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好去好来歌 万葉集

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万葉集巻第五 894
好去好來謌
神代欲理云傳久良久虚見通倭國者皇神能伊都久志吉國言霊能佐吉播布國等加多利継伊比都賀比計理。今世能人母許等期等目前尓見在知在。人佐播尓満弖播阿礼等母高光日御朝庭神奈我良愛能盛尓天下奏多麻比志家子等撰多麻比天勅旨載持弖唐能遠境尓都加播佐礼麻加利伊麻勢宇奈原能邊尓母奥尓母神豆麻利宇志播吉伊麻須諸能大御神等船舳尓道引麻志遠 天地能大御神等倭大國霊久堅能阿麻能見虚喩阿麻賀氣利。見渡多麻比事畢還日者又更大御神等船舳尓御手行掛弖墨縄遠播倍多留期等久阿遅可遠志智可能岫欲利大伴御津濱備尓多太泊尓美船播将泊都々美無久佐伎久伊麻志弖速歸坐勢
天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上
大唐大使卿記室

神代より言ひ伝て来らくそらみつ倭の国は皇神の厳しき国言霊の幸はふ国と語り継つぎ言ひ継がひけり。今の世の人も悉目前に見たり知りたり。人多に満ちてはあれども高光る日の朝廷神ながら愛の盛りに天の下奏し給ひし家の子と撰らび給ひて勅旨〔反して、大命おほみことといふ〕戴き持ちて唐の遠き境に遣はされ罷り坐せ海原の辺にも奥にも神づまり領はき坐す諸の大御神たち船舳に〔反して、ふなのへにと云ふ〕導き申をし天地の大御神たち倭の大国に霊ひさかたの天の御空ゆ天翔けり。見渡し給ひ事了り還らむ日にはまたさらに大御神たち船舳に御手うち懸けて墨繩を延たる如くあちかをし値嘉の岬より大伴の御津の浜辺に直泊に御船は泊む恙無く幸く坐して早帰りませ

大和神社
奈良県天理市新泉町

藤原定家

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第一  春歌上

38 守覺法親王五十首歌よませ侍りけるに 春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空  隠 守覚法親王五十首 源氏物語

40 守覺法親王五十首歌に 大空は梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月  隠 守覚法親王五十首

44 百首歌奉りける時 梅の花にほひをうつす袖のうへに軒漏る月のかげぞあらそふ    隠  後鳥羽院初度百首 伊勢物語

63 守覺法親王の五十首歌合に 霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る  隠 守覚法親王五十首

91 百首奉りし時 白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふら  隠 後鳥羽院初度百首

第二       春歌下

134 千五百番歌合に 櫻色の庭のはるかぜあともなし訪はばぞ人の雪とだにみむ 隠 千五百番歌合 伊勢物語

第三       夏歌

232 五月雨のこころを  たまぼこのみち行人のことづても絶えてほどふるさみだれの空 隠

235 五十首歌奉りし時  さみだれの月はつれなきみ山よりひとりも出づる郭公かな 隠 老若五十首歌合

247 守覺法親王五十首歌よませ侍りける時 夕ぐれはいづれの雲のなごりとて花たちばなに風の吹くらむ 守覚法親王五十首 源氏物語

254  千五百番歌合に ひさかたの中なる川の鵜飼舟いかに契りてやみを待つらむ 隠 千五百番歌合

第四       秋歌上

363 西行法師すすめて百首よませ侍りけるに 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ  源氏物語

420 (攝政太政大臣)家に月五十首歌よませ侍りし時 さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫  隠 月花百首

480  千五百番歌合に  秋とだにわすれむと思ふ月影をさもあやにくにうつ衣かな 隠 千五百番歌合      

487 百首歌奉りし時 ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ 隠 千五百番歌合      

532 (攝政太政大臣)左大將に侍りける時家に百首歌合し侍りけるに柞をよみ侍りける 時わかぬ浪さへ色にいづみ川ははその森にあらし吹くらし 隠 定隆雅 六百番歌合

第六       冬歌

671 百首歌奉りし時 駒とめて袖うち拂ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ 隠 後鳥羽院初度百首

672 攝政太政大臣大納言に侍りける時山家雪といふことをよませ侍りけるに 待つ人のふもとの道は絶えぬらむ軒端の杉に雪おもるなり 隠

第七       賀歌

739 千五百番歌合に わが道を守らば君を守らなむよはひはゆづれすみよしの松 隠 千五百番歌合

第八       哀傷歌

788 母の身まかりにける秋野分しける日もと住み侍りける所に罷りて 玉ゆらの露もなみだもとどまらず亡き人戀ふるやどの秋風 隠

第九       離別歌

891 題しらず 忘るなよやどる袂はかはるともかたみにしぼる夜半の月影 伊勢物語

第十       羇旅歌

934 守覺法親王の家に五十首歌よませ侍りけるに旅歌 こととへよ思ひおきつの濱千鳥なくなく出でしあとの月影 隠 守覚法親王五十首

952 攝政太政大臣歌合に羇中晩風といふことをよめる いづくにか今宵は宿をかりごろもひもゆふぐれの嶺の嵐に 隠

953 旅歌とてよめる 旅人の袖吹きかへす秋かぜに夕日さびしき山のかけはし 隠

968 攝政太政大臣歌合に秋風といふことを 忘れなむ待つとな告げそなかなかにいなばの山の峯の秋風 隠

980 和歌所にてをのこども旅歌つかうまつりしに 袖に吹けさぞな旅寝の夢も見じ思ふかたより通ふうら風 隠 三体和歌 源氏物語

982 詩を歌にあはせ侍りしに山路秋行といふことを みやこにも今や衣をうつの山ゆふ霜はらふ蔦の下みち 隠 元久詩歌合 伊勢物語

第十二    戀歌二

1082 攝政太政大臣家百首歌合に 靡かじなあまの藻鹽火たき初めて煙は空にくゆりわぶとも 隠 隆雅 六百番歌合 源氏物語

1117 海邊戀といふことをよめる 須磨の蜑の袖に吹きこす鹽風のなるとはすれど手にもたまらず 隠

1137 冬戀 床の霜まくらの氷消えわびぬむすびも置かぬ人のちぎりに 隠

1142 (攝政太政大臣)家に百首歌合し侍りけるに祈戀といへるこころを 年も經ぬいのるちぎりははつせ山をのへの鐘のよそのゆふぐれ 隠 隆雅 六百番歌合

第十三    戀歌三

1196 西行法師人々に百首歌よませ侍りけるに あぢきなくつらき嵐の聲も憂しなど夕暮に待ちならひけむ 隠

1206 戀歌とてよめる 歸るさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらの有明の月 隠

第十四    戀歌四

1284 八月十五夜和歌所にて月前戀といふことを 松山と契りし人はつれなくて袖越す浪にのこる月かげ 隠

1291 攝政太政大臣家百首歌合に 忘れずはなれし袖もや氷るらむ寝ぬ夜の床の霜のさむしろ 隠 勅 六百番歌合

1320 千五百番歌合に 消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露 隠 千五百番歌合

1324 被忘戀のこころを むせぶとも知らじな心かはら屋にわれのみたけぬ下の煙は 隠 建永元年7月当座

1332 千五百番歌合に 尋ね見るつらき心の奧の海よ汐干のかたのいふかひもなし 隠 千五百番歌合 源氏物語

1336 水無瀬の戀十五首の歌合に 白栲の袖のわかれに露おちて身にしむいろの秋かぜぞ吹く 隠 水無瀬恋十五首   

第十五    戀歌五

1389 題しらず かきやりしその黑髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ

第十六    雜歌上

1454 近衛司にて年久しくなりて後うへのをのこども大内の花見に罷れりけるによめる 春を經てみゆきに馴るる花の蔭ふりゆく身をもあはれとや思ふ       隠

第十七    雜歌中

1555 和歌所の歌合に海邊月といふことを 藻汐くむ袖の月影おのづからよそにあかさぬ須磨のうらびと 隠 卿相侍臣歌合

1644 後白河院栖霞寺におはしましけるに駒引のひきわけの使にて參りけるに 嵯峨の山千世にふる道あととめてまた露わくる望月の駒

第十八    雜歌下

1684 守覺法親王五十首歌よませ侍りけるに閑居のこころを わくらばに問はれし人も昔にてそれより庭の跡は絶えにき 隠 守覚法親王五十首

1723 最勝四天王院の障子に大淀かきたる所 大淀の浦に刈りほすみるめだに霞にたえてかへる雁がね 隠 伊勢物語

1757 和歌所にて述懷のこころを 君が代にあはずは何を玉の緒の長くとまでは惜しまれじ身を 卿相侍臣嫉妬歌合

1872 同じ時外宮にてよめる 契ありて今日みや川のゆふかずら長き世までもかけて頼まむ 隠

年中行事絵巻 祇園会 風俗博物館

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頗梨采女神輿




御幣と鉾



牛頭天王神輿



ささら(簓)






風俗博物館
源氏物語 六条院の生活
〒600-8468 京都府京都市下京区 堀川通新花屋町下る
西本願寺向かい

伊勢物語絵詞 馬の餞 蔵書

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伊勢物語繪詞

 出て行
 君が
  ためにと
 ぬぎつれ
    ば
我さへも
   なく
 なり
 ぬべ
   き
 かな

馬の餞
むかし、あがたへゆく人に、馬のはなむけせむとて、呼びて、うとき人にしあらざりければ、家刀自さかづきささせて、女のさうぞくかづけむとす。あるじの男、歌よみて裳の腰にゆひつけさす。
いでてゆく君がためにとぬぎつればわれさへもなくなりぬべきかな
この歌は、あるがなかにおもしろければ、心とどめてよまず。腹にあぢはひて。

伊勢物語絵詞 荒れたる宿 蔵書

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伊勢物語繪詞

あれにけり
 あはれ
  いくよの
 やど
  なら
   ん
すみ
 ける
   と
  ひ の
をとづれも
   せぬ


五十八段 荒れたる宿
むかし心つきて色ごのみなるおとこ
なかをかといふ所に家つくりてをりけり。そこのとなりなりける宮ばらにこともなき女どものゐなかなりければ田からんとてこのおとこのあるを見ていみしのすき物のしわざやとてあつまりていりきけれはこのおとこにげておくにかくれにけれは女
あれにけりあはれいく世のやどなれやすみけんひとのをとづれもせぬ
といひてこの宮にあつまりきゐて
ありければこのおとこ
むくらおひてあれたるやどのうれたきはかりにもおにのすだくなりけり
とてなむいたしたりけるこの女ともほひろはむといひければ
うちわびておちほひろふときかませば我も田づらにゆかましものを

伊勢物語絵詞 九十九髪 蔵書

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伊勢物語繪詞

六十三段 九十九髪
むかし、世心つける女、いかで心なさけあらむ男にあひ得てしがなと思へど、いひいでむもたよりなさに、まことならぬ夢がたりをす。子三人を呼びて語りけり。ふたりの子は、なさけなくいらへてやみぬ。三郎なりける子なむ、「よき御男ぞいで来む」とあはするに、この女、けしきいとよし。こと人はいとなさけなし。いかでこの在五中将にあはせてしがなと思ふ心あり。狩し歩きけるにいきあひて、道にて馬の口をとりて、「かうかうなむ思ふ」といひければ、あはれがりて、来て寝にけり。さてのち、男見えざりければ、女、男の家にいきてかいまみけるを、男ほのかに見て、
百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ
とて、いで立つけしきを見て、うばら、からたちにかかりて、家にきてうちふせり。男、かの女のせしやうに、忍びて立てりて見れば、女嘆きて寝とて、
さむしろに衣かたしき今宵もや恋しき人にあはでのみ寝む
とよみけるを、男、あはれと思ひて、その夜は寝にけり、世の中の例として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、この人は思ふをも、思はぬをも、けぢめ見せぬ心なむありける。

秋歌下 十市の里 式子内親王

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百首歌に
式子内親王
ふけにけり
 山の端ちかく
  月
   さえて
とをちの里
     に
  衣うつこゑ

読み:
ふけにけりやまのはちかくつきさえてとおちのさとにころもうつこゑ


十市御縣坐神社

冷泉院の水の精

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こんな話がある。

昔々、陽成院のいらっしゃった所は、二条通よりは北、西洞院大路よりは西、大炊御門大路(竹屋町通)よりは南、油小路よりは東の二町にお住まいになられていたが、院が御隠れになった後には、冷泉院の小路(夷川通)をば開けて、北町は人の家どもになって、南町には陽成院の御代にお造りなられた池など少し残って有ったそうじゃ。
その南町にも人が住むようになった時に、夏ごろ、西の対の縁側の簀子に男が寝ていた所、身長90cmばかりの老人が来て、寝ていた男の顔を触り始めたので、男は怪しいと思ったが、怖くて何も出来なかったので、そのまま寝たふりをして、老人はゆっくり帰って行くのを、星明かりに見ていると、池の淵まで行って、かき消すように消えたんじゃ。池を手入れする者もいない事から、浮き草、菖蒲が生い茂って、大変気味悪く、恐ろしげであったんじゃ。
そういう事で、いよいよ「池に住む妖怪じゃ」と恐ろしく思っていたら、その後も夜な夜な来て顔を触っていったので、これを聞く人は皆、怖がり合ったが、腕に覚えのある者がいて、「ならばよし、俺がその顔を触る者を捕らえてやろう」と言って、その縁側にただ一人麻縄を持って寝た振りをして、夜もすがら待っていると、宵の程には表れ無かったが、夜半を過ぎたと思う程に、待ちかねて少しまどろんでいると、顔の表面に物の冷ややかに当たったので、待ってましたと、夢うつつにもはっと気が付いて、驚くままに起き上がって、その者を捕らえて、麻縄で縛って、高欄に結い付けたんじゃ。
そうして、周りの者にふれ回って、人が集まって火を灯して見れば、身長90cmばかりの小さな老人が、浅黄色の裃を着てたいかにも弱々しくして、縛り付けられたまま目をぱちくりさせていたんじゃ。人々は、問いかけるが老人は答えもしなかったんじゃ。暫く経って、老人は少し微笑んであっちこっちを見回して、か細い声で言った。
「盥に水を入れて来てくれないか」と。それで、大きな盥に水を入れて老人の前に置いたところ、老人は首を伸ばして、盥に向かって水に映った自分の姿を見て、
「我は水の精なるぞ」と言って、水にずぶりと飛び込んだところ、老人の姿は見えなくなったそうじゃ。さて、盥の水は多くなって、縁よりこぼれて、縛った縄は、結んだまま、水の中に有ったんじゃ。老人は水になって解けてしまったので消えたのじゃった。人々はこれを見て、驚き不思議に思ったんだと。その盥の水は、溢さないように抱き抱えて池に入れたんじゃ。
それより後は、老人が来て人の顔を触る事は無くなったんじゃ。これは水の精が人になっておったんじゃと人々言っていたと語り伝えたんじゃと。

今昔物語集
巻第二十七 冷泉院水精成人形被捕語第五
今昔、陽成院の御ましける所は、二条よりは北、西の洞院よりは西、大炊の御門よりは南、油の小路よりは東、二町になむ住せ給けるに、院の御さで後には、其の冷泉院の小路をば開て、北の町は人家共に成て、南の町にぞ池など少し残て有ける。
其れにも人の住ける時に、夏比、西の台の延に人の寝たりけるを、長三尺許有る翁の来て、寝たる人の顔を捜ければ、「怪し」と思けれども、怖しくて、何かにも否為ずして、虚寝をして臥たりければ、翁、和ら立ち返て行くを、星月夜に見遣ければ、池の汀に行て、掻消つ様に失にけり。池掃ふ世も無ければ、萍・菖蒲、生繁て、糸六借気にて怖し気也。
然れば、弥よ「池に住む者にや有らむ」と、怖しく思けるに、其の後、夜々来つつ捜ければ、此れを聞く人、皆恐合たる程に、兵立たる者有て、「いで、己れ其の顔捜るらむ者、必ず捕へむ」と云て、其の延に只独り、苧縄を具して、終夜待けるに、宵の程見えざりけり。「夜半は過やしぬらむ」と思ふ程に、待かねて少し□たりけるに、面に物の氷やかに当りければ、心懸て待つ事なれば、寝心にも急と思えて、驚くままに起上て捕へつ。苧縄を以て、只縛りに縛て、高欄に結付つ。
然て、人に告れば、人集て、火を灯して見ければ、長三尺なる小翁の、浅黄上下着たるが可死気なる、縛り付けられて、目を打叩て有り。人、物問へども、答へも為ず。暫許有て、少し咲て、此彼見廻して、細く侘し気なる音にて云く、「盥に水を入れて得むや」と。然れば、大きなる盥に水を入て前に置たれば、翁、頸を延べて盥に向て水影を見て、「我れは水の精ぞ」と云て、水につぶりと落入ぬれば、翁は見えず成ぬ。
然れば、盥に水多く成て、鉉より泛る。縛たる縄は結はれ乍ら水に有り。翁は水に成て解にければ失ぬ。人皆此れを見て、驚き奇けり。其の盥の水をば、泛さずして掻て池に入てけり。
其より後、翁来て、人を捜る事無かりけり。此れは水の精の人に成て有けるとぞ、人云けるとなむ語り伝へたるとや。

昔は、よく水や木や金属の精が人や動物の形になって人々の前に姿を現す事が有った。所謂「物の怪」である。
現在も物の怪は現れているかも知れないが、人の目には映らなくなっただけなのかもしれない。山奥を一人で歩いていると、人でも無い神でも無い気配を感じる事がある。木霊なのだろうと理解している。

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好去好来歌 万葉集

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万葉集巻第五 894
好去好來謌
神代欲理云傳久良久虚見通倭國者皇神能伊都久志吉國言霊能佐吉播布國等加多利継伊比都賀比計理。今世能人母許等期等目前尓見在知在。人佐播尓満弖播阿礼等母高光日御朝庭神奈我良愛能盛尓天下奏多麻比志家子等撰多麻比天勅旨載持弖唐能遠境尓都加播佐礼麻加利伊麻勢宇奈原能邊尓母奥尓母神豆麻利宇志播吉伊麻須諸能大御神等船舳尓道引麻志遠 天地能大御神等倭大國霊久堅能阿麻能見虚喩阿麻賀氣利。見渡多麻比事畢還日者又更大御神等船舳尓御手行掛弖墨縄遠播倍多留期等久阿遅可遠志智可能岫欲利大伴御津濱備尓多太泊尓美船播将泊都々美無久佐伎久伊麻志弖速歸坐勢
天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上
大唐大使卿記室

神代より言ひ伝て来らくそらみつ倭の国は皇神の厳しき国言霊の幸はふ国と語り継つぎ言ひ継がひけり。今の世の人も悉目前に見たり知りたり。人多に満ちてはあれども高光る日の朝廷神ながら愛の盛りに天の下奏し給ひし家の子と撰らび給ひて勅旨〔反して、大命おほみことといふ〕戴き持ちて唐の遠き境に遣はされ罷り坐せ海原の辺にも奥にも神づまり領はき坐す諸の大御神たち船舳に〔反して、ふなのへにと云ふ〕導き申をし天地の大御神たち倭の大国に霊ひさかたの天の御空ゆ天翔けり。見渡し給ひ事了り還らむ日にはまたさらに大御神たち船舳に御手うち懸けて墨繩を延たる如くあちかをし値嘉の岬より大伴の御津の浜辺に直泊に御船は泊む恙無く幸く坐して早帰りませ

大和神社
奈良県天理市新泉町

藤原定家

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第一  春歌上

38 守覺法親王五十首歌よませ侍りけるに 春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空  隠 通隆 守覚法親王五十首 源氏物語

40 守覺法親王五十首歌に 大空は梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月  隠 通隆 守覚法親王五十首

44 百首歌奉りける時 梅の花にほひをうつす袖のうへに軒漏る月のかげぞあらそふ    隠  有隆雅 後鳥羽院初度百首 伊勢物語

63 守覺法親王の五十首歌合に 霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る  隠 通 守覚法親王五十首

91 百首奉りし時 白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふら  隠 雅 後鳥羽院初度百首

第二       春歌下

134 千五百番歌合に 櫻色の庭のはるかぜあともなし訪はばぞ人の雪とだにみむ 隠 通隆雅 千五百番歌合 伊勢物語

第三       夏歌

232 五月雨のこころを  たまぼこのみち行人のことづても絶えてほどふるさみだれの空 隠 有 

235 五十首歌奉りし時  さみだれの月はつれなきみ山よりひとりも出づる郭公かな 隠 隆雅 老若五十首歌合

247 守覺法親王五十首歌よませ侍りける時 夕ぐれはいづれの雲のなごりとて花たちばなに風の吹くらむ 有 守覚法親王五十首 源氏物語

254  千五百番歌合に ひさかたの中なる川の鵜飼舟いかに契りてやみを待つらむ 隠 有隆雅 千五百番歌合

第四       秋歌上

363 西行法師すすめて百首よませ侍りけるに 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ  無 源氏物語

420 (攝政太政大臣)家に月五十首歌よませ侍りし時 さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫  隠 通有隆雅 月花百首

480  千五百番歌合に  秋とだにわすれむと思ふ月影をさもあやにくにうつ衣かな 隠 通 千五百番歌合      

487 百首歌奉りし時 ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ 隠 隆 千五百番歌合      

532 (攝政太政大臣)左大將に侍りける時家に百首歌合し侍りけるに柞をよみ侍りける 時わかぬ浪さへ色にいづみ川ははその森にあらし吹くらし 隠 定隆雅 六百番歌合

第六       冬歌

671 百首歌奉りし時 駒とめて袖うち拂ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ 隠 通隆雅 後鳥羽院初度百首

672 攝政太政大臣大納言に侍りける時山家雪といふことをよませ侍りけるに 待つ人のふもとの道は絶えぬらむ軒端の杉に雪おもるなり 隠 通隆雅 

第七       賀歌

739 千五百番歌合に わが道を守らば君を守らなむよはひはゆづれすみよしの松 隠 通隆雅 千五百番歌合

第八       哀傷歌

788 母の身まかりにける秋野分しける日もと住み侍りける所に罷りて 玉ゆらの露もなみだもとどまらず亡き人戀ふるやどの秋風 隠 隆 

第九       離別歌

891 題しらず 忘るなよやどる袂はかはるともかたみにしぼる夜半の月影 雅 伊勢物語

第十       羇旅歌

934 守覺法親王の家に五十首歌よませ侍りけるに旅歌 こととへよ思ひおきつの濱千鳥なくなく出でしあとの月影 隠 有雅 守覚法親王五十首

952 攝政太政大臣歌合に羇中晩風といふことをよめる いづくにか今宵は宿をかりごろもひもゆふぐれの嶺の嵐に 隠 有隆雅 

953 旅歌とてよめる 旅人の袖吹きかへす秋かぜに夕日さびしき山のかけはし 隠 有隆雅 

968 攝政太政大臣歌合に秋風といふことを 忘れなむ待つとな告げそなかなかにいなばの山の峯の秋風 隠 通有定雅 

980 和歌所にてをのこども旅歌つかうまつりしに 袖に吹けさぞな旅寝の夢も見じ思ふかたより通ふうら風 隠 隆雅 三体和歌 源氏物語

982 詩を歌にあはせ侍りしに山路秋行といふことを みやこにも今や衣をうつの山ゆふ霜はらふ蔦の下みち 隠 無 元久詩歌合 伊勢物語

第十二    戀歌二

1082 攝政太政大臣家百首歌合に 靡かじなあまの藻鹽火たき初めて煙は空にくゆりわぶとも 隠 隆雅 六百番歌合 源氏物語

1117 海邊戀といふことをよめる 須磨の蜑の袖に吹きこす鹽風のなるとはすれど手にもたまらず 隠 隆

1137 冬戀 床の霜まくらの氷消えわびぬむすびも置かぬ人のちぎりに 隠 隆雅

1142 (攝政太政大臣)家に百首歌合し侍りけるに祈戀といへるこころを 年も經ぬいのるちぎりははつせ山をのへの鐘のよそのゆふぐれ 隠 隆雅 六百番歌合

第十三    戀歌三

1196 西行法師人々に百首歌よませ侍りけるに あぢきなくつらき嵐の聲も憂しなど夕暮に待ちならひけむ 隠 有雅

1206 戀歌とてよめる 歸るさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらの有明の月 隠 無

第十四    戀歌四

1284 八月十五夜和歌所にて月前戀といふことを 松山と契りし人はつれなくて袖越す浪にのこる月かげ 隠 無

1291 攝政太政大臣家百首歌合に 忘れずはなれし袖もや氷るらむ寝ぬ夜の床の霜のさむしろ 隠 無 六百番歌合

1320 千五百番歌合に 消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露 隠 通隆雅(前田)千五百番歌合

1324 被忘戀のこころを むせぶとも知らじな心かはら屋にわれのみたけぬ下の煙は 隠 無 建永元年7月当座

1332 千五百番歌合に 尋ね見るつらき心の奧の海よ汐干のかたのいふかひもなし 隠 千五百番歌合 源氏物語

第十五    戀歌五

1336 水無瀬の戀十五首の歌合に 白栲の袖のわかれに露おちて身にしむいろの秋かぜぞ吹く 隠 隆雅(前田)水無瀬恋十五首   

1389 題しらず かきやりしその黑髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ 有(前田)

第十六    雜歌上

1454 近衛司にて年久しくなりて後うへのをのこども大内の花見に罷れりけるによめる 春を經てみゆきに馴るる花の蔭ふりゆく身をもあはれとや思ふ    隠 雅

1555 和歌所の歌合に海邊月といふことを 藻汐くむ袖の月影おのづからよそにあかさぬ須磨のうらびと 隠 無 卿相侍臣歌合

第十七    雜歌中

1644 後白河院栖霞寺におはしましけるに駒引のひきわけの使にて參りけるに 嵯峨の山千世にふる道あととめてまた露わくる望月の駒 通

1684 守覺法親王五十首歌よませ侍りけるに閑居のこころを わくらばに問はれし人も昔にてそれより庭の跡は絶えにき 隠 隆雅 守覚法親王五十首

第十八    雜歌下

1723 最勝四天王院の障子に大淀かきたる所 大淀の浦に刈りほすみるめだに霞にたえてかへる雁がね 隠 無 伊勢物語

1757 和歌所にて述懷のこころを 君が代にあはずは何を玉の緒の長くとまでは惜しまれじ身を 無 卿相侍臣嫉妬歌合

1872 同じ時外宮にてよめる 契ありて今日みや川のゆふかずら長き世までもかけて頼まむ 隠 有隆雅

年中行事絵巻 祇園会 風俗博物館

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頗梨采女神輿




御幣と鉾



牛頭天王神輿



ささら(簓)






風俗博物館
源氏物語 六条院の生活
〒600-8468 京都府京都市下京区 堀川通新花屋町下る
西本願寺向かい

和歌の書美 蔵書

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      古今和歌集
和歌の書美        抄
      新古今和歌集




著者:飯島総葉
発行:小南旗男
二版:昭和55年5月19日




鑑賞 小倉山荘色紙歌 蔵書

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飯島総葉書

鑑賞 小倉山荘色紙歌
       (通称百人一首)



著者:飯島総葉
発行:小南旗男
初版:昭和49年11月29日


    凡河内躬恒

  こころあてに

をらばやをらむ
     はつしもの
 おきまどわせる

    しらぎくの

      花

伴大納言厄神となる

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こんな話がある。

昔々、何れの御代か知らないが、世間で風邪が盛んに流行って、病まない人はなく、貴族も庶民も下層の者も病み臥した事が有ったんじゃ。
ところが、ある所で料理人である膳部をしていた男が、勤め先の料理を全部作り終えたので、夜も更けた亥の時頃の、世間の人皆寝静まった後、その勤め先の家を出たら、門に赤い正装の衣を着て、冠をした人が大変気高く恐ろしげな者に出会った。見るに人品は高く、誰とは知らないが身分の低い者では無いと思って、跪くと、この人曰く、
「汝、我を知っているか。」と。
膳部は、
「存じ上げません。」と答えたら、この人又曰く、
「我はこれ、昔この国に居たときに、大納言伴の善雄と言ってた人なり。伊豆の国に配流せられて、早く死んだ。それが行疫流行神と成てしまった。我は、心ならずも公の御為に法を犯して、重き罪を蒙ったと言えども、公に仕えて有った間、我が国からの恩が多かった。これによって、今年天下に疾疫が流行って日本国の人皆病死するはずだったが、我が咳病に代えて貰ったのだ。そう言う訳で、世の中に咳病が大流行りしたのだ。我は、その事を言い聞かせようと、ここに立ったのだ。汝怖れるべからず。」と言って、かき消すように消えたんじゃ。
膳部は、これを聞いておずおずと家に帰って語り伝えたのじゃ。その後より、伴大納言は、行疫流行病になった事を人々は知ったのじゃ。それにしても、世の中に人は多いのに、よりにもよってこの膳部に告げたのだろうか。それも何かしらの因縁があるのじゃろう。このように語り伝えたのじゃ。

今昔物語集巻第二十七
或る所の膳部、善雄伴大納言の霊を見し語第十一
今は昔、□□の比、天下に咳病盛りにおこりて、不病ぬ人なく、上中下の人病み臥したる比ありけり。
それに或る所に膳部しける男、家内の事ども皆なし畢てければ、亥の時ばかりに人皆しづまりて後、家へ出でけるに、門に赤き表衣を着、冠したる人の、いみじく気高くおそろしげなる、さし合ひたり。見るに人の体の気高ければ、誰とは知らねども、下﨟にはあらざめりと思ひてつい居るに、此の人のいはく、「汝、我をば知りたりや。」と。膳部、「知り奉らず。」と答ふれば、此の人亦いはく、「我はこれ古此の国にありし大納言伴善雄と云ひし人なり。伊豆国に配流せられて早く死にき。それが行疫流行神となりてあるなり。我は心より外に公の御為に犯をなして、重き罪を蒙れりきといへども、公に仕へてありし間、我が国の恩多かりき。これによりて、今年天下に疾疫発りて、国々の人皆病み死ぬべかりつるを、我咳病に申し行ひつるなり。されば世に咳病隙なきなり。我其の事を云ひ聞かせむとて、此処に立ちたりつるなり。汝怖るべからず。」と云ひて、かき消つやうに失せにけり。膳部これを聞きて、おづおづ家に返りて語り伝へたるなり。
其の後よりなむ、伴大納言は行疫流行神にてありけりとは人知りける。但し世に人多かれども、いかで此の膳部にしも此の事を告げけむ。それもやうこそはあらめ。かくなむ語り伝へたるとや。


咳病として、インフルエンザを思い浮かべるだろうが、今でもインフルエンザで老人や幼児が病死する。又高熱を発する事が多く、熱病とは言い伝えられていない。普通の風邪が流行ったのだろうか。
温帯マラリアは、瘧(おこり)として、多くの疫病発生と病死者多数と記録されている。

あなたは、この話を信じますか?

新古今歌人の研究 蔵書

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新古今歌人の研究


著者:久保田淳
発行:東京大学出版会
初版:1973年3月31日


序説
第一篇 西行の研究
 第一章 生涯と作品の概略
 第二章 伝記上の問題点

 第三章 作品論
第二篇 藤原俊成の研究
 第一章 序章
 第二章 作品の展開

 第三章 歌論
第三篇 新風歌人の研究
 第一章 新風歌人の出発点
 第二章 新古今への道

倭百人一首 全 蔵書

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倭百人一首 全





東都書林 版
文政十二年以降


通  壹丁目  須原屋茂兵衛
浅艸茅町一丁目 同  伊八
通  貮丁目  山城屋佐兵衛
        小林新兵衛
        岡田屋嘉七
横山町     出雲寺萬次郎
        内野屋弥七
        和泉屋金右エ門
        同  吉兵衛
        岡村庄助
大伝馬町二丁目 丁子屋平兵衛
浅艸福井町   山崎屋清七
馬喰町     山口屋藤兵衛
同所      森屋治兵衛
中橋廣小路   山田屋庄兵衛
通油町     藤岡屋慶次郎 板

版元名から江戸末期から明治初期の版

今様源氏小倉百人一首 蔵書

南都八景和歌 猿沢池月 東坊城長詮筆コレクション

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東坊城中納言長詮

  猿澤池月

のどかなる波にぞ

  こほるさるさはの

いけよりとほく

   月はすめども


南都八景
           読み人しらず
長閑なる波にぞ凍る猿沢の池よりとをく月はすむとも


東坊城長詮
- 
正保三年(1647)生まれ。東坊城恒長の子。貞享元年参議となる。のち式部大輔,権大納言をつとめる。正二位。宝永八年(1711)3月11日死去。66歳。
1664 侍従
1674 少納言
1674 侍従
1683 従三位
1684 参議
1688 正三位
1688-1695 権中納言 ★
1695 従二位
1705 正二位
1710 権大納言

平成30年2月26日 點伍

南都八景和歌 三笠山雪 西洞院時成筆コレクション

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西洞院宰相時成卿

  三笠山雪

みかさ  神や
  山さし  しるら
    て    む
ふ   たのめ
 かき   ば
こゝ   しら
 ろを   雪


南都八景
          西園寺前右大臣實俊
三笠山さして頼めば白雪の深き心を神や知るらむ


西洞院時成
(1645)時良の男。一字名牧。権大納言正二位。亨保9年(1724)歿、80才。
1679 右衛門督
1679 正三位
1681-1690 参議 ★
1700 従二位
1701 権中納言
1706 正二位
1713 権大納言

平成30年2月26日 點伍

隠岐本新古今和歌集と研究

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隠岐本新古今和歌集と研究



著者:後藤重郎
発行:未刊国文資料刊行会
初版:昭和47年12月20日

底本:宮内庁書陵部
図書番号:一五四.一二二

漢字、平仮名はそのままとしたが、異字体、変体仮名は通字に改めた。
改行は」、改ページは』で区切り、ページの表はオ、裏はウと記載。


目次
図版
凡例
本文
研究
一、撰集の経緯及び本文

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