
言の葉のうつりし秋も過ぎぬればわが身時雨とふる涙かな


1320 1191(2381)○ 藤原定家朝臣
消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露


1331 1265(2528)× 權中納言公經
つくづくと思ひあかしのうら千鳥浪の枕になくなくぞ聞


1332 1219(2437)× 藤原定家朝臣
尋ね見るつらき心の奧の海よ汐干のかたのいふかひもなし


第十五戀歌五
1340 1248(2495)○ 右衞門督通具
問へかしな尾花がもとの思草しをるる野邊の露はいかにと


1388 1145(2289)△ 皇太后宮大夫俊成
あはれなりうたたねにのみ見し夢の長き思にむすぼほれなむ


第十六雜歌上
1477 1436(2872)○ 藤原有家朝臣
春の雨のあまねき御代を頼むかな霜に枯れ行く草葉もらすな


1540 1403(2806)○ 二條院讃岐
身のうさに月やあらぬとながむれば昔ながらの影ぞもり來る


1558 681(1361)○ 皇太后宮大夫俊成
しめ置きて今やとおもふ秋山のよもぎがもとに松蟲の鳴く


1559 695(1389)△ 皇太后宮大夫俊成
荒れわたる秋の庭こそあはれなれまして消えなむ露の夕暮


第十七雜歌中
1602 1431(2862)○ 正三位季能
水の江のよしのの宮は神さびてよはひたけたる浦の松風


1619 1417(2835)△ 右衞門督通具
一筋に馴れなばさてもすぎの庵に夜な夜な變る風の音かな


1634 1478(2956)△ 二條院讃岐
ながらへて猶君が代を松山の待つとせしまに年ぞ經にける


第十八雜歌下
1702 1382(2764)○ 攝政太政大臣
舟のうち波の下にぞ老いにけるあまのしわざも暇なの世や


1763 1472(2944)○ 攝政太政大臣
浮き沈み來む世はさてもいかにぞと心に問ひて答へかねぬる


1765 1457(2914)△ 攝政太政大臣
おしかへし物を思ふは苦しきに知らずがほにて世をや過ぎまし


1814 1465(2930)○ 土御門内大臣
位山あとをたづねてのぼれども子をおもふ道になほ迷ひぬる


91首。4首不明(下の歌を除く)。


詞書では、千五百番歌合となっているが、確認できなかった歌。
516 第五 秋歌下 皇太后宮大夫俊成女
色かはる露をば袖に置き迷ひうらがれてゆく野邊の秋かな


1095第十二 戀歌二 左衞門督通光
限あればしのぶの山のふもとにも落葉がうへの露ぞいろづく


1106第十二 戀歌二 左衞門督通光
ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮の空


1275第十四 戀歌四 左衞門督通光
いくめぐり空行く月もへだてきぬ契りしなかはよその浮雲


布引の滝 滝の夏 定家

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     定家卿
布引の滝のしらいと
 なつくれは
  絶えすそ人の
     山ち
    たつぬる


最勝四天王院障子和歌
布引
布引の滝の白糸夏来れば絶えずぞ人の山路訪ぬる
ぬのひきのたきのしらいとなつくればたえずぞひとのやまぢたづぬる

明石忠度塚 行暮れて

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    ゆきくれてこのしたかけをやとせは
旅宿花
    はなやこよひのあるしならまし


行き暮れて木下蔭を宿とせば花や今宵の主なるらし




兵庫県明石市天文町2丁目2-18
神戸地方裁判所 明石支部裏手
山陽電鉄人丸駅徒歩4分

最勝四天王院障子和歌

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最勝四天王院障子歌 13首

 最勝四天王院は、鎌倉幕府の調伏を願って、後鳥羽院が1205年に白河に建立。1220年に情勢が切迫したため、壊した。建永2年(1207年)6月最勝四天王院障子に46カ所の名所を書き、屏風歌を十歌人に詠ませた。つまり新古今和歌集竟宴後の歌となる。

第二春歌下
133 吉野山 太上天皇
みよし野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春のあけぼの

第三夏歌
184 浅香沼 藤原雅經
野邊はいまだ淺香の沼に刈る草のかつみるままに茂る頃かな
259 見関 左衞門督通光
見がた月はつれなき天の戸を待たでもしらむ波の上かな

第四秋歌上
290 高砂 藤原秀能
吹く風の色こそ見えねたかさごの尾の上の松に秋は來にけり

第五秋歌下
526 鈴鹿川 太上天皇
鈴鹿川ふかき木の葉に日かずへて山田の原の時雨をぞ聞く

第六冬歌
636 宇治河 太上天皇
橋姫のかたしき衣さむしろに待つ夜むなしき宇治のあけぼの
637 宇治河 前大僧正慈圓
網代木にいさよふ波の音ふけてひとりや寝ぬる宇治のはし姫
649 鳴海浦 藤原秀能
風吹けばよそになるみのかたおもひ思はぬ浪に鳴く千鳥かな
650 鳴海浦 左衞門督通光
浦人のひもゆふぐれになるみ潟かへる袖より千鳥鳴くなり

第十六雜歌上
1577 阿武隈川
藤原家隆朝臣 君が代にあふくま川のうもれ木も氷の下に春を待ちけり

第十七雜歌中
1651 布引 藤原有家朝臣
ひさかたの天つをとめがなつごろも雲居にさらす布引の瀧

第十八雜歌下
1723 大淀 藤原定家朝臣
大淀の浦に刈りほすみるめだに霞にたえてかへる雁がね

第十九神祇歌
1900 小塩山 前大僧正慈圓
小鹽山神のしるしをまつの葉に契りし色はかへるものかは

明石忠度腕塚 行暮れて

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行きくれて木の下蔭を宿とせは
花やこよいのあるしならまし 「平家物語」より


「腕塚神社縁起」より
寿永三年(一一八四)二月七日、源平一の谷の戦いに敗れた薩摩守平忠度は、海岸沿いに西へ落ちていった。源氏の将の岡部六弥太忠澄(おかべのろくやたただずみ)は、はるかにこれを見て十余騎で追った。忠度に付き従っていた源次ら四人は追手に討たれ、ついに忠度は一人になって、明石の両馬川(りょうまがわ)まできた時、忠澄に追いつかれた。二人は馬を並べて戦い組み討ちとなる。忠度は忠澄を取り押さえ首をかこうとした。忠澄の郎党は主人の一大事とかけつけ、忠度の右腕を切り落とす。「もはやこれまで」と、忠度は念仏を唱え討たれる。箙(えびら)に結びつけられた文を広げると
「行きくれて木(こ)の下陰(したかげ)を宿(やど)とせば花は今宵(こよい)の主(あるじ)ならまし 忠度」
とあり初めて忠度と分かった。敵も味方も、武芸、歌道にもすぐれた人を、と涙したという。清盛の末弟の忠度は、藤原俊成に師事した歌人であった。年齢は四十一歳。忠度が馬を並べて戦った川をその後、両馬川と呼ぶようになり、つい最近まで山電人丸駅の北に細い流れが残っていたが、埋められて暗渠(あんきょ)になってしまい、昔を偲ぶよすがもない。
(略)山電の線路脇に忠度の腕を埋めたという小さい祠があった。昭和五十九年三月、山電の高架化工事のため東約三十メートルの位置に移されたものが現在の腕塚神社である。町名もこれに因んで右腕塚(うでづか)と称していたが、天文町に変更された。時代の流れとはいえ歴史や伝説が消えていくのは惜しい。
(略)地元民としては子子孫孫に至るまで神社奉仕が伝承される事を切に願うものである。



明石市天文町
山陽電鉄人丸駅徒歩1分

経正の馬塚

歌論 後鳥羽院御口伝 宜秋門院丹後

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宜秋門院丹後


女房哥詠みには、丹後、やさしき哥あまた詠めりき。
苔の袂に通ふ松風
木の葉雲らで
浦漕ぐ舟は跡もなし
忘れじの言の葉
殊の他なる峯の嵐に
この他にも多くやさしき哥どもありき。人の存知よりも、愚意に殊に/\よくおぼえき。
故攝政は、かくよろしき由仰せ下さるゝ故に、老の後にかさ上がりたる由、たび/\申されき。


※苔の袂に通ふ松風
巻第十八 雑歌下 丹後 1794  春日の社の歌合に松風といふことを
なにとなく聞けばなみだぞこぼれぬる苔の袂に通ふ松風
※木の葉雲らで
巻第五  秋歌上 丹後 593  題しらず
吹きはらふ嵐の後の高峰より木の葉くもらで月や出づらむ
※浦漕ぐ舟は跡もなし
巻第十六 雑歌上 丹後 1505  和歌所の歌合に湖上月明といふことを
夜もすがら浦こぐ舟はあともなし月ぞのこれる志賀の辛崎
※忘れじの言の葉
巻第十四 恋歌四 丹後 1303  建仁元年三月歌合に逢不會戀のこころを
忘れじの言の葉いかになりにけむたのめし暮は秋風ぞ吹く
※殊の他なる峯の嵐に
巻第十七 雑歌中 丹後 1621 鳥羽にて歌合し侍りしに山家嵐といふことを
山里は世の憂きよりも住みわびぬことのほかなる峯の嵐に


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