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Channel: 新古今和歌集の部屋
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明月記 元久二年二月二十七日 少々継直

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明月記 元久二年二月

廿七日。天晴る。巳の時、殿下に参ず。相次で、所に参ず。有家、家隆朝臣参入す。家長を以て仰せて云ふ、撰び遣す歌、猶御覧じ落す事あるか。猶所存あれば挙げ申すべしといへり。今日又少々之を継ぎ直し、少々見合す。秉燭に退下す。…略。

明月記 元久二年三月二日 当世歌人巻頭歌

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明月記 元久二年三月

二日。天晴る。…略。巳の時、院に参ず。人々云ふ、当世の人の歌、多少を知ろし食さず。先づ之を注出して、御覧を経ベし。増減せしめんがためなりと云々。能書の人を以て、之を書かしむ。下官、只雑の部の三巻を見て詞等を直す(或人の進むる所の歌、非分の事多きに依りてなり)。又仰せて云ふ、巻の始め、大略故人を以て之を置く。然るべからず。定家、家隆、押小路の女房等三人を以て、各々一巻の始めに立つベしといへり。又之を継ぎ直す。家隆を以て仰せ秋下の始めとなし、女の歌を以て、恋の二の始めとなす。予が歌を以て恋第五の始めとなす。身の事たるに依り、態々末に入るべきなり。此の仰せ、尤も面目となす。但し、当時の如くは、卅一字を連ぬる人、未だ知らざる者多く之に入る。又昨今の未生等、十首に及ぶ。予が歌四十余り、家隆二十余りと云々。今の仰せ、頗る人を撰ぶに似たり。如何。夕に退出す。


秋歌下 藤原家隆朝臣
下紅葉かつ散る山の夕時雨濡れてやひとり鹿の鳴くらむ

恋歌二 皇太后宮大夫俊成女
下もえに思ひ消えなむけぶりだにあとなき雲のはてぞ悲しき

恋歌五 藤原定家朝臣
白栲の袖のわかれに露おちて身にしむいろの秋かぜぞ吹く

謡曲 胡蝶

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胡蝶
鬘物     観世小次郎

胡蝶は全ての花に戯れるが、梅花にだけは縁がなく、その事を恨んでいたが、諸国一見の僧に執心を除くための回向を頼み、見事成仏得脱出来、梅花にも遊ぶ事が出来た為に、報謝の舞を見せる。
ワキ 旅僧、ワキツレ 同行僧、シテ 女、後シテ 胡蝶の精

ワキツレ 春立つ空の旅衣。春立つ空の旅衣。日ものどかなる山路かな。
ワキ これは倭州三吉野の奥に山居の僧にて候。われ名所には住み候へども、未だ花の都を見ず候程に、この春思ひ立ち洛陽の名所をも一見せばやと思ひ候。
ワキツレ 三吉野の高嶺の深雪まだ冴えて、高嶺の深雪まだ冴えて、花遅げなる春風の吹きくる象の山越えて、霞むそなたや三笠山、茂き梢も楢の葉の、廣き御影の道直に花の都に着きにけり、花の都に着きにけり。

※花遅げ
巻第一 春歌上
  題しらず         西行法師
よし野山さくらが枝に雪降りて花おそげなる年にもあるかな

地 梅が香に昔を問へば春の月、昔を問へば春の月、答へぬ影もわが袖に、移る匂ひも年をふるも宮の軒端苔むして、昔恋しきわが名をば、何と明石の浦に住む、蜑の子なれば宿をだに定めなき身は恥ずかしや、定めなき身は恥ずかしや。

※昔を問へば春の月、答へぬ影もわが袖に、移る
巻第一 春歌上
  百首歌たてまつりし時   藤原家隆朝臣 
梅が香にむかしをとへば春の月こたへぬかげぞ袖にうつれる
正治二年後鳥羽院初度百首

※蜑の子なれば宿をだに定めなき身
第十八 雜歌下
   題しらず         よみ人知らず 
白波の寄する渚に世をすぐす海士の子なれば宿もさだめず
和漢朗詠集 遊女

小倉擬百人一首 貞信公 国芳浮世絵コレクション

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小       洛東祇園の片辺に一人の賤の女あり
 擬百人一首  天然の美白白川院垣間見たまひて 
倉       懸想の余り入りて女御に備たまふ依て
        祇園女御と称す平相國清盛公は
  貞信公   此女性の産所なり

小倉山     柳下亭種員筆記     祇園女御
 みねの
 もみぢ葉
 こゝろ
   あらば
今一たびの
 御幸
 またなん


国立国会図書館デジタルアーカイブ
小倉擬百人一首

早稲田大学演劇情報総合データベース
小倉擬百人一首

大判錦絵 
版元:伊場屋仙三郎
絵師:朝桜楼(歌川)国芳
見立揃物


朝櫻樓
 國芳画
歌川国芳
(寛政9年(1798年) - 文久元年(1861年))
画号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、後に彩芳舎(文政中期)、朝桜楼(天保初年(1831年)から万延元年(1861年))、雪谷、仙真とも号した。歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号に一妙開程芳といった。


伊場屋仙三郎
堂号は団扇堂または団仙堂。活動期は、文政~明治。
俗に伊場仙と呼ばれた錦絵地本問屋。団扇絵問屋。幕末の団扇の大半を扱うほか、一枚絵も出版する。
歌川豊国「今様十二ヶ月」や歌川国芳「賢女八景」、「小倉擬百人一首」など。

彫竹
横川竹次郎(生没年不詳、嘉永〜文久(1848〜1864)の頃に活躍)

柳下亭種員
文化四(1807年)-安政五(1858年)
江戸時代後期の合巻作者。板倉氏。通称,坂本屋金七。種々の職業を転々としたのち,柳亭種彦の門に入り,長編合巻を書く。代表作『白縫譚 (しらぬいものがたり) 』 (1849,没後2世種彦,柳水亭種清が書き継ぎ,85完成) 

平成29年10月4日 肆點七壱

明月記 元久二年三月四日 当世歌人歌校合

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明月記 元久二年三月


四日。天晴る。午の時所に参ず。今日は算ふる許り。当世作者の歌、大略校合す。総州、酒饌を取り出す。甚だ以て過差なり。昏に分散す。

明月記 元久二年三月五日 故者目録

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明月記 元久二年三月

五日。…略。大府、総州所に参ず。故者の目録を取る。…略。昏に退出す。

明月記 元久二年三月六日 新古今目録持参

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明月記 元久二年三月

六日。天晴る。所に於て、目六を取り了んぬ(宗宣、親房、家長)。未の時七条殿に御幸あり(しばらくおはしますべし)。申の時許りに、家長撰歌並びに荒き目六等を持ちて、彼の御所に參じ了んぬ。…略。昏に退下す。少納言信定、昇殿を聴さる。夜に入り、大丞入り坐す。

冬歌 秋篠時雨 西行

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  冬歌

題しらず    西行法師

  秋篠や

とやまの里や
   しぐるらむ

生駒の
   たけに

 雲のかかれる


読み:
あきしのやとやまのさとやしぐるらむいこまのたけにくものかかれる


秋篠寺

明月記 元久二年三月八日 新古今目録修文

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明月記 元久二年三月

八日。天晴る。和歌所に参ず。目六の詞等之を直す。家長持ちて参ずベしと云々。夕に分散す。宗宣、例の物を取り出す。火桶、炭取り、風流なり。

明月記 元久二年三月九日 自讚歌撰進

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明月記 元久二年三月

九日。天晴る。…略。今日仰す。自讚の歌廿首、撰進すベしと。数を加へずと雖も、抽き替へらるベしと。

明月記 元久二年三月十日 歌十首撰進

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明月記 元久二年三月

十日。天晴る。今日より八幡御精進。仍て参ぜず。…略。歌十五首書き進むべき由、家長又示す。十首書き進め了んぬ(歌幾ばくならざる由を申す)。後に聞く、二首加へ入れらると云々。八首捨てらる(強ちに召さるべからざるか)。

明月記 元久二年三月十四日 

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明月記 元久二年三月

十四日。天晴る。所に参ず。昨日、三十首の御製、日吉に進ぜらる(御使少将雅経)。御草を下し給ふ。家隆朝臣と拝見し、少々書き出して、進上す。今日、最勝寺におはします。例の沙汰等あり。以経又酒饌を取り出す。家隆、雅経、家長、宗宣、以経、清範あり。

芭蕉句碑 鑑真和上 唐招提寺

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若葉して

 御目の雫拭ばや



貞享五年四月八日

唐招提寺

日本古典全集 新古今和歌集

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顧  井上通泰 先生
   山田孝雄 先生 正宗敦夫 編纂
問  新村出先 先生      校訂

日本古典全集 第三期

 新古今和歌集



編纂者 正宗敦夫
初版 昭和6年6月10日
発行 日本古典全集刊行会

底本 正保版
校本 八代集本、柳瀬本、隠岐本、前田侯爵本

隠岐本削除合点は○印で柳瀬本によった。
撰者名注記は柳瀬本によった。

時雨亭方丈記 福原遷都3

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せばくて條里をわくるにたらず。北は山にそひてたかく
南は海ちかくてくだれる。浪のをと○ねに○
○しほ風ことにはげし。内裏は山の中なれ
ばかの木のまろ殿もかくやと中ゝ様かわり○いふ
なるかたも侍りき。日々にこぼち河もぜにはこび
くだす家はいずれにつく○にかなをむな
しき地はおほくつくれる屋はすくなし。古郷はすでに
あれて新都はいまだならず。ありとある人はみな浮雲
の思ひをなせり。もとより所におるものは地をうし
なひてうれふ。今うつりすむ人は土木のわづらひ

(前田家本)
狭くて条里を割るに足らず。北は山に添ひて高く、
南は海に近くて下れり。波の音、常に喧
し、潮風、殊に激し。内裏は山の中なれ
ば、彼の木の丸殿もかくやと覚えて、なかなか樣変はりて、優
なる方も侍き。日々に毀ち、川面瀬に運び
下す家、何処に造れるにかあらん。空
しき地は多く、造れる屋は少なし。故郷は既に
荒れて、新都は未だ成らず。在りとし有る人は、皆浮雲
の思ひを成す。元よりこの所に居る者は、地を失
ひて憂ふ。今移りて住む人は、土木のわづらひ

(大福光寺本 )

南ハ海チカクテクタレリ。ナミノヲトツネニカマヒ
スシクシホ風コトニハケシ。内裏ハ山ノ中ナレ
ハ彼ノ木ノマロトノモカクヤトテナカナカヤウカハリテイウ
ナルカタモハヘリ。ヒゝニコホチカハモセニハコヒ
クタスイヱイツクニツクレルニカアルラム。ナヲムナ
シキ地ハオホクツクレルヤハスクナシ。古京ハステニ
荒テ新都ハイマタナラス。アリトシアル人ハ皆浮雲
ノヲモヒヲナセリ。モトヨリコノ所ニヲルモノハ地ヲウシ
ナヒテウレフ今ウツレル人ハ土木ノワツラヒ

明月記 元久二年三月十六日 定家出入

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明月記 元久二年三月

十六日。天晴る。巳の時、殿に参ず。…略。秉燭以降(先々大納言の時、殿上人騎馬)即ち、和歌所に参ず。家隆、宗宣等あり。予の歌、四首出され、二首入れらる。都て四十一首と云々。今度、日吉卅首御製の中、七首入れらる。未の時、廬に帰る。…略。


※日吉三十首
 春のはじめのうた
ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山かすみたなびく
 冬歌の中に
深緑あらそひかねていかならむ間なくしぐれのふるの神杉
 冬の歌の中に
冬の夜の長きを送る袖ぬれぬあかつきがたの四方のあらしに

日本書蹟大鑑 第十七巻 目次 蔵書

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日本書蹟大鑑
小松茂美著
   講談社
拾點伍

第十七巻

大橋重保
由井正雪
千宗旦
小島宗真
貞清親王
広橋綏光
後光明天皇
宇喜多秀家
中村久越
水無瀬兼俊
滋野井季吉
金森宗和
岡本半助
板倉重宗
林羅山
鷹司信房
富小路頼直
伊達忠宗
前田利常
井伊直孝
勝山
雲居希膺
竹屋光長
竹内孝治
高尾
徳川頼房
清巌宗渭
山科言総
花山院忠長
古筆了佐
酒井忠勝
松平信綱
智忠親王
鷲尾隆量
後藤顕乗
野中兼山
高倉永慶
清水谷実任
庭田雅純
橋本実村
山科言行
北小路道芳
翠巌宗珉
河鰭基秀
本阿弥光益
里村玄陳
九条幸家
千姫
天祐紹杲
江雪宗立
二条康道
山科宗甫
持明院基定
天室宗竺

明月記 元久二年三月十八日 日吉二首追加

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明月記 元久二年三月

十八日。天晴る。巳の時許りに和歌所に参ず。家隆〃〃、具親、雅経、宗宣等沙汰す。少々之を校す。人々未だ参ぜざるの前、清範を以て、日吉の御製又二首入れらるるの由、仰せ事有り。計らひ申すべしと云々。所存を申し入れる。又春の部、桜の雪(吉野山)の御製出すべき由、仰せ事有り。此の御製殊に珍重、更に出さるべからざる由申す。勅許あり。向殿に渡りおはしますの後、退出す。密々小童を相具し、法勝寺に向ふ(事甚だ穏やかならず。浄衣を著す。眼を養ふためなり)。艮の方を歴覧するの処、青侍等来たりて云ふ、兵衛佐、兵庫頭相伴ふべき由、譴責す。忠弘を以て密々に要事あり。即ち白川の方に出づるの由、示し送る。是より先、総州、藤少将、清範等、軒を連ね西の大門に在りと云々。両人又来たる。遁るる能はず。浄衣ながら、其の列に加はる。甚だ以て不便なり。粟田讃岐守(兼房)、重服にて白川の花を見る。時人、之を難ず。耻しく思ふこと極まり無し。相共に歴覧し、日入りて列座す。九重の塔西方の花の下にて、三首の題を以て歌を詠む。最栄法橋、招かれ出で来たりて、加はる。夜に入り、松明を以て歌を読み上ぐ(清範)。又聊か坏有り。郎に分散す。猶々傍難あるか。

日本書蹟大鑑 第十八巻 目次 蔵書

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日本書蹟大鑑
小松茂美著
   講談社
拾點伍

第十八巻

永井尚政
鳳林承章
玉舟宗璠
鷹司教平
深草元政
四辻季賢
雛屋立圃
良純法親王
広橋兼賢
烏丸資慶
船越永景
徳川頼宣
即非如一
石川丈山
福照院
独立性易
保科正之
大橋重政
隠元隆琦
一条昭良
堀河康胤
西園寺実晴
片桐石州
狩野探幽
安原貞室
小堀正之
三国筆海堂
春深
大黒常信
三条公富
葉室頼業
至道無難
東福門院
半井卜養
飛鳥井雅章

後水尾天皇
林鵞峰
酒井忠清
朱舜水
西山宗因

明月記 元久二年三月二十日 新古今集竟宴の噂

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明月記 元久二年三月

二十日。夜より雨降る。祈年穀に依り、蟄居す。…略。別当の消息に云ふ、新古今の竟宴、風情を凝らして、予め参ずべき由、催しを蒙ると。此の事、如何。竟宴の事、先例不審なり。竟に答ふる事、存知せず。延喜に古今、天暦に後撰、管見の及ぶ所、竟宴の事を見ず。只、見る所、日本紀の竟宴許りなり。其の事に於いては、日本紀に講ぜらる。人別に、其の人を得て詠む歌一首か。只、講書の儀の如し。今承るが如くは、此の歌の体に似ざるか。極めて以て、不審といへり。
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