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Channel: 新古今和歌集の部屋
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俊成三十六歌仙 藤原仲文 日野弘資筆コレクション

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右   藤原仲文

有明の月の光を

 まつほとにわか世

        の

  いたく更にける
         哉

拾遺集巻第八雑歌上
 冷泉院の東宮におはしましける時月をまつ心のうたをのことものよみ侍りけるに
 藤原仲文
ありあけの月のひかりをまつほとにわか世のいたくふけにけるかな

公任三十六人撰
俊成三十六人歌合
ありあけのつきのひかりをまつほどにわがよのいたくふけにけるかな

日野弘資(元和三年(1617)-貞享四年(1687))。光慶の子。一字名は弘。権大納言正二位。

平成28年5月13日 壱


俊成三十六人歌合 坂上是則 日野弘資筆コレクション

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左  坂上是則

 ふるさとさむく
       成まさる也

みよし野の

   山の白雪

      つもるら
         し



み吉野の山の白雪積もるらし古里寒くなりまさるなり


 古今集巻第六325
  ならの京にまかれりける時に
  やとれりける所にてよめる
      坂上是則 
みよしのの山の白雪つもるらしふるさとさむくなりまさるなり

 和漢朗詠集
みよしのの山のしらゆきつもるらしふるさとさむくなりまさるなり

 俊成三十六人歌合
 左     坂上是則
みよしののやまのしらゆきつもるらしふるさとさむくなりまさるなり


日野弘資(元和三年(1617)-貞享四年(1687))。光慶の子。一字名は弘。権大納言正二位。

平成28年5月13日 壱

春歌上 春や昔の月に問ふ 筆者不明コレクション

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千五百番歌合に

   右衞門督
      通具

梅のはなたか袖

 ふれしにほひ
      そと

 はるやむかしの

   月にとはゝや



新古今和歌集 巻第一春歌上
千五百番歌合に
梅のはな誰が袖ふれしにほひぞと春や昔の月にとはばや

作者:源通具。堀川大納言とも。堀川家の祖。

48.2cm x 35.5cm

平成28年5月 22日 貮

送王永  劉商 筆者不明コレクション

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君去春山
  誰共遊
 鳥啼花落
  水空流


送王永 
   劉商
君去春山誰共遊
鳥啼花落水空流
如今送別臨溪水
他日相思來水頭


王永を送る  劉商
君去らば春山誰と共にか遊ばむ。
鳥啼き花落ちて水空しく流れむ。
如今別れを送りて溪水に臨む。
他日相思はば水頭に來たれ。
韻 遊流頭(尤)

劉商
中唐の詩人、画家。字は子夏。彭城(現徐州)の人。大暦年間の進士。官は礼部郎中に至る。文に優れ、絵画に秀でていた。

平成28年5月23日 壱

美濃の家づと 一の巻 春歌下4

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五十首歌奉りし時             家隆朝臣

さくら花夢かうつつかしら雪のたえてつれなき峯の春風

めでたし、本歌√云々しら雲のたえてつれなき君が
心か、たえては、上よりは、白雲の絶たる意につゞけて、た
えてつれなきは、俗言に言語道断のつれなき風ぞ、といふ意に

て、つてなき花をちらしたることを深く恨みたる也。二の
句、一夜ほどなどに、俄に散たるさまなり。さて又、しらず
をしら雲へいひかけ、又峯の花は、白雲と見ゆる物なれば、白雲
の絶るは、散たるよし也。されば白雲の絶てといへるは、本
歌の詞なるを、本歌になき趣を、かくさま/"\こめられたる
ほど、いとたくみなり。下句を或抄に、風のつれなく残り
たることに注したるは、えてといふ言にかなはず。

題知らず                   俊成卿女

うちみずや(よイ)うきよを花のいとひつつさそふ風あらばと思ひけるをば

めでたし。本歌√わきぬれば身をうき草の根をたえて

さそふ水あらばいなんとぞおもふ、初句やとよとのおとり
まさりは、よの方は、今少したしかに聞ゆれ共、うきよの
よと重(かさ)なりて、しらべおとれり。やは疑ひのやに、いさゝかまぎ
るゝかたはあれ共、疑ひのやにはあらざることは、一首の趣にて
よく聞えたり。此やは即よの意にて、此歌にては、よといはんよ
りは、しらべまされり。すべて此集の比の歌は、句のしらべ詞の
しらべに、くはしく心をつけて、えでたくいひなしたる物なれ
ば、其心して、一もじといへ共、なほざりには見べからず。二三の
句は、本歌のごとく、世をうき物に思ふ我心を以て、花の心をも
思ひやりて、早く散行をも、うき世をいとひての故と、おもひ

なだめて、恨みずる。一首の趣をあらはしたり。四の句、本歌の水
を風にかへたる。おもしろし。さて此句、九もじによむはわろし。
とは下なる句へつけり。此例多し。結句、をばといへる意は、
花の早くちることは、大かたはうけれ共、うき世をいとふ所は、
ことわりなれば、それをば恨みずといへるなり。大かた此歌、
ほかにはたぐひなき、一ツのさまにて、女の歌には、殊にあはれに
おもしろきふりなり。四の句結句ともに、もじの余りたるも、
にほひとなれり。初句を或抄に、恨みずやはあらん。恨みずやはあらん。恨
むべしとの意也といへるは、むげに歌みしらぬいひごと也。

千五百番歌合に              左近中将良平

ちる花の忘れがたみの峯の雲そをだにのこせ春の山風

本歌√そをだに後の忘れかたみに、歌ざまはよろし
けれど本歌のとりざまは、詮なきがごとし。

落花                雅経

花さそふなごりを雲に吹とめてしばしはにほへ春の山風

なごりは香をいふ。下ににほへとあるにて知べし。雲は
花にまがひて見ゆる物なる故に、雲にとはいへるなり。

残春                摂政

よし野山花のふる郷あとたえてむなしき枝に春かぜぞ吹

花の故郷とは、花の散たる跡をいひて、吉野の故郷をかね

たり。跡絶ては、花の跡もなくなれるにて、それを花の
散たる故に、見にこし人の跡も絶たることに、かね用ひたる
なり。春風ぞふくとは、とひくる人は絶て、ただはるかぜば
かり、吹よる意なり。

 

転た寝橋

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はしの名をなほ

うたたねと

きく人のきくはゆめちか

うつつなからに


恵慶法師集
橋の名をなほうたた寝と聞く人の聞くは夢路か現ながらに


はしのなをなほうたたねときくひとのきくはゆめちかうつつなからに

枕草子六十一段
  橋はあさむつの橋、長柄の橋、天彦の橋、浜名の橋、ひとつ橋、うたた寝の橋、佐野の舟橋、堀江の橋、鵲の橋、山菅の橋、一筋わたしたる棚橋、心狭けれど、名を聞くにをかしきなり。 

 

吉野川宮滝

歌論 俊頼髄脳 仁徳天皇

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俊頼髄脳

おほよそ歌は、神佛みかどきさきよりはじめてたてまつりて、あやしの山賤にいたるまで、その心あるものは、皆詠まざるものなし。神佛の御歌は、さきにしるし申せり。
帝の御製は、大鷦鷯の天皇の、たかみくらにのぼらせ給ひて、はるかにながめやらせ給ひて、詠ませ給へる御製、
高き屋にのぼりて見ればけぶり立つ民のかまどもにぎはひにけり
これは、都うつりのはじめ、たかみくらにのぼらせ給ひて、民のすみかを御覽じて、詠ませ給へる歌なり。かまど、などは、歌に詠まむには卑しき詞なれど、かみ詠みおかれぬれば、はばかりなし。
【略】


新古今和歌集 巻第七賀歌
 仁徳天皇御歌
高き屋にのぼりて見れば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり

賀歌 生野

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新古今和歌集巻第七 賀歌

平治元年大嘗會主基方辰日參入音聲生野をよめる

     刑部卿範兼

   大江山

越えていく野の末

 とほみ

  道ある世

 にも逢ひに

けるかな

読み:おおえやまこえていくののすえとおみみちあるよにもあいにけるかな


〒620-0823 京都府福知山市生野99の付近



歌論 俊頼髄脳 最澄

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傳教大師御歌、
阿耨多羅三藐三菩提の佛たちわが立つ杣に冥加あらせ給へ
これは、比叡の山を、末まで事なくあるべきよしを、詠ませ給へるなり。この人々こそ、歌などは、さるものもやあるとも知らでおはすべけれど、われが國の風俗なれば、みな詠み給へり。


※新古今和歌集巻第二十釈教歌
比叡山中堂建立の時歌
傳教大師
阿耨多羅三藐三菩提の佛たちわがたつ杣に冥加あらせたまへ

最澄(767~822)日本天台宗開祖。比叡大師、比叡山延暦寺山家大師、根本大師ともよばれる。傳教大師は勅諡。

古今著聞集 賀茂の利生

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古 今 著 聞 集

  
神祇第一
32 二條宰相雅經賀茂社に日參して利生を蒙る事
二條宰相雅經卿は、賀茂大明神の利生にて、成あがりたる人也。そのかみ世間あさましくたえ/”\しくて、はか/”\しく家などもたたざりければ、花山院の釣殿に宿して、それにより歩行にて、ふるにもてるにも只賀茂へまいるをもてつとめとしてけり。其比よみ侍ける。
世の中に數ならぬ身の友千鳥なきこそわたれかもの河原に
この歌、心の中ばかりに思つらねて、世にちらしたる事もなかりけるに、社司忘却其名 が夢に、大明神、
われは、なきこそわたれ數ならぬ身に、とよみたるものゝいをしき也。たづねよ。
としめし給けり。それよりあまねく尋ければ、この雅經のよみたるなりけり。此示現きゝて、いか計彌信仰の心も深かりけん。
さて、次第に成あがりて、二位宰相までのぼり侍り。是併大明神の利生也。

栄花物語 万葉集と勅撰集

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榮花物語 巻第一 月の宴
昔、高野の女帝の御代、天平勝寶五年には、左大臣橘卿、諸卿大夫等集りて、万葉集を撰ばせたまふ。


醍醐の先帝の御時は、古今二十卷撰りとゝのへさせたまひて、世にめでたくせさせたまふ。


ただ今まで二十餘年なり。古の今のと古き新しき歌、撰りとゝのへさせたまひて、世にめでたうせさせたまふ、この御時には、その古今に入らぬ歌を、昔のも今のも撰ぜさせたまひて、後に撰ずとて後撰集といふ名をつけさせたまひて、また二十卷撰ぜさせたまへるぞかし。それにも、この小野宮の大臣の御歌多く入りためり。だだし、古今には、貫之、序いとをかしう作りて仕うまつれり。後撰集にもさやうにやと思しめしけれど、かれはその時の貫之このかたの上手にて、古を引き今を思ひ、行く末をかねておもしろく作りたるに、今はさやうのことに堪へたる人なくて、口惜しく思しめしけり。


万葉集 よしとよく見て

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よき人の  吉野よく
よしと     見よ
よく     よき人
 見て     よく
よしと     見つ
言ひし   天武天皇



万葉集巻第一 27
  天皇幸于吉野宮時御製歌
淑人乃良跡吉見而好常言師芳野吉見与 良人四来三
 紀曰 八年己卯五月庚辰朔甲申幸于吉野宮

淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見
よきひとのよしとよくみてよしといひしよしのよくみよよきひとよくみ


奈良県吉野郡吉野町宮滝 伊勢街道の付近
吉野歴史資料館

歌論 俊頼髄脳 住吉御歌

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住吉の神の御歌、
夜や寒きころもやうすき片ぞきのゆきあはぬまより霜やおくらむ
これ、御社の年つもりて荒れにければ、帝の御夢に見せたてまつらせ給へる歌なり。片削といへるは、神の社の棟に、高くさしいでたる木の名なり。住吉の御社は、二つの社さしあひてあれば、その二つの社の朽ちにたるよしを、詠ませ給へるにや。
かたそぎを、かささぎと書ける本もあるか。歌論義に互に争へることあり。鵲といひては心も得ず。
【略】


※かたそぎ
新古今和歌集巻第十九神祇歌

考察 有馬山

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どの百人一首の解説にも有る有馬山と猪名。
「有馬山の近くにある猪名」
所が有馬山は、どの山か?について解説した物は無い。

猪名については、猪名川が有り、その流域からは、伊丹市、豊中市となる。
そこから、有馬温泉が近隣となることはあまりにも遠すぎて、有り得無いし、見えない。

とすれば、伊丹市、豊中市、そして精々宝塚市から見える山を指すと云う方が合理的である。

であるならば、有馬山とは六甲山とする以外に合理的な説明をできる山は無い。

和漢朗詠集 田家 一条院良誉筆コレクション

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和漢朗詠集 田家
田家秋意 紀斉名

野酌卯時桑

葉露山畦甲

日稲花風

野酌は卯時桑葉の露、 山畦は甲日稲花の風

一条院良誉筆
文明七年~?
近衛政家男
興福寺別当大僧正一条院

平成28年5月 22日 壱點陸伍


公任三十六歌仙 素性 画家筆者不明コレクション

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 左    素性

見はたせは  法師

  柳さくらを

    こきませて

 都そはるの

   にしき

     なりける



古今和歌集春歌上
花さかりに京を見やりてよめる
そせい法し
みわたせは柳桜をこきませて宮こそ春の錦なりける

みわたせはやなきさくらをこきませてみやこそはるのにしきなりける

古今和歌六帖
和漢朗詠集
公任三十六人撰

平成28年5月22日 貮點壱

歌論 俊頼髄脳 蝉丸

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蝉丸が歌
世の中はとてもかくてもありぬべし宮も藁屋もはてしなければ
これは、逢坂の關にゐて、行き來の人に物を乞ひて、世をすぐすものありけり。さすがに、琴などひき、人にあはれがられける者にて、故づきたりけるものにや。あやしの草の庵を作りて、藁といふものを、かけてしつらひたりけるを見て、
あやしの住処のさまや。藁してしも、しつらひたるこそ
など笑ひけるを、詠める歌なり。
【略】


※世の中は
新古今和歌集巻第十八雑歌下

古今著聞集 一念多念

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古今著聞集

釈教第二
66 後鳥羽院聖覺法印に一念多念の義を尋ね給ふ事
後鳥羽院、聖覺法印參上したりけるに、
近來専修の輩、一念多念とて、たてわけてあらそふなるは、いづれか正とすべき
と御尋ありければ、
行をば多念にとり、信をば一念にとるべきなり
とぞ申侍ける。

栄花物語 円融院の諒闇

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榮花物語 巻第四

みはてぬゆめ その一
かくて圓融院の御葬送紫野にてせさせたまふ。そのほどの御有樣思ひやるべし。ひととせの御子の日に、このわたりのいみじうめでたかりしはやと、思し出づるも、あはれに悲しければ、閑院の左大將

紫の雲のかけても思ひきや春の霞になして見んとは


行成の兵衞佐いと若けれど、これを聞きて一條の攝政の御孫成房の少將の御もとに


おくれじと常のみゆきはいそぎしを煙にそはぬたびの悲しさ


などあまたあれど、いみじき御事のみおぼえしかばみな誰かはおぼゆる人のあらん。さて歸らせたまひぬ。御心のほどの事ども、いみじうあはれなりき。さべき殿ばら籠りさぶらひたまふ。


そのころ櫻のおかしき枝を人にやるとて、實方の中將


墨染のころもうき世の花盛りをり忘れても折りてけるかな


これもをかしう聞えき。世の諒闇にて、もの榮えなきことども多かり



※墨染の  巻第八 哀傷歌 760 藤原実方朝臣
正暦二年諒闇の春櫻の枝につけて道信朝臣に遣はしける

古今著聞集 内弁の作法

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古今著聞集

公事第四
103 後鳥羽院内辨の作法を習ひ給ふ事
後鳥羽院、公事の道をふかく御沙汰ありけるに、菩提院入道殿下に、内辨の作法をならはせおはしまさんとて、瀧口殿に御幸なりて、門みなさしまはされけり。入道殿下、すみぞめの御衣はかまに笏たゝしくして、院の御下重尻をたまはらせ給て、御腰にゆいて、もゝゆきはきてねらせ給たりける、目も心もおよばずまでたかりける。をさなき殿上人一二人、上北面には重輔朝臣一人ぞ候ける。

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