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Channel: 新古今和歌集の部屋
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春歌下 嵐騒花 難波頼輔

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  散りまがふ

花のよそめは

    よし野山

 あらしに

   さわぐみね
      の白雲


春日社歌合とて人々歌よみ侍りけるに         刑部卿頼輔
散りまがふ花のよそめはよし野山あらしにさわぐみねの白雲


読み:
ちりまがうはなのよそめはよしのやまあらしにさわぐみねのしらくも

難波頼輔

春歌下 春曙嵐白 後鳥羽院

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 みよし野の

  高嶺の

さくら散りにけ

 り嵐もしろき

  春の
    あけぼの


最勝四天王院の障子に吉野山かきたる所
              太上天皇
みよし野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春のあけぼの

日本書蹟大鑑 第十六巻 目次 蔵書

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日本書蹟大鑑
小松茂美著
   講談社
拾點伍

第十六

俵屋宗達
天海
良恕法親王
江月宗阮
佐川田昌俊
春日局
淀屋个庵
吉野大夫
水無瀬氏成
小倉公根
土井利勝
文高女王
石川勝政
草部屋道悦
伊丹屋宗不
沢庵宗彭

細川忠興
宮本武蔵
柳生宗矩


小堀遠州

今出川経宣


木幡の関 源頼政

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  宇治路
    行く
 末こそ

見えね山城の

木幡の関を
   霞
    こめつゝ


雑歌上 長等山春望 慈円

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新古今和歌集巻第十六
    雑歌上
  春のころ大乗院より人につかはしける
見せばやな志賀の唐崎ふもとなるながらの山の春のけしきを


読み:みせばやなしがのからさきふもとなるながらのやまのはるのけしきを

比叡山無動寺大乗院より下りた山道にて

切入歌の推定 明月記五月四日慈円歌1

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1 はじめに
 新古今和歌集は、元久二年三月二十六日に竟宴を行い、完成を披露した所で有るが、その時には、九条良経の仮名序も完成しておらず、又数日後には、これを削れ、これを入れろと後鳥羽院からの指示が撰者に勅命された。所謂切出歌、切入歌である。この様子については、撰者の藤原定家の日記である明月記に掲載されている。
 明月記の元久二年五月四日の記事に「又大僧正御歌一首、可書入新古今之由、有仰事。仍入之。」と有り、この日慈円の歌が切り入れられた事が分かる。
 新古今和歌集の写本には、歌を撰んだ撰者名が注記されているものが有る。これは、竟宴前に五人の撰者が撰んだもので有る事から、竟宴後に後鳥羽院が切入を勅した歌には誤記を除いてその記載が無い。
 それぞれの歌の詞書と撰者名注記などから、この切り入れられた歌について推定してみる。

切入歌の推定 明月記五月四日慈円歌2

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2 新古今和歌集の慈円
 新古今和歌集には、西行に次いで九十二首の慈円の歌が撰ばれている。
 主な撰歌資料を見ると
建久六百番歌合
正治二年後鳥羽院初度百首
正治二年後鳥羽院後度百首
千五百番歌合
仙洞句題五十首歌
老若歌合
となっている。
又、明らかに元久二年三月以降に披講された
元久詩歌合

建久元年
  4月8日 慈円一日百首
  9月13日 花月百首披講
  12月15~16日 二夜百首 61
 二年(1191年閏12月4日 十題百首披講
 四年
  9月末 六百番歌合
  治承題百首 1、698、699、1186、1322、1903
 五年
  夏 左大将家名所十首 673
  8月 南海漁夫北山樵客歌合
 六年
  2月 左大将家五首歌合
  2月 左大将家女房八人百首歌
 七年
  3月5日 兼実宇治にて歌会 743
 八年(1197年)
  7月29日 堀河題百首 679
 九年(1198年)
正治
 元年
  冬 左大将家冬十首歌合 639
 二年
  閏2月1日 左大将家十題二十番撰歌合
  8月25日 後鳥羽院正治二年初度百首提出
  10月仙洞十人歌合
  冬 後鳥羽院正治二年後度百首
 三年(1201年)
  1月18日 源通親家影供歌合 1436
建仁
 元年(同年)
  2月16~18日 老若五十首歌合
  3月29日 新宮撰歌合
  3月 後鳥羽院 伊勢神宮内宮、外宮百首 146b
  7月27日 和歌所設置 741
  8月3日 和歌所影供歌合
  8月15日 八月十五夜撰歌合 当座歌合
  冬 仙洞句題五十首
  12月28日 石清水社歌合
  12月 藤原公継伊勢勅使 1873、1874
 二年(1202年)
  1月13日 和歌所年始御会
  2月10日 和歌所影供歌合
  3月22日 三体和歌会
  5月26日 仙洞影供歌合
  6月15日 水無瀬釣殿当座六首歌合 1033
  8月15日 和歌所当座三首和歌歌
  8月20日 和歌所影供歌合
  9月13日 水無瀬殿恋十五首歌合
  9月26日 若宮撰歌合 
      水無瀬桜宮十五番歌合
 三年(1203年)
      京極殿初度和歌会
  1月 慈円贈答 1468
  春 千五百番歌合
  4月20日 新古今和歌集撰歌奏覧
  7月15日 八幡若宮撰歌合
  8月1日 摂政太政大臣家詩歌合
  11月23日 和歌所 俊成九十賀宴
元久
 元年(1204年)
  7月16日 宇治和歌御会 1139
  7月22日 新古今和歌集 部類開始
  8月15日 五辻新御所初度和歌会(八月十五夜歌合)
  10月19日 後鳥羽院尾張弔問贈答 801、802
  11月9日 定家、有家、後鳥羽院歌切り入れ
  11月10日 和歌所春日社歌合
  11月11日 北野宮歌合
  12月1日 後鳥羽院 石清水八幡、賀茂両社、住吉各三十首 471
 二年(1205年)
  2月21日 新古今和歌集 真名序奏覧
  3月2日 当世歌人の巻頭歌の命あり
  3月13日 後鳥羽院日吉三十首 614
  3月26日 新古今和歌集 竟宴
  6月15日 元久詩歌合
建永
 元年(1206年)
  7月25日 卿相侍臣歌合 当座歌合 和歌所当座歌合
  7月28日 和歌所当座歌合
  8月1日 卿相侍臣嫉妬歌合
  12月9日 熊野行幸 1911
 二年(1207年)
  4月7日 定家自嘆歌十首詠進
承元
 元年(同年)
  11月27日 最勝四天王院障子和歌




春歌下 藤壺 村上天皇

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新古今和歌集巻第二
   春歌下
  天暦四年三月十四日藤壺にわたらせ給ひて
  花をおしませ給ひけるに
             天暦御歌
円居して見れどもあかぬ藤浪のたたまく惜しき今日にもある哉


読み:まどいしてみれどもあかぬふじなみのたたまおしききょうにもあるかな

切入歌の推定 明月記五月四日慈円歌3

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 これを部類別に見ると、
春歌上 二首
春歌下 ナシ
夏歌  六首
秋歌上 六首
秋歌下 七首
冬歌  八首
賀歌  ナシ
哀傷歌 七首
離別歌 ナシ
羇旅歌 三首
恋歌一 一首
恋歌二 ナシ
恋歌三 一首
恋歌四 四首
恋歌五 ナシ
雑歌上 八首
雑歌中 七首
雑歌下 十六首
神祇歌 八首
釈教歌 八首
となっている。
 後鳥羽院御口伝によると慈円を「大僧正は、おほやう西行がふりなり。」と評しているが、決定的な違いは、桜の歌が一首しか撰歌されていない事で有る。
 その代わり、秋歌上、秋歌下が十三首と、冬歌八首と多い。
 又雑歌、特に雑歌下が多く、述壊歌が目立つ。
 恋歌は、六百番歌合等題詠からの採歌となり少ないのは当たり前。

凡河内躬恒

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 心あてにおら

 ばやおらむ
      初霜
を       の
 き
  まどはせる

  しら菊の花


古今和歌集巻第五
   秋歌下
白菊の花をよめる
         凡河内躬恒
心あてに折らばや折らむ初霜の置き惑はせる白菊の花

春歌下 春に心を尽くしきぬ 俊成

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いくとせの
       あはれと
 春に     思へ
  心を     みよし野
   つくし     の花
    來ぬ


第二 春歌下
千五百番歌合に春の歌
    皇太后宮大夫俊成
いくとせの春に心をつくし来ぬあはれと思へみよし野の花


読み:
いくとせのはるにこころをつくしきぬあわれとおもえみよしののはな

方丈の庵 大原について

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鴨長明は、最初に大原に隠棲したと有る。

大原の手前の場合、惟喬親王が隠棲した小野と言う地名になる。
これは、伊勢物語の「雪踏み分けて君を見むとは」で有名だ。
又、源氏物語夕霧にも落葉宮の母の御息所の山荘が有ったとある。

長明が、小野ではなく大原としたと言うことは、やはり勝林院付近と見るべきであろう。

日本書蹟大鑑 第十四巻 目次 蔵書

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日本書蹟大鑑
小松茂美著
   講談社
拾點伍

第十四

後陽成天皇
今出川晴季
鉄山宗鈍
中山慶親
山内一豊夫人
島津義弘
本阿弥光徳
藤原惺窩
冷泉為満
直江兼続
二条昭実
邦房親王
織田頼長
常胤法親王
山科言緒
鷹司信尚
富小路秀直
文英清韓
織田有楽
支倉常長
灰屋紹由
広橋兼勝
日野輝資
黒田長政
本因坊算砂
板倉勝重
高台院
福島正則
後藤庄三郎
毛利輝元
飛鳥井雅賢
山名禅高
観世黒雪
孝蔵王
本多忠刻
五辻之仲
冷泉為頼
龍岳宗劉
智仁親王
中御門資胤
藤堂高虎
津田弁作
堯円

切入歌の推定 明月記五月四日慈円歌4

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3 撰者名注記と隠岐本合点
 新古今和歌集の写本には、一二三四や衛有定隆雅やその偏の記号が記載されているものが有る。これは、「撰者名注記」と呼ばれ、元久二年三月までに各撰者が、この歌を撰んだと言う印で、藤原定家筆本系統の書写したと言われている。但し、各写本でかなり異同が有り、記載が一部欠落している本も有る。(東常縁筆断簡参照)
 撰者名注記がなされている写本の内、天理大学図書館蔵烏丸本(以下烏丸本)、尊経閣文庫蔵伝二条為親本(以下前田家本)を久保田淳が全評釈第九巻で纏めたものと久松潜一らが小宮堅次郎蔵(以下小宮本)を底本とした体系(但し選者名通具無し)によると以下の通りである。
〇烏丸本
・源通具  六首
・藤原有家 三十首
・藤原定家 三十二首
・藤原家隆 四十首
・藤原雅経 三十六首
〇前田家本 
・通具   八首
・有家   二十九首
・定家   三十四首
・家隆   三十六首
・雅経   三十七首
〇小宮本
・通具   0首
・有家   二十九首
・定家   三十五首
・家隆   三十九首
・雅経   三十六首
どの異本も家隆、雅経が多く、定家はそれに次ぐ。通具は元々撰歌数が少ないが、慈円歌への撰歌は多く、単独撰歌も秋歌など四首も有る。
 この注記が無い歌は、竟宴以後に後鳥羽院の親撰したものと考えて良い。但し、秋歌上の元久詩歌合は烏丸本のみ有家の注記が有るが、これは誤記と考えてみるべきであろう。

志賀越道の推定 山中編

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 崇福寺跡

北白河の入口には、北白河天神宮、乘願院が里の境を守っている。
北白河天神宮は、延喜以前より天使大明神と唱え、少彦名命が祀られていた。北白河久保田町にあった物を八代将軍義政公が文明年間、東山山荘造営に際し、今の千古山明神の森に遷座した。

 北白河天神宮

 乘願院
乘願院は元照高院の墓所だったが、照高院が明治期に廃寺となった事から、照高院門跡の位牌を安置している。

江戸時代の山中道は、石を切り出し運び出す為に利用されていた。直ぐに瀧があったとされているが、今は無い。
古今集巻第十六哀傷歌
さきのおほきおほいまうちきみをしらかはのあたりにおくりける夜よめる
    そせい法し
ちの涙おちてそたきつ白河は君か世まての名にこそ有りけれ

流れる白河では、川砂が白い事から名付けられたとの事。
同川を流れる紅葉を古今集秋歌下では
  志賀の山越えにてよめる
            春道列樹  
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり
と百人一首にも撰歌された有名な歌が詠まれている。


途中、身代り不動堂と北白川天然ラジウム温泉が有る。


今も京都-滋賀の抜け道として交通量が多く、バスと普通自動車がすれ違う時には、バスは停止しないといけない程道が狭く、歩行には注意が必要。

山中のバス停を右手に行くと山中町となり、本道はバイパスとの事。

古い街道で、町も落ち着いた雰囲気を持っていて、因超寺、極楽寺、中のお地蔵さんと続き、西教寺には鎌倉時代と伝えられる大きな石仏が有る。地元では薬師さんと呼ばれているそうだが、阿弥陀仏である。

 因超寺

 極楽寺

 中のお地蔵さん

 西教寺阿弥陀石仏

今は蓋がされているが、
しかの山こえにていしゐのもとにて
             つらゆき
むすぶてのしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな
の古今集で有名な山の井と伝えられている井戸が有る。

そこから、道を外れると樹下神社が有る。元々は日吉大社の八王子権現この木陰で参詣者は休んだのかも知れない。丁度同神社の祭日だった。
 参道
 樹下神社
 算額


山中の街並みを越えるとバイパスに出るが、これを渡り、20m程戻って小道に入る。砂防ダム建設の為に道路が整備されたとの事。そのままバイパスを行ってしまうと比叡平に出る。

一つ目の砂防ダムを過ぎて左に降りると小川添いに整備されていない道。舗装されている道も同じくたどり着く。

暫く行くと弁天道の常夜灯が並んでいるが、これを右に曲がって次の砂防ダムを越え、左に志賀峠の道標が有る。曲がらずそのまま真っ直ぐ行くと行き止まりとなる。


600m程行くと比叡山ドライブウェイの道路下のトンネルが有り、ここが志賀峠である。

参考
わたしたちの山中比叡平(比叡平小学校PTA 1988年11月)


琵琶湖湖底の三ツ矢千軒遺跡

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「地震で沈んだ湖底の村 琵琶湖湖底遺跡を科学する」(林博通他、サンライズ出版)によると、滋賀県高島市の湖底には、三ツ矢千軒遺跡と言う湖底遺跡が有る。
そこには、石仏や五輪塔が沈んでおり、近くから出土した土師器皿は12~13世紀で、近隣には立木根(ヤナギ?)が沈んでおり、その炭素14年代測定によると、「11世紀~13世紀で、傾向としては12世紀後半頃の年代を暗示している。」(57頁)

方丈記の
「山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地を浸せり。」(前田家本)
とは、元暦地震の琵琶湖北岸を襲った地滑り沈下と発生した津波を著したものと考えて良い。

雪月花 塚本邦雄 蔵書

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雪月花 絶唱交響
良經・家隆・定家名作選



著者:塚本邦雄
発行:讀賣新聞社
初版:昭和51年3月10日

題は、良経の
春の花秋の月にも残りける心のはては雪の夕暮(十題百首)
による。

塚本邦雄氏の嗜好により三人の歌を選び、それにイメージする詩を記載。
雪の巻 後京極摂政太上大臣
月の巻 從二位家隆
花の巻 權中納言定家

雑歌下 惜朽名 慈円

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新古今和歌集巻第第十八
  雑歌下
 例ならぬこと侍りけるに無動寺にて
 読み侍りける
      前大僧正慈円


 頼み来しわが

古寺の苔の
    下に
  いつしか朽ちむ

   名こそ惜し
       けれ


読み:たのみこしわがふるでらのこけのしたにいつしかくちむなこそおしけれ


比叡山無動寺

車折神社

誰も見ない芭蕉句碑 車折神社

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          芭蕉
ほととぎす大竹やぶをもる月夜


          去来
柿ぬしやこずゑはちかきあらし山


拙句
よく見ては蚊にもくはれん藪のなか
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