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Channel: 新古今和歌集の部屋
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歌論 後鳥羽院御口伝

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藤原定家

定家は、さうなき物なり。さしも殊勝なりし父の詠をだにもあさ/\と思ひたりし上は、ましてや餘人の哥、沙汰にも及ばず。やさしくもみ/\とあるやうに見ゆる姿、まことにありがたく見ゆ。道にも達したるさまなど、殊勝なりき。哥見知りたるけしき、ゆゝしげなりき。たゝし引汲の心になりぬれば、鹿をもて馬とせしがごとし。傍若無人、理も過ぎたりき。他人の詞を聞くに及ばず。
惣じて彼の卿が哥存知の趣、いさゝかも事により折によるといふ事なし。ぬしにすきたるところなきによりて、我が哥なれども、自讃哥にあらざるをよしなどいへば、腹立の氣色あり。
先年に、大内の花の盛り、昔の春の面影思ひいでられて、忍びてかの木の下にて男共の哥つかうまつりしに、定家左近中將にて詠じていはく
としを經てみゆきになるゝ花のかげふりぬる身をもあはれとや思ふ
左近次將として廿年に及びき。述懷の心もやさしく見えし上、ことがらも希代の勝事にてありき。尤も自讃すべき哥と見えき。先達どもゝ、必ず哥の善惡にはよらず、事がらやさしく面白くもあるやうなる哥をば、必ず自讃哥とす。定家がこの哥詠みたりし日、大内より硯の箱の蓋に庭の花をとり入れて中御門攝政のもとへつかはしたりしに誘はれぬ人のためとや殘りけむと返哥せられたりしは、あながち哥いみじきにてはなかりしかども、新古今に申し入れて
このたびの撰集の我が歌にはこれ詮なり
とたび/\自讃し申されけると聞き侍りき。昔よりかくこそ思ひならはしたれ。哥いかにいみじけれども、異樣の振舞して詠みたる戀の哥などをば、勅撰うけ給はりたる人のもとへは送る事なし。これらの故實知らぬ物やはある。されども、左近の櫻の詠うけられぬ由、たび/\哥の評定の座にても申しき。家隆等も聞きし事也。諸事これらにあらはなり。
最勝四天王院の名所の障子の哥に生田の森の歌いらずとて、所々にしてあざけりそしる、あまつさへ種々の過言、かへりて己が放逸を知らず。まことに清濁をわきまへざるは遺恨なれども、代々勅撰うけ給はりたる輩、必ずしも萬人の心に叶ふ事はなけれども、傍輩猶誹謗する事やはある。
惣じて彼の卿が哥の姿、殊勝の物なれども、人のまねぶべきものにはあらず。心あるやうなるをば庶幾せず。たゝ、詞姿の艷にやさしきを本躰とする間、その骨すぐれざらん初心の者まねばゝ、正躰なき事になりぬべし。定家は生得の上手にてこそ、心何となけれども、うつくしくいひつゝけたれば、殊勝の物にてあれ。

秋とだに吹きあへぬ風に色變る生田の森の露の下草

まことに、秋とだにとうちはじめたるより、吹きあへぬ風に色變るといへる詞つゝき、露の下草と置ける下の句、上下相兼ねて、優なる哥の本躰と見ゆ。かの障子の生田の森の哥にはまことにまさりて見ゆらん。しかれども、かくのごとくの失錯、自他今も/\あるべき事也。さればとて、長き咎になるべからず。此の哥もよく/\見るべし。詞やさしく艷なる他、心もおもかげも、いたくはなきなり。森の下に少し枯れたる草のある他は、氣色も理もなけれども、いひながしたる詞つゝきのいみじきにてこそあれ。案内も知らぬ物などは、かやうの哥をば何とも心得ぬ間、彼の卿が秀哥とて人の口にある哥多くもなし。をのづからあるも、心から不受也。釋阿、西行などは、最上の秀哥は、詞も優にやさしき上、心が殊に深く、いはれもある故に、人の口にある哥、勝計すべからず。凡そ顯宗なりとも、よきはよく愚意にはおぼゆる間、一筋に彼の卿がわが心に叶はぬをもて左右なく哥見知らずと定むる事も、偏執の義也。すべて心には叶はぬなり。哥見知らぬは、事缺けぬ事なり。
撰集にも入りて後代にとゝまる事は、哥にてこそあれば、たとひ見知らずとも、さまでの恨みにあらず。
  秘蔵々々、尤不可有披露云


※年を経て
巻第十六 雑歌上 定家 1454  近衛司にて年久しくなりて後うへのをのこども大内の花見に罷れりけるによめる 
春を經てみゆきに馴るる花の蔭ふりゆく身をもあはれとや思ふ
※大内より硯の箱の蓋に庭の花をとり入れて中御門摂政のもとへつかはしたり
巻第二 春歌下 後鳥羽院  135  ひととせ忍びて大内の花見にまかりて侍りしに庭に散りて侍りし花を硯の蓋に入れて攝政のもとにつかわし侍りし 
今日だにも庭を盛とうつる花消えずはありとも雪かとも見よ
※誘われぬ人のためとや残りけむ
巻第二 春歌下 良経  136  返し
さそはれぬ人のためとやのこりけむ明日よりさきの花の白雪


百人一首古註 伝頼行筆断簡コレクション

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に尋た○いつれもこの哥をもうされ
○○○侍り定家卿是程の○よみてこ
の世のおもひてにせはやとの給しと也
           坂上是則
朝ほらけあり明の月と見るまてに吉野の里にふれる
                     白雪
この哥は大和に下し時よめり暁○と見侍○
吉野○里にふれるしら雪
○の月と

連歌師頼行 牡丹花(肖柏)頼実息
肖柏(嘉吉三年(1443)-大永七年(1527)
室町時代の連歌作者。夢庵,牡丹花,弄花軒と号す。『新撰菟玖波集 (つくばしゅう) 』の編纂に宗祇を助け,式目の増補整理にもあたった。宗祇,宗長とともに賦した『水無瀬三吟百韻 』は有名。

宮内庁図書寮文庫の応永本『百人一首抄』百人一首抄、京都府立資料館蔵百人一首鈔 道晃親王御作、百人一首古注(吉田 幸一編 )とも異なっている。
肖柏は、宗祇の弟子であり、古今伝授を受けている。朝倉茂入の極札を信じれば頼実は孫弟子に当たる。
その子の頼行が書写したものとなると、16世紀前半のものとなる。

夏歌 衣干したり 明石市歌碑

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春過ぎて夏来るらし白栲の

衣干したり天の香久山

夏の歳時園




新古今和歌集 巻第三夏歌
 題しらず         持統天皇御歌
春過ぎて夏來にけらししろたへの衣ほすてふあまのかぐ山

読み:はるすぎてなつきにけらししろたへのころもほすちょうあまのかぐやま

意味:春が終わってどうやら夏になったらしい。天の香具山では、田植え前の五月女たちの斎衣の白い衣を干すのがみえますから。

作者:じとう645~702天智天皇の鵜野讃良皇女、天武天皇の皇后。

備考:八代抄、歌枕名寄、新古今抜書抄(松平文庫本)、九代抄、九代集抄、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)
万葉集巻第一28 雑歌
     藤原宮御宇天皇代
春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

明石市藤江1631-11の付近

春歌上 夢の浮橋 正徹筆色紙コレクション

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春のよの夢の

 うきはしとたへ

      して

 みねにわかるゝ

    よこ雲の
       空


守覚法親王家五十首歌に      藤原定家朝臣
春の夜の夢のうきはしとだえして峯にわかるるよこ雲の空

よみ:はるのよのゆめのうきはしとだえしてみねにわかるるよこぐものそら

松月庵徹書記
正徹
(永徳元年(1381年) - 長禄三年(1459年))。室町時代中期の臨済宗の歌僧。道号は清巌(岩)、庵号は招(松)月庵。
石清水八幡宮に仕える祀官一族の出身で、父は小松(または小田)康清といわれ、備中国小田郡の小田荘を知行していた。俗名は正清。
和歌を冷泉為尹と今川了俊(貞世)に学ぶ。応永二十一年(1414年)出家、法号を正徹と号した。京都東福寺の書記であったことから徹書記とも呼ばれた。室町幕府6代将軍足利義教に忌避され謫居。そのためか『新続古今和歌集』に正徹の歌は入集していない。義教の没後は歌壇に復帰し活躍。歌人のみならず古典学者としても評価をされており、8代将軍足利義政に『源氏物語』の講義を行っている事等が知られている。

20000首近くの詠が現存する、室町時代最大の歌人。歌風も際立って特色あり、二条派からは異端視されたが、藤原定家を尊崇し、時に前衛的、象徴的、夢幻的で、独自の幽玄の風体を開拓した。門下には心敬らがいる。家集に『草根集』、歌論に正徹物語がある。

また、古典学者としては『源氏物語』の研究のほか、『伊勢物語』などの物語類や藤原定家などの歌人の家集など、多くの古典籍の書写を行い、現存の伝本流布に貢献している。なかでも正徹の書写した『徒然草』は現存最古の写本として重要なものであり、彼が「つれづれ草は枕草子をつぎて書きたる物也」と、両書を同じ文学の形態として認めた点は、現代では常識であるが、当時の文学史家として優れた着眼点といえる。



朝倉茂入(初代)


平成28年5月1日 貮點陸

盛衰記絵抄 義経四天王・巴御前

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 義経四天王
伊勢三
郎義盛は伊勢
國二見の住人
初竹島三郎
と云  亀井六郎重
清は紀伊國の住人
片岡八郎經春は
常陸の國の住人       よしつねに
駿河次郎清         仕へて各
常は駿河国         大功あり
蒲原の住人なり


巴御前は権頭兼遠が娘にて  巴御前内田が首を
古今未曽有勇烈の賢婦なり     ひきぬく圖
かまくらへ召れてよりともこう
力量上覧のとき
大柱をうごかし
営中震動
○後和田義盛が
妻となり朝比奈
義秀を産む

美濃の家づと 一の巻 春歌下2

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摂政家五首歌に          俊成卿
又やみんかたのゝみのゝさくらがり花の雪散る春のあけぼの
めでたし。詞めでたし。狩は、雪のちる比する物なるを、その狩をさくらがりにいひなし、其雪を花の雪にいひなせる。いとおもしろし。
百首哥めしける時春の哥      具親

時しもあれたのむのかりの別さへ花ちる比のみよしのゝ里
めでたし。詞めでたし。武蔵のみよしのと、大和の
みよし野と、一ツになれるは、ことさらにかくよみなせるなり。
あやまりてまがひたるにはあらず。これも此集のころ
の一ツのおもむきなり。
題しらず             西行
ながむとて花にもいたくなれぬれば散わかれ社かなしかりけれ
ながむは、心ゆかず。古歌に、√なるゝを人はいとふべらなりと
あるによりて、花にもといへるなり。
                 越前

山ざとの庭よりほかの道も哉ちりぬやと人もこそとへ
色のもじいとわろし。にとあるべき所也。もしはにを写し
謝れるにはあらざるか。散しきたる花を、ふまむとの
をしきよし、詞にはあらはさずして、さだかにしか聞えたるは、
めでたし。上句を或抄に、山ざとはあまたの道のなき
よしなりといへるは、無用の注なり。
五十首哥奉りし中に湖上花     宮内卿
花さそふひらの山風ふきにけりこぎゆく舟の跡見ゆるまで
めでたし。詞めでたし。跡見ゆるまで吹にけりといふに
はあらず。此けりは、おしはかりて定めたるけりにて、下句は、

舩の跡の見ゆるまでに、花の散うきたるはといふ意を、いひの
こしたるなり。古歌に、√こぎゆく舩の跡なきがごとゝ
ありて、舩の跡は見えぬ物なるに、みゆる迄といへるは、ちりうき
たる花の多きほどを、甚しくいへるなり。契沖が、詞い
かめしくて、女の身におはずや、すべて此人の哥は、をのこにかへ
まほしきが多き也といへるは、心得ず。女の哥ならんからに、つよき
をきらふべきにあらず。小町が哥を、つよからぬは、女の哥なれば
なるべしといへるも、つよからぬをゆるしたるに社あれ。女の哥
は、つよからぬをよしといへるにはあらざるをや。

高砂の松 その3

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よそながら幾年すぎぬ逢ふことを

 松も老いぬる高砂のきし  成家

民部卿家歌合
よそながらいくとせすぎぬあふことをまつもおいぬるたかさごのきし


松にふく嵐の音も高砂の

 浦ぢしぐるゝ秋の夕ぐれ   厳教

玉葉集
まつにふくあらしのおともたかさごのうらちしくるるあきのゆふぐれ


人の名のことも高砂浦のなみ

 しはしの浪さへ分けて契らむ 宗弘

 

今はとてはらひすてゝむ高砂の

 松の思はん老のことの葉   逍遙

それながら春はくもゐに高砂の

 霞のうへの松のひとしほ 藤原定家

建保名所百首
それなからはるはくもゐにたかさこのかすみのうへのまつのひとしほ

 

高砂の松はわれとも霜がれに

 まじれる枝を知る人ぞなき  中務

中務集
たかさごのまつはわれともしもがれにまじれるえだをしるひとぞなき

 

あひ生におひそふ千世の種もみむ
 あふぐ宮居も高砂の松    其覧

 

今朝見れば雪高砂の松が枝は

 つちにつくまで降りつみにけり 季経

六百番歌合
けさみればゆきたかさこのまつがえはつちにつくまてふりつみにけり

羇旅歌 有馬山

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  万葉の歌

しながどり

猪名野ゆけば

有馬山

 夕霧たちぬ

  宿はなくして


新古今和歌集巻第十 羇旅歌
 題しらず
     よみ人知らず
しなが鳥猪名野を行けば有馬山
ゆふ霧立ちぬ宿はなくして

万葉集巻第七 1140 雑歌
摂津で
志長鳥 居名野乎来者 有間山 夕霧立 宿者無而  一本云 猪名乃浦廻乎 榜来者
しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿りはなくて   一本云 猪名の浦みを漕ぎ来れば

神戸市北区有馬町池尻 太閤の湯玄関左


雑歌上 葵祭

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新古今和歌集巻第十六 雜歌上

いつきの昔を思ひ出でて

   式子内親王

 ほととぎす

そのかみ山の
    旅枕

ほのかたらひし
  空ぞ
   わすれぬ


御霊神社 六歌仙、三十六歌仙絵馬

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六歌仙絵馬


三十六歌仙絵馬




京都市上京区
御霊(上御霊)神社

羇旅歌 明石の戸

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 あまざかる


夷の長道ゆ


 恋くれば



明石の門より


六禾島見ゆ


新古今和歌集 第十 羇旅歌
 題しらず
      柿本人麿


あまざかる鄙のなが路を漕ぎくれば
明石のとよりやまと島見ゆ


読み:あまざかるひなのながじをこぎくればあかしのとよりやまとしまみゆ
意味:都を遠く離れた所から長い道のりを、都が恋しいと思いながら舟を漕いで来ると、明石海峡から大和の国の生駒や葛城の山々が見えて来ます。後もう少しで帰れます。
備考:万葉集、仮名序掲載歌


万葉集巻第三255 雑歌 柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首
天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見 [一本云 家門當見由]


明石市茶園場町 明石川JR鉄橋北


夏歌 上賀茂神社 神山

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新古今和歌集巻第三 夏歌


 葵をよめる

     小侍從

いかなれば

   そのかみ
山のあふひ
    草

年は經れど
   も二葉な
     るらむ


読み:いかなればそのかみやまのあおいぐさとしはふれどもふたばなるらむ

冬歌 久木の川原

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ぬばたまの夜の更けゆけば久木生
ふる清き川原に千鳥しは鳴く

夏歳時記園



新古今和歌集巻第六 冬歌
題しらず
山部赤人
うばたまの夜のふけ行けば楸おふる清き川原に千鳥鳴くなり

読み:うばたまのよのふけゆけばひさぎおふるきよきかわらにちどりなくなり

万葉集巻第六925雑歌
吉野離宮に行幸して
烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥数鳴

明石市大久保町松陰545の付近
松陰谷八木川公園

布引の滝 藤原良清

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       藤原良清

   音にのみ聞きしは

ことの数ならて名よりも

     高き布引の滝



千載集 巻巻十六 雑歌上
 ぬのひきのたきをよめる
 藤原良清
おとにのみききしはことのかすならて名よりもたかきぬのひきの滝

とにのみききしはことのかずならでなよりもたかきぬのびきのたき

羇旅歌 猪名野

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  作者不知

 摂津作

志長鳥居名

野乎来者有

間山夕霧立

宿者無而


新古今和歌集巻第十 羇旅歌
 題しらず
     よみ人知らず
しなが鳥猪名野を行けば有馬山ゆふ霧立ちぬ宿はなくして


万葉集巻第七 1140 雑歌
志長鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿りはなくて

伊丹市緑ヶ丘公園


美濃の家づと 一の巻 春歌下3

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関路花

あふ坂や梢の花を吹くからにあらしぞ霞む関の杉村

下句詞めでたし。逢坂の関の杉村ならで、こと所のこと
木にても、同じことなれば、題の関の詮なし。梢のといへる
は、四の句のために、高き所をいはんとてなれど、杉むらと
ちゞめたれば、杉の梢の花と聞えていかゞ。

最勝四天王院ノ障子によし野山かきたる所

          太上天皇天皇御製

みよしのゝ高ねのさくら散にけりあらしもしろき春の曙

おしはかりてさだめたるけりなり。

千五百番ノ歌合に   定家朝臣

さくら色の庭の春風あともなしとはゞぞ人の雪とだに見む

めでたし。詞めでたし。初二句は、嵐もしろし、嵐ぞ
かすむ、などのたぐひにて、又一きはめづらかなり。梢より
花さそふ春風は、桜色に見ゆるをいへり。さて上句は、花は
残りなく、庭にちりはてたるさまなり。跡は雪の縁の詞。
 四の句ぞもじ、力を入られたり。ばぞのてにをは、めで
たし。下句本歌、√明日は雪とぞふりなまし云々。

一年大内の花見にまかりて侍しに、散たる花を、硯のふた
にいれて、摂政の許につかはし侍し。 太上天皇御製

けふだにも庭をさかりとうつる花消ずはありとも雪かとも見よ

初御句は、結御句の見よへかゝれり。うつるはちれる也。四の
御句、本歌は詞は全く同じけれど、意は異なり。もゝじは、
たゞ軽く添たるにて、よのつねのともの意にはあらず。たゞ
とゝいふに同じ。下御句の意は、花はちりて、雪ともなりたれ
ども、消ずにはありと思ひて、せめて今日、雪かとなりとも
見よなり。或抄に、四の御句を心得かねて、消る社雪なら
め。花なれば、よし消ずともと注したるは、さらに聞えぬこと也。

御かへし             摂政

さそはれぬ人のためとや残りけんあすよりさきの花の白雪

四の句は、本歌には、√明日は雪とぞふりなましとあるを、これは

今日既に雪とふりたれば、明日は又此雪もきえぬべきに、明日きえぬさきのけふのといふ意か。又は雪とはふりたれ共、本歌に、明日は雪とある。その明日よりさきなれば、今日は猶雪とは見ず、花と見るといふ意か。いづれにしても、おもしろくとりなし玉へる詞なり。

須磨の関屋 定家

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        定家

桜花たが世の若木ふり果てゝ

須磨の関屋の跡うづむらん

 



読み:さくらばなたがよのわかぎふりはててすまのせきやのあとうづむらむ

承久元年九月
道助法親王家五十首 春歌

神戸市須磨区関守町
関守稲荷神社

恋ふる美吉野

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    皆人の
恋ふるみよしの
 今日見れば
うべも恋ひけり
   山川
    清み


万葉集巻第七 1131
芳野作
皆人之戀三芳野今日見者諾母戀来山川清見
みなひとのこふるみよしのけふみれば うべもこひけりやまかはきよみ


奈良県吉野郡吉野町喜佐谷

三十六歌仙 大中臣頼基 日野弘資筆コレクション

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 右  大中臣頼基

  つくともつきし

    君がよはひは

一ふしに千代
      を
    こめたる杖

      なれは

拾遺集賀歌
おなし賀(承平四年中宮の賀)に竹のつゑつくりて侍りけるに
頼基
ひとふしに千世をこめたる杖なればつくともつきじ君かよはひは

公任三十六人撰
俊成三十六人歌合
ひとふしにちよをこめたるつゑなればつくともつきじきみがよはひは

日野弘資(元和三年(1617)-貞享四年(1687))。光慶の子。一字名は弘。権大納言正二位。

吉野の滝の命

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皆人の
命も我が
   も
みよしのの
滝の常磐
    の
常ならぬ
   かも

万葉集巻第六920~922
神龜二年乙丑夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首并短歌反歌二首
足引之御山毛清落多藝都芳野河之河瀬乃浄乎見者上邊者千鳥數鳴下邊者河津都麻喚百礒城乃大宮人毛越乞尓思自仁思有者毎見文丹乏玉葛絶事無萬代尓如是霜願跡天地之神乎曽祷恐有等毛
萬代見友将飽八三芳野乃多藝都河内乃 大宮所
人皆乃壽毛吾母三吉野乃多吉能床磐乃常有沼鴨

みなひとのいのちもわれもみよしののたきのときはのつねならぬかも

吉野町喜佐谷
喜佐谷多目的研修会館前
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