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Channel: 新古今和歌集の部屋
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年中行事絵巻 祇園会2 摸写コレクション

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祇園御霊会の還幸祭の行列が過ぎると片付けが始まっている。

5騎の神官が行列の最後を行く。1頭の馬が突然驚き、躍り上がって神官が必死にしがみつく。

神輿のしんがりを束帯の二人の神主が行き、その後を騎乗の5人細男が羯鼓、笙、笏拍子などの楽を演奏している。

八王子の神輿の周りには、笛、太鼓の楽人が神を慰撫し、牛車の貴族も見物に来ている。
櫛稲田姫命の神輿には、二人の騎乗した巫女が付き従っている。

年中行事絵巻 祇園会3 摸写コレクション

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素戔嗚尊(牛頭天王)の神輿である事は、鳳凰を乗せた鳳輦である事から分かる。

その横では、動物舞の原形である獅子舞が、笛や太鼓で踊っている。

神輿の前を鉾を持った者が4名おり、これが山鉾の原形で、人が持ち運べなくなった事から台車で運ぶように、人が乗って演奏するようになったのが、山鉾巡行である。
さらにその前を太鼓と鉦を棒に吊り下げ前後二人で担ぎ、演奏している。
横を獅子舞が行われており、元々の祇園囃子は、獅子舞の曲だったと考えられる。事実、現在良く聞く祇園囃子の曲名は獅子である。

さらにその前を市女笠を被った巫女が騎乗している。現在は山鉾巡行に女性が参加する事は無いが、平安期には、巫女が三名も、しかも騎乗で参加していた。

その横では、散手(天狗舞)を踊っている。現在の雅楽の散手は、このように鉾を抱えるような仕種は無く、独特の踊りであろ。鼻の高い天狗面を付けており、神輿の先導した猿田彦を演じているのかも知れない。現在でも、八坂神社の摂社で猿田彦を祀っている。

年中行事絵巻 祇園会4 摸写コレクション

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「第十六 祇園會欠」とあり、何が欠なのか不明。

何かの枝を持った者が9人、弓矢や盾、剣、立て札の様な物と枝を持った者が7人、笠の付いた大幣が2人となっている。
恐らく、枝は松で、松を山車に乗せ人形を飾った山鉾の原形であろう。弓矢等は今も神輿の前を先導している神具であろう。

先頭を行く馬が転び、騎手(乗尻)が落馬している。

棟門の前では田楽が行われて、笛、太鼓、編木(拍板)で演奏し、舞手は鼓を放り投げている。

「三十七 不知神輿 行列」とあるが、行列の意味が分からなかったのであろう。

賀歌 君が代は3 筆者不明掛軸コレクション

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祝のこヽろを
   よみ侍ける

  皇太后宮
    大夫俊成

君が代は千世とも

 さヽじあまの
      戸や
 いづる月日の

   かぎりなければ


歌:君が代は千代ともささじ天の戸やいづる月日の限なければ

読み:きみがよはちよともささじあまのとやいづるつきひのかぎりなければ

備考:五社百首。
八代集抄、美濃の家づと、九代抄、九代集抄

平成29年12月21日 壱

年中行事絵巻 牛車乗馬奔暮図 摸写コレクション

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住吉家本では伏見稲荷となっているが、全く別の行事のようである。
疾走する牛車を静めようと牛飼童が鞭を振り上げる。心配そうに乗っている貴人も外を見つめる。市女笠を牛車が轢いて行く。
車輪の輻が高速回転を細い円で表している。
住吉家本

それに驚いたのか?馬が逃げ、騎手が必死で手綱を引く。傘を持った者が牛車を必死で避ける。

「第三十六 牛車乗馬奔暮○欠」、「○○圖」とあるが、肝心な所が読めない。

年中行事絵巻 評価 摸写コレクション

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この摸本と住吉家本との比較をしてみると、
①老婆の手を引く女
住吉家本では、老婆の手を引く女の部分が湿気などで欠落しているが、当該摸写では、きちんと描かれている事。
住吉家本
当該摸写本

②鉾を持つ男の脚
住吉家本では、鉾を持つ男の脚が擦れで欠落しているが、当該摸写本では、きちんと描かれている事。
住吉家本
当該摸写本

③牛飼童の顔
見物貴族の牛車の牛飼童の顔は、住吉家本、当該摸写本のどちらも欠落している。これは、オリジナルの欠落と考えて良い。
住吉家本
当該摸写本

④巫女の薙刀を持つ従者
市女笠を被った巫女に随行する従者の服は、住吉家本には模様が無いが、当該摸写本には朱色で模様が描かれている事。
ここだけ色を使った理由は不明であり、オリジナルに模様があったのか、後世の者が書き入れたのかは今となっては不明である。
住吉家本
当該摸写本

その他、紙の薄さ、部分部分を張り付けている事、墨で黒く塗り潰していない事から推察すると、オリジナルを摸写する際の下絵段階の物かと思われる。
なお、この画家は、後崇光院が画かせた清賢なのか、狩野探幽なのか、住吉如慶、具慶親子なのか、はたまた記録に残っていない絵師によるものかは不明である。

明月記 元久二年四月十六日 切接

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明月記 元久二年四月

十六日。天陰る。巳の時、和歌所に参ず。人を見ず。…略。
有家朝臣宗宣以経等又之を切り継ぐ。…略。
略酉の時に退出す。

年中行事絵巻 古今著聞集

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古今著聞集 巻第十一 畫圖第十六
後白河院の御時松殿基房年中行事繪に押紙の事
後白河院御時、年中行事を繪にかゝれて、御賞翫のあまり、松殿へ進ぜられたりけり。こまかに御覽じて、僻事ある所/"\に押紙をして、そのあやまりを御自筆にてしるしつけて返進せられたりけるを、法皇御覽じて、繪をかきなをさるべきに、勅定に、「これ程の人の自筆にて押紙したる。いかゞはなちすてゝ繪をなをす事あるべき。此事によりて、此繪すでに重寶となりたり。」とて、さながら蓮華王院の寶藏に籠られにけり。そのをし紙今にあり。いといみじき事なり。

日本書蹟大鑑 第二十五巻 目次 蔵書

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日本書蹟大鑑
小松茂美著
   講談社
拾點伍

第二十五巻

藤田東湖
菊地五山
頼津庵
広瀬淡窓
阿部正弘
市河米庵
梁川星巌
月性
佐藤一斎
夏目甕麿
石川依平
浮田一蕙
高久隆古
三条実万
梅田雲浜
吉田松陰
橋本左内
頼三樹三郎
大綱宗彦
安積良斎
五十嵐篤好
徳川斉昭
佐久良東雄
井伊直弼
天野政徳
藤森弘庵
大橋訥庵
藤本鉄石
広瀬旭荘

会沢正志斎
緒方洪庵
平野国臣
前田夏蔭
堀田正睦
佐久間象山
伴林光平
冷泉為恭
久坂玄端
中山忠光

武田耕雲斎
小堀宗中
徳川家茂
高島秋帆
藤井竹外
中沢雪城
孝明天皇
坂本龍馬
高杉晋作
野村望東
大隈言道
戸川安清

明月記 元久二年四月十七日 大嘗会意見

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明月記 元久二年四月

十七日。天晴る。巳の時、和歌所に参ず。昨日の残る事、猶々之を見る。大嘗会の歌の中、聊か事の由を申し、御定を承る。午の時に退出す。

賀歌
747 天暦御時大嘗会主基方備中国中山  よみ人知らず
常磐なる吉備の中山おしなべて千歳をまつのふかき色かな
748 長和五年大嘗会悠紀方風俗歌近江国朝日郷  祭主輔親
あかねさす朝日のさとの日影草豐のあかりのかざしなるべし
749 永承元年大嘗会悠紀方屏風近江国守山をよめる  式部大輔資業
すべらぎを常磐かきはにもる山のやま人ならし山かづらせり
750 寛治二年大嘗会屏風に鷹尾山をよみ侍りける  前中納言匡房
とやかへるたかの尾山の玉椿霜をば経とも色はかはらじ
751 宮内卿永範
曇なきかがみの山の月を見て明らけき世を空に知るかな
752 刑部卿範兼
大江山越えていく野の末とほみ道ある世にも逢ひにけるかな
753 皇太后宮大夫俊成
近江のや坂田の稲をかけつみて道ある御世のはじめにぞつく
754 権中納言兼光
神代より今日のためとや八束穂に長田の稲のしなひそめけむ
755 式部大輔光範
立ちよれば涼しかりけり水鳥の青羽の山のまつのゆふかぜ
756 権中納言資実
常磐なる松井の水をむすぶ手の雫ごとにぞ千代は見えける

明月記 元久二年四月廿五日 公通歌切入

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明月記 元久二年四月

廿五日。天晴る。参上す。新古今を取り出さる。按察公通卿の歌、七首を切り入る。今日、鞠の懸木を切らる。御覧じ廻して之を切られ、数本引き入る。未の時許りに京を出で、九条に入る。…略。

按察使公通
夏歌
206 
二声と聞かずは出でじ郭公いく夜あかしのとまりなりとも

哀傷歌
826
書きとむる言の葉のみぞみづぐきの流れてとまる形見なりける

神祇歌
1890
ゆふしでの風に乱るる音さえて庭しろたへに雪ぞつもれる

明月記 元久二年六月八日 吉田邸隣火事

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明月記 元久二年六月

八日。天晴る。…略。
土御門の末吉田、故経房大納言の向ひに、焼亡ありと云々。


左京区吉田神楽岡町
※明月記を読む17頁による。

吉田経房別邸 京都坊目誌

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京都坊目誌上京第二十七學區(吉田町)之部
363頁下段
古蹟
○吉田經房ノ趾 字中小路にあり。今詳ならず。或は云う。舊龍神院門前の地なりと。藤原經房は甘露寺家の祖也。此所に別業を構へ卜居す。故に吉田と號す。其孫經俊吉田大納言と稱す。又坊城經俊の子俊定。其子經長定房とす。


京都坊目誌
大正4年
碓井小三郎 編

明月記 元久二年五月七日 元久詩歌合提出

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明月記 元久二年五月

七日。天晴る。…略。
詩歌合に愚詠頻りに召すにより、今夜書きて之を進む。

元久詩歌合
 十一番 左持              長兼
千程春浪駅船路 一穂暮煙潮戸堤
  右                    定家
あじろ木にさくらこきまぜ行く春のいざよふ浪もえやはとどむる
 十二番 左勝              長兼
遠雁消霞湖月上 驚鵜拍水海雲低
  右                    定家
宮木守なぎさの霞たなびきて昔も遠き志賀の花ぞの

 廿七番 左                長兼
     (空白)
  右                    定家
都にも今や衣をうつの山夕露はらふつたの下道 (羇旅歌 982)
 廿八番 左                長兼
     (空白)
  右                    定家
夕づくよ木の間のかげもはつ雁のなくや雲井の峰の梯

万葉集 吉野

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吉野
1-27 淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見
1-36
1-37 見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む
1-38
1-52
2-119 吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも
3-315
3-430  八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ
3-375
3-429
6-915 千鳥泣くみ吉野川の川音のやむ時なしに思ほゆる君
6-916
6-920
6-923 皆人の命も我がもみよしのの滝の常磐の常ならぬかも
6-960
6-1005
6-1006 神代より吉野の宮にあり通ひ高知らせるは山川をよみ
7-1104 音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも
7-1105 音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも
7-1134 吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに
9-1720 馬並めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む
9-1721 苦しくも暮れゆく日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに
9-1722 吉野川川波高み滝の浦を見ずかなりなむ恋しけまくに
9-1724 見まく欲り来しくもしるく吉野川音のさやけさ見るにともしく
9-1725 いにしへの賢しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも
10-1868 かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ
13-3230
13-3294
16-3839
18-4100 もののふの八十氏人も吉野川絶ゆることなく仕へつつ見む
18-4099

美吉野
1-25
1-26
1-74
2-113
3-244
3-313
3-315
3-353
6-907
6-908
6-910 神からか見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも 
6-911
6-912
6-916
6-921
6-922
6-924 み吉野の象山の際の木末には ここだもさわく鳥の声かも
6-926
7-1103
7-1104 馬並めてみ吉野川を見まく欲りうち越え来てぞ瀧に遊びつる 
7-1120
7-1130
7-1131 皆人の恋ふるみよしの今日見ればうべも恋ひけり山川清み
10-2161
11-2837
12-3065
13-3232
13-3233 み吉野の瀧もとどろに落つる白波留まりにし妹に見せまく欲しき白波
13-3293
18-4098

水分山
7-1130

六田
9-1723 かはず鳴く六田の川の川楊のねもころ見れど飽かぬ川かも

詞書
1-7
1-39 山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも
1-70
2-111
2-315
3-242
3-429
6-909 山高み白木綿花におちたぎつ瀧の河内は見れど飽かぬかも
9-1713 滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰れ呼子鳥
9-1714 落ちたぎち流るる水の岩に触れ淀める淀に月の影見ゆ
9-1736
19-4224

伊勢物語絵詞 序 伊勢 蔵書

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伊勢物語繪詞


  伊勢
伊勢は右大臣内麿の末孫 前大和守従五位藤原継蔭
のむすめ日野の元祖真夏の玄孫にて七条后温子に宮
づかへの女房也。宇多の帝のてふあひを受て行明親王を
うめり。よって伊勢の御息所といふ也。伊勢の御といふも女○と
いふこと也。十三才にして伊勢物語といふ○りて宇多の院の后宮温子
のかたへをりしとなり女ながら明智及ぶ人なかりしと也。

伊勢物語絵詞 初冠 蔵書

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伊勢物語繪詞

みち
 のく
  の
 忍ぶ

 字
  摺

 ゆへに
みだれ
 染
  にし

 なら
なく
  に

初段 初冠
昔、男初冠して、平城の京、春日の里に、しるよしして、狩りに往にけり。 その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいまみてけり。 思ほえず、ふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。 
男の、着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。 その男、しのぶずりの狩衣をなむ着たりける。  
春日野の若紫のすりごろも しのぶの乱れかぎりしられず 
となむ追ひつきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに 
といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。

伊勢物語絵詞 月やあらぬ 蔵書

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伊勢物語繪詞


月やあらぬ
 春やむかし
     の
春ならぬ
   我身
ひとつは
もとの
 身にし
   て

四段 月やあらぬ
昔、東の五条に大后の宮おはしましける西の対に、住む人ありけり。それを、本意にはあらで、こころざし深かりける人、行きとぶらひけるを、正月の十日ばかりのほどに、ほかに隠れにけり。あり所は聞けど、人の行き通ふべき所にもあらざりければ、なほ憂しと思ひつつなむありける。 
またの年の正月に、梅の花盛りに、去年を恋ひて、行きて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に、月の傾くまで伏せりて、去年を思ひ出でて詠める。 
月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして 
と詠みて、夜のほのぼのと明くるに、泣く泣く帰りにけり。 

伊勢物語絵詞 通路の関守 蔵書

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伊勢物語繪詞


人  我かよひ 関  宵    うちも
 しれ      守  /\   ねぬ
  ぬ   路の  は  ごとに  らん


通路の関守
昔、男ありけり。東の五条わたりに、いと忍びて行きけり。みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、童べの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり。人しげくもあらねど、たび重なりければ、あるじ聞きつけて、その通ひ路に、夜ごとに人をすゑて守らせければ、行けどもえあはで帰りけり。さて詠める。
人知れぬわが通ひ路の関守は宵々ごとにうちも寝ななむ
と詠めりければ、いといたう心やみけり。あるじ許してけり。
二条の后に忍びて参りけるを、世の聞こえありければ、せうとたちの守らせ給ひけるとぞ。

伊勢物語絵詞 芥川 蔵書

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伊勢物語繪詞

しら玉か何ぞと人のとひし時  業
露とこたへてきえなましものを 平


昔、男ありけり。女の、え得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、辛うじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、 
「かれは何ぞ。」
となむ男に問ひける。行く先多く、夜も更けにければ、鬼あるところとも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥に押し入れて、男、弓・やなぐひを負ひて、戸口にをり。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に喰ひてけり。 
「あなや。」
と言ひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。 
白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを 
これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給へりけるを、かたちのいとめでたく おはしければ、盗みておひて出でたりけるを、御兄堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて内裏へ参り給ふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とは言ふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。

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