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Channel: 新古今和歌集の部屋
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時雨亭方丈記 序1

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  鴨長明方丈記
行河のながれはたえずしてしかも本の水に
あらず。よどみにうかぶうたかたはかつきえかつむ
すびて久しくとゞまることなし。世の中にある
人と栖と又かくのごとし。たましきの宮この内
に棟をならべ甍をあらそへるたかき賎き人
まことかと(ゝ)たずぬれば昔ありし家はまれなり。或は
去年やぶれて今年造れり。或は大家ほ
ろびて小家となる。すむ人も是おなじ。所もかはら
ず人もおかれどいにしヘ見し人は三十人が
                 中に

(参考)前田家本
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水に
非ず。淀みに浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結
びて、久しく留まる事無し。世の中にある
人と栖と斯くの如し。玉敷の都の中に甍を争える、貴き賎しき人
の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、是を
真かと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或いは
去年焼けて今年造り、或いは大家
滅びて小家となる。 住む人も是に同じ。所も変はら
ず、人も多かれど、いにしへ見し人は二三十人が中に

(参考)大福光寺本
ユク河ノナカレハタエスシテシカモゝトノ水ニ
アラス。ヨトミニウカフウタカタハカツキエカツム
スヒテヒサシクトゝマリタルタメシナシ。世中ニアル
人ト栖ト又カクノコトシ。タマシキノミヤコノウチ
ニ棟ヲナラヘイラカヲアラソヘルタカキヤシキ人
ノスマヒハ世々ヲヘテツキセヌ物ナレト是ヲ
マコトカト尋レハ昔アリシ家ハマレナリ。或ハ
コソヤケテコトシツクレリ。或ハ大家ホ
ロヒテ小家トナル。スム人モ是ニ同シ
。トコロモカハラ
ス人モヲホカレトイニシヘ見シ人ハ二三人カ中ニ

時雨亭方丈記 序2

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僅かに一人二人なり。朝に死す夕に生るな
らひたゞ水の泡にぞ似たりける。しらずむま
れしぬる人何方より來て何方ヘかさる。又知ずかり
のやどりたがためにか心をなやまし何によりてか
めをよろこばしむ。○○あるじとすみかと無しやう
をあらそふさまいはゞ朝がをの露にことならず。
あるひは露はおちて花のこるといへども朝日
にかれぬ。あるひは花しぼみて露なを消ず。き
えずといへ○暮を待ことなし。物の心をしれりし
より四十の春秋を送れる間に世の不思議を
                見る

(参考)前田家本
僅かに一人二人なり。朝に死に夕に生まるるな
らひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生
まれ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。又、知らず、借り
の宿、誰が為にか心を悩まし、何によりてか
心を悦ばしむる。その主と住み家と無常を争ふ樣、云はば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて、花残れり。残ると云へども朝の日に枯れぬ。或は、花凋みて露猶消えず。消えずと云へども夕をまつ事なし。予、物の心を知れりしより、四十余りの春秋を送る間に、世の不思議を見る

(参考)大福光寺本 
ワツカニヒトリフタリナリ。朝ニ死ニ夕ニ生ルゝナ
ラヒ水ノアハニソ似タリケル。不知ウ
マレ死ル人イツカタヨリキタリテイツカタヘカ去ル。又不知カリ
ノヤトリタカ為ニカ心ヲナヤマシナニゝヨリテカ
目ヲヨロコハシムル。ソノアルシトスミカト無常ヲアラソフサマイハゝアサカホノ露ニコトナラス。或ハ露ヲチテ花ノコレリ。ノコルトイヘトモアサ日ニカレヌ。或ハ花シホミテ露ナヲキエス。キエストイヘトモ夕ヲマツ事ナシ

予モノゝ心ヲシレリシヨリヨソチアマリノ春秋ヲゝクレルアヒタニ世ノ不思議ヲ見ル

猿丸、行平、業平 百人一首掛軸 至道無難筆コレクション

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    猿丸大夫
おくやまに紅葉
 ふみわけなく
      𢈘の
こゑきく
   ときぞ
  秋はかなしき
    中納言
      行平
たちわかれいなばの
 やまのみねに
おふる松とし
     きかば
 いまかへり
      こむ
    在原業平
       朝臣
ちはやぶるかみ
 きかず立田川 よも
からくれなひに
 水くゝるとは


至道無難禅師

至道無難
(慶長八年(1603年) - 延宝四年(1676年))は江戸時代初期の臨済宗の僧侶。本姓は大神氏、俗姓は相川。幼名は刑部太郎、通称は治太郎、源右衛門。俗諱は親明。号に却外、道時等。
至道無難を会得し至道無難の号を授かったのは慶安二年(1649年)のこととされる。


尾南上野間
 大嵜東吉 什宝

愛知県知多郡美浜町上野間(かみのま)


平成29年6月28日 壱

切入歌の推定 明月記五月四日慈円歌7

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5 切り入れ歌の推計
田渕句美子氏は、『明月記』(元久二年五月~閏七月)を読むの解説の中で、当時の明月記や砂厳などの記載と現存の歌人の歌数のかなりの差から、「歌自体も相当入れ替わっていると見るべきであろう。」(同書六三頁下段)と推察している。
五月四日の慈円切入歌についても「撰者名注記のない歌(それは基本的には竟宴後に切り入れられた歌である可能性の高いことを意味している)」(六四頁上段)として、春日社歌合、治承題百首、六百番歌合などを候補としつつ、「しかしこれも、この時に切り入れられた慈円歌が現存の『新古今集』にそのままあるとは確言できないので、あくまで可能性でしかない。」(同頁同段)と現存の新古今和歌集慈円歌数と『慈鎮和尚自歌合』跋記載歌数との差を示し、慎重な姿勢を記している。
なお、鎌倉の源実朝に贈られた新古今和歌集について、「この鎌倉本『新古今集』は、現在知られていないが、もしその伝本の断簡があったとしても、その部分によっては、すぐには『新古今集』であるとはわからないかもしれない。」(同頁中段)として、後の鶴見大学久保木秀夫准教授の発見を予言している。
以上述べてきた通り、撰者名注記、隠岐本合点は異本毎の異同が多く闕落も多い上に現在の歌がそのまま竟宴時にあったとは限らないなど不確定要素が多い。そこで可能性の大小から見る。
可能性の歌は以下の通りである。尚番号は國歌大観番号である。
95  春歌上 仙洞句題五十首
282  夏歌  千五百番歌合
559  冬歌  元久元年春日社歌合
699  冬歌  治承題百首
1327 恋歌四 六百番歌合
1330 恋歌四 六百番歌合
1754 雑歌下 四季雑二十首都合百首
1904 神祇歌 日吉百首(文治三年)
1943 法華経廿八品歌
の9首となるであろう。
95、282と1754は、烏丸本、尊経閣本、柳瀬本に撰者名注記があるが、小宮本に無い。
1904は、柳瀬本、小宮本に撰者名注記があるが、烏丸本には無く、尊経閣本は闕く。
95は全ての本の隠岐本合点が無い。
1330は柳瀬本には隠岐本合点があるが、他は無い。
1754は烏丸本のみ隠岐本合点があるが、小宮本には無く、柳瀬本は闕く。
以上から、この中で一番可能性が低いのは95で、次が282、1594となり、1794、1904が続く。
残り4首の内、九条良経が切入れた可能性がある1327、1943が留保とする。
共に冬歌の559元久元年春日社歌合と699治承題百首の内、春日社歌合を見た場合、主催者が後鳥羽院である事が重要なキーワードとなるであろう。
一方、建久四年詠歌の治承題百首は、12年も前の百首歌のうちの1首である。突然五月四日に思い出したように入撰を命じるのは唐突過ぎる。当時後鳥羽院は、新古今時代、千載集時代、三代集時代、万葉集時代のバランスを意識し始めていた節がある。明月記によると三月二日には、撰者の歌目録を出させ、五日には故者目録を作らせ、九日には撰者から歌を撰進させて、閏七月二十四日には千載集時代の俊恵らの歌数を抜き出させている。
大歌人である西行、俊成は後鳥羽院にとっては尊敬すべきであっても後白河院時代の歌人であり、対抗できるのは、慈円、良経、そして五人の撰者である。
慈円の歌数が少ないと感じた時に、加えようと思うのは、12年前の歌より半年前に自分が主催した春日社歌合から選んだと考えるべきであろう。
従って、元久二年五月四日に後鳥羽院が切入れた歌は、
巻第六 冬歌
木の葉散る宿にかたしく袖の色をありとも知らでゆく嵐かな
を第一の候補と推定する。

(参考文献)
明月記研究  記録と文学10号(2006年12月)
『明月記』(元久二年五月~閏七月)を読む
明月記研究会 編  八木書店

新古今和歌集註 筆者不明コレクション

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○○も
人と年を送り○てきて雪の比までも
○つれなしとよみ○ふや

少将高光横川にのぼりてかしらおろし侍に
けるを○○てつかはしける
        天暦御歌
都より雲の八重たつおく山の横川の水はすみよかるらん
  第一の句より第五の句ヘうつりたる哥也。都よりも
  よ川はすみよかるらんとやおぼし又○侍哥や
  誰も都より住よく○と申べきを九重のちを


新古今和歌集巻第十八
   雑歌下
少将高光横川にのぼりてかしらおろし侍にけるを聞かせ給ひてつかはしける
          天暦御歌
都より雲の八重立つおく山の横川の水はすみよかるらむ
御返し
          如覺
ももしきの内のみつねに恋しくて雲の八重立つ山は住み憂し

新古今和歌集巻第十八
   雑歌下
少将高光横川にのぼりてかしらおろし侍にけるを聞かせ給ひてつかはしける
          天暦御歌
都より雲の八重立つおく山の横川の水はすみよかるらむ
御返し
          如覺
ももしきの内のみつねに恋しくて雲の八重立つ山は住み憂し


平成29年7月6日 弐

時雨亭方丈記 大火1

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事やゝたび/\となりぬ。去安元三年廿八日
かとよ風激しく吹て閑ならざりし夜戌の
時ばかりより都の東南より火いできて西北に
いたる。はてには朱雀門大極殿大學寮民部
省までうつりて一夜のうちに塵灰となりにき。
火もとは樋口富小路とや。病人をやどせるかり
屋よりいできたりけるとなん。吹まどふ風にとかく
うつり行ほどに扇をひろげたるがごとくすゑひろ
になりぬ。又遠き家は煙にむせびちかきあたりは
ひたすらほのを地に吹つけたり。空には灰を吹

(参考)前田家本
事、やゝ度々になりぬ。去んじ安元三年四月廿八日
かとよ。風激しく吹きて世しづかならざりし夜、戌の
時ばかり、都の東南より火いてきて、西北に
いたる。果てには、朱雀門、大極殿、大学、民部
省まで移りて、夜一夜のうちに塵灰となりにき。
火元は樋口冨の小路とかや。舞人を宿せる仮
屋より出で来たりけるとなん。吹き舞ふ風に、とかく
移り行く程に、扇を広げたるが如く、末広
になりぬ。遠き家は煙に噎び、近き辺りは
ひたすら大路に吹き付けたり。空には灰を吹

(参考)大福光寺本
事ヤヽタヒタヒニナリヌ。去安元三年四月廿八日
カトヨ。風ハケシクフキテシツカナラサリシ夜イヌノ
時許ミヤコノ東南ヨリ火イテキテ西北ニ
イタル。ハテニハ朱雀門大極殿大学レウ民部
省ナトマテウツリテ一夜ノウチニ塵灰トナリニキ。
ホモトハ桶口冨ノ小路トカヤ舞人ヲヤヤトセルカリ
ヤヨリイテキタリケルトナン。フキマヨフ風ニトカク
ウツリユクホトニ扇ヲヒロケタルカコトクスヱヒロ
ニナリヌ。トヲキ家ハ煙ニムセヒチカキアタリハ
ヒタスラ焔ヲゝ地ニフキツケタリ。ソラニハハヰヲフキ

時雨亭方丈記 大火2

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たて○れば火のひかりに映じてあまねく紅なる
中に風のたへず吹きられたるほのを飛ごとく
して一二町を越つゝうつり行。其中に人うつし
心あらむや。或は煙にむせびてたふれふし或はほの
ほにまぐれて忽に死ぬ。或は又身ひとつからう
じてのがるれども資戝を取いづるに及ばず。七
珎万寳さながら灰燼となりにき。其費いくそば
くぞ。このたび公卿の家十六やけたり。まして
そのほかは数をしらず。惣て都のうち三分が一に
およべりとぞ。男女しぬる物数十人。馬牛のた

(参考)前田家本
立てたれば火の光に映じてあまねく紅なる
中に、風に絶えず吹き切られたる炎飛ぶが如く
して、一二丁を越へつつ移り行く。其の中の人、現し
心有らんや。或は煙にむせびて、倒れ伏し、或は炎
にまぐれて、忽ちに死ぬ。或は身一つからく
して逃る財寶を取り出づるに及ばず。七
珎万寶さながら灰燼となりにき。その費ゑ、幾十許
ぞ。この度公卿の家十六焼けたり。まして
其外家々数を尽くすに及ばず。全て都の中三分が一に
及べりとぞ。男女死ぬる物数千人。牛馬の類

(参考)大福光寺本
タテタレハ日ノヒカリニエイシテアマネククレナヰナル
中ニ風ニタエスフキゝラレタルホノホ飛カ如ク
シテ十二町ヲコエツゝウツリユクモ中ノ人ウツシ
心アラムヤ。或ハ煙ニムセヒテタウレフシ或ハホノ
ヲニマクレテタチマチニ死ヌ。或ハ身ヒトツカラウ
シテノカルゝモ資財ヲ取出ルニオヨハス。七
珍万宝サナカラ灰燼トナリニキ。其ノ費エイクソハ
クソ。其ノタヒ公卿ノ家十六ヤケタリ。マシテ
其外カソヘシルニヲヨハス。惣テミヤコノウチ三分カ一ニ
ヲヨヘリトソ。男女シヌルモノ数十人。馬牛ノタ

祇園会 其角

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 鉾に

  乗る

人の

きほひも

    都哉


    其角



時雨亭方丈記 辻風1

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ぐひ邉際をしらず。人のいとなみおろかなる中に
さしもあやうき○中の家をつくるとてたからを
ついやし心をなやます事はすぐれてあぢきなく
ぞ侍る。又治承四年卯月十二日の比中御門
京極の邉たり大なる辻風おこりて六条あた
りまでいかめしく吹こと侍りき。三四町をかけてふきま
くる間に其中にこもれる家ども大なるもちいさ
きも一としてやぶれぬはなし。さながらひらに
たふれたるも有。けたはしらばかりのこるも
有。門の上を吹はらいて四五町がほかにをき又かき

(参考)前田家本
類ひ辺際を知らず。人の営み皆愚かなる中に、
さしも危うき世中の家を造るとて、宝を
費やす事は、すぐれてあぢきなく
ぞ侍る。又治承四年卯月の比、中御門
京極のほどより、大きなる辻風起こりて、六条辺り
まで、厳めしく吹く事侍き。三四丁を掛けて吹きあ
ぐる間に、その中に籠もれる家ども、大きなるも小さ
きも一つとして破れざるは無し。さながら平に
倒れたるもあり。桁柱許り残れるも
あり。門の上を吹き払ひて

(参考)大福光寺本
クヒ辺際ヲ不知人ノイトナミ皆ヲロカナルナカニ
サシモアヤウキ京中ノ家ヲツクルトテタカラヲ
ツイヤシコゝロヲナヤマス事ハスクレテアチキナク
ソ侍ル。又治承四年卯月ノコロ中御門
京極ノホトヨリヲホキナルツシ風ヲコリテ六条ワタ
リマテフケル事ハヘリキ。三四町ヲフキマ
クルアヒタニコモレル家トモヲホキヲホキナルモチヰサ
キモヒトツトシテヤフレサルハナシ。サナカラヒラニ
タフレタルモアリ。ケタハシラハカリノコレルモ
アリ。カトヲフキハナチテ四五町カホカニヲキ又カキ

祇園会 為家

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夫木和歌抄巻第三十四
  雑部十六

 祇園 山城
  文永八年毎日百首   民部卿為家

かさにさす

やまどりの尾の

   ながき日に

  神のそのとぞ

  今日まつるらん


傘に挿す山鳥の尾の長き日に神の園とぞ今日祭るらん



祇園祭参加山鉾

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七日 応仁乱前分
1 長刀ほく
2 かんこくほく
3 かづら男ほく
4 かんたかうふきぬ山
5 こきやこはやし物
6 あしかり山
7 まうそ山
8 いだてん山
9 弁慶衣川山
10 天神山
11 こかうのたい松山
12 すみよし山
13 地きうほく
14 こはんもち山
15 花ぬす人
16 うかひ舟山
17 ひむろ山
18 あしかり山
19 はねつるべ山
20 まうそ山
21 花見の中将山
22 山ぶし山
23 留水ほく
24 庭とりほく
25 ほうかほく
26 しんくくわうこうの舟
27 岩戸山
28 おかひき山
29 かまきり山
30 だるまほく
31 太子ほく

十四日 応仁の乱前分
32 すて物ほく
33 たいしほく
34 弓矢ほく
35 くけつのかい山
36 甲ほく
37 八幡山
38 ふだらく山
39 しんくくわうくう舟
40 やうゆう山
41 すずか山
42 たかつかひ山
43 山
44 ふすま僧山
45 なすの与一山
46 うし若弁慶山
47 しやうめう坊山
48 泉の小二郎山
49 ゑんの行者山
50 れうもんの山
51 あさいなもん山
52 柳の六しやく山
53 西行山
54 じねんこじ山
55 てんこ山
56 柴かり山
57 小原木の山
58 かさほく

明応九年 祇園絵山鉾次第。以鬮定之。
一 番 ナギナタホコ
二 番 天神山
三 番 いほしり山
四 番 たい子のそま人山
五 番 内裏ノ花ヌス人山
六 番 花見中将山
七 番 ダルマ山
八 番 かづら男山
九 番 山伏山
十 番 白楽天山
十一番 まうそう山
十二番 神功皇后山
十三番 かさはやし
十四番 はぢか山
十五番 天神山
十六番 みち作山
十七番 琴はり山
十八番 兼水山
十九番 布袋山
廿 番 こきやこはやし
廿一番 はうか山
廿二番 山伏ミ子入山
廿三番 あしかり山
廿四番 八幡山
廿五番 にわ鳥山
廿七番 船鉾

一 番 うしわか山
二 番 八わた山
三 番 すゞか山
四 番 くわんおんふだらく
五 番 あしうさうしやうめう
六 番 大友の黒主
七 番 竜門の滝
八 番 かづら山
九 番 ゑんの行者山
十 番 たか山

神祇社記より


大船鉾

時雨亭方丈記 辻風2

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を吹はらひてとなりとひとつになせる。いはむや
家の中の資戝かづをつくして空にあり。○○だ
吹の板のたぐひ冬の木葉の風にみだれるゝがごとし。
ちりをけぶりのごとくに吹たてぬればすべて
めも見えず。をびたゞしくなりとよむをとに物いふ
こゑもきこえず。地獄の業風なりともかばり
にとぞ覚○。損亡するのみにあらず。是をとり○
なふ間に身をそこなひ○た○ける物数をし
らず。此風ひつじさるのかたにうつり行ておほくの
人のなげきをなせり。辻風はつねに吹物なれど

(参考)前田家本
を吹き払ひて隣と一つに為せり。況や
家の内の資財、数を尽くして空にあり。檜皮、
葺板の類は、冬の木の葉の風に乱るゝが如し。
塵を煙の如く吹き立てたれば、全て
目も見えず。夥しく鳴り響む音に物言ふ
声も聞こえず。彼の地獄の業の風なりとも、かばかり
にはとぞ覚ゆる。家の損亡せるのみに非ず。是を取り繕
ふ間に身を損なひ片輪付ける人、数も知
らず。この風、未の方へ移り行きて多くの
人の嘆きを為せり。辻風は、常に吹くものなれど、

(参考)大福光寺本
ヲフキハラヒテトナリトヒトツニナセリ。イハムヤ
イヱノウチノ資財カスヲツクシテソラニアリ。ヒハタ
フキイタノタクヒ冬ノコノハノ風ニ乱ルカ如シ。
チリヲ煙ノ如ク吹タテタレハスヘテ
目モミエス。ヲヒタゝシクナリトヨムホトニモノイフ
コヱモキコエス。彼ノ地獄ノ業ノ風ナリトモカハカリ
ニコソハトソヲホユル。家ノ損亡セルノミニアラス。是ヲトリツクロ
フアヒタニ身ヲソコナヒ片輪ツケル人カスモシ
ラス。コノ風ヒツシノ方ニウツリユキテヲホクノ
人ノナケキナセリ。ツシ風ハツネニフク物ナレト

新古今時代詳説 蔵書

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新古今時代詳説



著者:横尾豊
初版:昭和十年九月十八日(特価版昭和十一年三月五日)
発行:言海書房


第一章 序説
第二章 歌界史上
 第一節 九條家時代
 第二節 承久の政變
 第三節 土御門家時代
 第四節 六條、御子左家兩家の論争
 第五節 仙洞時代
第三章 歌界史下
 第一節 仙洞時代續
 第二節 内裏時代
第四章 作歌環境
 第一節 和歌隆盛の原動力
 第二節 新古今調の成因
 第三節 和歌類型化の由来
第五章 俊成の指導精神
第六章 新古今時代の和歌
 第一節 新古今調
 第二節 新古今時代和歌の諸相
第七章 新古今集成立の經緯

祇園社歌

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後拾遺和歌集
同(後三条)御時祇園に行幸侍りけるに東遊にうたふ
べき歌召し侍りければよめる
           藤原経衡
ちはやぶる神の園なる姫小松よろづ代をふべきはじめなりけり


三大実録 貞観五年五月二十日 神泉苑御霊会

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三大實録卷七 清和天皇
○廿日壬午。於神泉苑修御靈會。勅遣左近衛中將從四位下藤原朝臣基經。右近衛權中將從兼行内藏頭藤原朝臣常行等。監會事王公卿士赴集共觀。靈座六前設施几筵。盛陳花果。恭敬薫修。延律師慧達爲講師。演説金光明經一部。般若心經六卷。命雅樂寮伶人作樂。以帝近侍兒童及良家雅子爲舞人。大唐高麗更出而舞。雜伎散樂競盡其能。此日宣旨。開苑四門。聽都邑人出入縦觀。所謂御靈者。崇道天皇。伊豫親王。藤原夫人〔吉子〕。觀察使〔仲成カ〕。橘逸勢。文室宮田麻呂等是也。並坐事被誅。免魂成癘近代以來。疫病繁發。死亡其衆。天下以爲。此灾。御靈之所生也。始自京畿爰及外國。毎至夏天秋節。修御靈會。往々不斷。或礼佛説經。或歌且舞。令童貫之子靚粧馳射。膂力之士袒裼相撲。騎射呈藝。走馬爭勝。倡優媼戯。◎相誇競。聚而觀者莫不填咽。遐邇因循。漸成風俗。今茲春初咳逆成疫。百姓多斃。朝廷爲祈。至是乃此會。以賽宿祷也。


國史大系 第四巻 黒板 勝美編輯 吉川弘文館

百人一首抄 書写者不明 蔵書

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三十六人撰
百人一首抄
新古今和歌集


藤原美波留

藤原(長野)美波留
1775-1822 江戸時代後期の国学者,歌学者。
安永4年3月15日生まれ。信濃松代藩士の子。江戸で大村光枝に歌学を,塙保己一の門で国学をまなび,「群書類従」を校正。のち和学講談所で歌学を教授した。文政5年4月3日死去。48歳。通称は七郎。号は麻生園。名は三晴,美晴ともかく。著作に「百人一首抄」など。


手書き書写
歌にアラビア数字で印番号が打たれている。


百人一首抄 / 藤原美波留 [撰] 早稲田大学図書館
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko30/bunko30_d0110/index.html


新古今和歌集
仮名序
巻第一~十
○印を打っている歌が有る。百人一首かと思ったが、持統天皇歌には無い。


跋文が有るが糊付けされており、反転したが、読めない。獄屋(ひとや)の単語有り。


宮城縣大正六の特別○種 蔵書印
宮城縣○○渡邉辛輔 蔵書印

校注新古今和歌集 蔵書

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校注新古今和歌集



著者:尾上八郎
初版:昭和2年4月17日
発行:明治書院

底本:八代集抄

大火記 天明団栗焼

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大火記 伴高蹊

そも/\こたびばかりの火は京にてためしといふ。宝永の火は今も語りつたへておそろしき事にいふめれどそは京の町十かろくとかや。そのさき応仁の乱れの火もかの記にすさまじくかけれどもこたびはなし。中昔鴨長明の記に見ゆるも大風地震などつゞけて書たれば身の毛もよだつやうなれど火ばかりとりはなちては京の中みつかひとつといへり。こたびは洛中洛外をかけて九分にあまり残れる所ははつかに方広殿のめくり祇園知恩院粟田のわたり西本願寺はあやうくてまぬがれはた東寺北野となん。されば禁裏仙洞をはじめ奉り諸宮公卿の御館ともひとつに烟となれり。かけまくもかしこき御うへ/\もかた/"\にあがれまつらせたまふ。

天明八年一月三十

天明大火と祇園山鉾

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天明八年の団栗焼により多くの山鉾が消失。

天明八年(1788年)
前祭 太子山、占出山、蟷螂山、四条傘鉾、山伏山、木賊山、綾傘鉾

後祭 橋弁慶山、八幡山、役行者山、鯉山、鈴鹿山、鷹山


寛政元年(1789年)
前祭 長刀鉾、太子山、綾傘鉾、四条傘鉾、霰天神山、月鉾、山伏山、蟷螂山、木賊山、占出山、鶏鉾

後祭 橋弁慶山、八幡山、鈴鹿山、役行者山、黒主山、鯉山、北観音山、鷹山


天明炎上記

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天明炎上記 樵夫東林

東西の河ぎし所せきまでこゝにやのがれんかしこにやと火はさかりにもえて灰烟よもにおほひくれ行空もひるのやうにて風猶はげしくよこぎる雨に降かゝるほのほは衆星の落るかと見え侍ればあなかしこみどころあたりも心もとなしとあしをそらにはせちかふ。
公卿殿上人など殿上のほとりにあつまりさわぎ位袍直衣さま/"\に垂纓巻纓とりまぜてひしめくほどに空はすみをながしたるやうにかきくもりあられは雨のあしにまじりあたる所ととをりぬべく神さへなりひしめく。

風しきりなれば吹まく雨に笠もとりあへず衣冠しとゞにぬれてひちり(泥)こはたもとをそむるばかりにあるはとせむ。あるはわらずして南門をひがしに日の門を北に石薬師をひがしに寺町を北にくちけてかもの下のみやしろにぞみゆきまし/\ぬ。社頭の御服所をかりのおましとし拝殿にかしこ所を置奉りぬ。

参考文献
資料京都見聞記 第四巻
編集:駒敏郎他
発行:宝蔵館
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