Quantcast
Channel: 新古今和歌集の部屋
Viewing all 4234 articles
Browse latest View live

文法設問 古今・新古今の解釈と鑑賞 蔵書

$
0
0


文法設問
古今・新古今の解釈と鑑賞



著者:丸山 嘉信
初版:昭和32年11月30日
発行:有精堂出版


高校生向け参考書
一句、四句索引が有る。

選べるところ三十首に余れり

$
0
0
仮名序
このうち、みづからの哥を載せたること、古きたぐひはあれど、十首には過ぎざるべし。しかるを今かれこれ選べるところ、三十首にあまれり。

勅撰集の勅命者歌(国歌大観全歌数)
古今集  醍醐天皇   0首(1100首)
後撰集  村上天皇   2首(1426首)
拾遺集  花山上皇   0首(1351首)
後拾遺集 白河天皇   6首(1220首)
金葉集  白河上皇   5首( 712首)
詞花集  崇徳上皇   7首( 413首)
千載集  後白河上皇  6首(1287首)
新古今集 後鳥羽上皇 35首(1981首)
※新古今は読み人知らず、切出歌を含む。

後鳥羽院

$
0
0

太上天皇 37首

後鳥羽天皇ごとば1180~1239譲位後三代院政をしく。承久の変により隠岐に流される。多芸多才で、新古今和歌集の院宣を発し、撰者に撰ばせた後更に撰ぶ。

第一  春歌上   

2 春のはじめの歌
ほのぼのと春こそ空に來にけらし天の香具山かすみたなびく
元久二年三月日吉社三十首

18 和歌所にて關路鶯ということを
鶯の鳴けどもいま
だ降る雪に杉の葉しろきあふさかの關
和歌所影供歌合

36 をのこども詩をつくりて歌に合せ侍りしに水郷春望といふことを
見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけむ
隠 元久詩歌合 ★

第二       春歌下   

99 釋阿和歌所にて九十の賀し侍りしをり屏風に山に櫻かきたるところを
さくら咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな
隠 俊成九十賀

133 最勝四天王院の障子に吉野山かきたる所
みよし野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春のあけぼの
最勝四天王院

135 ひととせ忍びて大内の花見にまかりて侍りしに庭に散りて侍りし花を硯の蓋に入れて攝政のもとにつかわし侍りし
今日だにも庭を盛とうつる花消えずはありとも雪かとも見よ

第三       夏歌

194 題しらず
おのがつま戀ひつつ鳴くや五月やみ神なび山の山ほととぎす
隠 仮名序掲載歌       勅 ※よみ人知らず ★

236 太神宮に奉りし夏の歌の中に
郭公くもゐのよそに過ぎぬなり晴れぬおもひのさみだれの頃
内宮三十首

279 太神宮に奉りし夏の歌の中に
山里のみねのあまぐもとだえしてゆふべ涼しきまきのした露
外宮三十首

第四       秋歌上

433 秋の歌の中に
秋の露やたもとにいたく結ぶらむ長き夜飽かずやどる月かな    隠 不詳

第五       秋歌下   

470 秋歌の中に
露は袖に物思ふ頃はさぞな置くかならず秋のならひならねど 不詳

471 秋歌の中に
野原より露のゆかりをたづね來てわが衣手に秋かぜぞ吹く
 元久元年賀茂上社三十首

492 秋の歌とて
さびしさはみ山の秋の朝ぐもり霧にしをるるまきの下露
未詳

517 秋の歌とて
秋ふけぬ鳴けや霜夜のきりぎりすやや影さむしよもぎふの月
隠     仙洞句題五十首

526 最勝四天王院の障子に鈴鹿川かきたる所
鈴鹿川ふかき木の葉に日かずへて山田の原の時雨をぞ聞く
 勅 最勝四天王院 ★

第六       冬歌

581 冬の歌の中に
深綠あらそひかねていかならむ間なくしぐれのふるの神杉
隠    元久二年三月日吉社三十首

614 冬歌中に
冬の夜の長きを送る袖ぬれぬあかつきがたの四方のあらしに
 元久二年三月日吉三十首

636 最勝四天王院の障子に宇治河かきたる所
橋姫のかたしき衣さむしろに待つ夜むなしき宇治のあけぼの
隠   勅 最勝四天王院 ★

683 百首歌中に
このごろは花も紅葉も枝になししばしな消えそ松のしら雪 正治二年後鳥羽院御百首

第八       哀傷歌   

801 十月ばかり水無月に侍りしころ前大僧正慈圓のもとへぬれてしぐれのなど申し遣はして次の年の神無月に無常の歌あまたよみて遣はし侍りける中に 思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れがたみに 隠

803 雨中無常といふことを 亡き人のかたみの雲やしぐるらむゆふべの雨にいろはみえねど 隠   建永元年7月当座

第十       羇旅歌   

989 熊野へまゐり侍りしに旅のこころを 見るままに山風あらくしぐるめり都もいまは夜寒なるらむ 隠

第十一    戀歌一   

1029 北野宮歌合に忍戀のこころを わが戀はまきの下葉にもる時雨ぬるとも袖の色に出でめや 隠      北野宮歌合

1033 水無瀬にてをのこども久戀といふことをよみ侍りしに 思ひつつ經にける年のかひやなきただあらましの夕暮のそら 隠 水無瀬釣殿歌合

第十三    戀歌三

1197 戀の歌とて たのめずは人を待乳の山なりと寝なましものをいさよひの月       未詳

第十四    戀歌四

1271 百首歌中に 忘らるる身を知る袖のむら雨につれなく山の月は出でけり   仙洞影供歌合

1313 水無瀬の戀十五首の歌合に 里は荒れぬ尾上の宮のおのづから待ち來し宵も昔なりけり 隠  水無瀬恋十五首

1323 被忘戀のこころを 袖の露もあらぬ色にぞ消えかへる移ればかはる歎せしまに 隠     建永元年7月当座

第十七    雜歌中

1633 住吉歌合に山を    奧山のおどろが下も踏みわけて道ある世ぞと人に知らせむ 隠  日吉社歌合

第十八    雜歌下   

1783a 太神宮歌合に おほぞらにちぎるおもひの年も經ぬ月日もうけよ行末の空   内宮三十首

第十九    神祇歌   

1875 大神宮の歌の中に ながめばや神路の山に雲消えてゆふべの空を出でむ月かげ      内宮三十首

1876 大神宮の歌の中に 神風やとよみてぐらに靡くしでかけてあふぐといふも畏し  外宮三十首

1907 熊野へ參りて奉り侍りし 岩にむす苔ふみならすみ熊野の山のかひある行末もがな 隠    未詳

1908 新宮に詣づとて熊野川にて 熊野川くだす早瀬のみなれ棹さすが見なれぬ浪のかよひ路      未詳

1911 熊野の本宮やけて年の内に遷宮侍りしに參りて 契あればうれしきかかる折に逢ひぬ忘るるな神もゆく末の空    未詳

146d 大神宮に百首歌奉りし中に  いかにせむ世にふるながめ柴の戸にうつろふ花の春の暮がた 建仁元年三月内宮百首

298d 大神宮に百首歌奉りし中に 朝露のをかのかや原山風ににみだれて物は秋ぞかなしき 外宮三十首

百人一首一夕話 1 蔵書

$
0
0

百人一首一夕話(ひゃくにんいっしゅひとよがたり)
全9巻(第2巻欠)


尾崎雅嘉 著
大石真虎 圖

天保四年癸巳秋新刻

浪華書肆
 心斎橋南壹丁目
 敦賀屋九兵衛  梓

百人一首一夕話 2 巻之一 1 蔵書

$
0
0


花園三位公燕卿
  波龍主人
※生没年:1781-1840
 1820 近衛権中将
 1820 従三位
 1824 正三位


明徴作意 旁及故事
歌道可講 異文兼備
一夕之話 百人之詩
蘿月片影 桂林一枝
  小林散人題


夫木
我国のかどの
      郡
 うち    の  大極殿
  にしも
をたぎの
    里
 大   の
  宮
  どこ
   ろ
 公朝

大極殿は、
八省の院の
正殿、大礼の
朝堂にして、
周の明堂に
比し、京城の
製は漢の       蒼竜樓
両京にならぶ。
拾芥和名
抄等の諸
書にあげ
たり。周茂
叔大極図説
を作り無極
にして大極と
いへり。大極は   竜尾道
天理の尊
号、道理最
大にして加へ
るなし。大は       江家次第曰
これ尊大の        寛平九年
義。極はこれ       以来於龍
充当以て         尾道東階
加ふるなき也。      上移御也。  
故に天子の        敷莚於
朝堂大極を        御輿東邊
   もつて       其上舁是
号く。          腰輿御。


平安京は、桓        百錬抄曰
武帝延暦          後三条帝
十二年正月甲        延文二年
午、使を山背        五月五日
國葛野宇太         大極殿鴟
村の地に遣し        尾可用木
都と遷給はん        之由宣下
事を定む。始          云々
は山背の新宮
を作り、同年六 龍閣道
月庚午、諸國を
して新宮の諸
門を造らしめ
同十三年     會昌門
冬十月車
駕こゝに遷
まします。
時に萬民
たゝへて平
らけく、安ら

けき都と、
謳歌しより
詔あつて平
安京と号
しよし、旧史
に見えたり。
百錬抄を
按るに治承
元年四月
廿八日樋口富
小路より火お
こり、火焔飛が
ごとく、八省大
極殿、小安殿、青
龍、白虎樓、應
天、會昌、朱雀
門および其外
地を拂うて焼
失す。これより
後、造営の事
なし。


盛衰記曰
さがの帝の御時空海
そうづ勅をうけ給は
つて大極殿の
額をかゝれたり
小野道風
これを見て
大極殿には
   あらず
火極殿とぞ
   見えたる
火極とは火極ると
讀めり未来いかゞ
あるべからん
筆勢
過ぎたり
   とて    栖鳳樓
笑ひける
今かく
亡び
ける
こそ
あさ  應天門

まし
 けれ
  云々

伴ノ
善男
謀而
應天
門を
 焼
源信
 の
業な
 りと
おと
 せし
  かど
後こと
あらわれて
罪に行
 はる由
伴大納言画巻
物及宇治拾遺
にみえたり。


著聞集曰
むかし玄象
のうせたりける
に、公卿おどろ
き覚しめて、
秘法を二七日
修せられけるに
朱雀門の
上よりくびに
縄をつけて
おろしたりける。
鬼のぬすみ    朱雀門
たりけるにや
    云々
續日本紀曰
聖武天皇天
平六年二月
癸巳朔、天皇
御朱雀門覧
歌垣云々。

朱雀門は官城
十二門の内南方
の門なり。南は
羅生門に通ず。
七軒五戸柱は
こと/"\く朱
漆にして瓦
は青薬を以
て焼。其欠講
おもひやるべ
     し。


おほよそ

恋歌一 葛城の恋 宗柳筆コレクション

$
0
0

  たかまの
      山の

  よそにのみ

 の  みてやみなん

しら雲  かつらきの(や)



巻第十一 戀歌一
 題しらず よみ人知らず
よそにのみ見てややみなむ葛城や高間の山のみねのしら雲


宗柳
室町後期の連歌師。和泉堺生。号は蘆竹斎、下田屋と称する。牡丹花肖柏の門下。


朝倉茂入(初代) 極

平成30年3月13日 貳點壱

百人一首一夕話 3 巻之一 2 蔵書

$
0
0
百人一首一夕話 巻之一
  目録
天智天皇 御製譯
 中大兄皇子鎌足と因を結び給ふ話 蝦夷親子乱を起す話
 大極殿に入鹿を切る話      古人皇子謀反の話
 朝倉山木丸殿の話

持統天皇 御製譯
 大友皇子謀反の話          大海人皇子東国に落ち給ふ話
 宇治橋合戦の話            持統帝遠方行幸の話

柿本人麿 歌譯
 人麿伝系説々ある話        石見に人麿の子孫伝はる話
 人麿二人の妻の話         筆柿の話


いにしへより以来
國に逆乱の臣ある
事、猶日月の蝕あ
るにひとしく周の
管叔
漢の
王莽の
類挙て
数ふべ
からず漢
土南
北朝の
時周の
宇文
護朝
政を擅
し主上
を蔑す。
遂に明帝
に毒を勧
め、武帝を
立、益権勢
専らにして、

帝かへつて臣
のごとし。
こゝに於て
ひそかに
謀護を
して含仁
殿に入り大
后酒を好
むを諌め
しむ。即ち
帝の授くる酒誥を讀
のいとま帝
玉○を以て
後よりこれを
撃つ。宦者
何泉恐縮
して傷つく
る事能はず。衛公戸内より
躍り出でてこれを斬る。中大兄の
皇子鎌足と謀て入鹿
を大極殿に誅し給ふ。
しかも相似たりといふべし。
※○王へんに定







百人一首一夕話 かささぎの渡せる橋

$
0
0

百人一首一夕話 巻之一

  中納言家持
かさゝぎのわたせる橋に
おくしもの白きをみれば
よぞふけにける

新古今集冬の部に題しらずとて入れり。かさゝぎの
橋とうふ事はもと唐土の故事にて淮南子に七月
七日夜烏鵲填河成橋以度織女とありて七夕には
からすどもが羽をよせ合せて天河に橋をかけて

織女をわたすといひ伝へたるより起こりて皇国にてもこの事を鵲の
より羽の橋など歌によみて鵲の橋といへば天上にある橋の
ことゝなりたり。しかるに帝を天子と申し奉るより禁中の事をすべて天上に譬へて
いふ事やまとも唐も同じ事故鵲の橋を禁庭の御殿へ上ぼる御階
の事にいひならはせたり。さればこの歌の心は禁中に宿直して冬の
夜に禁庭の御階のあたりにおきわたしたる霜の真白なるを見ればま
ことに夜の更けたるよと思はるゝといふこと也。


尾崎雅嘉 著
天保四年癸巳秋新刻
浪華書肆 発行

新古今歌人の研究 蔵書

$
0
0

新古今歌人の研究


著者:久保田淳
発行:東京大学出版会
初版:1973年3月31日


序説
第一篇 西行の研究
 第一章 生涯と作品の概略
  第一節 生涯の概略
  第二節 作品の解説
 第二章 伝記上の問題点
  第一節 在俗時代

  第二節 出家前後
  第三節 初度陸奥の旅
  第四節 保元の乱
  第五節 西国旅行の意義
  第六節 伊勢移住とその意味
  第七節 最晩年
 第三章 作品論
  第一節 「うかれ出る」心
  第二節 「我」の意識
  第三節 恋の歌
  第四節 西行における自然について
第二篇 藤原俊成の研究
 第一章 序章
 第二章 作品の展開

 第三章 歌論
第三篇 新風歌人の研究
 第一章 新風歌人の出発点
  第一節 歌人藤原定家の出発
  第二節 壬生の家門
  第三節 慈円の誕生とその青年期
  第四節 後京極良経の少年時代―兄良通との関わりにおいて―
 第二章 新古今への道
  第一節 定家の初期の作品
  第二節 新儀非拠達磨歌の時代―文治期―
  第三節 新儀非拠達磨歌の時代―建久期―

 第三章 新古今和歌集の成立
 終章
附篇
 一 正治二年岩清水社歌合
 二 かわやしろ
 三 和歌秘抄(部分)

豊郷町の神社

$
0
0
天雅彦神社



下枝


若宮神社


愛知神社


久斯日賀多神社

百人一首一夕話 3 巻之一 2 蔵書

$
0
0
百人一首一夕話 巻之一
  目録
天智天皇 御製譯
 中大兄皇子鎌足と因を結び給ふ話 蝦夷親子乱を起す話
 大極殿に入鹿を切る話      古人皇子謀反の話
 朝倉山木丸殿の話

持統天皇 御製譯
 大友皇子謀反の話          大海人皇子東国に落ち給ふ話
 宇治橋合戦の話            持統帝遠方行幸の話

柿本人麿 歌譯
 人麿伝系説々ある話        石見に人麿の子孫伝はる話
 人麿二人の妻の話         筆柿の話


いにしへより以来
國に逆乱の臣ある
事、猶日月の蝕あ
るにひとしく周の
管叔
漢の
王莽の
類挙て
数ふべ
からず漢
土南
北朝の
時周の
宇文
護朝
政を擅
し主上
を蔑す。
遂に明帝
に毒を勧
め、武帝を
立、益権勢
専らにして、

帝却て臣
のごとし。
こゝに於て
ひそかに
謀護を
して含仁
殿に入り大
后酒を好
むを諌め
しむ。則ち帝
の授くる
酒誥を讀
のいとま帝
玉○を以て
後より是を
撃。宦者
何泉恐縮
して傷つく
る事能はず。衛公戸内より
躍り出て是を斬。中の大兄の
皇子、鎌足と謀て、入鹿
を大極殿に誅し給ふ。
しかも相似たりといふべし。
※○王へんに定


天武帝吉野より美濃路へ
落ち給ふ時菟田にて貢米の馬
を奪ひ伊賀より伊勢路を
へて、美濃国におもむき東国の
兵を発し給ひ終に大友皇子
を亡し給ひしなり。
鈴鹿山にて老翁夫婦を
たのみ、美濃にて関の長者
のもとにみやづかへし給ふ
こと大友皇子見るめ
かぐ鼻をしたがへ尋
るなんど、此帝の
事に於いては種々
の小説古書に
あまたあれど
これを信ぜば
なきに如

じの、其
一語を
おもふべし。


朝発鄴都橋、暮
済白馬津。逍遙
河堤上、左右望我
軍。連舫踰萬艘、
帯甲千万人。率
彼東南路、將定
一擧勲。 下略
 従軍詩
    王粲


大友の皇子は、皇
国詩賦の鼻祖に
して博学多通
文武の才幹余り
あり。惜しいかな讒口の
者あって骨
肉刃を交るに
至って遂に
天年を終へ給
はず。もし
其天武
帝をして
呉の太伯
延陵の季子
のごとくならし
めばいかでか

こゝに及ばんや。
史筆忌憚に
触るゝを以て
關路あるに
似たり。よって
淡海三舟
懐風藻を
撰し、水府の
黄門卿日本
史に論ず。
 むべなるかな。
皇子山前に
隠れて縊ると旧史に
あれど其所さだか
     ならず
且臨終詩なし。金鳥
云々なるものは大津の
皇子の作なり。

百人一首一夕話 4 巻之一 3 蔵書

$
0
0

山部赤人 歌の譯
 赤人人麿を山柿といふ話       海北若沖赤人事跡考の話
猿丸大夫 歌の譯
 弓削道鏡の話            白壁皇子老年にて太子に立ち給ふ話
中納言家持 歌の譯
 氷上川継謀反の話          早良親王種継を殺し給ふ話
安倍仲麿 歌の譯
 遣唐使の話             吉備公唐より帰朝の話
 仲麿阿南へ漂着の話          仲麿の従者唐女をめとる話


岩見国に
人麿出
現の柿

とて筆
柿といふ有。
是かたち
を似ていふ。
則本草に
いはゆる
 鹿心梯
  和名
 夜末加岐
なるものなり。
大和本草曰
山柿葉如○
柿實大如棗
而圓味如○
柿而◎云々
※○木へんに卑、◎方へんに甘


かきのもとの
まうち君の
いそのかみ
のはかにて
人々歌よみ
侍けるに

よしの
 山さくらを
  雲と
 見し人の
名をば
  苔にも
  埋ま
  ざりけり
 前権僧正
    範玄

家隆卿柿本講式曰
大和國添上郡石上

寺のほとり作道の
森の中に一の草堂を
建てこゝに柿本を
葬す身は龍門の土
に埋むとも詞は鳳
闕の寳となれり
      云々
新撰姓氏録曰
大和皇別
 柿本朝臣
  大春日朝臣同祖。天足
  彦國押人命之後也。敏
  達天皇ノ御世、依家門
  有柿樹、為柿本臣ノ氏云々


秦の夏后        和気清麿の
唐の武后        事は、日本後記
淫行ありて        闕本、類聚
其國を          國史等に
 乱す          其傳
孝謙帝          はなはだ
深く道鏡         つま
を寵し          びらか
給ひ天下           なり
みな囂〃
たり遂に
天威
 を
望む
 に
いたる

然ども猶
宇佐の
神勅を
うかがふ
   て
ゆるさず
清麿
道鏡の
威厳を
はゞからず
神勅を
述るに其真
を以す遂に
いかんともする事
あたはず易曰
王臣塞々たりとは
將に是をいふか。


荊卿、匕首を懐にして
始皇帝にせまり、
狭穂姫一剱をかくして、
垂仁帝を驚かす。
みな事なる
こと能はず、
ひとりあやしむ
直駒の





する

 を

これ
鄭伯
の母の
如き
あつて、
内より
是を
啓に
 あら
ざらん
   には、
  區々の小臣
    なんぞ
   こゝに
     およばん。
  かの乙人の如き
  兵器を携て
   宮に入。また
   何をかせんや。


遣唐使は推古帝十五年始めて大礼蘇我妹子を使として萬朝ことごく


春歌上 巻頭歌 立春 九条良経 尊朝親王筆コレクション

$
0
0

みよし野は山も

かすみてしら雪の

ふりにしさとに

春はきにけり


新古今和歌集巻第一 春歌上
         摂政太政大臣
読み:みよしのはやまもかすみてしらゆきのふりにしさとにはるはきにけり

意味:吉野では、山も霞む様になり、白雪が降っていた里にも立春となり、春は来たんですね。

九条良經


 尊朝法親王
(天文二十一年(1552年) - 慶長二年(1597年))は伏見宮邦輔親王の第6王子。天台座主。
青蓮院門跡をわずか4歳で継承するが、門跡の職務を行い得なかった。これに対して青蓮院傘下とされていた浄土真宗本願寺の顕如は朝廷に働きかけて、永禄二年に本願寺の門跡昇格を果たしている。
成長後の尊朝法親王は書道に優れ、青蓮院流から、その別流の尊朝流を創立した。


朝倉茂入 極

平成30年3月27日 壱

芭蕉句碑 名月に

$
0
0

     ばせを

名月に  麓の

  きりや田の曇

               三芳野連
安政四年丁巳夏六月      法眼薫齋工祐書
              富龜年

仙波愛宕神社境内

続猿簑
元禄七年八月十五日 伊賀上野 無名庵

芭蕉句碑 蓬莱に 仙波愛宕神社2

$
0
0



(蓬莱に聞か)ばや伊勢の初便  樵翁




庚子 春 ○中

庚子
享保五年  1720年
安永九年  1780年
天保十一年 1840年


 ○ 齋正書


埼玉県川越市富士見町
仙波愛宕神社境内

炭俵、伊達衣、篇突、遠帆集、去来抄
元禄七甲戌春歳旦
蓬莱は、正月の飾りで、三方を松竹梅を立て、米、羊歯、昆布、杠を敷き、橙、蜜柑、柚、橘、搗栗、野老、穂俵、串柿、伊勢海老、梅干等を飾ったもので、春季。

明治時代のグレイ遭遇事件

$
0
0
こんな話がある。

これは、わだすの婆さまがわらしの頃、その婆さまから聞いた話だ。
慶応元年生れの婆さまがその家に嫁いで来た明治15年の春頃のことだ。
わだすの婆さまが生まれた家は、村の小高い所に有って、その20間ばかり離れた上の段にお稲荷さんのお堂が有ったんだ。
春の田打ちで、家の者は皆田んぼに出ていて、昼休みになったんで、婆さま一人家に戻って来て休んでいたんだど。
そしたら、誰だか稲荷さんの方から「ポン、ポン」と太鼓を叩きながら下りて来る。「誰だべ?今時、太鼓鳴らして。」と思っているとどんどん近付いて、家の縁側に「カカカッ」と太鼓置く音が聞こえたんだ。
そんだで、婆さま障子の破れた所からそっと覗いて見たんだど。そしたら十歳位のわらしっ子、面が真っ青で、眼(まなぐ)がつり上がっていて、青い縞の袖無しを頭から被って、じっと家の中を覗き込んでいたんだど。
婆さま、これを見て頭から水掛けられたようになって、背中ぞくぞくして動けなくなって、ガタガタ震えていたんだど。
それから暫くして、「カカ、カカン」て太鼓持つ音して、「ポン、ポン」と太鼓叩きながら、稲荷さんの方へ上がって行く音がしたんだど。
婆さま、ようやく震えが止まって、障子を開けて見てみたけれど、もうわらしっ子の影も形もなかったんだど。


これはある東北の民話集の中に有った話である。その地域は度々UFOの目撃例があるので有名だそうだ。
この話を聞くと、単に子供を脅かす為に作った創作とは思えない。
明治15年、春の田打ち頃のお昼と時期がハッキリと記憶されている。
もし、世界中で目撃情報がある小人型グレイを明治時代の人が見たら、「面が真っ青で」、「眼がつり上がっていて」、「青い縞の袖無しを頭から被って」と表現するのでは無いか?青い宇宙服を着て、太鼓に似た機器を持ったグレイ、そう捉えても良いのでは無いだろうか?
稲荷の遣いの狐と捉えたのだろう。


貴方は、この話を信じますか?

八代集全註 蔵書

$
0
0

八代集全註
山岸徳平編

有隣堂


初版:昭和35年7月30日

有隣堂出版(株)発行


第一巻

八代集抄 上巻
拾遺抄
八代集口訣
古今集貞応嘉禄本不同
     附嘉禄本異同対照
藤六集


第二巻

八代集抄 下巻
初奏本金葉集
二度本金葉集
三奏本金葉集
八代集口訣
新古今集選者名考異表
新古今集合点歌表


新古今集選者名考異表
(一)烏丸 宮内庁書陵部蔵烏丸本
(二)合点 宮内庁書陵部蔵合点本
(三)冷泉 宮内庁書陵部蔵冷泉本
(四)穂久 穂久邇文庫蔵二条為氏本
(五)柳瀬 柳瀬福市氏蔵柳瀬本
(六)吉澤 吉澤義則氏旧蔵吉澤本
(七)谷山 谷山茂氏蔵寿本
(八)鷹甲 宮内庁書陵部蔵鷹司城南館旧蔵本
(九)鷹乙 宮内庁書陵部蔵鷹司本
(十)前田 前田家蔵前田本
(十一)吉田 吉田幸一氏蔵明応二年慶祐書写本
(十二)小宮 小宮賢次郎氏蔵小宮本

新古今集(隠岐本)合点歌表
 巻第一~第十二 宮内庁書陵部蔵合点本底本、小宮本と柳瀬本を対照
( )底本合点無し、小宮本のみ有
〔 〕底本合点無し、柳瀬本のみ有
《 》底本合点無し、小宮本柳瀬本に有
・底本合点有、小宮本のみ無し
*底本合点有、柳瀬本のみ無し

 巻第十三~第二十 小宮本底本、吉澤本と柳瀬本を対照
( )底本合点無し、吉澤本のみ有
〔 〕底本合点無し、柳瀬本のみ有
《 》底本合点無し、吉澤本柳瀬本に有
・底本合点有、吉澤本に無し


第三巻

八代集全歌初句索引
勅撰作者部類
  作者異議
  新葉集作者部類
二十一代集才子伝

源氏五十四帖 浮世絵コレクション

$
0
0

九帖 葵



十帖 賢木



十一帖 花散里



十九帖 薄雲



朝顔


大橋堂 不明
國○筆

平成30年4月22日 貮點陸

万葉集巻第五 山上憶良 川越氷川神社

$
0
0

令反惑
情歌碑

萬葉集卷第五所載令反惑情歌并序
 或有人。知敬父母忘於侍養、不顧妻子、軽於脱徒。自称倍俗先生。意氣雖揚青雲
 之上、身體猶在塵俗之中。未驗修行得道之聖、蓋是亡命山澤之民。所以指示三
 綱、更開五教、遣之以歌、令反其惑 歌曰
父母乎美礼婆多布斗斯妻子見礼婆米具斯宇都久志余能奈迦波加久叙許等和
理母騰利乃可可良波志母与由久弊斯良祢婆宇既具都遠奴伎都流其等
久布美奴伎提由久智布比等波伊波紀欲利奈利提志比等迦奈何名能良佐祢
阿米弊由迦婆奈何麻尓麻尓都智奈良婆大王伊摩周許能提羅周日月能斯多
波阿麻久毛能牟迦夫周伎波美多尓具久能佐和多流伎波美企許斯遠周久尓
能麻保良叙可尓迦久尓保志伎麻尓麻尓斯可尓波阿羅慈迦
   反歌
比佐迦多能阿麻遅波等保斯奈保奈保尓 伊弊尓可弊利提奈利乎斯麻佐尓
明治十六年五月


川越氷川神社

百人一首一夕話 5 巻之三 1 蔵書

$
0
0

百人一首飛登與我丹理巻之三
  目録
素性法師  歌釋
 素性良因院に住する話       宇多法皇宮の瀧御遊覧の話
文屋康秀  歌釋
 康秀の名を文琳と書話
大江千里  歌釋
 大江音人博覧の名高かりし話    千里文学ありて和歌に名高かりし話
 百二十首句題の歌の話       千里弟千古と贈答の歌の話
菅家  歌釋
 延喜帝寒夜に御衣を脱給ふ話    時平公國経の北方を奪はるゝ話
 菅公御先祖の話          菅原大江両家の話


 菅公始めて弓射たまふ話      菅公の御母詠歌の話
 菅公類聚國史を撰したまふ話    唐の裴文籍菅公の詩を賞する話
 菅公五十賀に帝より沙金を賜ふ話  菅公時平と共に幼主を補佐したまふ話
 両皇菅公を寵したまふ話       時平菅公を讒せらるゝ話
 菅公左遷の宣旨下る話       菅公亭子院に歌を奉りたまふ話
 太宰府にて詠じたまふ詩歌の話   菅公薨去の話
 安樂寺に墓所を定る話       都に雷鳴の災ある話
 時平公薨ぜらるゝ話        菅公を本位に複したまふ話
 菅公の霊を北野に祭らるゝ話    天満宮の廟号をまゐらせらるゝ話
 西の京のあやこが話        待賢門院の半物衣を盗む話
 阿闍梨仁俊歌の話         西七条銅細工の女の話
 飛梅の話             太宰府祭礼の話

 大江匡房卿の作文神慮に叶ふ話   太宰府の御社連歌の話
 太宰府うそかへ鬼取の話      安樂寺景致の話
 菅公櫻の御歌の話         重衡卿詠歌の話
 聖廟の話

遍照吾子
をも出家せ
しめ、名を
素性とつけら
しは、わが黒髪
をなでずや
在けんとよみ
出られし、歌のこころを、
亦わが
子にも
 およぼすに
    似たり。
これもとめず
     して、
自然なる
   ものなり。


            寛平法皇とは宇多帝の
             ことにして昌泰二年の
             冬、かざりをおろし給ふ。
            法皇と称する事
                こゝに始る。

法皇
 宮の瀧と
いふところ
 御らんじ
  ける
   御供
    にて
水ひきの
 白糸
   はへて
  織はたは
 たびの衣に
  たちやかさ
     ねむ
   藤原右大将            宮瀧は
                      吉野の
                       おくにあり。


Viewing all 4234 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>